【サンティアゴ巡礼】フランス人の道 – 出発前夜 - ①

サンティアゴ巡礼記

『巡礼前夜〜旅の始まり〜』  
5月5日 Bayonne → St . jean-pied – port 0kilo

 眠い目を擦りながら携帯を覗くと、時刻は朝の6時半だった。昨日の飛行機とバス移動による疲れが残っていたが、ゆっくりしてもいられない。サン‏‏‏・ジャン・ピエド・ポー行き電車の出発時間が迫っていた。

昨日降り立ったフランスのビアリッツ空港(Biarrits Airport).

 寝起きでぼんやりしながらも、バッグパックに荷を詰めてホテルコート・バスクを出発。早朝のキリッと冷たい空気の中を歩いていると次第に目が覚めてきた。

 ホテルから徒歩10分ほどのところにあるバイヨンヌ駅には、僕と同じようなバックパッカーが続々と集まってきていた。ある人達は登山をするような装備で、またある人達は自転車にまたがり長距離ツーリングにでも出かけるかのような格好で、中には犬を連れている人もいる。

 見た目に多少の違いはあるが、全員が全員間違いなく、これからカミーノ・デ・サンティアゴを歩こうとする巡礼達だろう。そして、僕は早ければ今夜泊まる巡礼宿で、彼らのうちの何人かと寝食を共にすることになるかもしれない。

 だとすれば、僕らはすでに巡礼仲間だということになる。そんなことをあれこれ考えていると、「いよいよ巡礼が始まるのだ」という実感がじわじわと湧いてきた。

早朝のバイヨンヌ駅。プラットホームには人っ子一人いない。

 皆さんは『カミーノ・デ ・サンティアゴ』あるいは『サンティアゴ巡礼』『聖ヤコブの道』と呼ばれるものをご存知だろうか?それらは全てキリスト教三大聖地の一つで、聖ヤコブが眠るサンティアゴ・デ ・コンポステーラの大聖堂への巡礼を指す言葉だ。

 サンティアゴ巡礼の歴史は古く、最も古い記録は951年のものらしい。これまで千年以上もの間、ヨーロッパを始め世界各地から星の数ほどの巡礼者がサンティアゴの道を歩いてきた。

 巡礼の動機は様々だ。ある人は罪を贖うために、またある人は救いを求めて、巡礼達はそれぞれの想いを胸に聖地巡礼を続けてきた。今でこそ一種のハイキングのような手軽さで歩けるようになったが、その昔中世の頃の巡礼には多くの危険や困難が伴い、まさに命懸けの旅だったらしい。

 始めに言わせてもらうと、そんな神聖かつ厳かな宗教的巡礼をしようとしている僕は、クリスチャンでもなければ、ハイキング好きでもない。そればかりか信仰している宗教もない。だが誤解しないでいただきたいのは、間違ってもクリスチャンやキリスト教文化を冒涜したり、冷やかしに来たのではないということだ。

 僕自身の巡礼の動機について一つ言えることは「それが何なのか自分でもよくわからない」ということだ。僕の心の方が先に感じている”何か”があって、それはどうやら僕をこの道へと導いていて、僕は「それが何なのか知るためにやってきた」それが理由といえば理由かもしれない。

 駅員さんに助けられながら無事に電車のチケットを購入すると、周りの巡礼達をキョロキョロ観察したり、一人でそわそわしながら電車を待った。これから向かう予定のサン・ジャン・ピエド・ポーは、フランスの小さな田舎町で、今回の巡礼のスタート地点となる町だった。

サン・ジャン・ピエド・ポー行き電車のチケット。未知なる冒険への片道切符。

 出発時間が迫っていたが、僕を始まりの町へ連れていってくれるはずの電車がやってくる気配はない。そもそも駅のプラットホームに僕以外誰もいないのはおかしい。待合室にいるはずの巡礼達も出てこない。

 一人でそわそわしていると、出発時間直前になって
「あなたサン・ジャン・ピエド・ポーへ行きたいの?ここで待ってても電車は来ないわよ!近くのバス停からバスが出るからそれに乗って!」
と係員さんに声をかけられた。

 僕は「なんで電車来ないの⁉︎」と思いながらも、慌てて駅の近くのバス停へ走った。

 大きなバックパックをゆさゆさと揺らしながら走り、バス停に到着。幸いバスはまだ出発していなかった。そんなこんなで、かなり焦ったがなんとか無事にバスに乗り込むことができた。

 予期せぬ出来事も旅の醍醐味の一つだが、いつだってそれが笑い話になるまでは真剣に困る。バスにはすでに多くの巡礼達が乗っていた。僕の後にも、僕と同じように慌てながら走ってくる巡礼が何人かいて、彼らを乗せるとバスはゆっくりと動き出した。

 朝靄のかかるバイヨンヌの町はとても幻想的で、その白いベールの中を走るバスは、まるで不思議の国へと続く秘密のトンネルをくぐり抜けているかのようだった。

 だがそれも「当たらずとも遠からず」と言えるかもしれない。サンティアゴ巡礼は、僕にとっても、おそらく他の巡礼達にとっても、きっと予測不能で非日常的な日々になるのだろう。

 出発した時こそワイワイと賑やかだった車内も、靄の向こうに薄っすら見えていたバイヨンヌの街がいつしか消えて、それが家畜や牧草畑など田舎ののどかな風景へと変わるにつれて次第に静かになっていった。

 僕と同じように、車窓に顔を張り付けて外を眺める巡礼達も、ワクワク、緊張、多少の不安が入り混じった気持ちでいるようだった。

最新のカミーノ情報について

日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会
https://camino-de-santiago.jp/

コメント

  1. おく より:

    始まりましたねー。
    私もバイヨンヌでバスに乗ることを知らなかったです。
    言葉も分からないし初めての単独海外旅行だし無我夢中でした。
    これから読み進めるのが楽しみです。

    • Hiro Hiro より:

      コメントありがとうございます!
      おくさんが当ブログのコメント第一号です。感激です。

      電車は来ないし、旅の仕方も、右も左もわからず、当時の僕も無我夢中で全く同じ気持ちでいました。笑

      でも今になって振り返ってみると、カミーノでの時間は、これまでの人生の中で一番イキイキしていたのではないかと思っています。

      読んでいただきありがとうございます。
      拙い文章で好き放題書いたものですが、楽しんでいただけたらと思います!

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