Vetralla → Monterosi
ついに、ようやく、ある町に着いた。ここがどこかはわからない。僕はWi-Fiがなければインターネットに接続できない旅をしていた。
どうやら期待していたSutriではなくMonterosiという町らしい。看板が出ていた。

日はついに沈んでしまった。気づけば世界はすっかり夜の気配に包まれていて、次第に肌寒くなってきた。バックパックからパーカーを取り出して着ると、町の中へと進んだ。
少し歩くと、バールを発見。店の中に入ると、ウェイターさんにこの町の巡礼宿について尋ねてみた。すると、「教会にでも行って尋ねたらどうだ!」と荒っぽくあしらわれてしまった。タイミングが悪かったのかもしれない。カウンター近くの席に座っていたおばちゃんは、そんな僕を見て目に同情の色を浮かべていた。その時の僕は、上手く笑えず、切羽詰まった引きつった表情でいたと思う。
だがとにかく希望を捨てずに、バールのすぐ近くにあった教会へ行ってみた。教会はバールの近辺に2つあり、1つ目は閉まっていて、正門横の呼び鈴を鳴らしたが反応がない。
泣きそうになりながら2件目へ。だがそこもやはり閉まっていたし、何なら入り口には格子まではまっている。何人も気安く立ち入ることを許さないと言わんばかりに。
途方にくれて、しかもお腹が空いていた僕は、とりあえず入り口に格子のはまった教会前のベンチに座ってバックパックを下ろすと、クリームパンを取り出して食べ始めた。
夜の教会は石のように冷たく沈黙していて、名前もわからないイタリアの町は僕に知らん顔だった。そりゃそうだ。
20時。辺りはもう真っ暗だ。今度こそ絶対絶命。さすがに野宿を覚悟した。万策尽きたという感じだ。

けれど、ふと今の自分の状況が、何だか面白く思えてきた。何ならいっそ笑えてきた。
「何今のこの状況。面白くない?俺今何してんの?」
「初めて訪れた、見知らぬイタリアの田舎町で、遅い時間に宿もなく、汗と埃まみれでクタクタで、孤独に教会の前で夜空を見上げながらクリームパン食べてるって、何これ?」
「てか、このクリームパンうま。」
そう思えてから、「よし!こうなったら、町中徹底的に歩き回って何としてでもベッドを見つけてやる!俺を誰だと思ってやがる!」「誰でもないけど!」となぜか燃えてきた。
失うものなど何もない者だけが持てる、根拠のない自信と、一種のハイがそこにはあった。
教会を後にしてすぐ横の大きな通りに出ると、坂を下ったところにコーヒーショップ「illy」を発見。昨日のピッツェリアのお姉さんが「illyは最高だよ!」と教えてくれたのを思い出して行ってみることにした。
お店の人に尋ねたら運良く宿が見つかるかも知れないし、それが叶わずとも、少なくともイタリア人も認める美味しいコーヒーは飲めるだろう。少なくとも負けない勝負だ。そんなことを考えながら、足取り軽くお店へ入った。
店に入るとカップッチーノを頼んで、早速店のお兄さんに宿について尋ねてみた。すると「80€で良ければ、泊めてやる」と言われた。「いきなり来た!よっしゃー!!!」
「オッケー!泊めて!」と返事をしたが、彼が電話してくれたその宿は今夜はダメだったらしい。もう一軒もダメで3件目に電話したところが空いていたらしく、彼は予約を入れてくれた。
救われた。感謝だ。
余談だが、お店ではお兄さんの他に、もう一人女の子が働いていて、彼女は絶世の美女だった。色白で背が高く、絵画の中の神聖な存在のような美しい容姿をしていて、本当に天使みたいだった。
「カップッチーノ美味しい!」と話しかけたら「ありがとう!」と笑顔も見せてくれたし、素敵な時間だった。絶望の旅路の果てに、僕はお兄さんの親切と、美味しいコーヒーと、天使と、そして無事に今夜の宿に辿り着いたのだった。
振り返ってみれば、一見すると乱雑に置かれたような点と点が、美しい軌跡を描き、僕の今いる場所まで線となり繋がっていた。ただただ信じてれば良かったのかもしれない。
店のお兄さんはジャケットをはおり、タバコに火をつけると、わざわざ店から歩いて20m先の宿の主人のところまで連れて行ってくれた。
外は寒いし、店は忙しいというのに。
たかだかコーヒーを一杯を注文しただけの、宿を探して欲しいと面倒臭い話を持ってきた、素性の知れない汗と埃まみれの通りすがりのアジア人に。
とても信心深い人だと思った。彼がどんな宗教を信仰しているかは知らない。そのことに対してどれだけ献身的かもわからない。
ここで僕の感じた”信心深さ”とは、僕の心に浮かんできたその言葉の意味とは、特定の宗教の律法を厚く信奉していることではない。
そこにある情けとか、慈悲深さとか、僕らは一つであるという気持ち。「僕は君を知っている、わかるよ。あなたは1人じゃない。」という瞬間的な非言語的なやり取り、いや、それはある種の言葉なのかも知れない。
別れ際の握手と、交わした目線の先の彼の瞳から、僕は彼の心を感じた。その内で燃えるものを見た。彼の瞳は確かに光を宿していた、あるいは光を映していた。
宿の主人は女性で僕と同じアジア人のようだった。英語も話せたので助かった。朝食付きでほぼ一棟貸しの綺麗な個室。Wi-Fiがあって、ダブルベッド、タオル、シャンプーなどのアメニティも揃っている。これで60€は破格だ。
もう神の采配だ。これは一つの試練であり、偉大なレッスンを与えられたのではないかと思う。最後の最後まで信じ切ることを学ぶための。
20時、教会前のベンチでクリームパンを食べて、illyでコーヒーを飲み、今はベッドの上。この急展開。

信じられない。
いや信じる。
illyのお兄さんありがとう。
宿の女主人さんありがとう。
神様ありがとう。
お腹がすいた僕は宿の女性が勧めてくれた「ゴージャス」というリストランテへ行ってみた。そしたら、案の定というか、先ほど僕が「教会にでも行け!」とあしらわれたリストランテだった。
だが、先程よりそのウェイターさんは優しくて、カルボナーラパスタとワインは美味しかった。

バールあるいはリストランテ。人がいて、声が聞けて、温かいものがある。誰かとのコミュニケーションがある。いつでも気軽に立ち寄れる場所。いつでも待ってくれている存在。皆が憩えるところ。世界から隠れられる場所。”自分”を一旦脱ぎ捨てられる場所。そして僕はそこで、今夜実際に救われた。
その場所に、僕は旅においても、日常においても、いつも救われている。もしかしたら、本当の信仰はそこに生きているのではないかと思えることがある。教会としての役割を彼らは名目的にではなくて機能的に果たしている気がする。
朝一の一杯から、仕事を終えて帰宅前の一杯まで、その場所は開かれている。明るくて、温かくて、賑やかで。
今日は奇跡の一日だった。今日という1日のその軌跡こそ奇跡だった。

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