ヴィア・フランチジェナ ローマ巡礼2日目 – ①

サンティアゴ巡礼記

Viterbo → Vetralla

5時30分起床。

 まずは、今自分がここにこうしていられることに感謝。またカミーノを歩けるなんて、なんという幸運だろう。

 実は昨日、日本からイタリアまでの、長い乗り継ぎ時間を含む長距離の移動によって体調が悪かった。けれど、一晩ヴィテルボで過ごしたらいつの間にか体調が良くなっていた。イタリア人とイタリア料理が僕を癒してくれたのだろうか。不思議な回復の仕方だった。

何はともあれ、まずは朝食とコーヒーで心と身体の支度をする。

 あと数日もしたら親友パスクワーレに会える。それは何と素敵なことだろう。彼に会うのは4年ぶりぐらいになる。朝からそんなことを考えてウキウキしていた。

 7時35分、ヴィア・ブランチジェナを歩き始めた。人生でまたこの道を歩ける日が来るなんて思いもしなかった。前回途中で歩くことを断念した時には、巡礼どころか僕の人生ももう終わりだと思っていたのだから。

人生2度目のヴィア・フランチジェナが始まる。

 まずは近くの教会でお祈りした。シスター達は最初僕を見て怪訝な顔をしていた。だが、気にせず椅子に座り、感謝して静かに祈りを捧げた。教会を出るととても清々しい気持ちになっていた。これは良い1日を始めるための、最高の儀式になると感じた。教会は近所にないけれど、帰ったらこれを毎朝の習慣にしたいぐらいだ。

 幸先の良いスタートを切った僕だったが、町を出る前にいきなり迷った。どうやら逆走していたらしい、ウロウロしてしまったが、無事に正規のルートを見つけて、正しい方向へ歩き出せた。

このサインを見つけた時の安心感。すごくホッとした。

 ようやく歩き出せたかと思えば、今度は大きな道を渡らないといけない場所で終わりなき渋滞に足止めを喰らう。朝の通勤ラッシュの車が目の前をビュンビュン走っていてなかなか渡れない。イタリア人も渡らせてくれない。僕も必死だが、彼らも必死なのだ。

隙を見つけてようやく道を渡ると、ちゃんと歩き出したのは8時。すごく安心した。町の忙しなさから遠ざかるにつれて心も落ち着き、巡礼路を歩いている実感もそれに伴って湧いてきた。

町の喧騒を離れて、ようやく巡礼が始まった気がする。

 ここにもやはり多くの鳩がいた。ふと鳩が僕をイタリアへ導いてくれていたような気がした。ここへ来る直前、本当にイタリアへ行くべきかどうか迷っていた時、日本でやたらと鳩ばかり見るようになっていた。日本に、というかうちの近所にこんなに鳩が群れでいるの?というぐらい鳩だらけになっていた。僕の背中を押してくれていたのかもしれない。

それにしても、しっかりサインを見て、正しい道を歩いていると確認しながら歩けるこの安心感。迷いを抜け出せた爽快感。カミーノを歩くことの喜びがここにある。

歩きながら、すれ違う車のドライバーに笑顔で挨拶した。

道沿いの農場で作業中の馬主のおじさんにも「ボンジョールノ!」と声をかけた。

 もう喜びで心は全開だ。カミーノを歩いているとき、僕の歩きが普段よりも力強く、アップテンポになっているのを感じる。イタリアに来れて本当に良かった。

イタリアの空は突き抜けるように高くて青い。

巡礼路沿いの景色は自然も建物もどれも美しかった。

 僕の暮らしもイタリアの人々の暮らしのように美しくしたい。歩きながらそんなことを考えることが多かった。

 道の左側には車がバンバン走る道路、右手には広大なケールかキャベツの畑。8台のトラクターと約40人の人で収穫作業をしている。周りには牧草畑。皆忙しそうだ。

野菜畑は今が収穫期らしい。これは何の野菜だろう。地平線まで続いている。

 歩いていると、途中小さなテーブルとベンチが巡礼のために設置されていた。その周りには木も植えられていて、小さな涼しい木陰を作っている。しばらく歩き通しだったので、木陰とベンチの何て有難いことだろう。

 周りはしっかり掃除と手入れもされていて、地図も建てられている。そこは小高い場所にあったので眺めも良い。最高の休憩所だった。イタリア人の思いやりに感謝。あなた方の優しい心に感謝します。

素敵なベンチで一休み。このような場所がどれだけありがたいことか。

 僕もこういう素敵なベンチと木陰を色んな場所に作りたい。そして疲れてお腹を空かせた巡礼達をそこで休ませてあげたい。僕は今回、何故かして「あげたい側」で考えることが多かった。何故だろう。こんな気持ちになったのは、今回が初めてかもしれない。これまでそんなこと考えもしなかったのに。

11時になるとベンチを立って再出発。

朝はずっとオリーブ園に囲まれた道を歩いた。鳥達のさえずりに心が和む。

カラッと晴れたイタリアの空の下を歩く。日は高く、先はまだ長そうだ。
人懐っこいロバ。孤独な巡礼の話し相手になってくれた。

オリーブ園ではイタリアのたくましい男達がバリバリ働いていた。

 耕運機で畑を耕したり、枝を剪定したり、農村部ではイタリア人も日本人と同じような素朴な暮らしをしている。木と木の間はしっかり4メートルほど取られていて、その間を草刈機を装着したトラクターが走り回って草を刈っていた。

整然と並んだオリーブの木。ものすごくたくさんの実がなりそうだ。

 また歩くと、途中に飲料水が出る水道とゴミ箱とベンチがあった。有難い。巡礼、あるいは散歩する人への思いやりが感じられる。

水をいただく。
ベンチで休ませてもらう。

 ある村の家の門の前に、スタンプとベンチがあり、感想ノートが置かれていた。何が書かれているか覗いてみると、世界中からやってきた巡礼達がそれぞれメッセージを残していた。ドイツ、イギリス、デンマーク。日付を見ると、ここ最近も世界中から人々が巡礼に来ているらしかった。やっぱり海外の人達はあちこち旅している。そんな印象を抱いた。

スタンプと共に置かれていた感想ノート。

 Vetralla到着。結構大きい町だ。入ってすぐの信号機のある交差点のアリメンタリ(alimentari)でバナナを買って、目ぼしいアルベルゲの場所を尋ねた。

Vetralla到着。
Vetralla手前にあった壁画。巡礼のことを描いているのだろうか。

alimentariとはイタリアの食料品店のようなもので、コンビニみたいにあちこちにある。巡礼にとってはとてもありがたい存在だ。

 宿の2箇所あるうちの1箇所はお店の人も場所がわからず、もう1箇所は坂を登って3キロ歩けばあるらしいと教えてくれた。まずはそこを目指すことにした。店の前に伸びる坂道をひたすら登る。

 坂の途中で疲れてしまった僕は、丁度近くにあったバールで一休みすることにした。店の中も外も真っ白なおしゃれなカフェバールで、高身長美人モデル風スタッフが4人働いていた。ここはなんだ。天国か?坂を上りすぎて天国まで来てしまったのか?

 大きなバックパックを背負った汗と埃まみれのアジア人の僕は、まずはスタイリッシュな彼女達に嘲笑されたように感じた。中国人って言われた気がする。が、それも悪くない。

 でも彼女らはとても良い人達で。尋ねたらアルベルゲの場所も丁寧に教えてくれたし、5キロも歩かなきゃだよ?って気にかけてくれた。一杯引っかけに来たらしい、ちょい悪ダンディなイタリア人おじさんも親切に細かく宿の場所を教えてくれた。イタリア人最高。

 イタリアの午後の柔らかい日差しを浴びて、コーヒーを飲みながら外のテラスでゆっくり寛いでいると、今自分が、異国の香りに包まれて、ここがどこかわからず、自由で、孤独で、自分が旅の途中にいるのだという強い感覚があった。生きている。その実感。

昼下がりのバールのテラス。ただ、光と風と人の笑い声だけがあった。

 美人店員2人も休憩中らしく、外のテラスでタバコをくわえながらスクラッチをしている。気だるい南欧の昼下がりのバールのテラス。

 仕事中の男達がたまに息抜きにやってきては去っていく。男と女が明るく愉しげに冗談を交わして別れる。

 作業員の男が乗ってきた車に、仕事帰りの美人店員が乗り込みプップってクラクションを鳴らしてヴォナジョルナータ!(じゃあね!)と言い笑い転げる。男もヴォナジョルナータ!と答えて笑う。軽くて明るい冗談のやり取り。

車に乗っている男達が口笛をピューッと鳴らして挨拶をしていく。イタリアの昼下がり。

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