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【サンティアゴ巡礼】- ルピュイの道 – 2日目-3

サンティアゴ巡礼記

12月19日 Le Puy-en-Velay → Saint-Privat-d’Allier

 マイケルは今夜泊まるジットをすでに予約しているらしく、親切にも僕の分のベッドも確保してくれるように、オーナーのフランス人女性に連絡してくれた。ありがたい。感謝すると同時に、「このまま流れに身を任せてしまっても良いのだろうか…」と不安な気持ちもなくはなかったが、「なるようになる」そう思ってお願いした。

 ルピュイを出発して、初日だけでもいくつかの村を通過した。その中でまず感じたことが、「人がいない」ということだ。どの村にも家があり、家畜がいて、それなりに生活感があるのだが、村人を見かけることは滅多になかった。

スペイン国内では黄色の矢印が巡礼路を教えてくれるが、フランスではこの赤白の印がそれにあたる。

 それはとても奇妙だった。廃村でもなさそうなのに人がいない。その代わり、犬だけはどこの村にも複数匹は必ずいて、僕らは吠え立てられるか食べ物をせがまれた。それをこれまで嫌というほど味わってきたマイケルは「想像してみてくれ、毎日一人で歩いていて、日に何度もこうやって犬に吠えたてられるんだよ。うんざりするよ。」とこぼしていた。そして犬に吠えられるたびに「Crazy dog .」と言っていた。

 13時頃、通りがかった村のベンチで昼食休憩をすることにした。本当なら、どこか気の利いたカフェにでも入ってエスプレッソでも飲みながら何か食べよう!とマイケルと話していたのだが、8時半にルピュイを出発してここまで4時間半歩いてきたが、一軒もカフェを見つけることができなかった。それらしきものがあってもそれらは全て閉まっていた。

 マイケル曰く「道端に出ている看板を信用しない方が良い。それらのジットやカフェの90%以上はこの時期閉まっていて、期待して行ってみると落胆することになる。」ということだった。フランスにやってくる前に読んだ何かの記事には、フランスはカフェ文化が盛んで、至る所にカフェがある。というようなことが書かれていたので、きっとカフェには困らないだろうとたかを括ってきた。だがどうやら何かに書かれているものと実際に来て歩いて見て回ることの間には大きなギャップがあるらしい。少なくとも冬のカミーノにおいては。

休憩したベンチのそばにあった標識たち。EAU POTABLEは「飲料用水」という意味らしい。

 昼食休憩と言っても、僕は食べ物を何も持っていなかったので、水を飲んでベンチに座っていた。マイケルはバックパックの中に大量の食料をストックしていて、パンやらチーズやらクッキーやらを色々出して食べ始めた。「何か食べる?」と言ってくれたが、朝もパンとクッキーを分けてもらっていたので、なんだか申し訳なくて遠慮した。

 僕らがベンチに座って休んでいると、近くの道路に寝そべっていた二匹の犬のうち一匹が近づいてきて、僕らの目の前にちょこんと行儀よく座った。そして食べ物をせがむように愛くるしい瞳で上目遣いに見つめてきた。だが、僕にはあげられるものがなく、マイケルは人には優しいが動物には厳しくて「君にあげられるものは何もないよ!」と言ってあしらっていた。

「これは教会ではなく、チャペルだよ」とマイケルが教えてくれた。教会は主に礼拝と儀式のための建物で、チャペルは結婚式などの儀式にも用いられる特徴がある。教会所有の敷地以外の場所に建てられる礼拝堂でもあるらしい。

 マイケルは立って食事をしていて、座ろうとしない。その理由を尋ねると「座ると身体が冷えるから」だと教えてくれた。マイケルは食事休憩をする時、いろいろな食べ物をサッと広げて、立って食べ、動物には厳しく、時間をかけずに再出発。というパターンを繰り返していた。測っているようには見えなかったが、毎回決まって20分ぐらいだったと思う。

 多分それは彼のこれまでの旅の経験からきたものだと思われた。目的地に暗くならないうちに無事に辿り着くための経験則からきた習慣だったのではないかと思う。以前、目的地への到着が遅くなり危ない目にあった、という話をマイケルから聞かせてもらったことがある。

 今回も短い休憩を終えると出発。村の中の放牧地では牛達が気持ち良さそうに寝そべっていた。天気も良いし、昼寝には最高だろう。「フランスは人よりも牛の方が多いのか?」というような冗談を言いつつ、村から村へとまた歩き継いだ。歩きながらマイケルがキリスト教における三位一体についてや、ルピュイの黒い聖母について教えてくれたが、僕にはどの話もピンと来なかった。

人はいないが牛はいる。どうなっているんだ。ともかく牛は気持ちよさそうだ。

 僕は全てを投げ出して歩きたくなるほどカミーノに惹かれるのだが、歴史や文化やその他知識に関してはいつも何も持ち合わせていなかった。それらの事柄に関して全く興味が持てないのだ。

 少し日が傾き始めて、巡礼路が上り坂の多い山道になると、それまで絶え間なく喋っていた僕らも次第に口数が少なくなっていった。ついには「はぁはぁ」と息を切らして無言で歩いていた。そうこうしていると、本日の目的地Saint-Privat-d’Allierに到着。ここまではたくさんの村を通り抜けてきたが、ここはもう少し大きくて町のような場所だった。

 町の入り口にかかる橋を渡り、中へと進む。敷かれた石畳の道を歩きながら、今日マイケルが予約してくれた宿の位置をマイケルがスマホで確認。そこで宿へ向かう前に教会を見ていこうということになった。

 教会は町の中心近くにあり、宿は町の端の方にあるらしかった。建ち並んだ家々の間を登るようにして歩いていると、とある納屋の前で、二人のイカついフランス人のおじさん達が作業をしていた。僕らが「ボンジュー!」と挨拶をして通り過ぎようとすると、一人のスキンヘッドのおじさんが僕らにフランス語でなにやら捲し立ててきた。

 彼らは山のように積み上げられた薪を納屋へと運んでいる最中で、どうやら僕らに「手伝っていけ!」と言っているらしかった。僕もマイケルも最初は「冗談だろ?」と思って真剣に取り合わず、そのままやり過ごそうとしたのだが、どうやらスキンヘッドのおじさんは真剣らしく、何度もまくし立てて来た。「しょうがないな。」と僕らは顔を見合わせて手伝うことにした。しぶしぶという気持ちもあったが、(僕は)半分は「面白いことになったぞ!」というワクワクした気持ちでもいた。

 納屋の外に山積みにされた薪を大人四人でせっせと中へ運び込む。1人づつ抱えられるだけ抱えて運んでいたが、途中からリレーにやり方を変えて、薪を中継してどんどん運ぶ。そこへスキンヘッドのおじさんの奥さんと娘さんも現れた。奥さんは僕とマイケルに手袋を貸してくれた。スキンヘッドのおじさんジョシュエルは僕らに絶えず「働けー!運ベー!」と冗談めかして煽ってくる。もう一人のおじさんトニは静かな人で、それを笑っていた。

 僕とマイケルは苦笑いしながら額に汗して働いた。運んでも運んでも全然減っているように見えなかった薪の山にもついに終わりが見えてきて、誰もが喋る余裕すらなくなった頃にようやく終わった。結構良い汗をかいた。最初は渋々だったとはいえ、一旦取り掛かると集中していた。作業が終わると、皆「フーッ」と息をついて達成感に浸っていた。そこにジョシュエルの奥さんがやってきて、フランスのものらしい瓶ビールを僕ら四人に手渡した。

 僕は4年半前にお酒をやめていた。それからは、どれだけ場の空気が気まずくなろうと、いついかなる場面でもお酒は断り続けてきた。だが、その時はなぜか「ああ、このまま流れに身を任せてみるのもいいな。」と思い、渡されたビールをグビっと飲んだ。何せ4年半ぶりだったので、とても不味く感じるのではないかと心配したが、その飲み口の軽いフランスビールはとてもおいしかった。皆で良い汗を流した後だからというのもあったかもしれない。

 この旅はただ「ルピュイの道を歩いてみたい」その気持ちだけできたようなもので、何の計画も立てず、ろくな準備もしてこなかった。いわば、「そこに何かあると信じて、海に身を投げる」ような「向こう岸に辿り着けると信じて濁流に飛び込む」ような旅だ。「流れに身を任せる旅」最初からそう決めていたわけではないが、今自分はそういう旅をしているのだと感じた。だから僕は、ビールをグビっと飲んで「プハァー!」となることにしたのだ。

 納屋の道向かいには、町の下に広がる谷を見渡せる広場があり、僕ら四人は夕方の涼しい風に吹かれながら火照った身体を冷ましつつ、ビールの瓶を片手に一休みした。人生を信じて身を投げる。何か大きなものに身を委ねる。ただ運ばれるままにする。それは勇気がいるが、とても爽快なことだった。

 そうして休んでいると、ジョシュエルが今度は「俺の家を見せてやるから来い!」と言って歩き出した。僕とマイケルはまた新たな展開に戸惑いながらもバックパックを担いて彼の後についていった。彼の家は先ほど作業をした納屋の道向かいにありすぐに到着した。

 僕はまず彼の家の大きさに驚いた。3回建てで20メートルほどの長さがあり、見た目も歴史を感じさせる石造りの建物だった。何でも、一昔前まで市民ホールとして使われていたらしい。それをその後ジョシュエル達が買ったらしいのだ。彼は、「素晴らしいだろ?」という感じでとても自慢気だった。

 家の向かいには広場と庭と小屋もあり、そこからは周りの山々を見渡すことができた。その広場から谷へと降りる斜面は動物を飼えそうな草地になっていて、その広場、庭、小屋、草地も「俺のだ。いいだろ?」とジョシュエルはまた自慢気だった。

 だがジョシュエル夫妻はレストランを営んでおり、奥さん曰く「確かに美しい建物だけれど、家にいるのなんて寝る時の3時間ぐらいだわ!」と言って笑っていた。ジョシュエルからは「金があるなら売ってやる!」と言ってもらったが、彼はおそらく手放さないだろう。

 そこへ彼らの飼い犬クリシュナもやって来た。僕らはそこでしばらく談笑していた。すると今度はジョシュエルが「家に上がっていけ!」と言い出した。もうここまで来たらせっかくだしお邪魔させてもらうことにした。

 一階の入り口から入ると、そこはダイニングルームになっており、大きなテーブルがどんと据えられていた。隣はキッチンになっており、ここが彼らの主な生活空間なのかもしれない。バックパックを置き、促されるままにテーブルに着くと家の主人であるジョシュエルが、奥の食料貯蔵部屋からあれこれ色々な種類のお酒を持ってきた。どうやらこれから酒盛りが始まるらしい。奥さんが、モン・サン・ミシェルというお菓子や、その他おつまみを出してくれた。そして僕らはグラスを掲げて乾杯した。

 マイケルが、「日本ではこういう時何と言って乾杯するの?」と聞いて来たので、「カンパーイ!って言うんだよ!」と教えてあげたが、3人ともうまく発音できなかった。僕はジョシュエルが勧めてきたよくわからないお酒に挑戦した。それはリコリスのお酒で、僕の苦手な味でトニとマイケルは危険を感じて敬遠していた。失礼だと分かってはいたが、僕には二口が限界でそれ以上飲めなくなってしまった。

 マイケルが「ちょっと飲ませて!」と言って少し飲むと、「あ、これ僕好きだ!」と気に入ってくれて後を引き受けてくれた。ありがとうマイケル。僕はマイケルが飲んでいたウイスキーを代わりに飲むことにしたのだが、これが甘くて美味しい。調子に乗って飲んでいると、ジョシュエルが次から次に注いでくれた。それを見ていたマイケルが、「おいおい!あんまり彼に飲ませるな!僕はこれから彼を宿まで連れて行かなきゃならないんだ!」と言って僕とジョシュエルをたしなめた。彼はいつもいたって冷静だ。

 その後も酒盛りは続き、ジョシュエルに家の中を案内してもらったりと楽しい時間を過ごした。一通り家の中を案内してもらうと、そろそろ出発することにした。何と楽しい時間だったのだろう。彼らとハグをして別れた。ジョシュエルとハグをすると、彼は僕をそのまま何回も持ち上げたりおろしたりして皆に「ほら見てみろ!」と言ってふざけた。彼はそれを容易にできるだけの大きな人だったし最後まで茶目っけのある人だった。

 トニのハグからは彼の控えめで優しい心が伝わってきた。奥さんはとてもホスピタリティに溢れた人で、彼女の英語力のおかげで僕らはコミュニケーションをとることができたし、楽しい時間を過ごせた。本当にかけがえのない時間だっと思う。

 「メルシーボークー!」彼らにお礼を言って別れた。ジョシュエルは外まで出て見送ってくれた。何と素敵な出会いだったのだろう。マイケルも「クレイジー!」と言って笑っていた。彼の「クレイジー」は時に喜びと興奮を表現する時にも使われる。

 彼がおもむろに10€渡してきた。どうやらジョシュエルが手伝ってくれたお礼にと一人10€ずつくれたらしい。なんて事だ、彼はおどけているようでちゃっかり気配りをしてくれる人だったのだ。助けられたのはどっちかわからない。ジョシュエルの家を出発して道を登るとそこに教会はあった。

ジョシュエル達との楽しい時間のあと、当初見学する予定だった教会に着いた時にはだいぶ日が傾いていた。

 そこでは眩しい夕日が、出会いとお酒で高揚した僕らを照らしていた。僕らはこれから宿へと向かわなければならなかったので、町の中心へ下りて今夜の夕食と日用品を買い込むと宿へと向かった。途中ツーリストオフィスでスタンプをもらったりしながら歩くと、ようやく今夜の宿に到着。

夕焼けに染まる雲。先を急ぎながらも、この景色に見惚れずにはいられない。

 入り口ではジットのオーナードミニクが出迎えてくれた。入ってすぐにダイニングテーブルがあり、そこでお茶をいただいた。マイケルと僕はまずクレデンシャルにスタンプをもらい、マイケルは明日以降の宿のことについてドミニクに相談し始めた。

 宿到着、スタンプ、次の宿の相談というのはマイケルのルーティンのようだった。彼は巡礼の旅、特に言葉が通じない異国において安全にスムーズに旅を続けるための術として、今夜泊まる宿の主人に明日以降の宿について相談して、可能であれば予約をお願いしていた。

 この真冬の時期、ほとんどのカフェや宿は休業していて、行き当たりばったりで探すのは大きなリスクが伴う。だが宿のオーナー同士であれば横のネットワークを持っていて、この時期に空いている宿を知っているかもしれない。さらにフランス語での予約交渉もできれば、さらに大きな困難を一つ回避できる。すごく頭の良い堅実的な方法だ。彼のその知恵のおかげで僕は幸いにも野宿せずに済んだ。

 ドミニクに宿の確保に協力をお願いすると快く引き受けてくれて、僕らは無事に明日以降の宿についても心配する必要がなくなった。ありがたい。だがドミニクには「この時期に開いている宿は多くないわ。こんな時期に歩くなんてあなた達クレイジーね。」と言われた。「クレイジー」は時に無謀な巡礼者に対しても使われるのだ。

 時間はあっという間に過ぎて19時30分から夕食を食べ始めた。夕食といっても、先ほど買ったピザとバゲットとチョコクロワッサンだ。マイケルも似たようなものだった。食後はダイニングテーブルの横に据えられら大きな暖炉の前でまったりと過ごした。

アルベルゲは貸切だった。ホスピタリティ溢れるオスピタレア、清潔で快適、静かな巡礼宿。最高の場所だ。

 そこでマイケルが、「ここからパリへはどうやっていくの?」とドミニクに尋ねてくれた。僕は彼に、自分が5日後にはパリへ行き、日本に戻らなければならないこと、だがその手段がわからないことを伝えていた。彼は優しく気の利く人なのだ。

 するとドミニクが、ブラブラカーというアプリを教えてくれた。ブラブラカーとは、アプリに登録して出発地と目的地、日付などを入力すると、ブラブラカーに登録されているドライバーでその条件を満たす人のリストが表示される。その中のドライバーと交渉をして車に乗せてもらうアプリらしい。皆ドライバーは一般人で、自分の用事でどこかへ向かう際についでに人を乗せて料金ももらうという仕組みらしい。マイケルも「これなかなか冴えたアイデアだよね。」と感心していた。

 同じ区間でもドライバーによって料金が違ったり、ドライバーに対する評価も様々なので選ぶ際の材料もいろいろある。ドミニク自身が僕のためにブラブラカーに登録して手配してくれると申し出てくれたが、何かの問題が起きて何度試してみても登録できなかった。だが何度も登録しようとしてくれただけで十分嬉しかった。彼女に感謝した。あと数日あるし、その間に何とかなるだろうと僕は楽観的な気持ちでいた。

 それにブラブラカーというアプリをしれただけでも大きな収穫だった。なぜなら、僕は何度も言うが(自慢できることではないが)何の計画も立てて来ておらず、ただ歩けるだけカミーノを歩いて帰ろう!帰りは電車でもバスででもパリに帰ればいい、と漠然とした考えだけで来ていた。なので、ドミニクからこの先歩いていけば、バスも電車もないし、タクシーだとかなりの高額になると聞かされて途方に暮れていたのだ。

 彼女は長い時間僕らに付き合ってくれた。彼女自身もキッチンで夕食を作って食べて、僕らに使用した皿は食洗機に入れておくように伝え、明日の朝食時間の確認をして、2階に猫を入れないように注意すると帰って行った。

 僕らは他に巡礼のいない宿で、それぞれシャワーを浴びて寝た。寝袋にくるまったら即眠りに落ちていた。お酒で気だるくなっていたのと、巡礼初日の疲れがあったのかもしれない。夜中寝返りを3度打った、ただそれだけだった。

初日から人と天気に恵まれて最高の1日になった。さあ、明日は何が待っているのだろう。

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