ヴィア・フランチジェナ ローマ巡礼 4日目 – ②

サンティアゴ巡礼記

Monterosi → Canpangnano di Roma

Canpangnano di Roma、すごく静かで時が止まったような町だった。

 街中をランニングしていたイタリア人女性に笑顔で挨拶されてキュンとした。世界中どこでも、走っている女性はやっぱり素敵だ。いや、たとえ走っていなくても、道端で出会った人に笑顔で挨拶してくれることがまず何よりも素晴らしいと思う。

 今度はお洒落な自転車に乗るイタリア人女性も見かけた。そこからも、イタリアでは老若男女問わず運動に対する意識が高い気がした。

 街に入ってすぐに教会があり、それを何ともなしに眺めていると、近くの民家からおばあちゃんが出てきて話しかけてきた。

ようやく街に到着。すごく静かだった。

 イタリア語だったので、ちゃんと理解することはできなかったが、何やら「今夜の宿を探しているのかい?」とか何とか尋ねているようだ。「そうだよ!」と身振り手振りで答えると、「少しそこで待ってな。」と言って家の中へ入っていった。

 そしてすぐに、この街の地図を持って帰ってきた。そして、おばあちゃんは一軒の宿を勧めてくれた。

「ラッキー!」

と思って、地図をスマホで撮っておばちゃんと別れ、僕は町の中へと進んだ。

 静かなのは街の外れだけだったようで、中心部には賑やかな都会の喧騒があった。先ほどおばあちゃんが見せてくれた地図の写真を頼りに街の中を進む。そして迷いながらも地図に示された場所に着いた。

街の中へ進むと建物が増えてきた。

 しかし、その建物はどう見ても宿には見えなかったし、柵に囲まれ施錠されていて、中には入れず、そもそも人気もなかった。

 一瞬途方に暮れた。何度も地図と現在地を照らして確認してみたが、示された場所に間違いない。もしかしたら宿は今オフシーズンなのかもしれない。おばあちゃんは親切心からここを勧めてくれた。悪気なんてきっとなかった。そして自分に「NO」という選択肢はそもそもなかった。誰も責められない。

「まぁいい」と思い、来た道を戻った。宿を探すまでに結構歩いていたので、結構落胆はしたが、気持ちを切り替える他にできることはない。

そこからあれよあれよという間に、人や車の流れに押し流されるままに街を出てしまった。

 ここから次の村なり町なりを目指して、またさらに歩くのかと思うと疲れを感じた。「こんなつもりじゃなかったのに。」と心の中でこぼし、少し俯いて歩く自分がいた。

 けれど、同時に喧騒を抜けてホッとしたのも事実だ。これで良かったのだと思う。この街には縁がなかったのだ、そう思い込もうとした。

街では青空市のようなものが催されていて活気があった。

 街の出口には丁度ヴィアの巡礼路を示すサインもあったので、それに従って歩いた。だがサインがあったのも最初だけ、途中で自分が巡礼路を外れていることに気がついた。どこにも印が見当たらない。僕は完全に迷子になっていた。とにかく慌てず来た道をそのまま引き返すしかない。

 イージーな1日になるはずだった。朝確認した限りだと、今日は大した行程じゃないはずだった。本当なら、もう今頃楽に宿を見つけてゆっくりしているはずだった。それが何だ。もう到着してから、1時間以上もウロウロしている。状況に流されるままになっている。イージーなことをイージーにできない自分がいる。

「イージーな日を自分が難しくしている」そう感じた。

Canpangnano di Roma に14時00分に舞い戻る。

 僕はその時謎の怒りを覚えていて「舐めんなよ。(誰に対して?)」と憤っていた。誰にでもなく、多分自分自身に対して怒っていた。街は僕のことなどそもそも歯牙にもかけていなかったし、街の人達はなおさらだ。

そう、僕は自分に対して怒っていた。流されっぱなしの自分に。

 「都会でも自分のサインを見失わない自分になれ。都会を征服しろ(ちょっと怖い)。どこででも自分を確立しろ。見失うな。面と向かえ。今なら今の自分ならできる。場所や状況にものを言わせるな。自分のことは自分で決めろ。」

 僕は心の中で自分にそう問いかけた。そして僕の中の何かが変わろうとしていた。

 20時までに宿を探し出そうと決めた。これは昨夜僕が宿に辿り着いた時間を考えて、それまでに見つけられればいいと思ってのことだ。まずは腹ごしらえと、近くのリストランテでビールを飲んで、パスタを食べた。

日本のパスタとは見た目がだいぶ違う。味付けが濃厚で美味しかった。

 昨日の「夜遅くまで宿なし」の経験をするまでの自分なら「18時までに宿に辿り着けなかったら、絶望」みたいに考えていたが、僕の限界値は昨日のスリリングな旅の経験によって更新されていた。それは今となっては、僕のリスク許容値を引き上げ、心の余裕を生み出していた。

何はともあれリストランテのパスタはとても美味しかった。

 イタリアの若者達にからかわれた。がそんなこと気にしない。誰にどう思われようが、自分の機嫌は自分で決めるのだ。他人に決めさせない。

 同じリストランテには僕と同じような巡礼の装いをしたカップルが同じタイミングで外のテラスに席をとった。

 彼らはアリアナとマーカス、ドイツ人カップル。奥さんはドイツ語の他に日本語、中国語、イタリア語、英語を話すボリグロット。旦那さんはお医者さんだった。お二人ともとても聡明な人達だった。

 けどやっていることはかなりワイルドで、彼らは宿を取らずテントで寝泊まりして旅をしているらしい。

今回はシエナを出発してローマを目指しているらしい。

「ヨーロッパでカミーノを歩くことはファッションだよ。」と言っていた。ここでいう「カミーノ」とは、彼らにとって、主にサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指してスペイン国内を歩くことを指しているようだった。それにしてもそれを「ファッション」と言い切るところから、彼らの旅のダイナミックさが伺えた。

 夫妻は普段から山をあちこちハイキングするのが趣味らしい。それもあり野宿にも慣れているのかもしれない。彼らの荷物はただ歩くにしては確かに多めだった。

 彼らは日本のカミーノにも興味を持っていた。四国のお遍路のことを言っているようだった。詳しくは理解できなかったが、彼らは「サンピエトロ大聖堂にある巡礼者用の入口」についても教えてくれた。

 コーヒー好きの夫妻は「イタリアンエスプレッソはヘブンだ」と言っていた。最後に一緒に写真を撮った。「旦那さんは君と話せてとても楽しかった!」と言ってくれた。

 リストランテの奥さんにこの辺に巡礼宿がないか尋ねると、わざわざパソコンで調べてくれた。だがなかなか見つからず、カウンターが混んできたら、店の他の店員さんに宿探しを引き継いでくれて、その店員の女性が一軒の宿を見つけてくれた。

 どうやら来た道を戻って門をくぐって街の外れに出たら、そこに建つジョバンニ・バチスタ教会の先にそれはあるらしい。

 店の女性達に感謝して早速歩き始めた。本当に親切な人達だった。通りすがりの旅人の宿探しも手伝ってくれて、美味しいご飯とビールで温かくもてなしてくれた。

 途中で通りすがりの教会に入り、お祈りして先へ進む。自分にとってこの短くとも感謝と祈りを捧げる時間はとても大切なものだった。いつしかそうなっていた。この時間を持つことで状況が一変したことが多々ある。

 そして目印であるジョバンニ・バチスタ教会に着いた。それがである。何を隠そう僕がこの街で一番始めに入ってきた場所であり、おばあちゃんに開いていない宿を教えてもらった教会だった。何だこれ。

 おばあちゃんはもう出てこなかった。彼女に宿を教えてもらって、その宿を探しに出る前から、完璧な宿はすでにそこにあったのだ。

 バールのお姉さんが教えてくれた場所は教会からさらに街の出口に戻った場所らしいので、教会を通り過ぎて進む。

 近くに井戸端会議をしている地元のマダム達がいた。挨拶をして彼女らの横を通り過ぎようとしたら呼び止められた。

「君は巡礼?宿を探してるの?」と聞かれたので、この先にある宿に向かってるんだ!と伝えると案内を買って出てくれた。宿の主人と知り合いらしい。渡りに船と、案内をお願いした。

 彼女はベロニカ。宿の女主人はモニカ。モニカはどうやら今ここにはいないらしい。ベロニカが宿の説明や支払いと鍵の取り扱いについて教えてくれた。全てが繋がってきた。

 そしてそこは、完璧な宿だった。一軒家で、寝室には二段ベッドがいくつかあったが今夜の泊まりは自分だけ。今夜に限って言えば一棟貸しの巡礼宿だった。

本当に居心地の良い宿だった。

 中は質素だが清潔で、まるで自分の家にいるかのように落ち着ける場所だった。あまりに気に入ってしまい、日本に帰ったらこんな家に住みたいとまで思った。

 宿からは美しい夕日が見れた。しばし椅子に座って佇んでいると、そよ風が窓を優しく叩いていた。

 昼食を食べたリストランテへ戻るとお店のWi-Fiを使わせてもらい、パスポートの画像をモニカに送った。赤ワインのグラスを頼むと奥さんがグラスに並々と入れて持って来てくれた。サービス精神がすごい。この女性はこの街のマリア様なのではないかと思う。店に来る客全員と次から次に親しげに会話している。

 ちなみに旦那らしき男の人は昼、葉巻をくわえながら厨房で鍋を振っていた。ダンディすぎる。

ワインを飲み過ぎ、夕食を食べ過ぎたせいか、眠くなってきたので、宿に戻ると21時過ぎには寝た。

静か過ぎて最初は怖かったが、横になったらすぐに眠くなり、朝までぐっすり寝ていた。

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