『ビバイタリア!〜パンペーロムとリゾット〜』
5月12日 Los Arcos → Logroño 29.4km
6時前には起きて支度を始めた。夜遅くまで暴飲暴食した翌日にしては、以外にもスッキリと目覚めることができた。だがさすがに朝食を食べる気にはなれなかった。
今日の目的地ログローニョまでは30kmの道のり、今までで最長の距離だ。時間に余裕を持って歩くために今朝は少し早めに出発することにした。
6時30分にはアルベルゲを出発。夜明け前の暗い道を、薄っすら見えるモホンを頼りに歩き出した。次第に明るくなり始めた頃、見通しの良い直線の道に出たところで、僕より大分先の方を歩いているパスクワーレが見えた。だが彼の歩くスピードは速く、どんどん遠くへ行ってしまい、ついには見えなくなった。
小麦畑や牧草畑を眺めながら、砂利の道をざっくざっくと歩く。早朝の時間帯に歩いている巡礼は少なく、巡礼路をほとんど一人で歩いていた。
1時間ほど歩くと、昨夜の宴のご馳走もようやく消化され始め、次第にお腹が空いてきた。なので丁度通りがかったサンソルの村で朝ご飯を食べることにした。
村の小さな公園のベンチに腰を下ろすと、ささっとボガティージョを作りのんびりと食べた。早朝だったせいか公園には人っ子一人おらず、乗り捨てられた子供用自転車が一台あるだけだった。
朝の清々しい空気を吸いながら、静かな公園で食べるボガディージョは1日を歩くエネルギーをくれるようだ。
自分に静かな時間を確保することで満たされるものがあるらしい。
ささやかな朝食を食べ終えると、「さあ歩くぞ!」と気合いを入れて元気に巡礼路を歩き出した。すると丁度何かを熱心に撮影している最中のヤコボに出会った。
「やあ!ヒロ!元気かい?」
彼こそ、カミーノがひき会わせた今日の僕のパートナーだった。
ズビリからパンプローナまでパスクワーレと歩いた時のように、今日はヤコボと一緒にログローニョまで歩くことになった。僕らは歩きながら止めどなく喋り続けた。お互いのこと、それぞれの国と文化について、それこそ話題は無限にあるように思えた。
ヤコボについて。
彼は背が高く、雑誌のモデルのようなイケメンだ。サーフィンとビールをこよなく愛する20代前半の好青年で、最近大学を卒業したばかりらしい。大学で船のデザインについて学んだ彼は、船をデザインすることの魅力について教えてくれた。カミーノを終えた後は、マイアミで船に関わる仕事をする予定だということだった。
彼がイケメンなのはそのルックスだけではなく、中身もそうだった。彼はいつも明るく、常に相手への気遣いを忘れない。
「疲れてないかい?ちょっと休もう!」
「チョコ食べない?元気が出るよ!」
彼はきっと恐ろしいぐらいモテるに違いない。それともこのような気遣いはイタリア人にとっては当たり前のことなのだろうか。
その頃には、僕が短い人生の中で勝手に抱いていたイタリア人に対するイメージは完全に覆されていた。ヴィト、パスクワーレ、ヤコボ、ミルコ、皆陽気で優しく、常に相手を思いやることを忘れない、気持ちの良い人達だった。
ヤコボから本場のポモドールパスタを作るコツや、いくつかのイタリア語のセンテンス(美しい!疲れた。元気?)を教えてもらっているとログローニョに到着した。
時刻は14時、サンソルからヤコボと歩き始めて6時間が経っていたが、それはあっという間だった。一人で歩くより二人で歩く方が、距離は短く、疲労は小さくなり、逆に気分は軽く、喜びは大きくなる。分け合えば、苦しい気持ちは半分に、楽しい気持ちは何倍にもなるらしい。
気づけば今日はヤコボとの話に夢中になるあまり、ほとんど写真を撮っていなかった。だが写真に残されなかった日は良い日なのかもしれない、それだけ夢中になれる時間を過ごせたのだから。
与えられた1日を四六時中記録に残すより、思う存分楽しんだ方が充実感もあるに違いない。
「美しい」それがログローニョの第一印象だった。ログローニョは、光と水と緑に満ち溢れていた。街に入ると何かの植物の綿毛が、天使の羽のようにフワフワとそこら中を舞い、光を受けて輝きながらとても幻想的な風景を作り出していた。とうとうと流れるエブロ川は、歩き疲れた心身をスーッとなだめてくれるようだった。
ログローニョのアルベルゲについて何も下調べしていなかった僕は、ヤコボが泊まる予定だというアルベルゲに一緒について行くことにした。最近は行き当たりばったりで、村や町に着いてから宿を決めることが多くなっていた。
橋を渡り街の石畳の道を歩き始めると、次第に足に痛みを感じ始めた。気分は軽くても身体は確実にダメージを蓄積していたらしい。ふっと気が緩んだところで、身体が痛みの信号を発し始めたようだ。
目的のアルベルゲに到着したが、まだ受付は始まっておらず、数人の巡礼達が建物の外で招き入れられるのを待っているところだった。
宿代が”寄付”となっているアルベルゲは巡礼路上に点在していて、僕らが辿り着いたアルベルゲはその内の一つだった。支払う額は各人に任されている。いくら払っても良いし、全く払わなくても良い。払えない人にも、そこには払えない事情があり、救いの手は常に差し伸べられている。(おまけに食事を出してくれるところも少なくない)とても有り難い、誇り高きアルベルゲなのである。
ヤコボと二人で、ここに泊まろうかどうか思案していると、受付待ちの巡礼の一人が、
「おい、ここの宿代はタダだぞ!」
と変な笑みを浮かべながら話しかけてきた。
払えるが払わない人も中にはいるらしい。何か違和感を覚えたのでその言葉を受け流した。パスクワーレ達と連絡を取っていたヤコボが「パスクワーレは違う宿にいるらしい。そこに行ってみよう!」と言ってくれた時は、正直ホッとした。
パスクワーレの待つアルベルゲへ向かって歩いていると、突然街角で数人のスペイン人の男達が話しかけてきた。
急な展開に僕は「何だ、何だ…!」とドキドキしながら身構えた。するとヤコボが彼らと何やら話をし始めた。
ヤコボによると、彼らは今カメラマンになるための修行中で、僕らの写真を撮らせてもらえないか、と言っているらしかった。それは100%ヤコボのルックスパワーによるものだと確信。
ヤコボと「ま、いいんじゃない?」と撮影に応じると、あらゆる角度から複数のカメラマンが僕らの写真をパシャ、パシャ撮り出した。スペインの街角でイケメンイタリア人の横に並び、プロ志望のカメラマン達に撮影されるって一体どんな状況だ。ヤコボはともかく、僕はあまりに場違いだった。
と、突然一人のカメラマンがヤコボに向かって何か言った。
「ヒロ!もっと笑ってだってさ!」
その言葉に僕は思わず吹き出した。
後日送られてきた写真を見ると、爽やか笑顔のヤコボの横に、疲れと空腹と緊張からかゴルゴ13のような険しい表情をした僕が写っていた。
そんな一幕もありながら、パスクワーレの待つ「Ref.Munic Alb peregrinos」に到着。中庭には噴水があり、明るく雰囲気の良い公営のアルベルゲだ。料金も7€とお手頃なのも嬉しい。
中庭で受付を待つパスクワーレと再会。彼も30kmの道のりにやや疲れた様子だった。アルベルゲの一階で受付を済ませると上の階の寝室へ。大部屋の中、言われたベッドの番号を探すとヤコボの斜め上だった。無事にベッドを確保すると、荷を解いてシャワーを浴び洗濯をした。
アルベルゲの中庭で洗濯物を干していると、これからランチに出かけるというパスクワーレ、ミルコ、カーラに会った。「一緒にランチどう?」と誘ってくれたので、有難くその誘いに乗ることにした。
「先に昼食を済ませた巡礼仲間が教えてくれた」というレストランへ4人でブラブラと歩いて向かう。穏やかなスペインの午後、街はまどろんでいるようだった。
辿り着いたレストランは老舗感漂う立派なお店で、店内もテラスも多くの人達で賑わっていた。人に勧められる店にはやはり人に勧めたくなるそれなりの理由があるのだ。
テラス席に腰を下ろすと、皆ペレグリーノメニューを注文。後からやや歩き疲れた様子のヤコボも参戦した。
気持ちの良い午後、友達とお喋りをしながらワインをあおる。悪くない。(最近、昼間からワインを飲むことに対する背徳感は徐々に薄れつつあった…)彼らといるといつも笑いが絶えない。喋って笑っていたら、いつしか皿とグラスは空になり、太陽は傾いている。
楽しいランチを食べ終え「もう満腹!今日はもう何も入らない」そう思った矢先、
「今夜の夕食どうする?」
と彼らの間ではすでに夕食の相談が始まっていた。「正気か⁉︎」と驚くと共に、イタリア人達の食に対する強いこだわりを垣間見たような気がした。
今回に限らず、イタリア人達の食に対するこだわりはカミーノを歩いていて何度も目にすることになった。それらをざっくりまとめてみると以下のようになる。
①男女関係なく料理する(しかも皆上手だ)
②新鮮な材料を揃え、完成度の高い料理を作る(作り方も繊細だ)
③三食きちんと食事の時間をとる
④誰かと食べる、一人で食べない(もちろん傍にはワイン)
⑤「ヒロ、覚えておけ。イタリアではテーブルクロスを使わずに食事することを、食事だと見なさない。もしお前がイタリア人を家に招き、テーブルクロスを使わずに食事を出したら、彼らに怪訝な顔をされるだろう!」(もし皆さんがイタリア人を食事に招く際はテーブルクロスが必要かもしれない)
僕は日本に帰国後、自宅で食事をする際はテーブルクロスを使うようになった。
今回学んだイタリアの食文化に対する敬意と、良き思い出の証として、そしていつか遊びに来るかもしれない陽気なイタリア人達のために。
夕食についての話し合いの結果、アルベルゲへの帰り道にスーパーで食材を買い、今夜はリゾットを作ることになった。スーパーでの買い物中、彼らがワインのボトルをしっかり二本買い込むのを見て「あ、これ今夜も宴だ」と密かに確信した僕だった。
アルベルゲへの帰り道、カーラとゆっくり話をすることができた。彼女はチリ出身でスラッと背の高い美しい女性だ。スペイン語とイタリア語の狭間でアタフタする自分を、いつも気にかけてくれる優しい姉のような存在でもある。年齢はマナーの関係上聞いていない。だが、彼女の母国チリのことや、その首都であり彼女の地元でもあるサンティアゴ・デ・チリのこと、雄大なアンデスの山々のことを聞くことができた。彼女はよくハイキングにも行くらしい。
カーラとあれこれ話しながら歩いていると、どこからともなく陽気な音楽が流れてきた。どうやら、街の広場で何かの催し物をしているらしい。するとミルコが、
「パンペーロムをしよう。」
と真剣な表情で皆に提案した。その言葉の意味がわからなかった僕は「パンペーロムって何だ…?」と不安になる。ミルコとパスクワーレが二人でなにやら相談を始め、しばらくすると僕らは広場の一角にある一軒のバーに入った。
薄暗い店内でミルコとパスクワーレがバーテンに何かを注文した。しばらくして出てきたのは半透明の液体が入ったショットグラスが4つ(ヤコボは一足先に帰っていた)。
「パンペーロムとは飲み物の名前のことなのか?」そんな疑問を抱きつつ、各自グラスを手に取るとその謎の液体が入ったグラスを掲げ、カミーノに乾杯した。
ドキドキしながらそのショットグラスをグイッと飲み干す。液体は喉を焼きながら流れ落ちていき、胃の中が燃えるように熱くなった。「くーっっ!」とか「おーっっ!」とか言いながら僕らはグラスを飲み干した。
その目が醒めるような強いお酒の正体はどうやらラム酒だった。ミルコの奢りでパンペーロムを飲み交わし、ややハイテンションになった僕らは薄暗いバーを出た。
バーから出ると、外の世界はとても明るく感じた。すると、広場に流れる陽気な音楽に合わせてミルコが突然クネクネと踊り出した。顔だけはこれから試合に臨むアスリートのように真剣で、首から下はクネクネと得体の知れない動きをしている。その踊りに一同大笑い。そして踊りながら彼は言った。
「ヒロさん!(彼だけはいつも”さん”付で呼んでくれた)覚えておけ!もしお前が悲しい時は、パンペーロムを一杯やれ!お前はすぐにハッピーになるだろう!」
「ヒロさん!覚えておくんだ!もしお前がたくさんの涙を流し、塞ぎ込んでしまう時、パンペーロムを一杯やれ!お前はすぐに心の底からハッピーになるだろう!!」
彼は踊りながらそう教えてくれた。
そして最後に、
「だがパスクワーレはパンペーロムを飲まなくてもいつもハッピーだ!なぜならいつだって何も考えていないからな!」
と言って大笑いした。
これからの人生で、辛いこと、悲しいこと、どうしようもなく塞ぎ込んでしまうようなことに出会った時、一杯のパンペーロムは僕をハッピーにしてくれるに違いない。それはアルコールの力ではなく、今日の彼らとの楽しい思い出が、きっと僕を温めてくれるはずだから。
アルベルゲに帰り着き、少し休んだかと思ったら今度は夕食の支度が始まった。昨日ロス・アルコスでは何も手伝えなかった僕だったが、今回は「米が炊けるまで鍋をかき混ぜ続ける係」に任命された(どこのアルベルゲのキッチンにも炊飯器はなかったので、米を炊くには鍋で茹でるしかない)。
大抜擢と言って良いだろう。何せ今夜はリゾットなのだ、米を焦げ付かせた時点で全てが終了してしまう。それは責任重大なポジションだった。
ミルコは不安そうに行ったり来たりしては、米炊きの進捗状況を確かめた。調理が始まる前に、僕が普段料理をしないことをミルコに話すと、
「ヒロさん、お前ラーメン作れるか?何?作れない⁉︎嘘だろ?日本人でラーメンが作れないなんて、イタリア人でパスタが作れないのと同じことだぞ!」
と彼にお叱りを受けた経緯がそこにはある。ミルコは冗談好きで普段はおどけていることが多いが、料理に関しては真剣で、一座の料理長のような存在だった。
米はなかなか炊けず長い時間かき混ぜることになったが、焦げ付くこともなく無事に完成。僕らと同時進行で調理していた別の巡礼グループも夕食に加わり、今宵も宴が始まった。
皆で「いただきます!」をしてリゾットを分けて食べ始めた時、ミルコが立ち上がり
「今夜一生懸命米をかき混ぜ続けてくれたヒロさんに感謝しよう!」
と皆の前で言うと拍手をしてくれた。皆も口々に
「ヒロ、ありがとう!」
と拍手をしてくれた。突然のことに恥ずかしくなり、僕は座りながら皆の前でただただ赤面していた。だけどすごく嬉しくなった。30歳を過ぎて人前で(しかも海外で)こんな風に褒められることになろうとは思ってもみなかった。
すっかり夕食を楽しんだ後、片付けをする際
「ヒロはしなくていいよ!座ってて!」
と片付けを手伝わせてもらえなかった。「なぜだろう…」と戸惑っていると、その理由をカーラが教えてくれた。
「作った人は片付けない。作らなかった人はその分片付けをする。それは一つのルールのようなものよ。」
そこに男女も歳も関係ない。それは人と人の約束、共に助け合うこと、尊重すること。僕はそのとき素直にカッコ良いと思った。
”カラテキッド”のモノマネで皆を笑わせるミルコ、夜景を眺めるパスクワーレ、片付けもやはり手際の良いヤコボ、穏やかに皆を見つめるカーラ。”分け合えば、増える”今日という日は、それを学ぶための1日だったような気がする。
本日のアルベルゲ
Albergue de Peregrinos(公営) (情報は2023年2月時点のものです)
+34 941 248 686
https://www.asantiago.org
info@asantiago.org
・一泊7€
・ベッド 88床
・シャワー8室
・キッチン
・洗濯機
・インターネット
・Wi-Fi
・自転車駐輪場
・年中無休 16時〜21時30分
本日の支出(1€=125円)
・昼食 11€
・夕食 4€
・宿代 7€
合計 22€(2,750円)
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