【ヴィア・フランチジェナ】 〜ローマへの道〜 5日目

 深く重く、のしかかってくるような沈黙、うるさいほどの静寂の中で寝た昨夜。寝付きこそ悪かったが、結局は寝ていた。

 6時過ぎに起きると支度を始めた。イタリア人青年マティアも丁度起き出したようだ。フランス人ナイスミドルのジャックはすでに支度を終えて部屋にはいなかった。さすがだ。

 さっと支度をして7時頃に朝食会場に行ってみたが、あいにくまだ開いていなかった。8時の朝食の時間までサロンで日記を書いた。時間があったので、昨日訪れた地下の礼拝堂へ行こうと思ったが、そこでは何やら朝のお祈りをしている様子だったので遠慮しておいた。

朝食はパンと飲み物のシンプルなものだった。食べ終えると、皆に別れを告げてマティアとともに宿を出発した。僕らは宿を出て、スイス側からイタリアへ入国。

 天気は快晴。アルプスの山々に囲まれているにしてはそこまで寒くもない。雄大な景色を眺めながら歩き始めた。昨日知り合ったばかりの友人マティアは、気遣いのできるとても礼儀正しい青年だった。彼の仕事であるタトゥーについて、家族、旅、日本とイタリアについて様々なことを話した。話に夢中になりながらも巡礼路に沿って、山肌を下り続けた。

 途中マティアが「君お腹空いてる?」と尋ねてきた。「あそこにあるALIMENTARIという店で、自分の好きなものを組み合わせてパニーニが作れるよ!行ってみよう!」と誘ってくれた。イタリア料理に初挑戦ということになるのだろうか。

 ALIMENTARIは小さなスーパーのようなところで、何種類かあるものの中からパンとチーズとハムを選ぶとお店のお姉さんがパニーニを作ってくれた。マティアは何に関しても一つ一つ丁寧に教えてくれて、とても親切だった。それぞれりんごも買って、店の外へ出てかぶりついた。

 パニーニは量もあって美味しかった。食べ終えると出発。二人でおしゃべりしながら歩き進み、森の中で冷たい水路に足を浸して休んだり、いくつかの村を通り抜け、カッパを着て降り出した雨の中を歩いた。

 疲れと降り出した雨のせいもあり、僕らの口数は徐々に減ってきた。そしてついに、とある村を訪れた時マティアが「僕はここでしばらく休むことにするよ。先に行きたかったら先に行って!」と切り出した。

雨の中を歩く疲れももちろんあっただろうが、「彼は気疲れしたのかもしれない」と思った。なぜなら彼はとても優しくて気遣いのできる青年だったからだ。

 彼はしばらく一人きりになりたいのだと思い、「あとでね!」と言って僕は先に進むことにした。その日はそれっきり彼に会うことはなかった。

 彼と別れて一人になった時、僕もまたホッとしている自分に気づいた。僕は僕なりに彼に気を遣っていたのだろう。そこからは雨の中をひたすら一人で歩いた。AOSTAの先へ、もっと先へと自分を急かすように歩いた。イタリアの素晴らしい自然の景色は意識の中に全然入ってこなくて、ただ自分が擦り減り続けているように感じた。足もだんだん重くなってきた。

 時間的に見れば、AOSTAまで残り1時間ほどというところで、道に迷った。サインが見当たらない。すぐそこにあったレストランのような綺麗な建物で道を尋ねることにした。建物の中へ入り、「ボンジョールノ!」と声をかけると、今しがた2階の掃除をしていたらしい青年が降りてきてくれた。

 彼に道を尋ねたところ、今歩いてきた道をそのまま降れば、1時間ほどでAOSTAには着くらしい。お礼を言ってそこを立ち去ろうとすると、青年に呼び止められて「今この建物では”杖”の展示をやってるんだけど見ていかない?」と誘われた。一瞬「時間的に早くAOSTAに着きたいな…」と躊躇したが、「せっかくだし、見てみよう!」と思い直して展示を見学させてもらうことにした。

 中世では杖は巡礼にとって実用的な道具であり、クレデンシャルの代わりでもあったらしい。町を訪れた際は、その町のバッヂのようなものを杖にくっつけて次へ進んでいたらしいのだ。

 また杖は巡礼者のお供としての役割だけではなくて、聖職者の道具でもあり、何か”まじない”をするための道具にもなり、狩りや戦の時の武器としても使われていたというから驚きだ。展示品の中には昔日本で使われていたらしい仕込み杖や、釣り竿なんかも展示されていた。

 僕は芸術を見る目もないし、不思議なことを見ることができる人間ではないが、一本一本の杖には確かに何らかの力が宿っているような気がした。来てよかったと思う。ただその中の数本に関しては悪い気を放っているような気がして、僕は次第に気分が悪くなってきた。

 青年の案内で全ての展示を鑑賞し終えると、そこで別の作品を展示しているらしい女性アーティストと会い、彼女の作品を、写真でだけであったが見させてもらった。

 彼女は”移植(あるいは接木だったかもしれない)”をテーマにした作品を作っているしい。木の皮を剥いでその部分を土で覆うと、そこから木の根が出てくる。それを土に植えるとそれがまた木になる。そこから着想を得て、その移植される根を人間に置き換えて表現していた。

 自発的な理由から、あるいは自分の力の及ばない理由によって、人は自分の住み慣れた環境を離れて未知なる場所に根を降ろす。そこで新たな木となり命を繋ぐ。そうした生きる力の逞しさを表現しているのだろうか。詳しいことは聞けなかった。

 優しい青年にお礼を伝えると、建物を出た。疲れか、何かわからないが体調が悪くて吐きそうだった。だが先ほど道に迷ったときのような、”早く先へ!”と急いでいた自分はいなくなっていて、僕は落ち着いた気分で再び歩き始めた。

 AOSTAに到着。だがそこから中心部に至るまでが長かった。雨が降る中、交通量の多い車道脇を歩き続けた。宿に到着したら、きっともう外には出たくないだろうし、体力的に出られない可能性を考えて通りがかったスーパーで食料を購入。イタリア人の小さな子がキックボードで遊んでいて可愛らしかった。

 AOSTAのさらに街の中心までやって来た。だがどこにホテルがあるのか見当もつかず、バス停のベンチに座りヴィアのガイドブックを開いたが地図が載っていない。そこですぐそばでバスを待っていたマダムに近場のホテルについて尋ねてみることにした。ガイドブックに掲載されている巡礼宿を指して、宿を探している旨を伝えたが、「ここからじゃどこも遠いよ!」と言われた。

 だが一箇所ホテルを勧めてくれて、そこまでの行き方を説明してくれた。「ここから今君が来た道を戻って、二個目のロータリーの辺りでその辺の人にHotel CAKMINETTO はどこか尋ねなさい。きっと誰か知っているはず。最初のロータリーじゃないよ、二個目のロータリーだよ!」彼女はイタリア語で丁寧に教えてくれて、何度も「最初のロータリーじゃないよ、セコンダ(二個目)だよ!」と念を押してくれた。ありがたい。

 もうそのホテルが巡礼宿だろうが、そうであるまいが、安かろうが高かろうが行くしかないと思った。僕はバス停のマダムが示してくれた唯一の希望に向かって、再び歩き始めた。僕は体調不良と疲れと、焦りと色々な感情も相まって泣きたくなってきた。ふと木々を眺めたり、下を向いてトボトボ歩いた。やがてマダムが教えてくれた”二個目”のロータリーに到着。

 すると先ほどのマダムがそこで待ってくれていた。彼女はバスでここまで移動して来たらしい。驚いた。マダムはそこで他のおばあちゃん達とおしゃべりをしていたのだが、僕を見つけるとおしゃべりを切り上げて、「来れたのね!ついてきなさい。」と言って自らホテルまで案内してくれた。

 歩いている間も「夕食はどうするの?」と気遣ってくれたり、冗談めかして僕の首根っこを掴んで冗談を言ったりと親しく接してくれた。彼女の案内でホテルにたどり着いた時には、僕は彼女の親切と優しさに胸がいっぱいになっていた。何度もお礼を伝えて最後に合掌して心からの感謝を伝えると、彼女も合掌して答えてくれた。

僕はまた、彼女の瞳の中にも燃えているような輝いているような光を見た。

もう僕は言葉なく、ただただその親切で明るいイタリア人マダムの幸福を祈った。

 無事にベッドを確保できると、部屋へと入り僕はすぐにベッドで横になった。もう何もすることができなかった。多分熱中症にもかかっていたと思う。動くこともできず横たわっていたが、汗と埃まみれのままでは寝られないと思い、シャワーだけかろうじて浴びると、またベッドに突っ伏した。

コメント

タイトルとURLをコピーしました