『マスターと出会う〜僕ら迷える巡礼団〜』
5月13日 Logrono →Azofra 35.8km
起きた瞬間から何かが変だった。意識はあるが、心ここにあらず、今自分がどこで何をしているのかわからない。頭の中が混乱していて、自分が現在置かれている状況を上手く飲み込めない。
しばらくしてからようやく「そうだ、自分は今スペインにいてカミーノを歩いているんだった!」と思い出した。思い出したものの、それでもまだ自分のすることに半信半疑だった。だが、のんびりしてもいられない、布団から出て支度を始めた。思い返せば、そこからすで道を間違えていたような気がする。
昨日30km歩いた足の疲れと、二晩続いた宴による内臓の疲れが、身体をずっしりと重くしていた。身体の芯から疲れ切っていた。お腹は全く空いていなかったので、仲間達に朝の挨拶をすると、すぐにアルベルゲを出発した。
時刻は朝の6時半だった。外はまだ冷んやりとして暗い。数m置きに灯る街灯が、街の建物や石畳の道を温かく照らしていた。「よし、今日も歩くぞー!」と気合いを入れて歩き出す。だが、アルベルゲを出て10mほど進んだところで、巡礼路を逆走していることに気づいた。慌てて引き返し、正規ルートを歩き始めた。それが本日最初の迷子だった。
ログローニョは大きな街で、街を抜けるまでに時間がかかった。華やかな街の景色の中を進み、あまり華やかではない街外れの工場地帯に突入。そこで突然モホンを見失った。
巡礼路はT字路にぶつかったのだが、目の前には大きな壁があり、その前に大きなトラックが停まっているだけで、左右どちらに進むべきかを示すモホンが見当たらない。左右どちらにも10mほど進んでみたが見つけられず、僕の後ろからやって来た韓国人の女性巡礼と相談した結果、左に進むことにした。
半信半疑のまましばらく進み、ふと壁の前に停まっていたトラックを振り返って見ると、壁とトラックの間にモホンを発見。正面からだとトラックで隠れて見えなかったのだ。矢印は僕らが進んでいる方角を指し示していた。
少し焦ったが、これで一安心。これで今日二度目の迷子だ。それは先を急ぐ僕の気持ちを加速させた。何をそんなに焦ったり、急いでいたのかというと、
僕はイタリアの友人達から逃げていたのだ。
今朝まで一緒だったイタリアの友人達と何かトラブルがあったわけではない。むしろ彼らは一人一人が、温かい心を持った素晴らしい人達だったし、僕は彼らのことが大好きだ。彼らと一緒に街をぶらぶ歩いたり、ゲラゲラと冗談に笑い転げながらの食事は、最高に楽しい時間だった。
だが一方で、彼らと一緒に過ごすにはいささかエネルギーが不足してきている自分に気づき始めていた。普段の自分とは正反対の、ラテンのリズムに合わせることによって、自分自身知らず知らずのうちに擦り減ってしまっているような気がした。
もちろん、自分とは異なる感性の中でしか学べないこともある。けれど、今のこのような自分では彼らとの時間を楽しむ自信がなかった。朝一番に感じた空虚な気持ちは、エネルギーの枯渇からきているようだった。要するに、僕はしばらく一人っきりになりたかったのだ。
彼らに会いたいような、会いたくないような。そんなわけで、今日は朝からプチ逃避行を決行していた。そして「逃げる→焦る→迷う→焦る」という悪循環が起きていた。それでもとにかく一歩一歩のことだけを考えて黙々と歩いた。そんな乱暴で調和を欠いた歩き方に、すぐにまた疲れを感じてきた。
足元とその数m先だけを見ながら、せかせかと歩いていると、後ろからカーラが追いついてきた。会えて嬉しいのと同時に「追いつかれた!」と思い、どきっとしたのも事実だ。「おはよう!」と挨拶して、二言、三言話すと「じゃあとでね!」と言い残し、彼女は歩き去って行った。
彼女の後ろ姿は背筋がピンと伸びいて、歩き方は凛としていた。一歩一歩はすごくゆったりとしているのに、どんどん前に進んで行く。空港の中でよく見かける、水平方向に進むエスカレーターを歩いているみたいだ。
彼女はよくハイキングをすると言っていたので、日々アンデスの山々に鍛えられているのかもしれない。けれど、僕にはもっと精神的な何かであるような気がした。彼女の歩き方からは、的の真ん中をめがけて飛翔する一本の矢のような、心の揺るぎなさ、あるいは自信を感じた。
自転車のギア1速で、ペダルを必死に漕いで進む僕を、ギア4速で悠々と突き離していくカーラ。僕らの進み方はなぜこうも違うのだろう。少なくともスラッとしたモデル体型の彼女との、足の長さの違いであるとは思いたくなかった。
僕も彼女を見習い、背筋を伸ばして歩くことを意識しつつ、やはり先を急いだ。
町を抜け、湖が現れ、公園を横切る。景色は現れては消えていった。今日の僕がそれらの景色に感動を覚えることはなかった。ここ数日実践していた『目的地へ急がない』という決意は、すでにどこかへ消え失せてしまっていた。
やがて巡礼路は大きな車道と合流し、その交通量の多い車道の脇をしばらく歩いた。遠くの方に見えるのはおそらくナバレッテの町だろう。目の前を歩いていた巡礼が、こちらを振り返って、見上げるように何かを撮影した。気になって僕も振り返ってみると、巡礼路からやや離れた丘の上に、巨大な牛のシルエットの看板がこちらを見下ろすように立っていた。一体全体あれは何の看板だろう。ともかく僕も記念に一枚牛の看板を撮影した。
その後も休まずに先へ先へとせかせか歩いていると、前方で巡礼達が立ち往生しているのに出くわした。”もしや…”と思ったが、その不安はすぐに的中した。
やはり、そこにモホンはなかった。
だが今回は、僕一人だけではなく前後を歩いていた7、8人の巡礼まるごと迷子だった。そのようにして、予期せぬ形で、極めて不本意ながら、僕ら”迷える巡礼団”(と勝手に命名)は結成されたのだった。
皆であたふたしながらも、手分けしてモホンを探し始めた。けれど、間違った道をだいぶ歩いて来てしまったらしく、近くにモホンはなかった。
すると、丁度そこへ一台の車が通りがかり、僕らの側で停車した。運転していたスペイン人のおじさんは、路上でうろたえる僕ら巡礼を見かけ、ただごとではないと思ったようで親切にも声をかけくれたのだ。
おじさんはすぐに状況を理解してくれて、早速正しい巡礼路への戻り方を教えてくれた。彼は親切にも、近くに車を止めて戻ってくると、身振り手振りを交えて、改めて詳しいルートを説明してくれた。
彼の親切には本当に感謝しかない。彼が来てくれなかったら状況は全く違っていただろう。迷える巡礼団の皆でおじさんに、
「グラシアス!」
とお礼を言うと、巡礼路へ戻るべく教えられた道を歩き出した。
おじさんの話では、今僕らが歩いてきた道をさらに進み、橋を渡ってナバレッテの町へ入ると、そこを通る巡礼路に合流できるとのことだった。
「いざ、ナバレッテへ!」と皆で歩き出した。すると、遥か遠くの方に正規ルートを歩く巡礼達の姿が、米粒半分ほどの大きさだが、確認できた。彼らもナバレッテの方へと進んでいる。確かにこのまま歩けば彼らと合流できそうだ。
一方、こちら非正規ルートを歩く僕ら迷える巡礼団の中には、なんだか妙な親近感が生まれつつあるように感じた。会話こそ少ないが、僕らは今や”運命共同体”なのだということを、皆うっすら感じながら歩いていたのかもしれない。友達ではないが、もう全くの他人でもないという、不思議な感じだった。
しばらく歩くと、ナバレッテの町に無事到着。町の中へと進む途中、道沿いにバルが現れたところで、誰かが「お腹すいたー!朝ごはん食べようよ!」と提案した。
皆も同じ気持ちだったらしく、一同朝食を食べにバルの中へとなだれ込んだ。僕はボガディージョとコーヒーを注文すると、どさっと荷を下ろして席に着く。「ふー、日に3度も迷子とは、参ったな」などと考えながら食べ物を待った。
朝食が運ばれてくると食べ始めた。そこで”あれ?何か変だぞ”と違和感を感じる。この感覚は何だろうと考えていて、ハッと気づいた。
今朝起きてからずっと感じていた”焦り”や”不安”が消えていたのだ。
僕は今完全にモホンを見失い、自分自身が勝手に作り出した”狂ったレース”から強制的にはじき出されていた。そして気づけば、ピレネー羊がのんびりと草を食むようにむしゃむしゃとボガディージョを食べ、コーヒーをすすりながら、窓に映る晴天の下の美しいスペインの景色を眺めていたのだ。「今日も最高だな」とかなんとか考えるともなく考えながら。
正しい巡礼路を「迷える心」で歩いていた僕は、巡礼路で迷い、正規ルートを外れることで正気に戻ったらしい。時に、巡礼路の外にも巡礼路はあるのかもしれない。
そこには迷子を楽しんでいる自分がいた。”カミーノを冒険している”そんなワクワク感を久しぶりに感じた。純粋に旅することへの興奮と新鮮さが蘇ってきた。すると、今自分の心境に起きていることがとてもおかしく思えてきて、心の底から笑いがこみ上げてきて、思わず一人で笑ってしまった。
想像してみてほしい。
爽やかな朝の一軒のバルの店内。一人店の隅のテーブルに座っているアジア人の僕が、ボガディージョにかぶりつきながらゾクゾクと興奮を覚え、ニヤニヤと笑みを浮かべている。それを他の巡礼達が見たら、きっと背筋が凍ったに違いない。
何はともあれ、今や僕は自由だった。
皆が朝食を食べ終えると、メンバーの中のリーダー的お姉さんが、バルの店主に巡礼路への戻り方を尋ねてくれた。店の外へ出ると、リーダーに「寒いね!」と話しかけてみた。すると彼女は、
「そう?私はもっと寒いところから来たから(確かケベックだったと記憶している)今日はむしろ暑く感じるわ!」と手足に日焼け止めクリームを塗りながら答えた。そんなことを話していると、他の皆も店の外へ出てきた。全員揃ったところで、いざ出発。
「もう音楽聴きながら、テンション上げて行くぞー!」
とイヤホンを耳に装着し、颯爽と歩き出したリーダーだったが、10mほど進むと恥ずかしそうに戻ってきた。
それもそのはず、彼女のバックパックはまだバルの外のベンチに置かれたままだったのだ。「何だか妙に軽いと思ったのよね!」と彼女が言うと、皆で大爆笑。リーダーはすごくチャーミングな人だった。
その出来事で皆の距離はグッと縮まり、場がとても和んだ。わずかに残っていた緊張や不安も、春一番のような笑いが全てどこかへ吹き飛ばしてしまった。道はパッと明るくなり、足取りは軽くなった。不安や緊張や恐れがなくなれば、問題自体は思っているより小さなものだ。皆を安心させてくれたリーダーは、やっぱりリーダーだった。
笑いの心地良い余韻に浸りながら、バルで教えられた道を進むと、町角に正しい巡礼路を示す黄色い矢印を発見。皆で喜び、ホッと胸をなでおろした。そうなると自然に、僕ら”迷える巡礼団”は解散することになった。
束の間運命を共有した仲間達は、再び追い越し、追い越される道の上へと戻っていった。なんだか寂しさを覚えたが、感傷に浸ってばかりもいられない。僕も、再び僕自身のカミーノを歩き始めた。
ナバレッテの町を後にすると、しばらく大きな車道に沿って歩いた。やがて巡礼路は広大なぶどう畑の間の砂利道へと入る。道はひどく乾燥していて、ホコリっぽかった。ここからはどこを見ても、見渡す限りぶどう畑が続いていた。今は時期的に実はついておらず、わずかな葉をつけただけの低い木が、スペインの灼熱の日差しを浴びながら整列していた。
砂利道を歩き出すと、後ろからフランス人の親子が追いついてきた。彼らは元”迷える巡礼団”の仲間だ。母親の方から
「私達の後ろには誰もいないわ。私達が最後尾のようね!」
と言われた。確かにナバレッテ以降、前後を歩いている巡礼はいなかった「そのようですね!」と答える。彼女からは仲間内に対する親しさのようなものを感じた。
フランス人親子と別れてから、自分の足取りが急に軽くなり、踏み出す一歩一歩がまるでピアノの鍵盤を叩き、音を奏でているように感じた。今まで目を止めもしなかった道端の小さな花がとても愛おしく思えてきて、風はそこら中を自由に楽しげに走り回り、目の覚めるような草木の緑は、優しく気持ち良さそうに揺れていた。見上げれば、吸い込まれそうなほど深く青い空が果てしなく広がっている。360度どこを見ても全てが躍動感に溢れていて、見ていて飽きるということがなかった。
ふと”カミーノに戻ってきた”そう感じた。心が正しくチューニングされたように感じた。いるべき場所にいて、正しい道の上を歩いている、そういう感覚だった。
感じることで道を外れたり戻れたりするのなら、カミーノとは一体何なのだろう。今朝までの”ヨリハヤク、コウリツテキニ”という工場のロボットのような歩き方とは正反対の、調和のとれた心躍る歩き方がその答えかもしれない。
歩き方が歩く場所を決めるみたいだ。
少し疲れたので、巡礼路に出ていた小さな売店で休むことにした。するとそこで、元”迷える巡礼団”のリーダーと先ほど僕を追い越して行ったフランス人親子の母が休んでいた。彼女らと「また会ったね!全く今朝はとんだ事件だったわね!」というような親しげな目配せを交わした。僕らはもう見ず知らずの他人ではなく、ささやかな秘密を共有する仲間となっていた。
荷を降ろすと、ボガディージョを注文して売店の前の椅子に腰かけた。ボガディージョを食べながら休んでいると、目の前を元”迷える巡礼団”のメンバーが通り過ぎて行った。やはり彼女らも仲間同士に対する親しげな笑みを浮かべていた。仲間であるということ、親しげに微笑んでもらえることは、なんと心嬉しいことなのだろう。人と何かを共有することは(それが迷子であれ)何と豊かなことなのだろう。
フランス人親子の息子が追いついてきたところで、座っていたリーダーとフランス人親子の母は出発して行った。母からは「あなたたくさん食べるのね!」と言われ、リーダーは笑顔で僕の肩をこしょこしょとして去って行った。本当に素敵な人達に出会えた、そう思った。
ボガディージョを食べ終えると、僕も歩き出した。元迷える巡礼団のメンバー達が、ずっと遠くの方を歩いているのが見えた。
しばらく歩くと、ベントサの村に到着。トイレ休憩をするために村の中へと進み、一軒のバルに立ち寄った。
バルへ入ると、コーヒーを注文してトイレを借りる。(バルでトイレを借りるときは、コーヒーを一杯だけでも注文することにしていた。そうすることで、バルの店主も僕も互いに気持ちが良く過ごせる気がする)
トイレを借りる前に、僕は店内の席にバックパックを置いてトイレへ入ったのだが、トイレから戻ると僕のコーヒーはバックパックのある店内の席ではなく、誰も座っていない店の外のテーブルにポツンと置かれていた。
一瞬疑問に思ったが、「まあいいや」と思い、バックパックをコーヒーの置かれたテーブルへと移動させた。そこで、隣のテーブルに一人の男性が座っていることに気づいた。
年齢はわからないが、旅の装いからして巡礼であることは間違いなさそうだ。彼は今まで見てきたどの巡礼よりも少ない荷物を傍らに置き、静かに食事をとっていた。
「今日は良い天気ですね。」
何はともあれ話しかけてみた。
「風は少し冷たいがね。」
彼は穏やかにそう答えた。彼は今朝ナバレッテの町から歩いてきて、今夜はここベントサに泊まるとのことだった。彼の話し方から、彼がとても良い人だという印象を受けた。
コーヒーを飲みながら、”今日はどこに泊まろうか”とアルベルゲのリストに目を通していると、それを知ってか、彼は彼の歩き方についておもむろに語り始めた。
「私はいつも、朝起きてその日の天気を見たり、その日の自分の気持ちによって歩く距離を決めることにしている。歩きたいと思う日は長い距離を歩くし、何か気分がのらないという日は、昨夜泊まった宿から橋を一本渡るだけ、たった500mしか歩かないという日もある。」
僕はその言葉に驚いた。というのも、僕はこれまで『1日に20〜30kmは歩かなければならない』という固定観念に縛られて歩いてきたからだ。どのガイドブックにも、サン・ジャン・ピエド・ポーでもらった『カミーノ工程表34日分』にも、1日あたり20〜30kmが目安として示されていた。
僕が参考にしている本や工程表のどこにも「歩きたい日は歩けるだけ遠くまで、歩きたくない日は次の村まで」なんて書いていなかった。だがそんな彼の言葉は「先を急ぐ歩き方」に疲れていた僕にとって、まるで天啓のように響いた。
”この人は何かが違う”そう感じた僕は、今朝とても疲れていたこと、朝だけで3度も迷子になったこと、3度目の迷子で巡礼路から完全に外れてしまったこと、そしてなぜかそのとき解放されたような気持ちになったこと、今日起きた出来事を全て打ち明けていた。
「カミーノが君に語りかけたんだね。」
彼は僕の話を一通り聞き終えると、静かにそう言った。
「次から次へ、もっと早く、歩ける限り歩かなければ!という考え方はどこかおかしい。限られた時間の中でサンティアゴに着かなければならない事情があるのはわかる。だが、そういう場合は一度に急いで歩くより、数回に分けてゆっくり歩いた方が良い。」
「Camino talks」(カミーノは語りかける)
「君が耳を傾けるなら、その声を聞くことができるだろう。カミーノはいつも君に語りかけている。どんな時でもそうだ。」
「それに、君の心も同じだ。君の心はいつも君に語りかけている。その声に耳を澄ますことが大切だよ。」
僕はいつしか彼の話にすっかり引き込まれていた。彼が語るカミーノの歩き方、そして人生の生き方は僕の心に響いた。彼は、彼が語った内容について、
「カミーノで出会ったマスター達が教えてくれた。」
と教えてくれた。
「都会は騒がしく、あまりに商業的で私は嫌いだ。マスター達はミドルにいる。街と街の間で今も巡礼達を助けている。彼らがそうしてもらったように。」
マスターからマスターへと、カミーノと人生に関する教えは受け継がれているらしい。
彼の歩き方は型にはまっていなかった。彼は宿に泊まらず、暖かい日を選んで野宿することもあるし、普段は裸足でカミーノを歩いているらしい。その方が大地からのエネルギーを感じ取れるのだと教えてくれた。”彼はやはりマスターだ!”改めてそう思った。
フィステーラとムシアについても尋ねてみた。両方とも巡礼の目的地であるサンティアゴ・デ ・コンポステーラのさらに西にある場所だ。僕は今回の旅で時間が許せば、そこまで足を伸ばそうと考えていた。
「フィステーラは狂っている。巡礼達はそこらでドラッグをやっていて、皆おかしくなっている。僕はそれを見てがっかりしたよ。もちろん、中には良い人達もたくさんいるがね。」
彼はフィステーラについてそう教えてくれた。
当然だが、そんなことはガイドブックには書いてない。彼の話を聞いて、僕はフィステーラに行くことに少しためらいを感じ始めた。
次に、「ムシアは」と話し始めると、彼の表情が一転パッと明るくなった。
「ムシアはとても素晴らしい場所だ。ピュアなエネルギーに満ちていて、自分の中をクリーンにしてくれる。海のエネルギーが心をクリーンにしてくれるんだ。」
彼は目を輝かせながらそう語った。
マスターは続けて、サンティアゴとフィステーラとムシアが形成する、不思議な三角形についても話してくれた。
「フィステーラとムシアはとても対照的な場所だ。その二つを体験し、そこにあるコントラストを見ることは面白いよ。それにムシアに行くことには意味がある。多くの人が、サンティアゴに着くとそのまま家に帰ってしまうが、ムシアに辿り着き自分が歩いてきたカミーノを振り返るとき、それまで頭の中にあったものが、心にスッと降りてくる。」
「巡礼路が海にぶつかり、もうこれ以上道はないのだと知ったとき、”それ”を感じるのだ。」
僕は彼の話を聞いているうちに、いつしか目に涙を浮かべていた。とても美しい話だと思った。短い時間で、彼からとても多くのことを学ばせてもらった。カミーノでは気づくこと、学ぶこと、教えられることが、日に日に増えている気がする。(日記に書き記すのが大変になってきていた)
彼と話しているうちに、僕の心がそわそわとしてきた。心が歩きたがっているように感じた。席を立ち、彼に感謝を伝えると、僕らはお別れのハグをした。
ハグがこれほどに力強い言葉だということを、そのとき初めて知った。彼はグッとハグすると、背中をさすってくれた。静かで穏やかな海のような彼の心と、そこにある深い愛情を感じた。幸運を祈ってくれているようにも感じたし、この出会いへの感謝のようにも感じた。それは言葉にしたら数%しか伝わらない気持ちだと思う。
「あなたは僕がカミーノで出会った最初のマスターです。」と伝えると、
「私はマスターではない。マスターに教わったことを伝えただけだ。」と彼は謙遜した。
コーヒーの代金を支払い、彼に再度お礼を伝えると、再び巡礼路を歩き出した。彼は最後まで穏やかに微笑んでいた。
心はエネルギーに満ちていた。迷子が導いてくれた素晴らしい出会い。これが偶然でないのであれば、時として道の外もまた道なのかもしれない。カミーノには目に見える矢印と、目には見えない矢印があるみたいだ。
巡礼路に戻ったところで、ばったりヤコボに会う。これも偶然ではないのだろう。僕らは再会を喜び、握手を交わし、一緒に次の町ナヘラを目指して歩き出した。
マスターと出会い、心が全開になっていた僕は、ベントサで出会った巡礼達に、心から「ブエン・カミーノ!」と笑顔で挨拶しながら村を出た。
ヤコボとあれこれおしゃべりをしながら歩いていると、あっという間にナヘラが見えてきた(本当にあっという間だった)。僕にはカミーノを歩く上で楽しみにしていたことが一つあった。それはナヘラ手前にある工場の壁に書かれた一編の詩を見ることだ。
それはオルミジェッハス村の司祭エウヘニオ・ガリバイ・バーニョスという人が巡礼について書いたものらしい。僕がお世話になっているガイドブックの著者中谷光月子さんの訳を紹介させてもらいたい。
「埃、泥んこ、日差し、雨まみれ、それがサンティアゴ巡礼の道。
「サンティアゴ巡礼へ行こう!歩いて楽しむスペイン」中谷光月子著 からの引用
幾千の巡礼者に幾百の年月
巡礼よ、誰があなたを呼ぶの?
どんな力があなたを引き付ける?
星降る平原?
有名なカテドラル?
ナバーラの牛追い祭り?
リオッハのワイン?
ガリシアの魚の幸でもなく、
カスティージャの平原でもない。
巡礼よ、誰があなたを呼ぶの?
どんな力があなたを引き付ける?
巡礼路で出会う人々?
地方ごとの営み?
歴史や文化?
サント・ドミンゴの雄鶏?
ガウディの司教館?
ポンフェラーダのお城?
そのすべてを私は見て行く
そのすべてを見る悦び
私を呼ぶ声より大きく、
心の奥底から湧き上がる、
私を後押ししてくれる力
私を引き付ける大きな力
言葉に表せない、その力
神のみぞ知るその力」
その詩が書かれた工場の壁の前を通りがかったが、今回は遠くから写真を撮るだけにした。ヤコボとの話に夢中だったというのもある。楽しみにしていたことより楽しいことに出会えたことは、きっと喜ぶべきことなのだと思う。
ナヘラに到着すると、パスクワーレ達のいる宿に向かうというヤコボに
「僕は次の村アゾフラまで歩くことにする。」
と伝えた。僕の言葉に彼は驚いていた。
彼は、僕も当然また一緒の宿に泊まるのだと思っていたからだ。それは僕を完全に仲間だと思ってくれているということ、本当に有難い。だが僕は僕のカミーノを歩かねばならない。そう決めていた。
少し寂しげな彼と再会を約束して、握手で別れた。彼は本当にナイスガイだ。
ナヘラのバルでボガディージョをテイクアウトすると、町外れの小さな公園で一人モソモソと食べた。アゾフラまでの距離は6.4km、時刻は14時を回っている。この時間帯から次の村を目指すのは初めてだった。到着後のスケジュールは押すに違いないが、今さら考えてもしょうがない。今日は、心がもっと遠くへ歩きたがっているのだから。
アゾフラまでは他に巡礼を見かけなかった。皆ナヘラに泊まるのかもしれない。たまに地元の農家さん達が、巨大なトラクターで僕のすぐ横を砂埃を巻き上げながら猛スピードで走り抜けて行った。巻き上げられた埃は肺に悪そうだったし、トラクターのスピードは心臓に悪かった。だがそれを差し引いても、広大なぶどう畑に囲まれたどこまでも続く白い砂利の道を、一人でただのんびりと歩けることはとても贅沢なことだと感じた。
やがて到着したアゾフラの村は、小さくて静かで可愛らしい村だった。数分で村の端から端まで辿り行けてしまうほどに小さい。しかし、この村はパウロ・コエーリョの「星の巡礼」の中では、パウロが彼の敵である悪魔と戦うことになった重要な場所として描かれている。
悪魔はパウロ達によって追い払われ、すでにいなくなったのだとわかってはいても、村を歩いていると少し緊張した。その悪魔は黒い大きな犬の姿をしていたが、実際のアゾフラの村では一匹の犬にすら出会うことはなかった。
今夜はアゾフラの公営アルベルゲに泊まることにした。案内された部屋は綺麗な母屋?の方ではなく、そこから少し離れたところに建っている古くて暗い別棟だった。
何だか歴史を感じさせる建物で、窓のない部屋にはベッドが5つ置かれていた。少し圧迫感を感じる薄暗い部屋に少し居心地の悪さを感じた。だがそれも最初だけで、しばらく過ごすとむしろその薄暗さが快適に感じてきた。
部屋には先客がいた。彼はドイツ人で、自分が日本から来たことを話すと、
「君は前世は信じるか?」
と突然言い出した。
急な展開に、信じるとも信ないとも言えず、モゴモゴとしていると、彼は話し始めた。
「とてもおかしな風に聞こえるかもしれない。けれど、本当のことなんだ。」
「僕は前世では”ハクロウ”という侍だった。だが任務に失敗して討ち死にしてしまったんだ。」
「相手はとても大きなカエルだった。」
彼の表情は真剣そのもので、語り方はとても誠実だった。それに日本には大蝦蟇にまつわる伝説がたくさんある。前世の記憶を持つ人に出会ったのは初めてだった。
前世の記憶を持ちながら、今の人生を生きるとはどんな感じなのだろう。前世の経験値を持ち越している分、迷いも失敗も少なくて、より幸せな生き方ができるのだろうか。前世があるということは、肉体は土に帰っても魂はずっとそこにあり続けて、新たな機会を得て地上に再び出現するということだ。
そして魂は情報を保存するということが言える。魂がなくならないのなら、今の僕の人生は一体何度目の人生なのだろう。僕の前世はなんだったのだろう。どんな人生を生きてそこで何を感じたのだろう。僕は今世でどう生きるべきなのだろう。
この人生は一度きりだけど。その次にはまた新たな人生が待っているのかもしれない。だとしたら、僕の前世が何であれ、、僕は今をしっかり生きるべきなのかもしれない。次の自分がより良い世界に生まれてこれるように。そして後世の人達のためになるような何かを残すことが大切なのかもしれない。例えばプエンテ・ラ・レイナの橋のような何かを。
あるいは前世のカルマを解消しなくてはならないのかもしれない。
まるでそれは長い巡礼の旅のようだ。
僕らは、日々から日々へ、人生から人生へ、とても長い巡礼の旅路を歩いているようだ。それは終わりのない永遠の旅であり、巡礼とは生きることそのものかもしれない。
だとしたら僕らは誰しもが皆もともと巡礼として生まれてきたのかもしれない。歩みを止めてはいけない。進み続けよう。僕らは常に輪廻の旅の途上にいるのだから。
本日のアルベルゲ
Albergue Municipal de Peregrinos de Azofra(公営) (情報は2023年2月時点のものです)
+34 941 379 220 , +34 619 022 477
albergueazofra@gmail.com
Open all year 11時〜22時
・一泊7€
・ベッド 60床
・シャワー 9室
・洗濯機
・キッチン
・Wi-Fi
・インターネット
・自転車駐輪スペース
本日の支出 (1€=125円)
・寄付 1€
・ボガディージョ 3.8€
・ボガディージョ② 2€
・コーヒー 1.5€
・宿代 10€
・食材 4.8€
合計 23.1€(2,888円)
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