【サンティアゴ巡礼】フランス人の道 – 13日目 –

サンティアゴ巡礼記

『モモ〜大都会とシステム〜』
5月18日 Carnuela Riopico → Tardajos 21.6km

 6時半、朝目を覚ますと心がまたどこかへ彷徨い出ていた。自分が今どこで何をしているのかを思い出すことから1日が始まった。同部屋の巡礼達は、まだ暗い朝4時半頃からゴソゴソと支度をしていた。”カミーノレース”は日に日に加速しているように感じる。

 先日三度迷子になった日は、心ここに在らずのまま動き始めたのがいけなかった。周りの慌ただしいペースに巻き込まれていたし、”他人よりも早く!”と競争の意識に飲み込まれてもいた。その反省から、今回はすぐには起き上がらずにしばらく寝袋の中でじっとしていた。

 天井をぼーっと見つめているうちに少し動きたくなってきたので、昨日の日記をゆっくり丁寧に書いた。そうしていると心の焦点が段々”自分が今いるところ”に定まってきた。今自分がどこにいて何をしようとしているか、ということを確かに自分のこととして感じられるようになった。

 「もう大丈夫」そう思えたところで、寝袋から出て、歯を磨き、着替えをして荷造りを始めた。気づけば、僕と僕の下のベッドのおじさん以外は皆出発していた。それもそのはず、時刻はすでに8時になろうとしていた。空腹を感じてきたので、朝食を食べに食堂へ行ってみた。やはりそこには誰もおらず「先を急ぐ巡礼達が、とにかく手当たり次第に食べ物を手に取り胃に詰め込み、アルベルゲを飛び出して行った」というような様子が、散らかったテーブルから想像できた。

 食べ物自体はたくさん残っていて、甘く温かいチョコラテ、パンにビスケット、焼き菓子をゆっくり味わいながら食べた。スマホで音楽を流してさらに気分を盛り上げる。すると気持ちもいよいよ上向いき力が漲ってきた。お腹が満たされるにつれて幸福な気持ちになり、目覚めた時の虚脱感は消えていた。そこで僕は『モモ』という本ことを思い出した。

 モモとは、僕の大好きなミヒャエルエンデの童話『モモ』に登場する主人公の名前だ。その話の中で、少女モモを導く「時の管理人」が、彼女の疲れと長年の餓えを食事で癒やす場面がある。モモがそうだったように、僕がカミーノで溜め込みつつあった疲れも、アルベルゲがふんだんに用意してくれた朝食のおかげで癒されていった。

 『モモ』は僕達が当たり前に持つ”時間”というものについて書かれている。僕はことあるごとに『モモ』を読み返している。そして、読み終えた後はいつも”人にとって大切なものとは何かということについて考えさせられるのだ。

 心ゆくまで朝食を楽しむと、今までで一番遅い、8時半にアルベルゲを出発。幸せな気分で歩き始めると全てが輝いて見えて、道行く人々に笑顔で挨拶をした。「幸せな気分で始めれば全てが上手く」という言葉は本当にそうだと思う。

 空港の側を通り抜け、いよいよブルゴスの街の近くまでやって来ると、そこからは無機質な工場地帯の中を歩くことになった。無味乾燥な工場が立ち並び、車は広い道路を猛スピードで行き交い、数少ない歩行者は皆一様にうつむきながら歩道を歩いていた。ここでは大きな(そして支配的な)”システム”が全てを取り仕切っていて、それは容赦無く、非情なまでに効率的で、休むことなく動き続けているように思えた。

空港のすぐ脇を歩く。

 おまけに工場地帯はいつ終わりが来るのだろうと気が滅入ってしまうほどに長かった。おそらく1時間近く歩いていたかもしれない。足はアスファルトの固さに痛み始め、絶え間なく響く人工的な音に嫌気がさし、朝の幸せな気分はすっかり萎んでしまっていた。

 現代社会の仕組みでは、どこかを飛び抜けて華やかな場所にするためには、どこか別の場所をとんでもなく気の滅入る場所にしなければいけないのかもしれない。

無機質な工場地帯に突入。
天気も相まって、陰鬱な雰囲気だ。
一体どこまで歩けば終りが来るんだ…。そんな気持ちになる。

 あれこれ考えているうちに、ようやくブルゴスの街に到着。すると今度は、突然10階建の建物や様々な商業施設がニョキッと現れた。その入口からして大都会のブルゴスに緊張を覚えた。

ようやくブルゴスに到着。

 僕が最初に足を踏み入れたのは、どうやらブルゴスの新市街地で、ブルゴスに後からやって来た人々によって増し加えられていった地域らしい。背の高いモダンなビルが所狭しと建てられていて、様々な広告がお互いに存在感を競い合い、押し退け合っている。日本のものを含めどこの都会もそうであるように、路上は汚く人々はよそよそしかった。ここでは工場地帯とはまた種類の違う”商業主義のシステム”が全てを取り仕切っているようだ。

 別にブルゴスを悪く言いたいわけではなくて、工場地帯の”システム”も大都会という”システム”も世界中に(もちろん日本にも)同じようにある。ブルゴスはどちらかと言えばまともな方かもしれない。その”システム”は驚くほど似ていて(というか全く同じ物のようだ)どこでも強力に人々に作用している。このシステムにもエンジニアがいて、国をまたいで同じシステムを構築して回っているみたいだ。

 もしかしたら彼らこそ『モモ』の物語の中に登場する”灰色の男達”なのかもしれない。
「都会は世界中どこへ行っても都会でしかない。その国の本当の姿は田舎に行かないと見られないよ。」
と旅の途中で出会った人も言っていた。もちろん特色はそれぞれにあるというのはその通りだが、構造は同じだと思う。

石階段のわずかな隙間で咲く花に癒される。

 やはり都会は心が落ち着かず、常に身構えて歩いていた。だがそれもカテドラルがその姿を見せ始め、新市街と趣の異なる旧市街に入ると次第に和らいでいった。

 旧市街に入った途端に街の雰囲気は一変し、時間がその速度を落としたように感じた。車、広告、騒音が減り、そのかわりに木々の緑と笑い声が増えて、人々はうつむいておらず、家族は手を繋ぎ合って歩き、道行く人はもうどこへも急いではいなかった。

旧市街地側にはゆったりとした時間が流れていた。

 新市街では、時々迷ってしまいそうなほどに数が少なく、見つけづらかった黄色い矢印も、旧市街では分かりやすいところに数多く設置されていた。この新旧ブルゴスの変化は僕の心の有り様にも似ていると思った。日々大都会のような忙しなさの中で生きていると大事な矢印を見失ってしまいそうになる、けれどそんな時にこそ周りのノイズから離れて一歩自分の心の中心へと踏み入ると、そこはゆったりとしていて、時間がたっぷりとあり、黄色い矢印は”そっちじゃないよ!こっち!こっち!”と心の望む方向を教えてくれる。

 穏やかな時の中にあるブルゴス旧市街は本当に魅力的で美しかった。”都会は好きになれないが、この街になら泊まってみたいな!”とそんな気にもなった。

 少し休憩しようとバルを探して歩いていると、たまたまエル・シッドの像を発見。「カッコいい!」ブルゴスを訪れた際にはぜひ一目見てみたいと思っていたので、突然の出会いにとても気分が高揚した。

英雄エル・シッド。

 英雄エル・シッドについて書かれた『エル・シッドの歌』は、カミーノを下調べしている時にさらっとあらすじを読んだだけだが、彼の強さと生き方にとても惹かれてしまった。疲れも忘れるほど夢中で写真を撮り続けた。エル・シッド撮影会を終えた後は、もうブルゴスでの目的は達成したような気にさえなっていた。気の済むまでエル・シッドの像を眺めた後は(アイドルを追いかけるファンの気持ちが少しわかった気がする)、近くのバルで一休みすることにした。

休憩したバル。老舗のような雰囲気だった。

 老舗風のバルに入ると、親切な店員さんが出してくれた美味しいコーヒーをすすりながら、ホッと一息ついた。全身が緊張によってカチコチに固まっていた。工場地帯からずっと休まずに歩き続けてきたので疲れてもあった。バックパックに圧迫され続た肩も悲鳴をあげている。

 だが、落ち着きのあるバルで、のんびりとコーヒーを飲んでいると、それら全てが徐々に和らいでいった。やはり心と身体は密接に繋がっているのだ。

 活力が戻ってくると、せっかくなのでブルゴスのカテドラルを見に行くことにした。ブルゴスのカテドラルはとにかく大きな建物で、その大きさもさることながら、繊細かつ緻密に施された装飾にも目を見張るものがあった。

 カテドラルの外壁には、聖書に登場するのであろうキリスト教的シンボルや人物、数々の物語が、計算され表現され、美しく掘り込まれていた。建築にも聖書についても全く知識のない僕だったが、長い年月多くの職人達によって作り上げられた大聖堂にはとても感動した。

荘厳な雰囲気が漂うブルゴスのカテドラル。

 それに、曇り空の下で見るカテドラルはより一層重々しい雰囲気を帯びていて、クリスチャンではない僕も何だか敬虔な気持ちになった。カテドラルの外をぐるりと一周して、その見事な外装を一通り眺めると、北門から中へ入ってみた。
 
 暗いカテドラルの中では何かの儀式の真っ最中で、入り口までしか入れず、一旦外へ出てまたぐるりと回り込み、反対側の広場に面した南門から再入場した。

 南北どちらの入口にも色とりどりの花が飾られており、”古く厳しいカテドラルの門”と”生きた花々の色鮮やかさ”、一見相反関係にありそうな二つが見事な調和を生み出していた。

 突然天使が舞い降りてきて
「これは天国へと通じる門です。」
と案内されても
「ふむ。さすが天国の門ですね。」
と納得してしまいそうなほどに美しかった。

花とカテドラル。”天国の門”そう勝手に命名。

 今回天使は舞い降りず、溢れんばかりの観光客でごった返す南門から中へ入ると、すぐに見学受付のデスクがあった。有料で中をぐるっと見学できたのだが、時間をかけて見学する気になれなかった僕は、無料で見られるカテドラルの入口に近い方だけ見て回った。

中はより一層神聖に感じられる。

 非クリスチャンの僕にとって宗教的絵画や彫刻は完全に理解できるものではなく、お金を払って知った顔して信者の人々の間を歩くのは場違いな気がした。重くて大きなバックパックを背負いながらの見学は、僕も疲れるし周りにも迷惑だろう。入口近辺にも見れる絵画はいくつかあり、僕にはそれらの絵を見学するだけで充分だった。

カテドラル入口付近の絵を見学し終えると外へ出た。しばらくすると予報通り雨が降り出した。雨のブルゴスもまた雰囲気がある。「ブルゴスの街を自分なりに満喫できた!」そう感じた僕は、次の村に宿を取るべく巡礼路を歩き出した。何だかんだ言っても、やはり泊まるなら小さな村に限る。

さらばカテドラル。

 カテドラルの近くを歩いていると、スペイン人の若者二人組が話しかけて来た。どちらも中学生ぐらいの男の子だった。何事かと思えば、
「学校の課題で、観光客に街角インタビューをしているんだけど、時間があれば話を聞かせてくれない?」
ということだった。時間はあるし、何より面白そうだったのでインタビューに応じることにした。

 一人が撮影する係で、一人がインタビュアーだった。質問は、
「どこから来たの?」
「目的は何?」
「スペイン、ブルゴスの印象はどう?」
というものだった。僕はたどたどしい英語で答えたので、全て伝わったかはわからない。だが、全て伝わったとしても、
「サンティアゴ巡礼に来ました。スペインはご飯が美味しくて最高です。」
というような、あまり中身のない回答だったのだけれど。

 インタビューはすぐに終わり、彼らはおそらく他の観光客を捕まえに行き、僕は次の村へ向けて巡礼路を歩き出した。

 巡礼路に沿って次の村へと歩き出したものの、ブルゴスはとても広くて、歩けど歩けど街が終わらない。途中でブルゴス脱出に疲れてしまったので、緑溢れる大きな公園のベンチで一休みすることにした。

 サッとボガディージョを拵えると、鳥の声とすぐそばを流れる川のせせらぎを聞きながら食べた。緑に囲まれて食べるボガディージョはなんでこんなに美味しいのだろう。自然はいつも食事を美味しくしてくれる。

緑溢れる公園はまさに都会のオアシス。緊張も和らぎ、お腹も空いてきた。

「さあ、お腹も満たされたし、歩くぞー!」
とベンチから腰を上げて数m歩いたところで、後ろから誰かに呼ばれていることに気づいた。振り返ってみると、そこには散歩中のスペイン人のおじさんがいて、僕が先ほどまで座っていたベンチに、サンダルを落っことしているのを教えてくれた。恥ずかしさと感謝が入り混じった気持ちで、
「グラシアス…!」
とお礼を言い、戻ってサンダルを回収すると再出発した。親切なおじさんありがとう!大都会にだって親切と思いやりが溢れている。

どこまで歩いてもブルゴスは続いている。出口はどこだ…。

 ようやくブルゴスを抜けた時にはすでに15時を回っていた。次の村タルダホスまでは、これまた長く感じた。雨は降るし、風は吹くし、どんよりとして暗い道を一人でとぼとぼと歩くのは気が滅入りそうだった。

 途中までは、遥か前方を数人の巡礼が歩いているのが見えていたが、やがて彼らの姿も見えなくなってしまった。何度振り返っても後ろからやって来る人はいない。「今自分はこの区間の最後尾かもしれない」という思いは僕をより孤独にした。

疲れもあって、一人うら淋しい道を歩いていると気が滅入ってくる。

 タルダホスに着いたのは16時半で、身も心も本当にくたくただった。村へ辿り着くと、すぐに目についたアルベルゲへ飛び込んだ。到着が遅かったので少し心配したが、幸いにもベッドは空いていて、ホッと胸を撫で下ろす。

タルダホス到着。

 案内された寝室にはスペイン人のおじさんコンビ、イニャキとホアンホ、それにイケメンブラジル人のルーカスがいた。お互いに自己紹介すると、イニャキとホアンホが即席のスペイン語レッスンをしてくれた。彼らは熱心に色々教えてくれたのだが、僕が唯一覚えられたセンテンスが
「yo estudiando español en el camino cada día.」
だった。
「私はカミーノで毎日スペイン語を勉強しています。」
という意味らしい。二人とも本当に気さくで大らかな人達だった。

 シャワー、洗濯を済ませるとアルベルゲを出て、村の泉のそばに腰を下ろして夕食にボガディージョを食べた。外は寒く、食べ終えるとすぐに部屋へ撤収。すると先ほどはいなかったドイツ人のおじさんが寝る支度をしているところだった。

少し話を聞くと、
「今日で僕の巡礼は終わりだ。腰がもう限界にきてしまったんだよ。一旦ドイツに帰って、ゆっくり養生してからまたカミーノを歩きたい。」
おじさんは悲しそうな表情でそう話してくれた。

 カミーノを途中で断念せざるを得ない状況は、とても辛いに違いない。彼にとって、準備に準備を重ねてずっと夢に見てきたカミーノ・デ・サンティアゴだったはずだ。彼のこれからに幸多かれと願うと共に、「僕は少なくとも明日また歩ける、そのことに感謝しなきゃ。」そう思いながら寝袋に包まった。

本日のアルベルゲ

R.P La Casa de Beli (Tardajos)

 Avenida General Ygue , 16 , Tardajos
 
 +34 629 351 675
 +34 947 451 234
 lacasadebeli.com
 lacasadebeli@gmail.com

 年中無休 12時〜22時

 一泊12€
 食事10€

 34室

 ・シャワー室
 ・洗濯機
 ・Wi-Fi
 ・駐輪場

本日の支出(1€=125円)

・コーヒー 1.2€
・パン、チーズ 2€
・オレンジジュース、ナポリタナ 3.3€
・宿代 12.5€


 合計 1
9€(2,375円)

コメント

タイトルとURLをコピーしました