12月19日 Le Puy-en-Velay → Saint-Privat-d’Allier
カテドラルの階段を、次第に明るみ始めたルピュイの町の方へと降りていく。巡礼ルートのスタート地点は町の中心部の広場にあり、まずは丘の上にあるカテドラルから下って行かねばならなかったのだ。

カテドラルの正面入り口からは町を見下ろす美しい景色が見られた。天気も良く、それはカミーノを歩き始めるには最高のコンディンションに思えた。そこで階段のところにいた地元のおじさんに話しかけられた。僕は全くフランス語が話せなかったので、マイケルが何やら彼と話をしていた。彼はフランス語も話せるらしい。
途中マイケルが朝食用のパンを買いたいと言ったのでパン屋に立ち寄った。外で待っていた僕の目の前を通学途中らしい女の子二人がはしゃぎながら通り過ぎていった。そのルピュイの町で日々繰り返されているのでろう日常の景色は、僕を少し幸福な気分にさせてくれた。

8時半頃、今回のカミーノのスタート地点である広場に到着。そこには先ほどカテドラルで教えてもらった通り、若い巡礼者の像が置かれていた。何はともあれ、まずはその像と記念写真を撮った。
マイケルのスマホで彼と若い巡礼の像のツーショットを撮ろうとしたら、手が寒さでガチガチに固まっていて、危うく彼のスマホを落としてしまうところだった。危ない。天気は良かったが、気温は手が固まってしまうほどに低かった。なんせ12月、冬のヨーロッパは本当に寒いのだ…。記念撮影を終えるといざ出発!道路にはブロンズの印が埋め込まれていて、それが巡礼路を指し示す印になっていた。
町中の巡礼路は上り坂になっていて、町の中心部から遠ざかるようにして道を登っていく。人々の通勤通学時間と重なったせいで、車の通りが多く、マイケルと僕はお互いに「Watch out !」とクルマへの注意喚起をしながら歩いた。
町の喧騒が遠ざかり、静かな住宅街を歩き始めると、今度は聖ヤコブの像が立っていた。ここでまた記念撮影。再び坂を登り始めると、先ほど立ち寄ったパン屋の袋からおもむろにクロワッサンを取り出したマイケルが「食べるかい?」と言ってパンを分けてくれた。他人と食べ物を自然と分け合う習慣が身に付いている。とても素敵なことだと思った。

けれど彼の朝食のクロワッサンを丸々一個食べるのは気の毒に思い、「半分こしよう!」と提案すると、今度は彼が持っていた大きなチョコチップクッキーを半分に割って、「じゃあこれも半分あげる!」と言って今度はクッキーもくれた。本当に心の優しい人だ。歩きながら一緒に分け合って食べる朝食は、僕らの距離をぐっと近くしてくれた。2人でモグモグ食べながらぺちゃくちゃ喋りつつ坂を登流。
まずは彼が心を開いてくれたことが大きい。カテドラルでミサに参加した後、マイケルと僕が互いに自己紹介をした際、彼から「少しだけ一緒に歩いて、あとは一人で歩きたければ別れて歩こう。君がそうしたければ、どうだい?」と提案してくれていた。全てを流れに任せることに決めていた僕は、二つ返事で承諾した。
別れようと思えばいつでもそうすることはできた。だけど、彼がパンとチョコチップクッキーを分けてくれた時から、僕が彼と別れて一人で歩こうなんて思うことはなかった。僕らはそこで何かの契りを結んだのかもしれない。後になって気づくことだが、彼こそが僕の今回のカミーノの目的だったのではないかと思うようになった。

ルピュイの町を出るあたりで、ようやく上り坂が終わり、道は平らになった。そして目の前には牧草畑が広がっていた。そこで草をはむ動物達が、まだやや緊張気味だった僕の気持ちを和ませてくれた。今日は雲一つない快晴で、空は高く青く、そこには飛行機が残す白い雲の筋だけが描かれたままになっていた。

僕らは歩きながらお互いのことをとめどなく喋っていた。出身地のこと、家族のこと、カミーノを歩き始めた経緯について。僕自身のことについては語れることがあまりなかったが、彼は色々なことを考えていて、かつその若さで経験も豊富だったので、話を聞いていて飽きなかった。どの話も面白かった、彼の深い洞察力がそこにはあって学ぶことが本当に多かった。
僕が彼の話を聞きたい一方で、彼もまた誰かと喋ることに飢えているようでもあった。それもそのはず、彼は11月にドイツの自宅をスタートしてからここまで1,100㎞以上をほぼ一人で歩いてきたのだ。インターネットを使って、いつでもどこでも誰とでも繋がれる時代とはいえ、歩いている間は一人だし、食事も身の回りのことも全て一人でしなければならない。どんな困難に遭遇してもそれを自分の力で解決しなければならない。そこには当然孤独な時間があったに違いない。なので聴くことに飢えた僕と、話すことに飢えた彼は互いにとってよき道連れのように思えた。
彼はまた若く有能で人格者であるだけでなく、神学を学んでいた信仰の厚い敬虔なクリスチャンであり、彼が教えてくれる神とイエスと聖書の話は、その一言一句残らず全て大変興味深く、滋養に満ちていた。僕の精神の乾きを潤してくれるかのようでもあった。その全てが僕の求めていたものであり、大袈裟かもしれないが、まさに神の啓示のようだった。彼は最高の友人であるだけでなく、僕にとっては教師であり先導者だった。

彼の両親こそそこまで熱心な信仰を持っていなかったが、彼の祖父母が信仰の厚い人達だったらしく、彼は祖父母から強く影響を受けたのだと教えてくれた。互いの自己紹介から、話題は自然とカミーノを歩き始めた経緯に移った。
彼曰く「新しい人生を始める前に一度心の整理をしたかった。」とのことだった。仕事、結婚、今後の人生。これから歩むことになる新しい人生に対して、何かしらの確信を得ること。未来に対しての確信。自分の選択の正しさ。心の整理。若くして管理職にまで昇進した彼だったが、仕事も辞めてきたらしい。神職への興味を持ちながらビジネスの世界で成功してきた彼。全く異なるように見える二つの世界だが、彼に言わせれば「すべては繋がっているよ。」ということらしい。
カミーノを終えてからの展望も聞かせてくれた。旅立つ前に友人からは「なんだ?クォーターライフクライシスか?」と揶揄われたらしい。ミドルライフクライシス(中年の危機)ならぬ青年期の危機という意味らしい。25歳も何かと悩める時期なのだ。自分もそうだった気がする。仕事、家族、結婚、将来のこと。自分はずるずると悩んだまま過ごしていたが、彼はそれらとしっかりと向き合うために旅に出た。
自分との対話が必要であることを知っていたのかもしれない。自分の心と自分の置かれ場所を俯瞰して見ることが必要だと思ったのかもしれない。そしてカミーノを歩くことを思いついた。彼はある人からこう言われたらしい。「カミーノを歩くことは素晴らしいことだ。海外を旅して巡礼をすることはとても良い経験になるだろう。けれど、そこで学んだことを持ち帰って、日常生活の中で活かせないのであれば、何の意味もない。なぜなら、本当の巡礼というのは私達の日常の暮らしの中にあるのだから。」
これはみにつまされる話だと思った。確かにただ、「楽しかった。」「美味しかった。」で終わるのであればその旅は観光ではあっても、巡礼ではないのかもしれない。彼はさらに彼の経験から、「結婚生活、パートナーと二人で生きていくこともまた巡礼のようだよ。それは一時的に何かすればあとは全て上手くいく、というようなものではなくて、1日1日新たに取り組まなければならないことなんだ。」と話してくれた。
その言葉は僕の心に深く響いた。なぜなら、僕にとっての旅や巡礼は、良くも悪くも探究であり、人生に迷い、どうにもならなくなった時に、強烈な引力でも働いているかのように行きたくなる場所だった。それは学校のようでもあった。僕は旅に出て、土地を歩き、人と出会い、一人で考えて、何かを感じて、迷いに対する答えのようなものに巡り合う。あるいは、時に癒され、勇気づけられ、試され、鍛えられ、打ちのめされて、そして復活する。次第にそろそろ日常に戻りたいなという気持ちになり帰国する。
すると日本での生活が全く違って見えるのだ。そんな経験をしたことがあったので、彼の話には共感できた。カミーノは自分を取り戻す場所、そんな気がする。
彼は先ほどの話に続き、「言葉と沈黙」に関して2つ面白い話を聞かせてくれた。どちらも聖書からの引用だったと思う。一つは「他人の生き方を変えたければ、多くの言葉を語るべきではない。まずあなたからそれを生きなければならない。人から『なぜあなたはそのように生きられるのですか?』と尋ねられるように。」というものだった。
二つ目は「沈黙こそが神の言葉である」という話。最初の話に関しては、確かにそうだ。他人を変えようとして、他人に対して何かしらの影響力を持ちたくて色々言う人がいるけれど、「この人のようなりたい!」という憧れ、それ以上に人を変えていくものがあるだろうか。
二つ目の話は神の言葉について。神の言葉は騒々しい物音の中にはなく、全てが止み完全な静寂が訪れた時に、彼の言葉はそこにある。本当に一人になって、何にも邪魔されない時間を持つことはとても大切なのだと思う。マイケルが「カミーノは僕を変えつつある。」と言ったので、「君はほんの10分そこらで僕を変えつつある。」と言うとマイケルは笑っていた。

小高い丘の上の休憩所で一休みした。そこにはベンチと公衆トイレがあった。トイレに行ったり、水分補給をしたりしながら、そこでも色々話をした。彼が今回カミーノを歩き始めるにあたって持参したホタテ貝は、その彼の祖父母がかつてカミーノを歩いた時に実際に使っていたものだと教えてもらった。40年、いやそれ以上の歴史がそのホタテ貝にはあるらしい。まだ見た目は綺麗だったので大切にされてきたのかもしれない。こうして祖父母に続いて孫であるマイケルがカミーノを歩くことも何かの縁なのだと思う。
休憩を終えて再出発すると、彼がまた面白い話を聞かせてくれた。「イエスが幸せに生きるための黄金のルールについて語ったことがある。」黄金のルール!?僕はすぐに食いついた。
「それは次の3つこのとだ。」とマイケルは始めた。「1つ目は、まず神を喜ばせること。2つ目は、次に自分を喜ばせること」「そして3つ目、最後に他人を喜ばせること。」「順番を間違えてはいけないよ。まずは自分を喜ばせて、そうして初めて他人を喜ばせることができるんだ。」「ただ勘違いしてはいけない。自分のために他人を傷つけていいとか、エゴイスティックになれ、とか言いたい訳ではない。」そう彼は言った。
この話は僕にはとても新鮮に聞こえた。なぜなら、今までは「自分のことは二の次にして、自分を犠牲にしても他人のためになることを優先すること」が美徳であるという風潮の中で育ってきたからだ。「自分はどう思うか?」とか「自分はどうしたいか?」ということよりも先に、「周りのことを考えて、どう考えて、どう動くべきか?」という空気感がいつも周りにはあったように思う。自分は結局のところ上手くはできていなかったけれど。ただ改めて彼の言葉を聞いて「そうだよな。」と納得した。
なぜなら「不幸な人は他人を幸せにはできない」ということもまた真理だからだ。自分を犠牲にして、抑えて、押し殺して、その上で人の自由と幸せを心から願うことができるだろうか。逆に自分がこの上なく幸せで、自己実現を成し遂げてきた人は、自然に笑顔に溢れていて、人のことを祝福したり、助けたくなるのではないだろうか。だからこそまず自分が幸せになる必要がある。
飛行機には緊急時に装着するための酸素マスクが座席に用意されている。その使用について説明を受けた時、まず自分のマスクをつけてから他人の補助をする、と教えてもらった。それはエゴでもなんでもない。皆がまず自分自身を助ける。するとそこで自分をうまく助けられない人が絞られる。先に助かった人が焦らず安全に隣の人を助けられる。誰が手こずっているかを瞬時に把握できる。自分の周りの手助けが必要な人にもマスクの付け方、使い方を教えることができる。
早く効率的に皆が助かる。皆が自分より周りの人を助けなければならなくなったら、僕はそれこそ混乱すると思う。遠慮するとかバツが悪いとかそうするべき、とかではなく、みんなが安全に早く助かるためには”まず自分から”始めなければならないのだと思う。本当の自己犠牲とは、まず自分を助け切った人にしかできないのだと思う。それが最初の「神を喜ばせる」ことにもなるのだろうか。
巡礼路を歩きながら、彼との対話は続く。

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