『巡礼前夜〜旅の始まり〜』
5月5日 Bayonne → St . jean-pied-port 0kilo
サン・ジャン・ピエド・ポー到着から5時間が経ったところで友達ができた。食後の散歩を満喫した後、先ほど訪ねたアルベルゲへ戻ってみると、入口には受付待ちをする二人の巡礼がいた。彼らと軽く会釈を交わし、僕もドアの前で日向ぼっこをしながら待つことにした。
すると二人のうちの一人がおもむろに話しかけてきた。
「どこから来たんだい?君をここへ来るバスの中で見たよ。そのバックパックに突っ込んであるサンダルでピンと来た!」
彼の名はヴィトといい、今回が巡礼三度目のスラッと長身のイタリア人で、年は70歳ぐらいに見えた。とても穏やかな人で、話し始めてすぐに緊張も解けた。彼には巡礼経験者が持つ余裕とオーラのようなものを感じた。止むを得ずだったにせよ、バッグパックの外側にサンダルを突っ込んでおいて良かった。
もう一人はドイツ人のマティアスという40代ぐらいの巡礼で、彼の傍らには軽くて速そうな自転車が停められていた。会話に加わったマティアスから話を聞くと、彼はドイツの自宅から車に自転車を積んでサン・ジャン・ピエド・ポーまでやってきたらしい。
マティアスは、ここからサンティアゴ・デ ・コンポステーラまで自転車に乗って全行程を二週間で走破し、再び二週間かけてここへ帰ってくるという彼の計画について教えてくれた。カミーノ全体の距離感が全然つかめていない僕にとって、それはすごく大変なことの様に思えたが、常日頃自転車に乗っている彼にとってそれは可能であり計算済みの距離と日程なのだろう。
14時頃になると、一人の女性が石畳のシタデル通りを歩いて登ってきた。彼女こそがこのアルベルゲのオスピタレアで、ドアの鍵を開けると僕らを中へ招き入れてくれた。
オスピタレア(男性はオスピタレオ)とは巡礼宿の管理人の呼び名のことで、彼女(彼)らは日々巡礼のためにベッドや食事の用意をしてくれる、僕ら巡礼にとってはなくてはならない、とても有り難い存在だ。
アルベルゲの中へと招き入れられた僕ら三人は、それぞれのクレデンシャルにスタンプを押してもらい、二段ベッドが十台ほど置かれた大部屋の寝室に案内された。ドミトリータイプの部屋に泊まるのは生まれて初めてだったのに加えて、これから約一ヶ月の間、上下左右、国も言葉も文化も違う人達と半共同のような生活になる。もう、しのごの言わずに慣れるより他ないのだろう。
荷を解くとすぐにシャワーを浴び、ついでに洗濯もした。宿の中庭にあった物干しロープに、ヴィトから借りた洗濯バサミを使って洗濯物を干すと、中庭で日記をつけた。建物の影に面した中庭は冷たい風が吹いて寒かった。少し日記をつけると寝室へ退散して、ベッドでぬくぬくと休んだ。これがシエスタというものだろうか?
しばらくして、隣のベッドで休んでいたヴィトから夕食に誘われた。そこに散歩から帰ってきたマティアスも加わり、三人で19時を過ぎても昼間の様に明るい町へと繰り出した。
宿を出てシタデル通りを少し歩くと、ヴィトが目星をつけていたレストランに到着した。しかし、なぜかヴィトは店の中に入ろうとはせず、店の前に出された黒板に書かれたメニューをジッーと睨んでいる。黒板には『Menu Peregrino』の文字が書かれていた。
『Menu Peregrino』とは、巡礼路上にあるレストランやバルが、巡礼者に対する善意から安い値段で提供してくれるスペイン風定食のことである。美味しくてボリュームのあるスペイン料理が、大体10ユーロ前後で食べられる。(全てのバルやレストランがやっている訳ではないので注意)
しばらくしてヴィトがおもむろに口を開いた、
「vino(ワイン)がない!」
どうやらこの店の巡礼定食にはワインが含まれていないらしかった。(セットになっているところもあれば、そうでないところもあるらしい)そしてヴィトが
「ワインがないと夕食が食べられない。」
と言い出した。「イタリア人にとってワインとはこれほどまでに大事なものなのか…。」そこで僕は、イタリア人の食に対するこだわりを思い知ることになった。
そのレストランでの夕食を断念した僕らは、巡礼定食(ワイン付き)を出してくれるお店を探して歩くことにした。まだまだ日は明るいし(一体何時になったら暗くなるのだろう)、時間はたっぷりある。何よりヴィトに気持ち良く夕食を食べてもらいたかった。
それから三人で、ワイン付き巡礼定食を出してくれる店を探して歩きながら、あれこれ話をすることになった。僕ら三人の英語力は乏しく、ヴィトに関しては9割9分イタリア語で喋っていた。にも関わらず、不思議とお互いの伝えたいことは全て伝わっていた。相手への関心と思いやりがあれば言葉は障害にはならないのかもしれないと感じた。
それぞれの、カミーノを歩くことになったきっかけの話になると、マティアスが突然着ていた上着をめくり、さらにその下に着ていたTシャツを見せてくれた。Tシャツには笑顔が可愛らしい男の子の写真がプリントされていた。最初はどういうことなのかわからず、僕は
「可愛い子供だね!」
とマティアスに伝えた。すると、
「これは僕の息子だ。一年前に心臓の病気で亡くなったんだ。まだ16歳だった。なぜこんなことになったのか、僕にはわからないんだ。」
彼は目に涙を浮かべながらそう教えてくれた。
僕は驚いて言葉を失い、先ほどの自分の発言を後悔した。どう慰めて良いかもわからず、彼の肩に手を置くことしかできなかった。話を静かに聞いていたヴィトも、
「私も娘を交通事故で亡くしたんだ。」
と教えてくれた。そこで僕は、彼らが内に抱えるものと、僕自身のカミーノに対する気持ちが大きく違うことを知った。
僕にとって、カミーノは夢であり、冒険であり、旅だった。だが一方で、彼らにとってのカミーノは心を癒し、魂を救済するための、祈りのような旅なのかもしれない。
人は決意と共にバッグパックを背負い、それぞれの心が求めて止まぬ理由を携えて、何かに導かれるようにこの道を歩き始める。だが、それぞれの歩く理由に一つとして同じものはない。この出来事によって、僕は巡礼に対する姿勢を正されることになった。その話の後、僕らの距離はもっと近くなった気がした。
しばらく店を探して歩いたが、ワイン付き巡礼定食を出してくれるレストランはついに見つからず、(サン・ジャン・ピエド・ポーのレストランの閉店時間は早く、どこも店仕舞いを始めていたということもある)結局最初にヴィトが黒板を睨みつけたレストランへ舞い戻った。
「巡礼定食とは別でワインを頼めばいいんじゃない?」
というシンプルな解決策を思いついたからだ。
店内では、何組かの巡礼グループが夕食を食べていて、明日のための英気を養っていた。今も昔も、これから未知の旅路へ踏み出そうとする巡礼者にとって、食事はお腹を満たすということ以上に神聖な行為のような気がした。
「明日はピレネーを越える。今夜はワインが必要だ。」
そのヴィトの言葉には経験した者のみが知る重い響きがあり、それは僕を少し緊張させた。
明日からいよいよカミーノが始まる。そして初日にして、フランス人の道における最初の難所”ピレネー越え”が待っている。果たしてどんな出来事が僕らを待ち受けているのだろう。僕ら三人は互いの巡礼の無事を祈って乾杯した。
本日のアルベルゲ
・Albergue Accueil Pelerins(公営)
+33 559 370 509
https://www.aucoeurduchemin.org
8€(素泊まり)
10€(朝食込み)
ベッド 32床
シャワー 3個
洗濯機
ドライヤー
キッチン
インターネット
門限22時
本日かかった費用
・バス代(バイヨンヌ→サン・ジャン)10.10€
・クレデンシャル 2€
・昼食(ハンバーガーセット) 10€
・コーヒー 2€
・夕食(ペレグリーノメニュー)14€
・カッパ30€
合計 78.1€(9,762円)
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