7月5日 Chatillon → Verres
今日は人生の中でも忘れられない、忘れてはいけない1日になった。
同部屋だったイタリア人のマティアとオーストラリア人のアンジェラは6時前から準備をし始めた。自分も彼らに合わせて準備を始めた。昨夜はなかなか寝付けず、結局3時間ぐらいしか寝ていない。洗濯物を取り込みに外へ出ると、今日も良い天気だった。
クレジットカードが使えなくなっていたので、クレジット会社に電話してみたが電話が繋がらない。アンジェラに相談したところ「Try different things !」と言われ、励まされて色々と試してはみたが上手くいかない。
マティアとアンジェラは先に出発して行った。昨夜の宿は教会の中にあり、朝の礼拝だろうか、教会が人の出入りで慌ただしくなって来たので、自分もそろそろ出発することにした。
8時過ぎに宿を出発。Wi-Fiのある場所で再度カード会社に電話してみようと思い、町のカフェに立ち寄ってみた。けれどその店にWi-Fiはなかった、なのでただシンプルに朝食を楽しんだ。店を出ると、先に進めばどうにかなるだろうと思い、カードの問題をひとまず脇へ置き、町を出発することにした。
今日は日差しが強くて、歩き始めるとすぐに汗がダラダラと出てきた。朝恋人から連絡が来ていた。何か話したいことがあるという内容だった。最初はそこまで気にしていなかったが、やり取りをしていくうちにその彼女がいう”話したいこと”の深刻さに気づいた。そしてついに彼女に別れを切り出された。
あまりに突然だったので(いつもそうなるまで気づけない、きっと兆候はそこら中にあったのだろう)、ショックと混乱でその場に座り込んだ。足に力が入らず立っていられなかった。彼女は自由になりたがっていた。彼女の気持ちが変わってもうこれ以上関係を続けられないと言われた、これまで旅に夢中になっていた僕は彼女の気持ちに無頓着すぎた。結局それはいつも自分の問題なのだ。
愛は水を与えられずに、気づけば枯れてしまっていた。
「まただ。」そう思った。僕は懲りもせずに同じ過ちを何度も繰り返していて、これはその何度目かのいつものことだった。
自分の外で問題が起きたことはない。いつもそれは自分自身の問題をただ目の前に突きつけられただけ。
しばらく彼女と話をして最後に感謝を伝えると電話は切れた。もう僕の旅は終わっていた。もう自分がどこを歩いているのかわからなかった。歩いた道も覚えていない。どこへ向かっているかもわからない。ただ彷徨っていた。迷子になる前からきっと迷子だったのだろう、そうだと自覚していなかっただけ。恋人を残して旅してきたが、すでに世界で一番素晴らしいところから道を踏み外していたのだと知った。一足ごとに大切なものを失い続けていたのだ。
全ては一周して振り出しに戻った。それら全ては自分のせいだった。もう村は村ではなく、道は道ではなく、僕はイタリアにもいなかった。人はいつも心や気持ちといった自分の内面を通して世界を見ている。景色は単なる鏡で、どんなに素晴らしい場所にいても、いつ誰といても自分の心が全てを見ている。それを今痛感した。どれだけ遠くに行こうが、人がいる場所というのはその人の心の中でしかない。そしてその人の心のあるところこそ、どんな世界遺産よりも価値がある。
途方に暮れて歩いた。もう時間のことも目的地のことも考えられなかった。今日この後自分がどうなるかわからなかった。危険な状態にいた。疲れていたし、気分も悪かったので休みながら歩いた。
途中、歩き疲れた僕が木陰に座り休んでいると、陽気なイタリア人夫婦が通りがかった。彼らとは今朝一度道のの上で顔を合わせていた。
彼らと挨拶を交わすと、旦那さんの方が「俺はマジシャンだ!」というとバックパックからおもむろにハンカチを取り出して、左手にあったはずのハンカチがいつの間にか右手に移動して、次に手から口へと移動するマジックを見せてくれた。「次はもう少し難しいよ!」と言って、手から手への水の移動のマジックを見せてくれた。彼は、それまで絶望の縁にいた僕を本当に笑わせてくれた。彼らと今夜の宿について話をした。これから僕らが向かう町の駅の近くに良い宿があるらしい。僕は彼らに「素晴らしいマジックをありがとう!」と伝えた。そして束の間の時間を共有した僕らは別れた。
僕は見た目にも相当絶望して見えたかもしれない。彼らの優しさには感謝しかない。
でも考えてみたらそれは本当にマジックだった。絶望の中に一瞬希望を見せてくれた。偉大なことはこういうところにもある。今思えばその一瞬こそ僕を救ったかもしれない。彼らを見送ると、僕も歩き始めた。ずっと心について考えていた。どこを歩いたかわからない。覚えていない。精神的に迷子になってはいたが、巡礼路からは逸れることなく歩いていた。
心とはなんだろう。心のことばかり考えていた。人は実際は心の目でしか物事を見ていない。
一つ大きな道路を渡った。牧草畑が広がっていて、進んでいくと川が流れていた。その川に沿って並木道が続いている。それが道だった。夕陽に揺れる木々は美しかった。風は温かかった。光は優しかった。なんて美しいのだろう。と思った。
「なんで…」「なんで”今”こんなに美しいんだよ!」と心で叫んだ。
大切なひとを失い、また一つ人生で大きな失敗を重ねてしまい、道を覚えず、彷徨い、自らを呪い、後悔の火に焼かれ、もうこの命をどこかへ、どこにでも捨てようとしている僕の目に、なぜ今世界を美しく見せるのか。なんで世界はこんなにも美しいのか。
そう思ったとき、愛が雷のように僕を打った。僕の中の心のダムが決壊し、目頭が熱くなり、視界がすぐに曇り、涙が溢れた。
家族の顔が心に浮かんだ。旅に出て以来、それまであまり気にかけてこなかった家族それぞれの笑顔が思い浮かんだ。兄弟達を抱きしめたかった。両親に心から感謝した。堪え切れない気持ちが、ダムが決壊したように涙として溢れた。僕は巡礼路の脇の草の上で泣き崩れた。子供の時以来かもしれない。ワンワン泣いた。
もうどこにもいなかった。心の中心にしかいなかった。大事な人達。彼らこそが、自分がわざわざ遠くまで歩いてきて旅をしてきて、たどり着いたものだった。大きな、とてつもない大きな愛を感じた。本当に本当に会いたかった。一人一人を強く抱きしめたかった。もう離れない、離さない、と心に誓った。帰ったらそばにいると決めた。
その時、この世界には愛以上のものは存在しないのだと知った。雷に打たれたような衝撃だった。
愛、それ以外はない。それは、確信だった。
この世界では、
愛が全てで、全てが愛で、僕らは愛に生かされている。
その言葉が心に浮かぶと、世界が一気に色彩と温もりを取り戻した。
僕はそこで、この場所まで僕は暗黒の中を彷徨ってきたのだと気づいた。
もう旅は、少なくとも海や山を越えての物理的な旅は完全に終わった。そう感じた。もう辿り着いたのだ。
僕は草の上にバッグパックを放り出すと、草の上に身体を放り出して、涙が出尽くすまで声を上げて泣いた。日本に帰ったら家族と暮らす、そのイメージが心に浮かんできた。しばらくして涙も出尽くすと、しばらく空を眺めた。エネルギーを取り戻した僕は、新たな命を得たように清々しい気分でまた巡礼路を歩き始めた。川沿いの並木道が終わり、やがて小さな村へと辿り着いた。
村の中では子供達の声がした。今まではそこらにありふれていたその声も、今は違う意味を持って響いていた。それは究極の音だった。もう彼らはすでに辿り着いているのだ。
道を歩いていると、村のおばちゃんに「どこから来たの?」と話しかけられた。そのことが嬉しすぎて、もう、心から会話した。心が会話をしたがっていた。言葉を使って心で会話をした。今僕の心は全開だった。
そこからしばらく歩いて、僕が道に迷っていると、近くの家から僕に気づいた男の人が、話しかけてきてくれた。そして、次の町Verresへの行き方を行き方を家の外へ出てきて、身振り手振りと僕が持っていたガイドブックを駆使して町への行き方を説明してくれた。
細やかな説明も有り難かったが、説明を聞いているうちに僕はもうそのこと自体に対する感謝の気持ちが湧いてきた。彼の見ず知らずの人を懸命に助けようとするその心に対する感謝で一杯になった。彼の手を握り締めお礼を言った。彼の幸運を祈った。そして彼を信じて歩き出した。人を信じることの大切さは特にヴィアを歩き始めてから感じていた。説明通りに歩き進めていくと、やがて駅の近くにあるホテルに到着。するとそこにはマティアがいた。僕らは再会を喜んだ。もう奇跡だ。長く辛い1日だっただけに、友との再会に力をもらった印象的な瞬間だった。
そこで僕の旅は終わりを迎えた。
僕は彼に旅を終えることを告げた。するとマティアは翌日イラスト付きで
「Everything happens for a reason .」
というメッセージをくれた。そして僕のヴィア・フランチジェナはそこで終わった。
少なくとも今回のヴィアは…
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