Vetralla → Monterosi
一度、5時30分に目が覚めたが、気づけば二度寝していた。
7時にベッドから起き上がると、早速支度を始めた。窓辺に干していた洗濯物はまだ濡れている。干し始めた時間が遅かったのが原因だろう。
7時45分に宿を出発。先に宿を出発していたホセが、宿を出てすぐのところにある橋の上で待ってくれていた。彼はそこで僕に、ヴィア・フランチジェナを歩く上で役立つアプリと、ウェブサイトを教えてくれた。
ホセは昨夜だいぶ飲んでいた様子だったが、今朝は7時過ぎには支度をほぼ済ませていた。オンとオフの切り替えが早い。さすがに巡礼歴が違う、といったところだろうか。「楽しむべきところは大いに楽しむが、やるべきことはきちんとやる」フランス人の道を歩いた時に見かけた特に欧米の中年男性達は、ここのメリハリができている人が多かった。
2人で近くのバールへ行き朝食を食べることにした。チョコラテとカップッチーノ。どちらもシンプルだけど美味しい。数日でイタリアのバールでの朝食にも慣れてきて、食べて温まるにつれて歩き始める意欲が湧いてくるようだった。

朝食を食べながら、ローマにいる親友パスクワーレと連絡を取り、昨夜の宿のイケメン主人デイビッドから届いていたメッセージを読んだ。
店主のおじさんはとても気さくな人で、僕らに本場イタリアンバールの美味しいカップッチーノの作り方と、コーヒーを作る時に大切なことを教えてくれた。
それはいたってシンプルだった。抽出する前は毎回フラッシング(抽出口の洗浄)をすることと、古いコーヒーの粉をバスケット(エスプレッソの粉を詰めるところ)から取り除くことらしい。要するに、古いものを取り除いてマシンを常に清潔に保つということみたいだ。
お会計の時に、僕にあいにく小銭の持ち合わせがなく、大きい札しかなくて困っていると、ホセが「俺が出す」とスッと言って出してくれた。それにバールの気のいい店主もまけてくれた。準備不足ですみません。
バールで手早く朝食を食べると、僕らは店を出て歩き始めた。しばらく2人で歩いていたのだが、ホセが少し気まずそうに、だが決断したという感じでこう切り出した。
「ヒロ、すまない。今から言うことで気を悪くしないでくれ。」
「私にとって巡礼は1人で歩くもの。1人静かに熟考するための大切な時間なんだ。だから、歩く時は1人になりたいんだ。夜は話は別だ!同じ宿に泊まろうと、ご飯を共にしようと大歓迎さ。ただ歩く時は1人になりたいんだ。わかってくれ。」ホセはそう言った。
彼からそう言われた時、僕は正直ホッとした。なぜなら、僕も彼と全く同じ考え方の人間だったからだ。
もちろん、前回ル・ピュイの道をずっと一緒に歩いてくれたマイケルや、今回ローマで再会する予定の親友パスクワーレ、その他これまでの巡礼中に出会った数人の友人は別として、基本的には僕も歩く時は1人でいたい人間だった。
ということで、今日の互いの巡礼の無事を祈り、僕とホセは別々に歩き始めた。ま、すぐにどこかで会うことになるのだから特段悲しむ必要もない。
すぐに通りがかった教会に入って祈りを捧げた。朝1日を始める時、夜眠る前、日中何か報告したいことがあった時、ホセが逐一奥さんに電話するように、僕も神とそのような繋がりを持ちたい。ふとそんなことを考えた。そのことにまめであれば、道を踏み外すことも少なくなるだろうか。
9時頃お腹が痛くなってきたので、もう一軒カフェに寄ってエスプレッソを飲んでトイレを借りた。イタリアのエスプレッソはやはり濃い。「このエスプレッソで再度お腹が痛くなるのでは?」とはその時考えなかった。

お兄さんは気さくな人で「トイレを借りたい!」と言うと、「トイレは「バニョ」じゃない「バッニョ」だよ!と教えてくれた。スペイン語ではバニョだったが、イタリア語ではバッニョと言うらしい。違って当然か。
食料を調達するために町中のeuso spinで買い物して結局町を出たのが9時30分。少し遅くなってしまった。
euso spinの店の出口でイタリア人のマダムに「コレアーノ(韓国人)?」と尋ねられた。「日本人だよ!」と答えたら「あら、そう…。」と期待外れだったような反応をされた。韓国人だったら何だったのだろう…。昨日はまた違うマダムから「チャイニーズ(中国人)?」と尋ねられた。「日本人だよ。」と答えたら、やはりガッカリしていた。一体なんなんだ。もう何でもいいや。
でも少なくとも、興味を持って話しかけてくれてありがとう。やっぱり現地の人と話せることは内容がどうであれ、いつだって貴重な体験である。

「美しい暮らし」。ヴィアを歩き始めてからずっとそのことを考え続けていた。イタリア人達が作る「暮らしの中の美しさ」を見ながら歩いていくうちにそうなっていったのだと思う。
イタリアだって、もちろん全てが美しいわけではない。それに日本には日本の美しさがある。けれど、イタリアには日本とはまた違った美しさがあった。そのエッセンスは日本での暮らしをより良いものにしてくれるように思えた。
「その日1日を、どう美しく飾りたて、愛でて、祝福し、楽しく、なるべく機嫌よく生きるか」その秘訣を彼らは遺伝的に知っているようだった。
時間はそんなに経っていないが、結構歩いたような気がする。少し疲れたので、電車の遮断機のそばのバールで一休みすることにした。
カフェを注文。どのバールでも美味しいエスプレッソを飲ませてもらったが、見ていると作り方はシンプルなようだった。このお店のお姉さんも全然難しいことをしている様子もなかった。ただ、カンカン!とゴミ箱に古い粉を捨てて、バスケットを拭いて新しい粉を詰め、それをマシンに装着してボタンを押すだけ。後はエスプレッソがカップに定量出るから、抽出が終わったらカップを皿に乗せてスプーンと砂糖を添えて「プレーゴ(どうぞ)!」それだけ。自分にもできそうな気がしてきた。わからんけど。

テラスでエスプレッソを飲みながら、イタリアンバール周辺での「イタリア人の日常」の一幕を垣間見ることは非常に興味深かった。
イタリアの男達(仕事中らしき)は車でバールに乗りつけて、カウンターでビールをジョッキで頼むと、テラスでそれをグビっと飲み、タバコに火をつけて休憩を始めた。こんなワイルドな光景はなかなか日本では見られないだろう。
良いか悪いか別の話として、そんな風にリラックスしているイタリア人を見ていると、何だか自分もリラックスできる。
皆リラックスして肩の力を抜いて生きているように見えた。彼らはその”力の抜き方”を自然的に身につけているみたいだ。とても自然だった。そうだ。皆自然体で生きている。これでいいんだ。そう思えた。
念を押すと、仕事中にビールを飲んでタバコを吸えばいい、と言っているわけではない。

休憩を終えて歩き始めると、しばらくして巡礼路は森の中へと続いていた。そこは地元の人のハイキングコースにもなっているようだった。その森の中でウォーキング中のイタリア人に話しかけられた。

詳しくはわからなかったが話からするに、彼は僕が普段話せるような人ではない、大企業の偉い人だった。なのにこんなにスポーティでカジュアルでフレンドリー、好奇心も旺盛。
イタリアでは自転車に乗っている人を多く見た。ウォーキングしている人も多い。その人を何人も見ていて、実際にこうやって話したりできた人も何人かいた。そんな少ないデータの中からではあるが、僕の印象としては、実は仕事バリバリの人とか、裕福そうな人、明るくて素敵な人ほど運動に熱心なような印象があった。運動していなくてもそういう人は大勢いるとは思うが、一種の傾向はあると思う。
「日本に帰ったら、僕も自転車かウォーキングを始めよう。」そう密かに決意した。別に密かでなくともいいとは思うが。
午前中は、なぜかずっと心に怒りの感情が渦巻いていた。とにかく怒っていた。日本の暮らしの中で僕を取り巻く人間関係について怒っていた。朝からカフェインを過剰摂取したからかもしれない。数時間で気づけばエスプレッソを3杯も飲んでいる。気持ちをどれだけ切り替えようとしてもダメだった。もう気分が悪くなるほどに、怒りが心のなかで絶え間なく燃えていた。
だが、正午頃になり、ベンチでバナナとボガディージョとクッキーを食べて水を飲んで、30分休んだ後は気持ちもクリアになっていた。爽やかな天気と心地よい風も助けてくれたのだろう。ようやく解放された。

心が正常運転してくれる有り難さ、心地よさ、安心感を覚えた。
食べた昼食の栄養バランスはめちゃくちゃかもしれないが、心が整った感じがあった。食事、あるいは休憩には、「心を調整する」という大切な機能があるのかもしれない。
本当は、「食べる」ことをどう取り扱うかは、とても大切なことなのかもしれない。
昼歩き始めてからは、心から怒りは消え去り、また美しい暮らしについて考えられるようになった。今、自分がイタリアを歩けることの幸せを感じることができた。

カプラニカ到着。町中の食料品店で水を買って店を出ると、近くのベンチでビールを飲んで上機嫌なホセを見つけた。彼は今日この町に泊まるらしい。ベンチでビール片手に寛いでいる彼はとても幸せそうだった。僕らはベンチでしばらくおしゃべりをした。

彼は今回の巡礼で一日最長47キロ歩いた日があったらしい。自分も一度経験があるが、ヴィア・フランチジェナのスイスに近い山の中の巡礼路は過酷だ。道は分かりずらいし、そこまで整備されていない。しかもアップダウンが激しい。それを1日で47キロはすごい。
「ホセのように57歳で山道を47キロ歩く」これは自分が到達したい新たな人生の目標値になった。ホセは僕らが出会って短い時間で本当にたくさんインスピレーションをくれた。
彼は、「私はただ歩くのが好きなんだよ。」と言って微笑んだ。本当に強い人がだけが持てる余裕が、その言葉の響きから感じられた。その後に、
「ちょっと早いけど、この町が気に入ったから今日はここでゆっくりする。なに、明日の行程が多少長くなろうと、朝少しだけ早く出発して、少し長く歩けばいいだけさ。30キロなんて僕にとっては何でもないからね。」と涼しげに言った。
きっと彼の語らなかった言葉の続きは「これまで通ってきたものに比べたら…。」というものだったかもしれない。そこには、自分の能力に対する事実を淡々と述べるかのような自信があった。
落とされて、追い込まれて、あるいは自ら追い込んで”自分の限界”というバーをこれまでに何度も押し挙げてきた、あるいは押し挙げられてきた人間だけが放つ、一種の深い自己信頼の響きがあった。
「食べる?」と、ホセがつまみにしていたアーモンドを分けてくれた。「そうか、これが君の歩くためのエナジーなんだね!」というと、「いや違う、これだよ、これ!」と言ってハイネケンの大瓶を掲げて屈託なく笑った。飾らずにかっこいいのは、本当にかっこいいのだ。
僕はまだ先まで歩くことを伝えてホセと別れた。歩きやめるのは僕にはまだ早い気がしたからだ。

だがしばらくして、「今日はカパルニカに泊まればよかったかな…」と後悔し始めた。なぜなら歩けど歩けど、次の町に辿り着かなかったのだ。
アプリで確認済みの、”辿り着くはずの町”もなぜか、いつの間にか通り過ぎてしまっていた。疲れてもいたし、どんどん日も暮れてきた。
不安と絶望が心に湧き始め、町や村が見えて「やっと見えた!」と喜んだ次の瞬間、巡礼路は僕を安逸から遠ざけるようにそこから逸れて、また僕は巡礼路を1人トボトボと歩き続けることになった。その期待と絶望のジェットコースターを何度も何度も繰り返した。

ほとんどの時間をネガティブな気持ちで歩いていたが、ふと、「何はともあれ、今自分がイタリアにいて、大好きなカミーノを歩けていることは、何がどうなっても感謝すべき最高のことじゃない?」「今この瞬間に起きている、こんな危機的な状況も、日常では願っても味わえない貴重な体験だよ。良い思い出になる!」そう思えた時、全てが変わり始めた。
この時間、この場所を静けさと光の中で歩ける幸せを感じた。優しい風が吹いた。道と一つになった。自分が帰ってきた感じがした。歩き方が変わった。心に穏やかさが生まれた。
そこからは「期待も失望もせず、ただ歩こう」と思えた。僕は「今イタリアを歩けている幸せ」をすっかり忘れていた。
そうして歩いているうちにふと思った。「あ、限界ってないんだ」ということに。カパルニカを出てから何度も「もうだめだ、無理、限界。」と嘆いて立ち止まり、そして黙ってまた歩き始める。それを何度も繰り返した。その度にそれまでの自分の「限界」を超えていた。

14時30分にホセと別れてから、「今日はここまでだ。もうここで休みたい」という僕の気持ちとは裏腹に、道は僕を先へ先へと連れて行き、結局その日最終的に宿に辿り着くまで、そこから5時30分も歩いていた。
町が現れて、期待は裏切られて「これ何度目だ…。」と絶望する瞬間が何度もやって来て、道はやはり止まることを許してくれないようだった。半分壊れた僕は、夕闇迫る誰もいないオリーブ園の中を、1人で泣き笑いながら歩いた。

最後はもう希望も期待もなく歩いた。町らしきものが見えては、やはり道は町に着く直前でそこを避けるように別の方へと曲がり続けた。そのことに感情もあまり反応しなくなってきた。
イタリアの男達は外で機械に乗り、畑でか庭でかは知らないが、19時半頃でもガンガン働いていた。その働き者の男達の存在は、誰もいない巡礼路を1人孤独に歩く僕を、寂しさから救ってくれた。
大丈夫。まだ日は沈んでいないし、歩くべき道はかろうじて見えている。夕日の温かさも「諦めないで」と、僕を静かに勇気づけてくれているようだった。


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