『アルベルゲの営業マン〜ヨーグルトと赤いパスタ〜』
5月7日 Roncesvalles → Zubiri 20.5kilo
朝から巡礼達の慌ただしい準備の音で目が覚めた。競うかのように出発を急ぐ様子は、まるで何かのレースをしているようだ。同室のスペイン人のおじさんは5時前から支度を始めていた。レースに巻き込まれたくなった僕は、しばらく横になってじっとしていた。6時頃になると騒がしさも落ち着いてきたので、ぼちぼち支度を始めた。隣のベッドを見ると、ハンガリー人ミキはすでにいなかった。
朝食の会場は昨夜夕食を食べたのと同じレストランだった。店の入口には大勢の巡礼達がいて、レストランが開くのを今か今かとソワソワしながら待っていた。7時過ぎに店が開くと、お腹を空かせた巡礼達が一斉に店内に雪崩れ込んだ。僕もその押し合いへし合いに巻き込まれながら、押仕込まれるように席に着いた。
座ったのは5、6人掛けのテーブルで、同席した巡礼達は皆初対面だった。ジャムやバターを渡したり渡されたりしながらトーストを食べ、コーヒーを飲み、今日の歩くエネルギーを蓄える。巡礼達は疲れていたのか、今日これからのことを考えていたのか、卓上で会話が生まれることはなく、皆黙々と朝食を食べていた。
朝食を食べ終えると、同席した巡礼達より一足先に出発することにした。皆に、
「ブエン・カミーノ!」
と告げて席を立つ。出発前に水筒に水を補充したかったので、店員さんに
「お水をもらえませんか?」
と尋ねると、彼女は微笑みながら
「トイレの水道水を汲んで行っていいよ!」
と答えた。
正直最初は驚いた。ちょっと失礼なようにも感じた。”トイレの水は衛生的にどうなの?”と訝しく思ったりもしたが、物は試しとトイレの手洗い場の蛇口をひねり、恐る恐る水を汲んで飲んでみた。すると、
「う、美味い…。」
とても驚いた。このレストランのトイレの水道水は市販のミネラルウォーターより美味しかった。ピレネー山脈の麓とあってか、ロンセスバジェスは水が綺麗で豊かなところらしい。
水筒をトイレの水で満タンにすると、レストランの入口に置かれた大量のバッグパックの中から、自分の物を見つけて背負い、ロンセスバジェスを出発した。朝のヒヤッとした空気の中を歩き始めると、昨日のダメージが全身に色濃く残っているのを感じた。歩いていると首、肩、足がギシギシと悲鳴をあげ、とりわけ膝に鋭い痛みが走る。出だしから”果たしてこんな状態で無事に次の目的地に辿り着けるだろうか…”と不安になった。
出発してしばらくは平坦な道が続いた。満身創痍の身体にはとても優しい。僕がボチボチ歩いていると、昨日夕食を共にしたフランス人のおじさんが「ブエン・カミーノ!」と言いながら、軽快に僕を追い越して行った。彼の全く疲れを感じさせない歩きにとても驚いた。彼も昨日ピレネー越えをしているはずなのに…。
歩きながら周りを観察して気づいたことだが、一見細身で筋力のなさそうな女性や、中高年の男の人の中にこそ健脚の人が多い気がした。どんな時にも人生をしなやかに生きる女性達、人生の山や谷を乗り越えてきたタフな男性達、彼ら彼女らの強い生き方がそのまま歩く強さになっているのかもしれない。
”サンティアゴ・デ・コンポステーラまで790キロ”と書かれた看板がロンセスバジェスの村の出口の辺りに建っていた。だがその”790キロ”という距離が果たしてどれほどの距離なのか、今の僕には全く見当もつかなかった。なのでプレッシャーや不安など一切感じず”へー、そうなんだ!”と気楽な気分でいた。
ロンセスバジェスを出発して隣の村ブルゲーテにはあっという間に到着。4.7キロはウォーミングアップには丁度良い距離だった。ロンセスバジェスの看板に書かれていた「サンティアゴ・デ・コンポステーラまで790キロ」という想像できない距離とは違い、ブルゲーテまでの「4.7キロ」は実感があり体感できる距離だ。ブルゲーテの村の中では、朝食休憩をしようとする巡礼達が道を逸れてバルの方へ吸い込まれていった。僕は村のフエンテ(噴水)で給水だけするとそのまま歩き続けることにした。
米国の文豪ヘミングウェイがマス釣りをしにきた際に泊まったという宿『オスタル・ブルゲーテ』の前を通りがかった。僕は彼の作品『老人と海』が大好きで、折に触れて何度も読み返している。ふと、昨日ロンセスバジェスでお会いした日本人女性二人が、昨夜この宿に泊まる予定だと言っていたことを思い出した。彼女らは無事にたどり着けただろうか。きっとあのエネルギッシュな二人なら大丈夫だろう。一人で納得すると、今日の目的地であるズビリへ向かうためブルゲーテの村を後にした。
ブルゲーテからズビリまでの道では牧場の中を通り抜けたり、のんびりと草を食む牛や馬や羊達を遠目に眺めながら歩いた。びっくりしたのは、巡礼路が家畜の放牧地の中を突っ切っていたことだ。木の扉を開けて柵で囲まれた放牧地の中へと入るときは思わず笑ってしまった。放牧地の中を歩きながら、牧場の動物達と遭遇することを期待していたのだが、ついにそれは叶わなかった。
薮の中を歩き、小さな小川をいくつか渡る。昨日の壮大で過酷なピレネー越えとは対照的に、今日の道のりは静かで素朴だった。その分スペインの人々の静かな暮らしぶりや生活の温もりを感じながら歩くことができた。放牧地の柵を修理するおじさんの仕事を見学したり、放牧地を脱出したかと思えば、また次の放牧地に突入したりと、巡礼路を歩くことに全く飽きることはなかった。
林の中を歩いていたところ、向こうからおじさん二人が4頭の馬を連れてやって来た。おじさん達も旅の装いだし、馬達にはそれぞれ大きな荷物がくくりつけられていたので、おそらく巡礼だと思われたが、だとしたらカミーノを終えて帰宅中なのかもしれない。馬を連れた人と道ですれ違うなど滅多に無いことなので、僕はすっかり興奮してしまい、馬主の許可を得て、すれ違う際に彼らの写真を撮らせてもらった。近くで見る馬達はとても大きくて美しかった。
おじさんと馬達が行ってしまった後も興奮冷めやらぬまま歩いていると、道端に座り込んでいるハンガリー人ミキを見つけた。何だか元気がなさそうな彼の様子が気になり、どうしたのかと尋ねると
「ソックスを替えているのさ!君は替えないの?」
と彼は明るくそう答えた。
巡礼達の中には、足のムレを防ぎマメを予防するために定期的にソックスを交換したり、足に粉パウダーをまぶしたりする人達がいた。カミーノで足のマメに悩まされる巡礼が少なからずいたので、日々足の状態を確認してケアすることはとても大事だと思う。疲れた様子の彼と少し話すと「ブエン・カミーノ!」と励まし、先へ進むことにした。
歩いていると、僕より先に出発した巡礼達を追い越すことが結構あった。彼らは道端に腰を下ろして休んでいたり、何だか足取りが重そうだったりと、皆一様に疲れている様子だった。別に僕は足腰が強いわけではない。むしろ他の巡礼たちの方が若いし体力がありそうだ。おそらく無理にせかせかと急いで出発するより、充分に休んでからゆっくりと出発した方が結果的に距離を伸ばせるのだと思う。(朝寝坊すぎるのはかえって疲れるが)これは日常生活でも同じかもしれない。
ロンセスバジェスを出発して5時間後、本日の目的地であるズビリに到着。時刻は12時頃だった。ズビリは小さな村で、村の入り口には村の象徴でもある石造りの立派な橋”ズビリ橋”が架かっており、その下をアルガ川が静かに流れていた。今夜はそのズビリ橋のたもとのアルベルゲ『R.P Arga ibaira』に泊まることにした。
アルベルゲは石造りの綺麗な建物で、完成して間もないような真新しさを感じた。アルベルゲの入口には、これから中へ入ろうとする若い男の巡礼がいた。インターフォンを押して彼と入口で待っていると、間も無くアルベルゲのドアが開きテニスプレイヤーのジョコビッチに似たイケメンオスピタレオが出てきた。
中へ通されると、今夜同室になったその若者と少し話をした。彼はイタリアのローマからきたらしい。
「ローマは素晴らしい所だよね!」
と言うと、
「日本だって素晴らしいよ!俺は日本に友達がいるんだ。」
と言ってくれて、僕は彼の物腰の低さに好感を持った。
オスピタレオに案内された寝室は、2段ベッドが5つとトイレとシャワーがついた綺麗な部屋だった。僕とイタリア人青年で同じベッドを使うように言われたので、上のベッドか下のベッドか、どちらを使うか二人で話し合って決めることになった。最初彼に
「どっちがいい?」
と聞かれ、良かれと思い(あるいは日本人の悪い癖で)
「どちらでもいいよ。」
と遠慮し続けた。すると、
「君は一体どうしたいんだい?」
と彼に呆れられた。それは”ハッ”とさせられた瞬間だった。
今まで、相手より一歩引くことが”正しい人付き合いの在り方”だと思い込んでいた。だが、今回見ず知らずのイタリア人青年が快く譲ってくれた『上と下どちらが良いか選べる権』を詰まらぬ遠慮で突っ返してしまったのだ。『有難く、気持ち良く、相手の善意を受け取ること』それもまた思いやりであるのかもしれない。
イタリア人青年は少し怒っているようだったし、僕も何だかモヤモヤしながら結局彼が下のベッド、僕が上のベッドを使うことになった。しばらくして部屋にやってきたオスピタレオにWi-Fiのパスワード尋ねた。だが僕とオスピタレオとWi-Fiの間に言葉の壁が立ちはだかった。オスピタレオの説明を何度聞いても理解できなかったのだ。その様子を見ていたイタリア人青年が
「俺が通訳してやる。」
と間に入ってくれて、何とかWi-Fiに接続することができた。イタリア人青年は少しぶっきら棒に見えるが、とても親切で優しかった。
その後、散歩がてら村のツーリストオフィスへスタンプをもらいに出かけることにした。まだ昼過ぎだったので時間はたっぷりある。ツーリストオフィスはアルベルゲから歩いて15分ほどの所にあり、小ぢんまりとした建物の中には、物静かなスペイン人の青年が一人デスクに座っていた。彼に
「僕は巡礼で、クレデンシャルにスタンプを押して欲しいのですが。」
とたどたどしいスペイン語で話しかけると、
「英語で大丈夫ですよ。」
と言ってくれ、スタンプを押してくれた。
青年としばらく話をしていると、”巡礼の動機”について尋ねられた。そこで僕は改めて自分がカミーノを知ることになったきっかけを思い返すことになった。それは1冊の本との出会いだった。
まだ僕が10代の頃の話だ。何気なく立ち寄った本屋で、パウロ・コエーリョの『星の巡礼』という本を偶然手に取ったのが始まりだった。その謎めいた本は当時の僕にとても強い印象を与え、それ以来「いつかカミーノを歩きたい!」という強い憧れをいつも胸に抱きながら生きてきた。そんな僕の話を青年は興味深そうに聞いていた。
宿へ戻る途中、ピレネーの山腹で出会った韓国人女性二人組と再会した。僕の「韓国と日本は友達」発言にバツサインを出した二人だった。到着したばかりらしい彼女らに挨拶する。すると何だか困った様子だったので聞いてみると、
「今夜はズビリの公営アルベルゲに泊まろうと思ってたんだけど、もうすでに満室で、今他を当たっている所なの…。」
ということだった。それならと、自分の泊まっているアルベルゲを彼女達に勧めたところ
「案内して!」
と言われたので、アルベルゲまで連れて行った。彼女らはアルベルゲを気に入ってくれた様子で、今夜は同じ宿に泊まることになった。
彼女らをアルベルゲまで連れて行った後は、カミーノで初めての自炊に挑戦するため、夕食の食材を買いに村の食料品店へ行ってみることにした。アルベルゲの入口を出ると、今日巡礼路で知り合ったカナダ人のおじさんが丁度ズビリ橋を渡って到着したところだった。彼は身体中にタトゥーが入っていて強面だが、とてもフレンドリーで良い人だ。彼に挨拶すると、
「君今夜はどこに泊まるの?良い所かい?紹介して!」
と言われたので、彼を僕の泊まるアルベルゲに連れて行った。彼をオスピタレオに引き渡すと、今度こそ買い出しに行こうと歩き出す。
すると今度は、ズビリ橋の中腹にいるララを発見。彼女は地図か何かと睨めっこしているところだった。ララに話しかけると、やはり彼女も今夜の宿を探しているところだった。それならと、彼女もまた僕の泊まるアルベルゲに連れて行った。オスピタレオにララを紹介するとオスピタレオが
「ありがとう!」
と言ってくれた。僕は意図せずして、一夜限りの宿の、一日限りの営業マンになっていた。
ようやく食料品店に買い出しに行くと、昨日楽しくおしゃべりさせてもらった台湾人の奥様方が買い物をしていた。彼女達はとても優しくて気さくで良い人達だった。親戚のおばちゃんみたいに親しげに話してくれる。自炊を勧めてくれたのも彼女らだった。
今夜の夕食は安くて簡単、トマトソースパスタにしようと決めた。紙パック入りのトマトソースと乾燥パスタ、具はピーマンを購入。無事に食材の調達が終わると宿へ戻った。シャワーを浴びてベッドに寝転び、半分シエスタ状態で日記を書いた。ベッドのすぐ横の窓から外を見ると、宿のすぐ下をアルガ川が流れているのが見えた。昼下がり、異国の宿のベッドから、ただ川が流れるのを眺める。なんと贅沢な時間なのだろう。
下のベッドのイタリア人青年は昼寝の最中で、そこへ韓国人女性二人組が夕食を済ませて帰ってきた。彼女らが、
「今からキッチンが混むから、夕食を作るなら早めに行ったほうが良いよ!」
と親切に教えてくれた。その上ヨーグルトまでおすそ分けしてくれた。それはとても嬉しい出来事だった。彼女らのバツサインはすっかりマルサインへと変わったように思った。これから彼女らを、オンニ(韓国語で”お姉さん”という意味)と呼ばせて貰おう!僕らを隔てる壁はすっかりなくなっていた。
オンニ達のアドバイスに従い、急いでキッチンへ向かった。ダイニング兼キッチンには電話中のララがいるだけで、幸いまだ夕食ラッシュは始まっていなかった。キッチンには昼食の残りなのか、夕食を作り置きしておいたのか、本格的で美味しそうなパスタが鍋に入れられていた。
前置きをしておくと、僕は日本では全くと言って良いほど料理をしない。そんな僕が、これから無謀にも異国のキッチンで何かしらの料理を作ろうとしていた。当然作業は難航を極めた。それでも背に腹は変えられない。紆余曲折の末、なんとか皿の上に料理(のようなもの)がのった。だがそれは、トマトソースの真っ赤な海で、3人前の量のパスタが蛇のように絡み合い、切り刻まれたピーマンの緑が赤い海の上にプカプカ浮いている、という何とも不気味な代物だった。
一人ではとても食べきれないと思ったので、電話を終えたララに、
「パスタ作りすぎたんだけど、良かったら食べない?」
と勧めてみた。
「ありがとう!どれどれ…。」
と言いながら、鍋の中を覗き込んだララ。彼女の顔が一瞬引きつったのを僕は見逃さなかった。それでも、
「そうね…。今夜はアボガドで済ませようと思ってたんだけど、パスタも食べた方がバランスも取れて良さそうね!ありがとう!」
と気遣いの言葉をかけてくれた。そう、ララはとても優しいのだ。
「もう少し経ってから夕食を食べる。」というララがダイニングを出て行くと、一人でパスタを食べた。量と見た目はともかく、味は悪くなかった。夕食を終えて寝室に戻ると、ほとんどの巡礼が明日に備えてベッドで横になっていた。すっかり仲良くなった隣のベッドのオンニ達に「おやすみ!」というと寝袋に包まった。
”国同士も、ヨーグルトやパスタを分け合うように仲良くできたらいいのにな”そんな風に思う。僕の赤い悪魔のようなパスタで友好関係が築けるかどうかは、また別の話だけれど。
本日のアルベルゲ
R.P Rio Arga Ibaia (情報は2023年2月時点のものです)
+34 680 104 471 , +34 948 30 42 43
http://www.alberguerioarga.blogspot.com
hrioarga@gmail.com
Open all year 10時〜22時
・15€(朝食込み)
・ベッド 12床
・シャワー
・洗濯機
・キッチン
・Wi-Fi
・インターネット
・自転車駐輪スペース
本日の支出 (1€=125円)
・宿代(R.P Rio Arga ibaia) 15€
・食材 2.88€
合計 17.88€(2,235円)
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