『あるオスピタレアの予言〜イタリアンキッチンと宴の夜〜』
5月11日 Estella → Los Arcos 21km
6時53分、寒さで目が覚めた。日本にいた頃だったら早起きと言っても良い時間帯だったが、カミーノでは朝寝坊にあたる時間だ。慌てて飛び起きると、すぐに出発の支度にとりかかった。幸い、昨夜の内に荷造りは済ませていたので、15分ほどで支度を終えると食堂で朝食を食べることにした。
食堂に入ると、ヴィトとジジが朝食を食べているところだった。昨日の夕食の一件もあったので、多少の気まずさはあったが、「今日は今日!」と気持ちを切り替えて彼らに挨拶をした。朝食は昨日の残り物のボガディージョを食べた。キッチンの窓から見える空は綺麗に晴れ渡っている。今日は良い天気になりそうだ。
7時33分、ゆっくりと出発。カミーノ6日目の今日はロス・アルコスまでの21kmの道のりを歩く予定だ。今のところ一日大体20kmちょっとのペースで進んでいる。歩き始めてしばらくは、先に宿を発ったヴィト、ジジの二人を追い越したり、また追い越されたりしながら、彼らと同じようなペースで歩いた。
エステージャを出て5kmほど歩くと、”fuente de vono” (スペイン語でワインの泉)の看板を発見。ここには地元ワイナリーのボデガ・イラーチェ社が巡礼達の旅の安全を願い、無償でワインを提供している場所があると聞いていた。ボデガ・イラーチェ、なんて粋なことをするんだ。
”fuente de vono” の看板から少し歩くと”ワインの泉”に到着。綺麗な装飾を施された建物の石壁から、二つの蛇口が突き出ており、左の蛇口をひねると真っ赤なワイン、右のをひねると水が出てくるらしい。先に到着していたヴィトが、蛇口からそのままガブガブとワインを飲んでいた。(まだ朝の8時だよ!)ひとしきりワインを飲み終えたヴィトが僕に、
「ヒロはたくさん飲んじゃ駄目だよ!ポコ!ポコ!(少しだけ!)」
と言ってきた。昨夜の夕食のことを引きずっているのだろうか…。Today is anotherday!
朝からお酒を飲むことに後ろめたさもあったが、せっかくなので頂いた。カミーノが与えてくれるもの全てにYes!と言うと決めたのだ!(と言うのは都合が良すぎるだろうか)
壁から突き出した二本の蛇口の左の方をひねると、真っ赤なワインがドバーッと噴き出した。それをすかさず水筒で受ける。予想以上の勢いだ。ヴィトの忠告と自身の良心の声に従い、グラス一杯程度で止めておいた。
ワインで満たされた水筒に顔を近づけると、甘酢っぱい香りがする。ゴクッと一口飲んでみた。「う…うまい…!。」これまでの人生で飲んできたワインとはまるで別物だった。
新鮮なぶどうの、ピュアな味や香りだけを抽出した甘い雫。ワインが舌に触れた瞬間に、甘みと芳醇な香りが口一杯に広がり、すぐに鼻へ抜け、脳に達し、幸せな気分になる。きっとこれこそがワインなのだ。イラーチェ社の皆さん最高のワインをありがとう!
美味しいワインに元気をもらい、リラックスした気分で再び歩き出した。僕がワインを飲んでいる間に、どうやらヴィトとジジは結構先の方まで行ってしまったらしい。だが気にせずのんびり歩くとしよう。今日はまだ始まったばかりだ。
「急ぐのはもう止めにしよう」
すっかり”美味しい”寄り道を楽しんだ僕の心に、そんな言葉が浮かんできた。
昨日までの自分を振り返ってみると、
「早く目的地に着かねば宿はない!」
「早めに着かないと一日のスケジュールが押してしまう!」
「時間は刻一刻と過ぎていく、休んでいる暇はない!」
そんな「もっと早く」とか「時間がない」という強迫観念に急かされながら歩いていた。それに、
「食費は必要最低限に抑えるべし」
「昼食は抜いて、夜は安いポモドールバスタを食べればいい」
と節約にも躍起になっていた。
その結果どうなったかというと、昨日は景色に全く感動を覚えず、考えはまとまらず、思考と空腹と肩の痛みに苛まれ続ける一日になった。無意識のうちに、自分で自分を袋小路に追い込んでいた。
いつしか僕はそんな窮屈な旅に疲れを感じ始めていた。「スピードを増すほどに旅はつまらなくなる」と言ったのはガンジーだったか。
なので、今日は1時間置きに荷を降ろし、水を飲んだり軽食を取ったり、ただただ目の前に広がる景色を眺めてみたり、意図的にスピードを落として歩いてみた。
するとどうだろう、広大な小麦畑を楽しげに吹き渡る風、地上の全てを慈しみ輝かせる太陽の光、生きた彫刻のように一瞬一瞬その複雑な模様を変えながら流れる小川、果てしなく広がる青空を去来する白い雲の一団。目の前にあるもの全てが美しく見えた。
「カミーノに美しさが戻ってきた」そう感じた。いや、考えてみたら逆だ、カミーノは常にそこにある、そしていつだって美しい。そこから転げ落ちるのはいつも自分の方で、今ようやく戻ってこれたのだ。
人は(少なくとも僕は)どんな美しい景色に囲まれていても、幸せの絶頂にあっても、自分で自分を檻の中に入れることができてしまう。美しい景色や、本当に幸せなことは、余計なことを考えたり欲を出さなければ、いつでもそこにあるものなのかもしれない。
その後の僕は、カミーノを歩くことを存分に楽しんだ。出会う人、広がる景色に心は開かれていた。時間は確かに”自分のもの”で、気づけばロス・アルコスに到着していた。距離は昨日までとほとんど変わらないのに、全く疲れていなかった。
まずは、今夜泊まるアルベルゲを探すことにした。町の中へと進み、巡礼達で賑わう聖マリア教会の前を通り過ぎ、カスティーリャ門から出て橋を渡った所に目当てのアルベルゲはあった。
アルベルゲの入口では、受付の順番を待つ巡礼達の列が外にまでできていた。僕も受付待ちの列に加わり待つことにした。アルベルゲの中庭では、すでにベッドを確保した巡礼が洗濯物を干している。今日は天気も良いし、洗濯物の乾きも早そうだ。
ふと、そこで洗濯物を干している若者に見覚えがある気がして、よくよく見てみると、なんと盟友パスクワーレだった。彼もまた僕に気づいた。お互い予期せぬ再会に驚き、喜び、歓声を上げ、ガシッ!と力強くハグをした。また会えて本当に嬉しかった。彼は元気そうで、心配していた彼の膝もパンプローナで別れた時よりも良くなっているようだった。
「後で一緒にご飯を食べよう!」
彼と食事の約束したところで、僕の受付の順番が回ってきた。
アルベルゲの中へ通されると、受付には体格の良いおじさんと、おっとりとして優しそうな女性が座っていた。クレデンシャルとパスポートを渡し、6€を支払う。手続き自体はすぐに終わった。しかし、クレデンシャルとパスポートを返してもらうと、
「ところで、あなた学生?」
と受付の女性に尋ねられた。
何だか面接みたいだな、と思いながらも、
「僕は学生ではなく、仕事を辞めてここへ来ました。カミーノを歩くことは僕の長年の夢だったんです。」
そう答えると
「どうやってカミーノを知ったの?本?映画?」
とさらに訊かれた。なんだか本当に面接みたいになってきた。
僕は、若い頃パウロ・コエーリョの自伝的デビュー作『星の巡礼』にインスピレーションを受け、いつしかカミーノを歩くことが僕の生きる上での大きな目標になったことを彼女に伝えた。
19歳の時にたまたま立寄った本屋で何気なく手に取った本が、10年以上の歳月を経て僕をここへと導いてくれたのだ。
「あなたその本を最後まで読んだの?」
女性から返ってきた思いがけない言葉の意図がわからず、少し違和感を覚えながらも、
「はい、何度も読みました。」
そう答えた。すると、
「最後、彼は家に帰ってきたのよ。自分のここにそれを見出したの。」
そう言うと、彼女は自分の胸に手を当てながら、優しく、少しいたずらっぽく、何だか意味深に目を細めて微笑んだ。
僕は彼女の言ったことの意味が理解できず、ただポカーンとして、
「グラシアス。」
とだけ言うと、後ろで順番を待っていた巡礼に席を譲った。彼女は去ろうとする僕に一言
「Enjoy(楽しんで)!」
そう言い残した。
パスクワーレとの昼食の約束もあったし、町の散歩とATMで資金調達もしたかったので、シャワー、洗濯をパパッと済ませてロス・アルコスの町へ出た。
丁度シエスタの時間だったこともあり町は静まりかえっていた。本当に動いているのかどうか心配になるほど、スペインの午後の時間は緩慢に流れていた。それでも、食料品店やバルのある聖マリア教会の辺りだけは食事や観光を楽しむ巡礼達で賑わっていた。
ドキドキしながらATMでお金を降ろすと、教会前の店々を覗いて歩いた。海外のATMでお金を下ろす時はいつも緊張する。操作に不慣れな上に、ATMが路上にあることも理由の一つかもしれない。
通りがかった一軒のバルで、友達と食事をしているパスクワーレを発見。「一緒に食べようって約束したのに!」とスネかけたが、そういえばご飯の約束はしたものの、場所も時間も何も決めていなかったことを思い出した。おまけに僕はWi-Fiが繋がるところでしか連絡を取ることができないので、考えてみたらそれは必然的な結果だった。
お腹も空いていたし、パスクワーレとも少し話がしたかったので、彼らの近くのテーブルに座り、ペレグリーノメニューを注文した。すぐにパスクワーレがやってきてくれて、お互いの近況を報告し合った。何はともあれ、彼が元気にカミーノを歩いているようで安心した。
バルのペレグリーノメニューはフライドポテト、チキンナゲット、パエージャ、ヨーグルトにワインと豪華な内容で、スペインでは初の(フランスではカミーノ出発前夜に食べていた)ペレグリーノメニューはとても美味しかった。
自然の中で自由気ままに食べるボガディージョも最高だが、町や人を眺めながらバルで食べるご飯も悪くない。昼下がりのゆったりとした時間の中で、人々はくつろぎながら食事やおしゃべりを楽しんでいた。
のんびりと食事を終えてアルベルゲへ戻ると、アルベルゲの前の芝生で昼寝をしていたパスクワーレから夕食に誘われた。「20時にアルベルゲのキッチンで会おう!」今度は時間も場所も決まっているので大丈夫だ。時間になるまでシエスタを取り、20時頃になるとアルベルゲのキッチンへ行ってみた。
着いた時にはすでに調理は始まっていて、パスクワーレと彼の友人ミルコとヤコボが今まさにパスタを作っている真っ最中だった。二人共イタリア人で、ミルコは友人が、ヤコボは恋人が、それぞれ日本にいるらしい。日本とイタリアのこと、お互いのこと、色々話題は尽きなかった。
料理を作りながらおしゃべりするのは、料理を食べながらの時と同じぐらい楽しいことだった。”作りながら”と言っても僕は何もしていない。パスクワーレに「ヒロ!お前はゲストだから座っててくれ!」と言われたが、これは日本人の性分なのだろうか、申し訳なくて座ってもいられず、かといって何もできず、僕は狭いキッチンの中でただただアタフタしていた。
僕はイタリアの男達の料理の手際の良さに驚いた。まるでイタリアンレストランの厨房にいるかのようだ。皆それぞれの役割があり、何をどういった手順で作るのかというイメージを共有しているようだった。本場イタリアのカルボナーラパスタができあがると、スペイン人のカルメンとチリ人のカーラの二人の女性も加わり、夜の宴が始まった。
スペイン語もイタリア語も話せない僕だったが、皆親切に話の中に入れてくれて(スペイン語とイタリア語はかなり似ていて、お互いに母国語を話しても大体通じるらしい)とても楽しい夜になった。皆で料理に舌鼓を打ち、ワインをあおり、お菓子を食べ、冗談に涙が出るほど笑い転げた。隣の席の若い韓国人の子達とも料理を分け合い、飲めや食えやの盛大な宴は消灯時間の22時直前まで続いた。
夜更かしの後ろめたさもなくはなかったが、心はとても満たされていた。狭いダイニングにはテレビもなければ、ラジオもない、スマホを見る人だっていない。とにかく、食卓を囲む仲間達と喋って笑って涙した。イタリアの良き男達は、本格的な料理の作り方も知っていれば、最高に楽しい食事の食べ方も知っているようだった。
「ブオナ・ノッテ!」仲間達におやすみを言うと、寝静まった部屋にそろりそろりと戻り、音を立てないように寝袋に包まった。宴の余韻で気持ちはとてもホカホカとしていて、お腹はもちろん、心も満腹になっていた。
巡礼するにあたり参考にした書籍
本日のアルベルゲ
Albergue Issac Santiago (情報は2023年2月時点のものです)
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