【サンティアゴ巡礼】フランス人の道 – 出発前夜 - ②

サンティアゴ巡礼記

『巡礼前夜〜旅の始まり〜』  
5月5日 Bayonne → St . jean – pied-port 0kilo

 1時間後、バスはサン・ジャン・ピエド・ポー駅に到着。早朝の駅周辺には人っ子一人おらず、平和な町のいつのもの清々しい朝といった感じだった。

「さあ、どうしたものか。」

 現地に着けばどうにかなると考えていた僕に、具体的な作戦やスケジュールはなかった。何はともあれ駅前で記念撮影をすると、町の方へと歩き始めた巡礼の一団について行くことにした。

 彼らはきっと真っ先に町の巡礼事務所に向かうはずだ。なぜなら、巡礼を始めるにあたって巡礼達はまず”クレデンシャル”と呼ばれる巡礼手帳を入手する必要があるからだ。

サン・ジャン・ピエド・ポー駅に到着。

 クレデンシャルとは、その人が巡礼者であることを証明するパスポートのようなものであり、巡礼宿に泊まる際には毎回クレデンシャルを提示しなければならない。

 カミーノを巡礼したことを証明するものとして、サンティアゴ・デ ・コンポステーラでの巡礼証明書の発行にも必要になるので、巡礼にとってクレデンシャルはとても大切なものなのだ。色々と準備不足が露呈し始めた僕も、サン・ジャン・ピエド・ポーの巡礼事務所でクレデンシャルを発行してもらわなければならないことだけは下調べしていた。

 いくつかあるサンティアゴ巡礼のルートの中でも、今回僕が歩く予定の”フランス人の道”と呼ばれるルートは近年最も人気のあるルートで、そのフランス人の道を歩く巡礼の多くが、ここサン・ジャン・ピエド・ポーでクレデンシャルを入手してから巡礼を始めるらしい。

 駅から町の中心部へと緩やかに伸びる坂道を、まだ眠りの中にいるような家々を眺めながら歩く。キョロキョロしながら歩いていたら、前を歩いていた巡礼達をいつの間にか見失う。再び焦る。とにかく歩いてきた道をそのまま進んで行くと、車の行き交う大きな道路に突き当たった。

 道の向こうのエリアは重々しい城壁で囲まれていて、道路を渡り城壁の門をくぐると再び巡礼達を発見。ホッと胸をなで下ろした。

 城壁の内側にある町のメインストリート”シタデル通り”へ出ると、巡礼の流れに従って静かな通りを登るように進んだ。

シタデル通り。玄関の花々が美しい。

 シタデル通りを登っていくと、通りの一角に巡礼事務所を発見。事務所の中では、すでに何人かの巡礼がクレデンシャルの発行手続きをしてもらっている最中だった。

 混雑を予想していたが以外にも空いていて、自分の受付の順番はすぐにやってきた。受付をしてくれたスタッフはおっとりとした親切な女性で、僕のクレデンシャルを作成すると記念すべき最初のスタンプを押してくれた。

クレデンシャル。もらう場所によって表紙の絵柄も違うらしい。

 カミーノ上にあるアルベルゲや教会や観光案内所は、それぞれが独自のデザインのスタンプを持っていて、日々クレデンシャルに加えられていくそれら個性的なスタンプを眺めることも巡礼の楽しみの一つらしい。

 クレデンシャルの他にも、各町や村にあるアルベルゲのリストと、おすすめ行程表(34日間の日程で見所を押さえながらサンティアゴまで1日20数キロを歩くというもの)をもらうことができた。
 
 最後にピレネー山脈を越える際の注意点を聞き手続きは終了。デスクの横に置かれた箱にはホタテ貝の貝殻が山積みにされており、巡礼達はそこから気に入った一枚を選んでバッグパックにくくりつけると巡礼事務所を出発していった。

 なぜそこにホタテ貝の殻が山積みになっているのか。サンティアゴ巡礼には3つのシンボルとして”ホタテ貝””ひょうたん””杖”がある。

 ホタテ貝が巡礼のシンボルになった経緯として、持参したガイドブック『聖地サンティアゴ巡礼』によれば、コンポステーラの町があるガリシア地方はホタテ貝の名産地であり、巡礼に行ってきた証として食したホタテ貝の殻を持ち帰ったという説、海に誤って落ちた騎士が聖ヤコブに助けを求めて祈ると、騎士と馬にホタテ貝がビッシリとついて浮かび上がらせた、という伝説に由来するという説がある。

 またホタテ貝は古くから「再生」の象徴として使われており、「サンティアゴ巡礼をした者の魂も生き返る」と言われることから、「生まれ変わる」ことの象徴として使われているということだった。

 ひょうたんは水筒として使われており、当時は巡礼者の必需品だったし、杖に関しては現代の登山スティックのような歩行をサポートする用途はもちろん、巡礼路に出没する狼やならず者達から身を守る役割もあったようだ。

昔の巡礼はこのような格好だったのだろうか。

 ガイドブックには三つのシンボル以外に重要なアイテムとして”ずだ袋”についても書かれていた。肩にかけた蓋のないずだ袋には、神様からの施しが自然に入るようにという意味があり、道々で食べ物やお金を施してもらう時の入れ物としても使われていたらしい。

 そもそも頭陀袋の”頭陀”はインドの古代サンスクリット語のドゥータからきており、”棄捨””衣食住に関する欲望を払いのけて修行をする”という意味がある。まさに巡礼そのもののようだ。バックパックは現代版の頭陀袋と言えるかもしれない。どの道具も姿形は変われど、実用的な意味と象徴的な意味において、今もサンティアゴ巡礼には欠かせないアイテムと言える。

 人はなぜ全てを捨てて巡礼の旅に出たのだろう。今も昔も何が人々を巡礼に駆り立てるのだろうか。

 話は戻り、僕もそのホタテ貝の山の中から、色の淡い少し大ぶりな一枚を選ぶと、落ちないようにしっかりとバックパックにくくりつけた。そして、”よし!これで晴れて巡礼の仲間入りができたんだ!”と心の中で小躍りしながら巡礼事務所を後にした。

リュックに巡礼のシンボルホタテ貝を装着。そこに近づいてきた猫。

 今夜は巡礼事務所で教えてもらった公営のアルベルゲに泊まることにした。”アルベルゲ”(Albergue)あるいは”レフヒオ”(Refugio)とは巡礼者のための巡礼宿のことで、巡礼路上には多くの巡礼宿がある。

 アルベルゲには私営と公営の2つのタイプがあり、公営のアルベルゲは自治体や教会、修道会によって運営され、私営のアルベルゲは民間の人達によって運営されている。municipalと書かれているのが公営のアルベルゲで、設備は必要最低限だが料金はとても安く、中には寄付のみで運営されているものもある。公営のアルベルゲに比べて私営のアルベルゲは料金がやや高くなる傾向があるが、その分設備は充実していて頼めば夕食も食べれる宿が多い。

 旅行において宿の持つ意味はとても大きいが、巡礼の旅路においてはより一層重要かもしれない。というのも、巡礼宿は一般的なホテルとは全く別物で、ビジネスとしての客と宿ではなく、巡礼者と彼らを庇護する者としての宿という関係がある。

 だからこそ、どのアルベルゲも、人対人の本物のホスピタリティがある。一つとして同じ宿はなく、同じサービスはないと言ってもいいかもしれない。加えて、多くのアルベルゲが個室ではなくドミトリールームなので、巡礼同士の距離が必然的に近くなり、そこでは日々新たな出会いがあり、何らかのコミュニケーションが生まれる。

巡礼事務所を出た僕は、まずは宿を確保すべく近くにあるという公営アルベルゲへと向かった。

 すぐに到着したものの、まだ早朝ということもあり、訪ねた公営アルベルゲはまだ閉まっていた。基本的にアルベルゲの受付が始まるのは昼過ぎかららしい。(ちなみに公営は私営とは違い予約ができず、その日の先着順でベッドが埋まっていく)

公営アルベルゲ。ベッド、食事、Wi-Fiがついて10€は安いと思う。

 宿が開くまでたっぷりと時間があったのでサン・ジャン・ピエド・ポーの町を少し散策することにした。巡礼達で賑わうシタデル通りを、アルベルゲやバル、土産屋、巡礼用品店などを眺めて歩いた。途中自分が雨具を持っていないことに気づき、ポンチョを購入。バッグパックを背負ったままでもすっぽり被れる大きなポンチョだ。

 歩いているうちに段々お腹が空いてきたので、城門をくぐって中心エリアから出ると車道沿いにあったバルへ入った。遅めの朝食にクラシックハンバーガーセットを注文。出てきたハンバーガーは日本のハンバーガーの倍ほどもある大きさで、食べ慣れないサイズのハンバーガーに四方からかぶりつきながら、日本から持参したガイドブックを開いた。

クラシックハンバーガーセットとコーヒー。

 今回お世話になるガイドブックは、「聖地サンティアゴ巡礼増補改訂版 世界遺産を歩く旅 」(日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会)と中谷光月子さんの「サンティアゴ巡礼へ行こう! 歩いて楽しむスペイン」の二冊だ。

 ガイドブックと事務所でもらった資料を参考に明日のピレネー越えに関する大まかな情報を確認した。だが文字の情報だけではピレネーを越えるとはどういうことなのか上手くイメージできなかった。

 テーブルには温かい日差しが降り注ぎ、5月のまだ冷たい風がテーブルクロスをはためかせ、本のページをパラパラとめくる。今自分は右も左もわからない異国にいて、全く未知なる場所へ運ばれつつある。

 そう思うと不安は消えて気持ちが高揚してきた。10代の終わりにカミーノ・デ ・サンティアゴの存在を知ってから、ずっと何かが僕の心を捕らえて離さなかった。人はなぜ巡礼を思い立ち、長い旅路を歩き始めるのだろうか。

 すっかり食事を楽しんだ後は、町を取り囲む城壁沿いや日の光を弾いてキラキラと輝くニーヴ川沿いを散歩した。サン・ジャン・ピエド・ポーの町はとても緑が濃く、昨日滞在したバイヨンヌ同様ゆったりとした時間が流れていた。

 見かける町の人々は皆穏やかな様子で、僕が道路を渡るために道の脇に立っていると、ドライバー達は親切にも止まって道路を渡らせてくれた。

 フランスという国はどこもこのようにゆったりと時間が流れているのか、それともこの町を滔々と流れるニーヴ川がそうさせるのだろうか。とにかく豊かなのは緑だけではないような気がした。

キラキラと光るニーヴ川。

最新のカミーノ情報について

日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会
https://camino-de-santiago.jp/

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