【サンティアゴ巡礼】フランス人の道 – 14日目 –

サンティアゴ巡礼記

『エンディング〜最後の日に見るアルバム〜』
5月19日 Tardajos → Hontanas 21km

 昨夜の就寝前に、同部屋の巡礼達の間で”ある取り決め”がなされた。それは、
「7時までは起きない。」
というものだ。どうやら早起きレースに疲れていたのは僕だけではなかったらしい。なのでその取り決め通り、今朝は7時を過ぎるまで寝袋から出ないようにした。

タルダホス村の壁画。タルダホス愛を感じる。

 7時過ぎに起きて支度を済ませると、アルベルゲに併設されたレストランで朝食を食べることにした。

 レストランは朝食を食べる巡礼達で賑わっていて、店員さん達は休む間もなく忙しそうに働いている。

 カウンターに座ると、運ばれてきたコーヒーとクロワッサンをペロリと平らげてしまった。身体は昨日の疲労を癒すためのエネルギー源を求めているようだ。

 追加でナポリタナを食べていると、何かのパーティ帰りだというスペイン人の若者パブロとアルトゥロに絡まれた。彼ら(特にパブロ)は結構酔っ払っていた。

 僕が朝食を食べながら日記をつけていると、日記を覗き込んできたパブロ(泥酔)が「美しい文字だ!」と話しかけてきた。お互い自己紹介を済ませると、彼らとしばらくおしゃべりをした。

 話を聞いてみると、彼らはここでまた一杯飲んでから、ブルゴスの自宅へ戻るらしい。それにしても朝までパーティをして、帰る前にバルでもう一杯飲むなんてすごい体力だ。アルトゥロは車の運転があるので、今はお酒は飲まず酔いを冷ますらしい。偉い。いや、偉いのか?

 二人は酔ってはいたが、とても気の良い人達だとわかった。僕を含めて三人共英語が苦手で(「英語は嫌いだ!」と言っていた)、彼らはスペイン語しか話さなかったが、たまに捻り出してくれる英語単語とジェスチャー、それにカウンターで働く店の奥さんの通訳のおかげで、僕らの会話は何とか成立していた。

 カミーノで学んだことは、互いに「話したい」という気持ちがありさえすれば、僕らは分かり合えるということ。外国語が話せなくても、あらゆる方法を模索しながら会話をすることはできるし、きっと心は通じ合えるということだ。

 「言葉がわからないから」とコミュニケーションを諦めるのはまだ早い。逆に、同じ言語を話しているのに心で通じ合えないことが日本では多い。そちらの方がどちらかと言えば不幸なことだと思う。

「ビールとワインどちらが好き?」
「ここの朝食は美味いだろ?」
「ブルゴスのカテドラルは、パリのカテドラルより美しい。」
そんなことをあれこれ話した。冗談を言って笑い、何度も握手をした。

 そうこうしているうちに時刻は8時を回っていたので、まだ飲むらしい彼らに別れを告げると出発することにした。起床や出発を急がなかったからこそ得られた、素敵な出会いだった。

 ここ最近は何に関しても気分次第で決めていたので、計画した通りの場所に宿泊することはあまりなかった。今日に関しては”今晩はホンタナスに泊まってみようかな”とぼんやり考えながら歩き出した。ガイドブックで見たホンタナスの美しい写真が記憶に焼き付いていたせいだ。

 巡礼路はやがて”メセタ”と呼ばれる広大で乾燥した大地へと続いていた。いくつか小さな村を通り抜けると景色は一変した。

 どこまでも果てしなく広がる緑の小麦畑。地平線まで延々と伸びる白い一本道。遥か彼方から去来する雲。空の中を歩いているのではないかと思うほどに覆いかぶさってくるような青い空。太陽の光は地上のあらゆるものを燦然と輝かせていた。

 気がつけば、僕は泣いていた。メセタの純粋に美しい風景は、五感から素早く心の奥深くに達し、一瞬で心の琴線を弾いた。遠くで風車がのんびりと気持ち良さそうに回っている。

僕はここに来たかったんだ。そう感じた。

 ふと自分が中学生だった頃を思い出した。授業が本当に退屈で、よく机の上に落書きをしていた。よく描いていたのは草原、風車、雲、そして星だった。「自分の居場所はここじゃない」そう感じながらも逃げ出すことなどできずにいた。けれど心だけはいつも”ここじゃないどこか”を求めていた。そんな幼き日々。

 今、自分の目の前に広がる風景は、その時に机に描いた落書きにとても良く似ていた。

『時間は連続性を持っている』

 昨今大ヒットした映画『君の名は』の中で、主人公のおばあちゃんが”結び”の哲学について語るシーンがある。中学生の頃の”ここじゃないどこか”を希求する気持ちは、漂いながら知らぬうちに、このメセタの大地に結われていたのかもしれない。”ここじゃないどこか””ここ”だったのかもしれない。

 そう考えると、僕はその頃から知らず知らずカミーノを歩き、目に見えぬ矢印に導かれていたのかもしれない。頭では全然理解できなくても、心には何かストンと落ちるものがあった。

 その頃の自分に「遅くなってごめん。」という気持ちと、ここへ導いてくれた力に深く感謝した。そこからはひたすらに美しい景色の中を、とても清々しい気持ちで歩き続けた。

「あぁ、この道を歩けることはなんて幸せなことなのだろう。」

果てしない道と、青い空、漂う雲。

まぎれもない自由がそこにはあった。

この道を歩ける幸せ。込み上げてくるものがあった。

 ホンタナスの5km手前で巡礼路にアルベルゲの看板が立っていた。看板が示す先には、巡礼路から外れて1kmほどの所にポツンとアルベルゲらしき建物が見える。

 看板を眺めていると一人の男の巡礼が近づいてきて、
「もし気になるなら一緒に行ってみない?」
と誘われた。

 今日の目的地であるホンタナスはもうすぐそこだし、時間にゆとりもあったので誘ってくれた巡礼と一緒に行ってみることにした。

 広大なメセタの大地にポツンと建つアルベルゲの前には、受付が始まるのを待つ巡礼達がすでに5、6人ほどいて、今日の灼熱とも言える暑さに皆一様に疲れ切った様子だった。泊まる気はなかった僕は列には加わらず、一緒にアルベルゲまで歩いてきたスウェーデン人神父のエリックとアルベルゲのすぐ下を流れる川に足を浸して休憩した。

 川の水はキンキンに冷えていて、足に痛みを感じるほどだった。裸の付き合いならぬ、裸足の付き合いをしながら、エリックにスウェーデンのことについて尋ねてみた。スウェーデンと言えば、その手厚い社会保障制度で知られているが、そのことについてエリックは
「社会保障は昔ほどは良くないよ。それに税金は高すぎる!」
とこぼしていた。

 僕のイメージするスウェーデンと実際のスウェーデンはだいぶ違うようだ。彼との話の中で、スウェーデン語もいくつか教えてもらったのだが、どこにもとっかかりを見つけられないそれらの音は、まるで砂漠に撒かれた水が一瞬で蒸発するように、教わると同時に消えてなくなった。それらは思い出せないが、何か美しい夢だった、そんな感じだ。

 スペインの気候の特徴として、日差し中にいる時は灼熱の暑さだが、木陰に入ると肌寒い。森の木陰で冷めたい川の水に足を浸し続けていると、次第に寒くなってきた。エリックも同じように感じたらしい。二人で川から上がると、一緒に出発することにした。

 川で凍りつくほどに冷やされた足からは、すっかり疲れが抜けていて、今から10kmでも15kmでも歩けそうに感じた。ホンタナスまでの道中、エリックとおしゃべりをしながら歩いた。

 彼にとって今回は二度目のカミーノだということだった。前回は、4年前にサン・ジャン・ピエド・ポーからパンプローナまで歩いたらしい。

 エリックはさすがに神父さんだけあって、精神世界にはとても詳しかった。聖書、洗礼、瞑想など僕の知らない世界の話を色々と聞かせてくれた。話に夢中になっていると、あっという間にホンタナスに到着。

 これから予約している宿に向かうというエリックとの別れ際、彼は一編のスウェーデン語の詩を教えてくれた。それは

「一人で不安な気持ちを抱えて道を歩かねばならない時、一番の助けになるのは誰かと一言二言でも良いから言葉を交わすことだ。」

という内容だった(と思う)。まさにカミーノにぴったりの詩だと思った。スウェーデン語の響きはとても美しかったが、やはりその音のどこにも”とっかかり”を掴めず、心地良い余韻だけを残して蒸発してしまった。

 エリックと別れると、僕もホンタナスで宿を探すことにした。いくつかあるアルベルゲの中から、今夜は公営のアルベルゲへ泊まることにした。公営アルベルゲに到着すると、中にはエキゾティックなお香の香りが立ち込めていた。

 オスピタレアは親切で明るい女性だった。今日はボガディージョ以外のものが食べたかったので、ベッドと共に夕食もお願いした。”ベジタリアンメニュー”という言葉が気になったというのもある。

エリックと立ち寄ったアルベルゲ。左奥の川で足を冷やした。ミニプールもある。

 無事にベッドを確保できると、シャワーを浴びて洗濯をした。洗濯物を洗う時に、洗い場で一緒になったフランス人のヴィクトールに
「夕食前にビールでも飲みにいかないか?」
と誘われたので、せっかくなので行ってみることにした。

ホンタナスが見えてきた。

 ヴィクトールが誘ったのは僕だけではなかったらしく、アルベルゲ近くのバルのテラスに集まったメンバーは、アイルランド人一人、スペイン人一人、フランス人二人、イギリス人一人、そして日本人の僕、の計5カ国6人だった。

 その食事の席では、今までのカミーノで囲んだ食卓の中で一番早い英語のやりとりが繰り広げられた。僕は会話の10%ぐらいしか理解できず、皆の話にそれとなく相槌を打つか、静かに気配を消しつつビールをチビチビと飲んでいた。

 僕を誘ってくれたフランス人のヴィクトールについて。船乗りである彼は、仕事で世界各国を旅していて、以前日本の東海道五十三次も歩いたことがあるらしい。

 彼の高い英語力はその旅の中で培われたのかもしれない。決してペラペラと流暢ではないのだが、ネイティブを前にしても臆せず英語で主張し、いつも会話の中心にいて、冗談で皆を笑わせることもできた。

ホンタナス到着。

 そこには彼の人間性も大いに関係していると思うが、彼の態度こそ非母国語学習者の理想的な姿のような気がした。
”話すことで話せるようになる”
”臆せず、自信を持ってネイティブと対等に話す”
”失敗はしても良い、むしろ失敗を恐れて話さない方が良くない”

この態度はシルエーニャのアルベルゲで出会った四ヶ国語を操るスーパーウーマン、ベルグにも共通していた。彼女は夕食の席で繰り広げられた会話に常に参加し、常に会話をリードしていた。夕食後ベルグに
「君のように英語が上手に話せるようになりたいよ!」
という話をすると、
「英語はまだまだ完璧ではないわ。だからこそもっと話して勉強しなくちゃいけない。」
というようなことを言っていた。まずは話すことが大事らしい。

ホンタナスの犬。

 ヴィクトールは、話の途中でさり気なく日本の話題を振ってくれて、会話についていけず埋没しかかっていた僕を皆の輪の中に入れてくれた。彼は本当に心優しい人だ。そしてバルを出る際には、
「僕が誘ったのだから!」
と言って、全員分のビールをおごってくれた。それらを全て”さり気なく”できることがとてもカッコ良い。変に男らしさを強調する訳でもなく、卑らしさも感じさせない、その”さり気なさ”こそ、語学より先に彼から学ぶべきものなのかもしれない。
 
 ホンタナスでは嬉しい再会もあった。ブダペストのナイスガイ、ミキに再会できたのだ。彼は膝の怪我を克服し、今はカミーノを元気に歩いているようだった。本当に良かった。仲間との再会は、いつ何時でも幸せな出来事だ。

 19時にアルベルゲへ戻ると、宿泊している巡礼達が集まり夕食が始まった。先ほどのメンバーの何人かに加えて、更に多くの巡礼が集まり、より多国籍な夕食はとても賑やかなものだった。久しぶりに大勢の人達と食べるご飯はとても美味しかった。

 その夕食の席で、一人の巡礼に
「君はカミーノで何を見つけた?」
と尋ねられた。(この質問はこの日に限らず度々されることになる)

 映画を観る前に結末を聞きたがる人がいる。逆に、先に結末を言いたがる人もいる。僕はそのどちらのタイプも苦手だ。その質問者の巡礼に対して中身のない漠然とした答えしか返せなかった。というのも、自分自身まだその答えを見つけられていなかったからだ。何だかとてももどかしかった。

 なのでそれ以降、カミーノの目的に関して質問してくる人に対しては
「自分は今それを探している最中だよ。」
という風に答えることにした。

 その人にはその人のカミーノがある。それをつまみ食いするようなことはしてはいけない気がする。そして、尋ねられた方も、しっかり確信が持てること以外は話さない方が良いのだと思う。本当に大事な思いは”その時”が来るまで、それぞれが胸の奥にそっとしまっているべきなのかもしれない。

 かさぶたが傷を癒すのにも、守られた空間と再構築する時間が必要だし、葡萄が美味しいワインになるのにだって、そこにはひんやりとして静かな場所と、熟成し変化するために経なければならない時間が必要だ。そして、そういった場合の時間とは”数字にはできない時間”で”時が満ちる”という方がしっくりくるのではないだろうか。満ちるまで待つのだ。

 結果をすぐに求めることで失ってしまうものもある。かさぶたがポロリと剥がれるまで、葡萄が甘美な雫に変わるまで、日々辛抱強く待ちながら、必要な時間と経験を引き受けていくしかない。

 おそらくカミーノは”最後まで結末がわからない映画”なのでなく、僕らは日々歩きながら”カミーノという映画の結末を作っている”のだ。同じ出会いはないし同じ別れもない、同じ風景は二つとやってこない。その中にシナリオを織り上げながら僕らは進んでいる。

 カミーノは僕らを作家にも、詩人にも変える。だから、そもそも結末を知ることはできないのだと思う。できるのは今日も自分の物語の新たなページを書き加えることだけ。一つの選択が未来のシナリオをいかようにも変えてしまう。ここは魔法の残る場所、カミーノ・デ・サンティアゴだ。

 カミーノはよく人生に例えられる。そう考えると、僕らは人生の結末を作りながら生きているのかもしれない。今日1日という短い文節が寄り合わさった一つの大きな物語を。
数字に変換されてしまった時間は記憶に残らない、大事なのは時計の針じゃなく、コンパスの針だ。

 人生の最後の瞬間に最も価値があったと感じるもの、唯一手の平に残るものは、愛する人達との思い出だ、と聞いたことがある。先人が残してくれたその貴重な言葉と僕の描きたい結末から今を逆算してみると、

1.人生を最後に振り返った時に一番大事な事を確かに生きたと満足を覚える→

2.いつも心が愛するものに囲まれていたいう記憶がそこにある→

3.その記憶のアルバムは、心にしか切り取れない写真が集まってできている→

4.その愛のピースを集めるため、今日眠りに就くまでに一つだけでも心で動いてみる


という図ができあがると思う。

 最後に最も裕福になるには、今日1日心を込めて生きることが大事だ。たとえそれが仕事のような義務的なものだとしても、心を込めたら返ってくるものは違うと思う。

 走馬灯というと何だかイメージできないけれど、それがアルバムのスライドショーのようなものだとしたら、今日はそのアルバムに綴られるような素敵な1日だっただろうか。僕の1日は確かに自分の心を満たしてくれるものだっただろうか。

 だが、もしそうでなかったのなら今すぐ明日に希望と計画を持とう。

 あとは寝るだけのわずかな時間しか残っていないとしても、明日に希望を持って素敵なことを計画することは、今すぐにたった数分でできる幸せな時間の過ごし方だと思う。

 希望は世界中のどんな人にとっても黄色い矢印だと思う。

 そして、その矢印を辿っていけば、その先には必ずあなたのサンティアゴがそこであなたの到着を待っている。

本日のアルベルゲ

Albergue de Hontanas (Hontanas)
 
 +34 653 532 647
 alberguemunicipalhontanas@gmail.com

 年中無休 13時〜22時(冬は巡礼到着時)

 一泊 6〜10€

 食事 9€

 ベッド数 42

 ・シャワー室
 ・洗濯場/洗濯機あり
 ・Wi-Fi
 ・駐輪場

本日の支出(1€=125円)

・ナポリタナ  1.3€
・パン、バター 2.1€
・ビール 1.5€
・宿代(食事込み) 15€
 合計 19.9€(2,448円)

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