【サンティアゴ巡礼】フランス人の道 – 3日目 –

サンティアゴ巡礼記

『心の友~郷愁日和~』
5月8日 Zubiri → Cizur Menor 25.2km

 隣のベッドのオンニ達は、5時過ぎからガサガサと準備を始めた。その音に起こされた僕はしばらく起きずに横になっていた。僕にとって5時起きは早すぎる。だが他の巡礼達も動き出したので6時前には渋々ベッドを出て出発の準備を始めた。

 多くの巡礼達は今夜カミーノ最初の大都市パンプローナで一泊するのだろう。けれど人混みが苦手な僕にはパンプローナは大きすぎる。やはり泊まるなら小さく静かで安らげる場所が良い。色々考えた末、今日はパンプローナの少し先にある小さな村シズールメノールを目指して歩くことにした。

 距離を少し伸ばす分、今朝は早めに出発することにした。出発の準備が整うと寝室の上の階の食堂へ移動。スライスされたパン3枚(1枚はララがくれた)とコーヒー、テーブルに用意されていた朝ごはんを胃に詰め込むと、バックパックを背負い宿を出た。

 巡礼路を歩き始めると、すぐに先発組のオンニ達に追いついた。しばらく一緒に歩いたが、彼女らのペースは速くてすぐに置いていかれてしまった。しばらく一人で歩いていると、小さくて静かなズビリには似つかわしくない、大きくて騒がしい工場が現れた。

牛や羊達も朝ご飯を食べている。緑がとても美しい。

 丁度その工場を見下ろせる小高い丘の上に、ロンセスバジェスで一緒だったハンガリー人のミキが座り込んでいるのを発見。

 昨日に続いて今日も座り込んでいた彼は、ブーンブーンと唸り続ける工場を見つめていて、僕の呼びかけにもすぐには気がつかなかった。彼は工場を見ているようで、どこか遠くの別の場所を見つめているようでもあった。

 ようやく僕に気づいた彼はなんだか元気のない様子で、
「膝の具合が良くないんだ。」
と打ち明けた。話を聞けば状況はだいぶ深刻なようで、
「カミーノを続けられるかわからない。」
と言う彼の表情は暗かった。

 それは”ブダペストが生んだ爽やか青年ミキ”にはとても似つかわしくない少し弱気な発言だった。一昨日ピレネーの山肌を颯爽と歩く彼の姿を見ていただけに、まさかという感じだった。昨日「ソックスを替えている」と座り込んでいた時にはすでに膝を痛めていたのだろうか。

 少ししんみりとした空気になったが、彼はすぐにパッと表情を変え、
「記念写真でも撮ろう!」
と爽やかな笑顔を見せてくれた。

 彼は強いしナイスガイだ。「カミーノ・デ ・サンティアゴ『力の道』が彼に再び歩く力を与えてくれますように、彼とまた道の上で会えますように」そう願うばかりだった。二人で記念写真を撮ると、互いに「ブエン‏ ・カミーノ!」と励まし合い握手をして別れた。

小さな村を通り抜けていく。

 ミキと別れてしばらく歩くと、だいぶ先に行ったと思っていたオンニ達に追いついた。3人でおしゃべりしながら、民家の庭先のアヒルと遊んだり、壁画の前で記念写真を撮ったり、ワイワイガヤガヤと楽しく歩いた。言葉はほとんど通じなかったが、意思は確実に通じていた。後から思い返せばどのようにコミュニケーションが成り立っていたのかわからない。人間、言語に頼らずとも何とかなるものらしい。

庭先のアヒル達。

 少女のように楽しそうな彼女らと賑やかに歩いていると、昨夜同じ宿だったイタリア人青年が追いついてきた。「My woman!」とオンニ達に挨拶。体格はガッシリしていて歩き方も話し方も堂々としている。何だかんだ昨日きちんと自己紹介をしていなかったので、改めてお互いに自己紹介をした。

 彼の名はパスクワーレ。彼の歩き方はゆったりとしているようで速く、自己紹介を終えるや、どんどん先へと歩いて行ってしまった。

 一方オンニ達は疲れてしまったらしく、長い登り坂に差し掛かったところで、足取りが重くなり始めた。次第に距離が開いてきたので、「歩いて!歩いて!」と励ましの言葉だけかけて先へ進むことにした。

 前を歩くパスクワーレ、後ろを歩くオンニ達、どちらともまたすぐに会えるだろう。僕らはすでに出会い、これから同じサンティアゴの道の上を歩くことになるのだから。

少しどんよりとした天気のカミーノ 。

 今日の空は曇っていた。晴れた日のカミーノはとても美しい景色を見せてくれるが、曇り空のカミーノは思考を内へ内へと向かわせるようだ。スペインの北の北、初めて訪れる景色の中にあっても、なぜか頭に浮かぶのは、身近な人達のことだったり、日本のことだったりするから不思議なものだ。どこを見るでもなく見て、何を考えるでもなく考える。そうしている間にも、足だけはパンプローナとその先のシズールメノール村を目指して進んで行く。

曇り空のカミーノもまた良い。

 今日は巡礼路に沿って流れる川を左岸から右岸へ、そしてまた左岸へと往き来しながら歩いた。途中、大人一人がようやく通れるぐらいの狭い藪の中の道を歩いていると、向こうから散歩中らしき地元のおじさんが歩いてきた。

 彼とすれ違う際に、
「このすぐ下の道はもっと歩き易いよ!どちらの道も最後は同じ場所に出るから心配は要らない。」
とアドバイスをしてくれた。なるほど見てみれば、巡礼路の土手下には舗装された道がある。

 どちらを歩いても良かったが、トイレに行きたかった僕は、下の道沿いに丁度トイレがあるのを見つけ、これ幸いと土手を駆け下りた。僕のすぐ後ろを歩いていた巡礼のおじさんも僕に続いて土手を降りてきた。

 用を足すと、道幅の広い下の舗装路をそのまま歩き出した。だが、モホンのない道を歩いていると次第に”このまま進んで大丈夫かな…?”と不安になってきた。僕に続いて土手を降りてきたおじさん巡礼も、同じく不安になったらしく、彼は巡礼路に戻るため土手を登り始めた。一人になると余計に不安になったので、自分もやはり正規のルートに戻ることにした。

 ヒーヒー言いながら土手を登っていると、丁度そこをパスクワーレが通りがかった。彼は親切にも手を貸してくれ、僕を巡礼路に引き上げてくれた。
「巡礼路をそれるのが見えたんだけど、声をかけられなかった。」
と彼は言った。僕らは見えていないだけで、大体同じようなところを同じようなペースで歩いているようだ。

 モホンのある道はやはり安心感がある。そこからはパスクワーレと一緒に歩くことになった。お互い得意ではない英語で、色々なことを話した。彼はローマ在住の25歳、カミーノを題材にした映画を観たことがきっかけで、仕事を辞めてカミーノへ来たらしい。また熱狂的なフットボールファンでもある彼と、チャンピオンズリーグの話題で盛り上がった。時にフットボールは言葉である。

 だが彼は、大好きなフットボールをしていた時に膝を負傷してしまい、帰国後手術が待っているのだと教えてくれた。パスクワーレは今僕の横を力強く歩いているように見えるが、言わないだけで一歩一歩痛みや不安と戦っているのかもしれない。

 僕らは本当にずっと喋っていた。お互いの国、家族、旅、宗教、今まで僕らが共有すべきだったが共有できなかった時間を埋めるかのように、延々と喋り続けた。とても不思議な感覚だった。僕は彼のことをずっと昔から知っているような気がした。彼は昨日のぶっきら棒なイメージとはまるで正反対の繊細で優しく礼儀正しい人だった。

 僕らは景色を眺め、町を抜け、ひたすら歩き続けた。途中雨が降り、すぐに止んだ。他のイタリア人巡礼と出会い、挨拶を交わし、そして別れた。

 巡礼達との会話の中でふと思ったことがある。それは、”カミーノへ来た理由を尋ねるのは野暮ったいかもしれない”ということだ。なぜなら、多くの人達にとって、その本当の理由なんて当の本人達にすらわからないからだ。

 少なくとも、僕には僕自身の歩く理由が何なのか、何に導かれているのかわからないでいた。ただ、きっかけが与えられ、機会を得て今こうして歩いている。今まさに「その”理由”に近づいている真っ最中だ」と言う他にない気がした。

道端で会った犬。出会う犬の皆が皆人懐っこい訳ではないので注意が必要。

 パンプローナが近づくにつ、パスクワーレは膝の痛み始めたらしく、表情を歪めるようになってきた。彼の膝は手術が必要なほどの大怪我を負っているのだ。長い距離を重いバックパックを背負いながら、こうして歩いていること自体がすごい。

 次第に顔色も悪くなってきた。”このまま歩いて大丈夫だろうか…。”と心配になる。まだカミーノは始まったばかりで、彼とこれからカミーノを歩いて行きたいし、彼には無事にサンティアゴに辿り着いて欲しい。彼に手を貸そうとすると「心配するな。俺は強い。」と、あくまで自分の足で歩こうする。彼は本当に強い。

「俺はここでストップだ。」
だがついに、パンプローナの城壁に辿り着いたところでパスクワーレは座り込んだ。膝の痛みはすでに限界を超えていたのだと思う。顔は青ざめて、とても疲れているようにも見えた。それでも彼は目的地まで歩き切ったのだ。

 今日はパンプローナに泊まるというパスクワーレと連絡先を交換し、二人で写真を撮ると、再会を約束して別れた。ミキ同様、彼とは絶対この道の上でまた会いたい。たった数時間でここまで意気投合できた相手は今まで他にいないと思う。僕は一人、大都市パンプローナへと足を踏み入れた。

パスクワーレと別れた直後。パンプローナ入口。

 古く堅固な城壁に囲まれ、牛追い祭りで有名な街パンプローナ。巡礼路で初めて訪れる大都市だ。4、5階建の建物が道を挟み込むように、空を覆うように建っていて、歴史と商業的要素が入り混じったような街は人で溢れていた。

 華やかな雰囲気に満ちた都市パンプローナは、小さな村々にはない賑わいがある一方で、僕にはやや窮屈で忙しなく、息苦しさを感じた。世界中どの都市でも感じる息苦しさだ。そういうこともあり、街中の食料品店で食材を買い込むと、すぐにパンプローナを出ることにした。

建物が所狭しと建ち並んでいる。

 街に敷かれた石畳の道は、美しくて雰囲気があるが、歩いているうちに段々と足が痛くなってきた。加えて、田舎育ちの僕は都会の喧騒に気が滅入ってくる。巡礼同士でこそ「ブエン・カミーノ!」と挨拶を交わすが、都会のスペイン人の人達とは目も合わせられないでいた。(皆普通に暮らしているだけだし、日本の方がよそよそしさはより顕著だと思う)少し疲れを感じながら、やや俯きがちに街を歩いていると、ある女性に出会った。

 向かいから歩いてきたその女性は、仕事帰りと言った感じの美しいスペイン人女性だった。そして彼女とすれ違う際に一瞬目が合った。彼女は何を言うでもなく、優しい目で微笑んでくれた。その一瞬の間に、僕は彼女の心から温かさを感じ、僕の心も温かくなった。僕はぎこちなく頬笑み返したのだと思うが、よくは覚えていない。束の間の出来事だったが、それは記憶に鮮明に焼きついた。

 汗と埃まみれの下を向きがちな巡礼に、彼女が送ってくれた優しい眼差し。彼女がどういう気持ちでいたかはわからないが、理由はどうあれ、その温かい眼差しによって心はパッと明るくなり、疲れは吹き飛び、荷は軽くなり、足には確かな推進力が戻ってきた。眼差しの力はすごい。それまで下を向いて歩いていた人間が、一瞬で明るく前を向いて歩けるぐらい元気になったのだから。あなたの優しさをありがとう!

パンプローナの街は人々で賑わっている。

 すっかり元気になると、大都市パンプローナをようやく脱出し、巡礼路を大きな車道に沿って歩き始めた。

 道自体は平坦だったが、雨交じりの強い風が吹き付け、僕の気力と体力は少しずつ確実に削り取られていった。ようやく”cizur menor”の看板が見えた時には、すっかりくたびれていた。

ようやくCIZUR MENORの看板を見つけた時は嬉しかった。

 シズールメノールは、ガイドブックに書いてある通り小さく静かな村で、ゆっくり骨を休めるにはとても良さそうだった。

 今夜はアルベルゲR.P Maribel Roncalに泊まる予定でいた。ガイドブックに女将さんがとても良い人だと書かれていたからだ。静かで平和で、しかも宿の主人が良い人ということであれば、これ以上の場所はない気がした。

 小さな村の中で何度か迷い、村の人達に道を尋ね、ようやく辿り着いたR.P Maribel Roncalは素敵な中庭付きの小綺麗な宿だった。

 居心地は良いし、女将さんは確かに親切で良い人だった。無事にベッドを確保すると、シャワーと洗濯に取りかかる。中庭では若い巡礼の男の子がアルベルゲの犬と仲良く遊んでいた。今夜ルームメイトになったフランス人おじさん2人組、それにユピさんピエールさんのフランス人夫妻とも話ができた。

アルベルゲの中庭。とても可愛らしくて安らげる場所だ。

 一通り身の周りのことが済むと、夕食を作るため宿舎の隣の食堂へ。食堂の中へ入ると台湾の奥様方がいて、台湾料理だろうか、とても美味しそうなお米の料理を食べていた。

 調理を始めた僕がコンロの火の付け方に四苦八苦していると、台湾の奥様方の中の1人が親切にも「こうするのよ!」と使い方を教えてくれた。その上、鍋でお米を炊く方法も伝授してくれた。やはり僕らはアジア人、お米が恋しい気持ちは一緒だ!

 彼女達はとても親切で気持ちの良い人たちだった。彼女達のテキパキと皿を洗う姿を見ていると、母や親戚の叔母達もこんな風にチャチャっと夕食の片付けをしてくれていたな、とまたしても故郷の情景が頭に浮かんだ。

 全く今日はなんて郷愁日和だ。僕の身体がどこへ飛んで行こうと、心までごっそり丸ごと持っては来られないらしい。きっと、世界を何周しようが自分の心が置かれた場所からは一歩も動けないことだってあるのかもしれない。

 パスタを茹でていると、夕食を済ませたらしい欧米人女性巡礼が
「余ったんだけど使う?」
とチーズを分けてくれた。その優しさにとても温かい気持ちになった。

 「分け合えば、喜びは何倍にも膨らむ」それはカミーノが教えてくれた大切なことだ。完成したパスタを一人でモグモグと食べていると、台湾人奥様グループのリーダーらしきスプリングという女性が
「明日良かったら一緒の宿に泊まって、夕食を一緒に食べない?」
と誘ってくれた。

 誘ってもらえたことはとても嬉しかったのだが、そこには二の足を踏む自分がいた。何を隠そう、僕は集団行動が大の苦手なのだ。誰にも気を遣わずに自分のペースで歩きたかった。そんな自分が出てきて、その場は彼女に対して曖昧な返事を返してしまった。

 夕食を食べ終え、9時頃部屋へ戻ると寝袋へ潜り込んだ。その日の夜は同室の巡礼のとてつもなく大きなイビキに苛まれた。”今日眠れるかな…。”と心配したが、気づけばいつの間にか眠りに落ちていた。

アルベルゲにいた犬。見ているだけで癒される。

本日のアルベルゲ

R.P Maribel Roncal (情報は2023年2月時点のものです)

  +34 670 323 271, +34 948 183 885
  maribelroncal@jacobeo.net

 ・10€

 ・ベッド 51床
 ・シャワー 5室
 ・洗濯機
 ・キッチン
 ・Wi-Fi
 ・インターネット
 ・自動販売機
 ・自転車駐輪場

 ・年中無休 14時〜22時

本日の支出(1€=125円)

・宿代 12€
・食材 4.88€
・クロワッサン 1.25€
 合計 19.3€(2,412円)

最新のカミーノ情報について

日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会
https://camino-de-santiago.jp/

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