【サンティアゴ巡礼】フランス人の道 – 5日目 –

サンティアゴ巡礼記

『Tomorrow is Another day〜出会いと別れ〜』
5月10日 Puente la Reina → Estella

 昨夜はだいぶ疲れていて、20時30分には寝ていた。夜中に一度目が覚めたが、結局6時30分に起きるまで10時間も眠っていたことになる。僕が起きた時には、同室の巡礼達は慌ただしく出発の支度をしている最中だった。

 窓から外を見ると、今日は曇り空だった。外の物干し場に干していた洗濯物は、昨夜降ったらしい雨に打たれて濡れていた。湿ったままの洗濯物は、バックパックと僕の気分を重くした。

 寝室と食堂をつなぐ廊下を歩いていると、パンツ一丁で廊下を歩き回る巡礼のおじさんに遭遇。これは文化の違いなのだろうか、それとも個人的な問題なのだろうか…。どちらにせよ、突然現れたおじさんにびっくりした。

 昨日の静けさとは打って変わって、今朝の食堂は朝食を食べる多くの巡礼達でごった返していた。なんとか席を確保すると、アルベルゲが用意してくれた朝食の中からパンとクラッカーを皿に取りグラスにオレンジジュースを注ぐと、一人で朝食を食べた。

 一人でと言っても、周りはたくさんの巡礼達に囲まれているので全く寂しさはない。一緒だけれど”皆それぞれで”朝食を食べたと言ったほうが良いかもしれない。

 巡礼達の「早く食べてすぐに出発!」という雰囲気に僕も飲まれていたせいか、なんだかバタバタしながらアルベルゲを出発。雨に濡れた石畳の道を歩き出したのは7時30分。外はもうすっかり明るくなっていた。

アルベルゲを出発。昨夜の雨で石畳の道が濡れている。

 最後の最後、結局町を出る時になって、ようやくこの町のシンボルプエンテ・ラ・レイナの橋を見ることになった。古くて立派な橋からは歴史と威厳を感じた。近代的な橋とは違い、所々曲がっていたり、デコボコしていたり、多くの人が利用するうちに丸みを帯びてきているようだった。だがそれがまた何とも言えず味わい深い。建築物も時を経るごとに醸造されるのかもしれない。

プエンテ・ラ・レイナ。この凸凹な感じがまた良い。

 町の名前にもなった”プエンテ・ラ・レイナ”(スペイン語で”王妃の橋”)は、1000年も昔、ナバーラの王妃様が巡礼達のためにかけてくれた橋らしい。1000年という長い年月、星の数ほどの巡礼達を岸から岸へと渡し続けてきた王妃様の橋。橋は今またこうして、右も左も分からないまま日本からやってきた頼りない巡礼を、物言わず(実際は何かを言ってくれている気もするし、王妃様も巡礼に微笑んでくれている気がする)送り出してくれる。

 彼女の善意は橋と共に1000年の時を生きてきた。人の心が目に見える形で、1000年生きるってすごい。そして王妃様の想いは、人々に大切にされながら1000年と言わずこれからも生き続けるのだと思う。橋といった大きなスケールのものは無理かもしれないが、僕も後世の人達を幸せにできるものを、何か一つでも残せたらいいなと思う。

プエンテ・ラ・レイナに別れを告げる。

 プエンテ・ラ・レイナを出ると、本日の目的地エステージャへ向けて歩き出した。巡礼路はやや霧がかかっていて、どこもかしこも水たまりやぬかるみだらけ。おまけに雨上がり特有のまとわりつくような蒸し暑さだ。道自体は決して険しいわけではないのだが、歩くにつれて僕の体力は徐々に削られていった。

 いつにも増して荷は重く肩に食い込み、次第に両肩に痛みを感じ始め、それに伴って気分まで落ち込んできた。今日は出だしから心身ともに思わぬ苦戦を強いられた。

まとわりつくような霧のせいで、体力がじわじわと削れられていく。

 だがメソメソしてたって始まらない。上着を脱いでTシャツ一枚になると、バックパックにくくりつけていた寝袋の位置をしっかりと固定し直し(それまではバックパックの横にだらしなくぶら下って、歩く度にブラブラ揺れていた)態勢が整うと再び歩き出した。

 プエンテ・ラ・レイナからエステージャまでは22kmの距離で、その行程にはアップダウンがあるとガイドブックには書かれていた。そして、ガイドブックの言うようにアップダウンはそこに確かにあり、大汗をかきながら登っては下り、また登ってを繰り返した。

 昼頃になると、それまで空を覆っていた雲はどこかへ行ってしまい、スペインの突き抜けるような青空と強い日差しが戻ってきた。起伏のある道に加えて、今度は容赦無く照りつける太陽のせいで、汗びっしょりになりながら一歩一歩前へ進む。

 歩いている間は、絶えず身体から発せられるサイン(あるいは警告のアラーム)に注意を奪われ、何かまとまったことを考えるのは至難の技だった。少し疲れているのかもしれない。

次第に天気が良くなってきた。遠くには町が見える。

 途中古い橋を渡り、エステージャの4km手前の村まで辿り着くと、そこで台湾の奥様方と韓国のオンニ達に会った。皆一様に疲れた様子で、バルの店内で休憩していた。

 スプリングに挨拶を交わし話をしていると、立派なカメラを携えた青年マイケルを紹介してくれた。笑顔の素敵な好青年だ。ランチにも誘ってくれたが、目的地は目と鼻の先だったので、休まず一気に到着したかった僕は、丁重に誘いを断って先へ進んだ。何だか最近人の誘いを断ってばかりだ。

 村を出発し、日本の真夏を思わせる強い日差しを浴びながら歩くこと1時間。スペイン語で『星』を意味する町、エステージャに到着。町の入口でカッコいいタトゥーのカナダ人おじさんと、昨夜宿が一緒だった女性と再会。「マイフレンド!」とハイタッチを交し「調子はどう?」と二人とも明るく声をかけてくれた。一気に疲れは吹き飛び、元気が湧いてきた。

 人と励まし合うことが、こんなにも力をくれるのはなぜだろう。今までこんな風に感じたことはあっただろうか。

 町の入口のインフォメーションセンターでクレデンシャルにスタンプを押してもらい、ついでに今夜泊まる予定のアルベルゲの場所を教えてもらうと、町の中へと進んだ。

エステージャ到着。

 エステージャは綺麗な川とゆったりとした時間が流れる素敵な町だった。エガ川にかかる橋を渡り、さらに進むと程なくしてアルベルゲへ到着。受付にはおっとりしたスペイン人女性がいて受付をしてくれた。だが、僕は受付での彼女とのやり取りで苦戦することになった。

 内容はこうだ。宿代について「寄付8€」という札が出ていたので、8€支払おうと思ったのだが、手元には50€札しかなかったので、50€支払って宿代を差し引いた42€のお釣りをもらおうとした。

 だが、オスピタレアは50€を細かく崩して全額返してくれた。「42€だけもらいます。」と言ってもなぜだか受け取ってくれない。僕はそこで戸惑い、困惑したが、押し問答の末に最後は受け取ってくれた。

家の軒先に可愛いモホン。

 よくよく考えたら僕のやり方が悪かったのだ。彼女からしてみたら「宿代は善意による寄付であり、スーパーでパスタを買って、ハイお釣り」という訳にはいかない。「50€は崩します。後はあなたの気持ち次第。」ということを伝えたかったのだと思う。

 彼女のオスピタレアとしての崇高な精神を知ると共に、”お金さえ払えば良い”というお金とサービスのキャッチボールに慣れ切っていた自分を恥じた。本来は人と人との助け合いこそが本質なのであって、お金はただの仲介役の一つに過ぎないのだ。お金が人より偉くなったらいけない、そしてお金で人より偉くなったらいけない、そんなことを考えさせられた。

 現にこうした寄付で運営されるアルベルゲでは、お金を支払おうが支払うまいが、巡礼達は彼女らの善意により一夜を温かい屋根の下で安らかに眠ることができる。ここは1000年以上の歴史を持つ巡礼の道、巡礼という神聖な行為に対する尊厳や尊敬が、今もなお残っている場所なのだ。

 今夜の寝室は大部屋だった。「一体何人泊まれるのだろう!」と思ってしまうほどに広い部屋に、たくさんの二段ベッドが置かれていた。オスピタレアはキッチンやシャワールームの使い方、洗濯物を干す場所などを丁寧に教えてくれた。先ほどの受付での一件といい、改めて彼女の善意と親切さに触れて心が温かくなった。

 到着している巡礼の数はまだ少なく、ベッドは選び放題だった。たくさんあるベッドの中から入口に近いベッドを選ぶと、シーツを広げて寝袋を敷き荷を解いた。一連のベッドメイキングは、すっかりアルベルゲ到着後のルーティンとなっている。

 すぐにシャワー、洗濯を済ませると、町の散策に出かけることにした。訪れた町や村をゆっくり散策することも、巡礼の大きな喜びの一つだと思う。

 のんびりと町を歩き、アルベルゲへ向かう際に渡ったカルーセル橋を再び反対側に渡ると、到着したばかりの台湾の奥様方と再会した。これからすぐ宿へ行くところらしい。彼女らと少し話をした後サン・ミゲル教会を外から眺め(中には入れなかった)スーパーでパンとチーズを買い込むとアルベルゲへ戻った。

サン・ミゲル教会。若々しい緑とのコントラストが美しい。

 バックパックからトマトソースとパスタの麺を引っ張り出すとアルベルゲのキッチンで昼食を作ることにした。自炊を始めてからというもの、僕のバックパックには常に何かしらの食材が詰め込まれていた。この頃はバックパックの外ポケットにも、ボガディージョ用の長いバゲットを差し込んで歩いたりしている。

 食材を持ってキッチンへ入ると、そこではヴィトが怪我の手当を受けているところだった。どうやら足の指に豆ができ、その部分が悪化してきているらしい。状態を尋ねると「後は祈るだけだよ。」とヴィトらしくない元気のない言葉が返ってきた。

 そんな彼から
「ヒロ!今夜は一緒に夕食を食べないか?彼(ヴィトの手当をしていた巡礼)は僕の友達で、料理が得意なんだ。僕らが料理は作る、お代は割り勘だ!」
と誘ってもらった。ヴィトの友達だというイタリア人のジジもニッコリと微笑んだ。

 とても有難い誘いだったのだが、空腹と疲れでその誘いに応じる余裕を失っていた僕は、またしても友達の誘いを断ってしまった。ヴィトは手当が終わると残念そうにキッチンを出て行った。僕も「なんだか悪いことしちゃったな」と少し後悔した。

巡礼路では自由に歩き回る犬達が結構いた。

 ヴィトの友人ジジと二人っきりになると、お互いことについて少し話をした。彼はミラノで美容師をしているらしい。彼は歩く際の服装にも美意識やこだわりを持っているように感じた。さすがだ、と思うと同時に、美意識はその人の心の豊かさの現れかもしれないと感じた。

 道端で摘んだ花を、小さな花束のようにして胸ポケットに差して歩いているイタリア人女性を見かけた時にも同じことを感じた。場所を選ばず、お金をかけず、だが心を尽くして生きている姿は何か大切なことを教えてくれる気がする。

 冷蔵庫の中身を確認し終えると、ジジは買い出しに出かけて行った。トマトソースパスタのことを本場イタリアでは「ポモドールパスタ」と言うらしい。僕は定番となったポモドールパスタとボガディージョを作ると、昼下がりの静かな食堂で一人もぐもぐと食べた。

 確かに空腹は満たされたが、そこには何かが足りないような気がした。

見た目が賑やかな車。時間帯によっては路上販売をしているのかもしれない。

 一人モソモソと昼食を食べていると、パンとワインを持ったおじさん巡礼がキッチンへ入ってきた。彼はすぐに出ていったが、今度はグラスを取りに戻ってきた。そこで挨拶をすると、お互いに自己紹介をした。彼はルーマニアからやって来たらしい。


「ルーマニアがどこにあるか知ってるか?」
と聞かれた僕は、
「知りません。」
と素直に答えた。すると彼は語り始めた。

 「ルーマニアは小さな国で、EUとロシアに挟まれた中々難しい場所にある。だが、俺らは自由にやってるさ。ルーマニアはEUに加盟しているからEU加盟国の中であれば、自由に移動できるし、働くことだってできる。」
 なんて羨ましい話だ!片手にワインのボトル、もう一方の手にグラスを持つ彼の話は続いた。

「俺らにとって一番大事なのは家族だ。金は無くとも家族は大事にする。仕事だっていつ辞めてもいいつもりでいる。俺は今69歳だが、俺にはどこででもやっていける頭があるからな!」
そういって彼は指で自分の頭をつついた。

 69歳?彼はどう見ても50代前半にしか見えなかった。彼にそう言うと、
「そんなの当たり前だ。なぜなら俺はハッピーだからな!」
と言い切った。自分は心底幸せだ!と言い切れる人、僕を含め僕の周りでは思い浮かばなかった。

 今日は奥さんと9回も電話のやり取りをしたらしく、スマホの着信履歴まで見せてくれた。彼は”ハッピー”でおまけに”ラブラブ”なルーマニアの男だった。

「日本やドイツみたいに仕事、仕事、仕事じゃない。それになぜドイツやアメリカは強力な軍を持つ必要がある?イラク、リビア、エジプトが狙われた理由は何だ?何かがおかしい。」

「俺の国では、夜遅くまで友達と酒を飲んだ後、夜道を一人で帰っても危険なことは何一つない。平和なのさ。それ以上幸せな国があるかい?」
それは確かに考えさせられる言葉だった。

 食後は日の落ち始めた町を散歩した。心の中で、ヴィトの誘いを断ったことを少し後悔していた。そういうこともあり、なんだかスッキリしない気持ちで町を歩き回った。

 アイスを買って食べたり、この頃は全く飲まなくなっていたビールを気晴らしに飲んでみたが、気持ちは晴れるどころか、かえってどんどん惨めになっていった。そんな気持ちで町を当て所なくブラブラしていると、偶然台湾人グループのリーダー、スプリングに出会った。彼女もまた夕暮れの町を散歩している途中だったらしい。

散歩中に見かけた巡礼らしき像。家族のように見える。

 しばらく彼女と一緒におしゃべりしながら町を散歩していると、

「ここでお別れね。」

 突然彼女はそう言った。予期せぬ言葉に驚き、詳しく話を聞くと、日程の都合上明日ロス・アルコスをバスで通り越し、ログローニョまで行く予定らしい。また会うことも不可能ではないが、とても難しいことに違いはない。

 彼女との別れにすごく寂しさを覚えた。彼女達とは、同じようなペースでサンティアゴまで一緒に歩いていくのだろうと、勝手にそう思っていた。それに彼女達からの親切な誘いを何度も断ってしまったことをすごく後悔した。なんだか今日は断ってばかりで、おまけに後悔してばかりだ。

 彼女と話をしながら夕日に染められた町を歩き、小さな橋のたもとで記念に写真を撮り握手をした。彼女は最後に、

「気をつけて、暖かくしてね。あなたの手はとても冷たいから。」

と言ってくれた。最後まで優しくて温かい彼女は、僕の台湾の母だ。

 とてもやるせない気持ちで、とぼとぼアルベルゲへ戻ると、バタッとベッドに突っ伏した。するとそこへヴィトが現れ、
「ヒロ!探したんだよ!一緒にワインを飲もうと思っていたのに!」
と傷心気味の僕の心に、さらにたたみ込みかけてきた。

「明日…。明日飲もう!」
そんなモゴモゴと歯切れの悪い返事をすると、

「Tomorrow is anotherday!」

彼は強い調子でそう言い放った。

そのヴィトの言葉に僕は”ハッ!”とした。

 確かにその日は一度しかなく、二度とやり直しは効かない。後悔しないためにカミーノへ来たはずだった。それなのに、カミーノを歩きながら僕はなぜこんなに後悔ばかりしているのだろう。

 もしかしたら明日にはまた誰かと別れることになるかもしれない。その事実を知った時「この道で起きる全てのこと、出会う全ての人々にとことん付き合ってみよう」そう決めた。

本日のアルベルゲ

Albergue de ANFAS (情報は2023年2月時点のものです)

  +34 948 534 551
  https://www.albergueanfas.org
  albergue@anfasnavarra.org


 ・一泊7€

 ・ベッド 34床
 ・シャワー3室
 ・キッチン
 ・洗濯機
 ・インターネット
 ・Wi-Fi
 ・自動販売機
 ・自転車駐輪場

 ・5月11日から9月30日まで 12時〜22時

本日の支出(1€=125円)

・パン 0.39€
・ヒモ 0.36€
・アイス 1.6€
・ビール 2€
・宿代 8€
・バゲット、チーズ 1.39€
合計  14€(1,750円)

最新のカミーノ情報について

日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会
https://camino-de-santiago.jp/

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