ヴィア・フランチジェナ ローマ巡礼 4日目 – ①

サンティアゴ巡礼記

Monterosi → Canpangnano di Roma

5時30分起床

 さすがに昨日のダメージが残っていた。足は痛むし、バッグは匂う。だが精神は充実していた。今日もカミーノを歩ける喜びをじんわりと感じる。

 5時30分から準備できたはずなのに、ぼーっとしていたら出発予定の7時30分を超えて、出発したのは7時37分だった。

 今回僕はイタリアに来る直前に、空港の書店で稲盛和夫さんの本を買った。それを何度も読み返していた。

 書かれていたことは面白かったし、そこまで厚くなかったし、移動中に関しては時間だけはたっぷりあったからだ。その本の中に書かれていたことに「土俵の真ん中で相撲を取る」というものがあった。

 何事も、土俵際に追い詰められてから火事場の馬鹿力を出して戦うのではなく、土俵の真ん中で最初から全力を出して試合を優位に持っていこうというという意味らしい。それは僕の今朝の支度中に必要な意識だった。いや、これまでの僕の人生全般に言えることだ…。

ま、失敗と傾向を認識できたことは前進だ。ということにしよう。

7時45分、昨日宿を紹介してくれたillyで朝食を食べた。カップッチーノとチョコラテ。

本日の朝食。泡たっぷりのカップッチーノで心も温まる。

カップッチーノは熱すぎず、コーヒーの上に泡がたっぷり載っていて美味しかった。

僕は朝のカフェが大好きだ。

キンと冷えた早朝の空気、冷たい机とテーブル、温かいカフェラテ。

 今日はどんな1日になるのだろう。どんなペースで進もうか。どこまで歩こうか。興奮と不安が入り混じる、それは一方で心地良くもある。僕は今旅をしているのだから。

朝のバールのテラス。心を静かに整える場所。

 タバコ吸いながら外テラスでコーヒーをすするお姉さんも素敵だ。これは彼女にとっての日々の儀式なのかもしれない。新しい1日に取り掛かる前に、ここで毎朝気持ちを整えている。

新しい1日が始まる。

イタリアーノ達は朝早くからバールでコーヒーを飲み、8時前には皆さっと仕事に向かっていた。

今日のillyに昨日の天使はいなかった。あの信心深い男の人も。

8時00分illyを出発。

今日も巡礼が始まる。

 歩き始めて気づいたが、日本人の僕にはカップッチーノとチョコラテだけの朝食じゃお腹が空いてくる。今後は何か少しお腹にたまるものを食べた方が良いのかもしれない。

歩きながら、ふと、「昨日みたいな本当の旅は今回はもうないかもしれない」と思った。

 あの絶望と希望と救いの1日。ドラマティックな結末。その時は辛かったが、今思うとかけがえのない経験だったのかもしれない。

 歩いていると自転車でサイクリングするイタリア人達をよく見かけた。皆運動に関して意識が高い。60歳ぐらいのおじいさんもビシっとユニフォームを着てバリバリバイクに乗ってる。

 1人のサイクリストもいれば、仲間で走っている人達もいた。そんな人達と話をしたり握手をしたりすることもあった。握手した彼のグローブはとても使い込まれていた。

 さらに歩いていると、農園で仕事をしているイタリアの男達をよく見かけた。僕が田舎を歩いていて感じたことは「イタリア人は働き者」だということだ。たまたま見かけたのがそういう人達だったのかもしれないが、でもそれにしてもよく見かけたので、良く働く人達が一定数いることは紛れもない事実だった。

 ゴミ収集をしているイタリア人と挨拶を交わした。やっぱり働く男はかっこいい。イタリアに来て改めてそう感じた。イタリア人は働いている姿が似合う。ただでさえカッコいいのに、働くともっとカッコ良くなるのだ。

 旅をしていると、働いている人達を見て羨ましい気持ちになることがある。日本で働いていると、旅している人を見て羨ましい気持ちになる。どちらも好きな自分が面白い。きっと、どちらも必要なのだ。

イタリアでよく見かけた果樹園。これは一体何畑なのだろう。

 9時過ぎに大きな牧場を通りがかった。牧場に大型犬が複数匹いて、遠くから僕を視認するなり吠えながら駆けてきた。そして僕は噛まれた。甘噛みだと思う。じゃなかったら、僕の手は千切れていたはずだ。

「ドンウォリー!ゼイアーパピー、パピー!(心配しないで!怖がらないで!この子らはまだ子犬だから大丈夫!)」って飼い主の女性は慌てて言ってきたけど、ごめん、全然大丈夫じゃないです。今噛まれたから。「痛っ!」ってなるぐらいの強さでは噛まれていますけど?

 彼ら(大型犬達)は、審判の見えないところでファールをする、ずる賢いサッカー選手のように、今あなたの見えない死角を利用して噛んだよ?

「おい、わかっているだろうな?」みたいな感じで、何度も身体をしっかりと当ててきているよ?

見えてないでしょ?今わからなかったでしょ?勘弁してくれ〜。

 犬達は日本ではあまり見かけない大きさだ。そしてしつこい。無邪気で、ようするに体力を持て余しているのだ。僕のことを動くおもちゃか何かと勘違いしている。頼む、やめてくれ。

 もう、大きさと敵意と戦闘力はパピーじゃない。いや、もしかしたら自分が日本の愛らしい無害な仔犬に慣れ過ぎていたせいなのか?これがワールドクラスの子犬達の戦闘力の標準値だということなのか?

 僕は犬なんかまるでいないかのように、彼らを無視して黙々と歩みを進めた。飼い主家族のおばちゃんは必死に犬を叱りつけたが、犬は吠えながら追いかけてきた。だが、牧場を抜ける頃には彼らもようやく諦めてくれて、追ってこなくなった。

 先ほどは猫が擦り寄ってきた。かと思えば、犬に噛まれる。過ぎ去ってしまえば、それは笑える思い出として心に残った。

犬達を振り切り、ようやく牧場を抜けた。ほっと一安心。

 もしこれからイタリアの巡礼路を歩こうと考えている人がいたら、一つだけ覚えておいてほしいことがある。それは、

「イタリアの犬は警戒するより先に、狩りにくるかもしれない」ということ。

猫は癒してはくれても、攻撃はしてこない。最高。

10時20分滝の側のバールで休憩。

 滝は観光スポットらしく、観光客らしき人達がちらほらいた。そのそばにあったバールは、なんというか周りの自然と共生しているかのように建っていた。街の中のそれより自然に溢れていて、綺麗過ぎないのがとても心地良い。

滝の近くのバールで一休み。とても開放的な空間だった。

 店内は自然の光に溢れていた。木と花と石と植物、異国の香り、タバコの煙、イタリア語のラジオが流れている。

 床にはゴミも落ちてる。が、それも不思議なもので、ここだとなぜか景色の一部としてアリになる。

 バールの女の子達は皆美人で店内であれこれテキパキと働いている。プレーゴ!(どうぞ!)と言ってコーヒーを出してくれた。

本日何杯目かのコーヒー。心くつろぐ時間。

イタリアに来たら制服がない方がいいな、と感じる。

「お店は綺麗で清潔でなければならない」衛生面から言って、それはそうかもしれないが、イタリアのバールの力の抜け具合は、僕をいつもリラックスさせてくれた。「ゆっくりしていって。ここに好きなだけ居ていいんだよ。」と言ってくれているようだった。

 特別な場所ではなく、朝、昼、夕、生活の場としてのバールは、日々の忙しなさの中に心にゆとりを生むための大切な場所のように思えた。

気づけば長い時間ぼーっとしていた。

 11時前にバールを出発。気づけば30分以上も休んでた。店を出ると世界がより美しく輝いて見えた。それがバールの役割でもある。

 歩いていると、向こうから巡礼者らしき男の人が歩いてきた。早速挨拶を交わすと、お互いに自己紹介をした。彼は、マウリシオ、ブラジル人。歳は40歳ぐらいに見える。

ローマからポルトガルへ3000キロ巡礼中らしい。イタリア、フランス、スペイン、ポルトガル、それはとても長い旅路に思えた。前回ル・ピュイの道で一緒に旅をしたマイケルと同じような距離だ。

 彼の旅は、亡くなった彼の父の弔いのための巡礼だと教えてくれた。「それは誰しもにいつか起こることさ!」と明るく話してくれた。一緒に写真を撮って僕らは別れた。

本当にラテン系の人たちは陽気で明るくて、カラッとしていて前向きで好きだな。自分もそうありたいと思う。

「コモスタ!(元気?)」

と話しかけて良かった。

 見上げたイタリアは空は今日も突き抜けるような青さだった。そして、そこを白い雲を引いて飛行機が飛んでいる。

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