【サンティアゴ巡礼】- ルピュイの道 – 5日目

サンティアゴ巡礼記

Saint-Alban-sur-Limagnole → Nasbinals 26km

 6時20分に目が覚める。この時間のフランスはまだ真夜中のように暗い。

 隣のベッドのマイケルはぐっすりと寝ていた。ベッドから出ると彼を起こしそうだったので、布団の中で静かに日記を書くことにした。

今回の旅で巡礼路を歩くのは、今日が最後になるだろう。

しばらくするとマイケルも起きた。彼は昨晩よく眠れなかったらしく、少しテンションが低い。

8時になると、宿の主人が部屋に朝食を運んできてくれた。

バゲットにクロワッサン、バターにジャムにカットしたオレンジ。ドリンクは2リッターぐらいあるコーヒーだった。

出された食事は水差しの水すら残さない男マイケルでさえも、2リッターのコーヒーを目の前に、

「これを全部飲めって言うのか…?」

とやや圧倒されていた。

何はともあれ、僕らは有り難く食事を満喫すると、支度を済ませて宿を出た。

 今朝も、マイケルが教会の中で聖歌を三曲歌ってくれた。その中の一曲は馴染みのある曲だった。2020年のクリスマス、自分の人生が落ちに落ちていた頃によく聴いていたものだった。

 その頃の、暗い谷底の泥水の上を這うように生きていた自分が、今この瞬間に救われた気がした。

 この巡礼の旅は、祈るように、すがるようにその聖歌を聞いて生きていたあの時から、すでに計画されていたのだと感じ、涙が溢れてきた。

 どんなに辛い経験したとしても、その時に明日が見えなくとも、今日この時のような、全てが報われる瞬間は必ず訪れるのだ。起きたこと全てを癒してくれるような瞬間が。

 マイケルの強く透き通る歌声が教会に響くのを聴きながら、鼻水と涙を流していた。

途中光の中を歩く。「今自分は現実世界にいるのか?」と思えるほど不思議な時間だった。

 今日はそこまでキツくはなかった。もう楽か辛いかではなく、一瞬一瞬を大切に味わうように歩いていたからだろう。だからというわけでもないだろうが、どの景色も絵になるような素晴らしいものばかりだった。

 現実離れしていて、美しくもどこか懐かしい景色の中を歩き、ふわふわとした不思議な感覚に包まれて歩いた。ここが現実なのか、はたまた天国に足を踏み入れてしまったのか、時々わからなくなるほどに。もうファイナルファンタジーの世界だ。

天気が良いと気分も明るい。今日またこの道を歩ける喜び。それは何ものにも変え難い。
どこか懐かしく、胸が締めつけられるような風景だった。たまにある既視感。
次第に曇って、風も強くなってきた。
小高い丘の上にあった謎の輪っかのモニュメント。とりあえず潜ってみるか。
丘の上、枯れ草の上を吹き渡る風。美しい。
平原にポツンと一軒家。そこにはどんな暮らしがあるのだろう。
僕の食糧庫(バックパック)の中身。ホビットのそれのように食べ物をパンパンに詰め込んで歩いている。
次第に天気も回復してきた。

Nasbinalsに到着。

 Nasbinalsに着くとグローサリーストアが二軒あることを確認。マイケルも「グッド!」と嬉しそう。何はともあれ、まずは宿へ向かった。

 ジットの建物自体には人はおらず、ジットを管理しているらしい向かいのカフェバーの扉を開けた。最後の最後にして、ついに僕らはフランスでカフェ(開いている)を見つけたのだ!

 フランスで出会えた”開いているカフェ”に、その店の前に出されていたメニューの看板に、僕らはとても興奮していた。「荷物を降ろしたら、エスプレッソが飲みたいよ!」とマイケルもとても嬉しそう。

 バーのカウンターのお姉さんに尋ねると、1号室を使って!と言われたので、そのまま店を出て再びジットへ。やはり宿泊者は僕らだけで、四つベッドの置かれたドミトリールームが僕らの部屋だった。

ジットに泊まる巡礼は僕ら(クレイジーな巡礼者)だけだった。

「僕はここ!」と先にマイケルがベッドを陣取った。僕に気を遣ってくれてか、マイケルはいつも入口のベッドに寝ていた。

 僕らの寝泊まりした部屋では大抵、奥のベッドの方が、暖房が近かったり、窓があって景色が眺められたり、広いスペースがあった。

とても居心地の良いジットの寝室。

 僕らの旅の最初の頃から、彼は咄嗟に自然と良いものを人に譲ることができる人だった。紳士とは彼のような人のことを言うのだろう。

 荷物を置いて少しダラダラすると、カフェに行き、エスプレッソを飲んだ。マイケルはまだ決まっていない12月26日の宿泊先を探し、僕はブラブラカーの手配に悪戦苦闘した。

 何度やってもブラブラカーのアカウントが作れず、最後はマイケルが登録してドライバーにメッセージを書いてくれた。僕は一つマイケルの仕事を増やしてしまった。申し訳なく思ったので、お代わりした分も含めて4杯分のエスプレッソ代は僕が持った。「僕はまだ何もしてないよ!」といいつつ感謝してくれた。

 そこで宿代23.40€も支払い、一旦買い出しへ、パスタの材料とビールを買い食糧を宿のキッチンへ置くと、マイケルは教会へ、自分はカフェへ戻って再びブラブラカーの手配をすることになった。

シンプルで落ち着けるキッチン。

 マイケルがカードで払って、割り勘分を現金で彼に支払う。自然とできたこのシステムにマイケルが、「君は僕の銀行みたいだ!」と言って笑っていた。キャッシュレスな彼と、現金主義の僕は良いコンビだった。

 マイケルが連絡をとってくれたドライバーが都合が悪くなったため、僕はまた1人ブラブラカーの手配に悪戦苦闘することになった。19時に夕食の調理を始める約束をして別れた。「早く終わったら僕は教会にいるからね!」とマイケル。


 僕は試行錯誤の末、ブラブラカーが使えない理由を突き止めた。それは、アプリに登録をする際には電話番号が必要なのだが、日本の番号はサポートされていなかったのだ。

それを見ていたカフェのお姉さんが彼女の番号を使わせてくれた。見ず知らずの旅人に自分の携帯番号を使わせてくれるなんて、なんて親切なんだろう。ありがとう。フランス人は優しい。そうこうしていると無事に(多分)予約できた。


 今度は外出先から帰ってきたカフェの主人が、ブラブラカードライバーとの待ち合わせの場所であるルビュイソンまでのタクシーを60€で予約してくれた。

 明日の朝タクシーがこの店に9時55分に迎えにきてくれることになった。加えて、僕のスマホからブラブラカーのドライバーにフランス語でメッセージも書いてくれた。

人の親切によって、あれよあれよという間に僕のParisへの道は拓けていった。

 それは今振り返ってみても驚くべきことだと思う。道なき道が開けていくこの出来事は、大袈裟かもしれないが、一種の奇跡だと感じた。

 無事にひとまずParisへの道が形になったところで、カフェの主人とお姉さんにお礼を言って店を出た。

 宿に戻るとマイケルはまだ帰っていないようだった。彼を探しに教会へ行ってみることにした。

マイケルを探しに夜のナスビルナスに繰り出した。

 村の中心にある教会の扉をそっと開けると、中には人々が集まっており、ミニクリスマスコンサートが開かれていた。

 最初参列者の人々から僕に好奇の目が向けられるのを感じた。近くの女性たちには笑われてしまい、いささか場違いに感じた。けれどすぐに、後ろの方の席に座っていたマイケルが僕を見つけて手招きしてくれた。

 ホッとして彼の横に座ると、演奏を3曲ほど聴いた。演者は70歳頃と思われる白髪で長い髭をたくわえたおじいさん2人。1人が歌って1人が歌っていた。石造りの教会は骨から染み入るように冷たく寒かったが、皆で寄り添って明るい気持ちでその場を共有しているという事実が、何か温かく感じられた。

 おじいさん達が演奏した曲の内、1曲だけ知っていた。

 今朝マイケルが歌ってくれた歌と同じく、自分が2020年のクリスマス、ドン底にいて救いを求め何も食べず寒さに震えて泣きながら布団にくるまって眠った夜に聴いていた曲だった。自分で書いていても悲惨すぎる。

 またしても涙することになった。神の計画に、彼の采配に、用意してくれていた報いに感謝した。

 彼の寛大さの前には、彼の愛の掌の上では、僕はいつだって甘えてばかりのただの赤ん坊だった。

コンサートを観た後、僕らは宿へ帰り夕食を作り始めた。

「今夜は任せてくれ!」と、マイケルを前に僕は今夜のシェフを買って出た。これまで毎日のようにマイケルに料理を作ってもらっていたので、最後ぐらいは僕がやりたいと思ったからだ。

 調理の最初の方はそれなりにやっていたが、途中から僕のあまりの手際の悪さを横で見ていたマイケルが次第に作業をし始めて、結局最後は彼が料理を作っていた。

最後はやっぱりマイケルが作ってくれたパスタ。これがまた美味い。冷えたビールを飲み交わす。

 ショボーンとなった僕は、帰国したら料理を作れる男になるぞ!と心で誓った。

 僕らは買い込んだ瓶ビールをベランダに出して冷やしていた。冬のフランスでは、冷蔵庫に入れるより外に出していた方が冷えるらしい。確かに、どちらが冷えるかわからないぐらい寒いのは確かだ。

 僕らは飲みながらおしゃべりしながらパスタを茹でて、僕らの今回の巡礼での最後の夕食を囲んだ。

 僕らはル・ピュイからここまで、合計約100kmほどを一緒に歩いてきたらしい。彼なしでは僕はここまで辿り着けたかわからない。

 だが今となっては、彼に会うために僕は巡礼にやってきたのだと、そう思うようになっていた。

 嵐の中で、暗い海に身を投げるような旅だった。そこには破滅しか見えなかった。水があるかさえわからず、足元を闇が一寸先さえも覆っていた。

 最後は泣きたくなるような気持ちで、自分の魂が訴える何かにつきうごされて、航空券を購入するボタンを押した。その決断は、あまりに不合理で筋が通らず理解不能だった、少なくともその時は。

 だが結局は、全ては繋がっていて、確かな理由と、筋書きがあり、完璧なタイミングで物事は起きていたのだと知る。今はそれを確信を持って言うことができる。

22時前には就寝。

なかなか眠れなかったが、それがまた良かった。

 一瞬でも長く、カミーノの空気を吸い込めることが幸せだったからだ。一呼吸一呼吸が夢の実現だった。奇跡的で美しい。

 100万回生きた猫という本がある。もし一呼吸一呼吸が今の自分にとって夢の実現であるならば、僕は100万回か、それ以上に夢を叶えた人だと言える。そう思うことにしよう。そしていつか誰かに自慢するのだ。自分は何百万回も夢を実現したのだと。

いつしか静寂と身体が重くなる感じがあり、僕はまた深い眠りに落ちていった。

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