ヴィア・フランチジェナ ローマ巡礼 5日目

サンティアゴ巡礼記

Canpangnano di Roma → La Storta

6時30分起床。

Canpangnano di Romaの一棟貸しのアルベルゲでの夜はめちゃくちゃ快適だった。

 7時27分には宿を出た。朝の教会の鐘が鳴る。最高に気持ちがいい。朝ご飯をたらふく食べるより満たされている。自分で決めたことをきちんと実行できることは満足度が高い。

たくさんの町の人々が教会に集まっているみたいだ。あ、今日は日曜日か。

 出発前に朝食をと、バールへ立ち寄る。バールの外テラスで、朝のキーンと冷たい町の空気を吸いながらカップッチーノを飲む、至福の時間。今日という1日への期待が膨らむひととき。そこにあるワクワクと緊張感をカップッチーノでそっと鎮める。僕にとっての静かな瞑想の時間。

朝のバールには朝のバールでしか味わえない時間がある。

7時55分にバールを出発。時間通り。最高。朝から自己肯定感を上げることに成功。

人生はシンプル。難しくしてるのは自分。

 イタリアーノは日曜日も農園でオリーブを剪定している。お出かけするイタリア人達は公園やハイキングやサイクリングに繰り出しているようだった。面白い。

ただの壁もイタリアでは絵になる。

 イタリアの日曜日は、皆朝から自然のある場所へ急いで向かっている印象だった。ドライバーとすれ違う時も、日曜日は彼らも手を挙げ返してくれる余裕があるようだった。

 公園を過ぎた山の中、今日初めてドライバーのお兄さんが向こうから手を挙げてくれた。なぜかすごく達成感があった。日本でこんなことあるかな?

巡礼路をどんどん歩き進んでいく。

今日はたくさんのイタリア人自転車乗りを見かけた。皆凸凹でラフな道を器用に走っていく。でもこんなラフな道だからこそイタリア人は走るのかも知れない。常にイレギュラーで変化に富んでいる道でしか、研ぎ済まされない何かを求めて。日常にないラフさをあえて求めて、楽しんでいる。少年少女のようにそういった楽しさを求めて外に遊びに出かける。若い人たちに限らずおじいちゃん達ももやんちゃに遊んでいた。

自転車乗り達はこういうラフな道を疾走して楽しんでいた。

自転車乗りのタイプも様々だ。車並みか時にそれ以上にスピードを出す人、自分と音楽に集中してゆっくり坂を登る人、痩せているが、苦しい時に手を挙げて挨拶してくれる人。親子で猛スピードでコーナーに突っ込む人、慎重な人、色々だった。

 今日は順調に行程をこなしていた。ペースもまずまずで特に迷うこともなく印にしたがっって巡礼路を進んだ。

静かな日曜の時間が流れている。

 日曜の朝の平和な雰囲気を満喫しながら歩いていた僕は、ある村の入口に差しかかった時、向こうから家族連れが歩いてくるのに気がついた。

 若い夫婦と赤ちゃんと犬が一匹だった。「ボンジョルノー!」と挨拶をしてすれ違うだけの、爽やかな朝の一幕になるはずだったが、想定外のことが起きた。

 それは家族が連れている犬がデカかったのだ。

 僕は身長173センチで体重は約60キロぐらいある。その犬は体積で言えば僕と同じぐらいあった。しかもそれが、目の優しくたれた人懐っこいゴールデンレトリバーならなんの問題もなかったが、その犬はハスキーのような、狼のような、そのミックスのような、完全に戦闘を生業にして生きているような風貌の犬だった。犬はまだ若く血の気が多そうに見えたし、それは今にも飛びかかってきそうな射るような目と堂々とした歩き方に滲み出ていた。

 全身から惜しげもなく殺気を漂わせていて、もし僕が一瞬でも間違った行動を取ったならば、僕の手か足が食いちぎられることになる。僕は一瞬のうちにそう悟った。その犬の力を制御するためか、犬はリードではなく、鎖に繋がれて歩いていた。しかも困ったことに、道幅が狭い!

 向こうはこちらに歩いてくる。僕は向こうに歩いていかなければならない。その距離は瞬く間に縮まってきた。

 僕は緊張でガチガチに固まり、全身に嫌な汗をかきながら、それでも少なくとも「君のご主人様家族には何の危害を加えるつもりもない」という友好的な雰囲気を演出するために、やはり

「ボ、ボン、ジョルノ〜!えへへっ。」

みたいに挨拶をした。家族も(旦那さんは犬の首に巻かれた鎖を力強くたぐりながら)挨拶を返してくれた。

 すれ違う時は心を無にして、”無駄な動きは一切するんじゃない。さもなくば死だ。”と自分に言い聞かせ、そして神経を極限まで研ぎ澄ました。犬に目を合わせないように前だけを見ながら犬の横を通り過ぎた。その永遠のような瞬間が過ぎ去った後、結局僕は身体のどこも食いちぎられることなく、無事に村に到着したのだった。汗びっしょりで鼓動は早くなっていた。

 ホッとした僕は、「ふざけんなよ!なんで和やかな日曜の朝から、無駄な動き一つで死を覚悟しなきゃならないんだよ!」と1人心の中で愚痴ったのだった。

STORTA到着。まずは町の入り口のLavazzaでコーヒーを飲んだ。やはり美味い。

いつ飲んでも元気をもらえるイタリアのエスプレッソ。

 この先はローマまで距離があるし、今日はこの町で一泊することにした。といっても宿は予約していないので、まずは宿探しからだった。 

 ピッツェリアやドーナツ屋さんに立ち寄って、近くに巡礼宿がないか尋ねてみた。皆「わからない。教会に行って尋ねてみて!」とアドバイスしてくれたので、ひとまず教会を探すことにした。昨日の宿や、その前のMonterosiの時に比べたらまだ早い時間からの宿探しだったので、楽観的な気分でいた。

 だがその教会がなかなか見つけられない。その後も立ち寄ったカフェで尋ねがら探すも見つからない。だんだんと焦ってくる。早く宿を見つけて、今日こそ余裕のある1日にするべく歩いた。

 途中道行くおばあちゃんに会って、「どうしたの?」と聞かれたので、宿を探していることを伝えると、「すぐそこにレジデンスがあるよ!」と言われて行ってみた。「ラッキー!、神の思し召しだ!」と浮かれながら教えてもらった場所へと向かう。その時の僕はレジデンスは宿泊できる施設だと思っていた。

 教えてもらったレジデンスの前に着くと、通りがかりのお兄さんに再度確認のために聞いたら「ここはホステルだよ!」と言われたので、「今夜の宿はここだ!」とさらに確信を深めた。そして意気揚々とその建物のブザーを鳴らした。すぐに無愛想なおじさんが出た。イタリア語で挨拶をしてから、「英語話せる?」と聞いたら「ノー。」と言われて切られた。それっきりだった。終了した。

 一瞬放心状態になったが、とりあえずその冷たくあしらわれたレジデンスの門の前で、さっき買ったチョコのお菓子を食べた。元気を取り戻すと再出発。コーヒーと甘い物は世界のどこにいても僕の味方だ。

 今度は近くの、カフェテリアでイタリア人のゴツいお兄さんに、Stortaにあるはずのアルベルゲのリストを見せて場所を尋ねた。ネットが繋がる場所で予め調べてスクショしておいたのだ。

 お兄さんは土地勘がなくて、もう1人の店員のお姉さんを呼んで尋ねた。どうやらここはStortaではなくLa Stortaらしい。StortaとLa stortaは違うらしい。近辺にアルベルゲは2つあって、一つはわからないが、もう一つはStortaにあり、ユーロスピン(スーパー)の向かいの通りにあるらしい。バスで行った方がいいと言われて、注文していたビールを飲み終わると近くのバス停を教えてくれた。筋骨隆々でカッコいいイタリアーノだった。

ここがLa Storta。

お礼を言って店を出ると、すぐ近くのバス停まで行ったみた。でもどうしても自分の足で歩きたくて、バス停にいた親子にユーロスピンが歩いて20分ぐらいの距離であることを確認すると、歩いていくことにした。

そして、太陽が西に大きく傾き始めた頃、ようやく宿に到着!だが、喜んだのも束の間、「巡礼宿はやってない。」と建物を掃除をしていたおじいちゃんに言われた。絶望した。

これはいよいよ野宿を覚悟した。僕はこの最悪の場合に備えて、「あ、この木の下なら快適に眠れそう、あ、この牧草畑もふかふかしていいかも。」と今夜野宿できそうな場所の選定をしながら歩いてきていた。

広大な緑のベッドで星空の布団に包まれて眠るのも悪くない。狼さえ出なければ…。

 そこで、おじいちゃんから「もういっそローマまで行った方がいい。」と言われた。おじいちゃんの言う通りもうローマ行くしかないと思った。だがもう19時前だ。ローマはそんなに歩いてすぐに行ける距離ではないことはわかっていた。

 野宿を覚悟しつつもまだベッドを諦めたくない僕は、近くにあったスコットランド風バーで近くに宿がないか尋ねてみようと寄ってみた。

 「まだ開いてない」とオーナーみたいなおじさんに言われたが、宿について尋ねると店の若者が対応してくれた。とても明るくて、それだけで救いになった。

 さらに、英語ができる子がいると言われて連れてこられた女の子が、「ホテルカッシア」というホテルを紹介してくれた。それはLa Stortaに着いてすぐに見つけた場所だった。だが高そうだったし、巡礼宿を探していた僕は選択肢に入れていなかった。女の子が今夜そのホテルの部屋が空いていることまで確認してくれた。もう感謝だ。

 だが、そばでその一連のやりとりを見ていたオーナーが僕を一喝した。「こんなことになるぐらいなら宿ぐらい予約ぐらいしとけ!」と言ったのか、「イタリアではイタリア語を話せ!」と言ったのか、そのどちらでもあったかもしれない。僕は驚き、シュンとなった。若者は笑っていて、女の子は僕を気遣ってくれてか苦笑いだった。彼女は優しい。彼女にお礼を言って店を出た。

 情けなかった。何やってんだ、と思った。オーナーの言うことは真っ当だった。僕はただ旅人の立場を利用して現地の人に甘えながら旅をしていただけなのかもしれない。

 その頃になると、僕は俯いて、自暴自棄で、くたびれて、巡礼どころではなくなっていた。ジェラート屋に寄ってジェラートを食べたが、気休めだった。さっき見たはずのホテルカッシアすら見つけられず、終わったと思った。もうどうでもいいと思った。

今回ばかりは甘い物も僕の心を慰めてはくれなかった。

 それでも歩き、最後は立ち寄った雑貨屋のインド人のお兄さんがわざわざ店の外まで出てホテルの場所とそこまでの道を教えてくれた。救われた。またも助けられた。自分がどれだけ甘えているか思い知った。

 そして、全く土地勘のない徒歩のバックパッカーという最弱の立場の僕をいつも助けてくれたのは、偉い人々ではなく、力のある人々ではなく、裕福な人々でもない、その多くはその日を懸命に生きている一般の人達だった。

希望の場所へ到着。

 ホテルカッシアは希望に光り輝いていた。レセプションの女性が優しかった。もうマリア様だった。部屋もなんとか空いていた。この心身の疲労が癒やされるなら宿代90€なんて安いものだった。そして無事にベッドにありつくと、もう涙した。時刻は21時半になろうとしていた。「もうこの自分の旅の仕方、ちょっと過酷すぎる…」と反省した。「もっと計画性!」と自分を叱咤したのだった。

このベッドがこの時の自分にとって、いかにありがたい物だったか。

部屋で夕食は気が収まらなかったので、外へ出て、レストランで夕食を食べることにした。

 ホテルの近くに、宿探す途中で見かけたお洒落なレストランが一軒あって、「もし今夜無事に宿が見つかったら、ここで祝杯をあげよう!」と自分と約束していた。

 そのレストランを訪れると、店はすでに閉店作業中で、店員さんにまだ大丈夫か尋ねると、店の中の女性マネージャーに食べれるか聞いてと言われた。彼女は優しくて「パニーニならいいよ。」と、でも申し訳なさそうに言ってくれた。パニーニ担当のタトゥーのおじさんがパニーニを温めてくれたり、ワインを注いでくれた。嬉しかった、優しかった。

長い1日が終わろうとしている。ワインの甘い雫が心に沁みた。

 彼らは、忙しい1日の終わり、まさに閉店しようとしている時に何処の馬の骨ともしれないくたびれたアジア人の僕を受け入れてくれた。僕は最後まで優しさに甘えていた。なぜだかわからないが、こんなジェットコースターみたいな生き方の僕にはパートナーは無理だ、とふと思った。

 I was totally beaten up … 。結果的に落ち着くところに落ち着けたが、完全に打ちのめされて敗北した。せめて次回からは「予め自分で調べて宿を決めよう。」「イタリアではイタリア語を話そう。」そう静かに心に誓った。だが同時に、きっとまた当てのない旅をしてしまうであろう自分を想像した。

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