【ヴィア・フランチジェナ】 〜ローマへの道〜 4日目

昨夜のベッドはとても寝心地が良くて、ずっと寝ていたいという誘惑からしばらく抜け出せなかった。それでも、しばらくゴロゴロしてから7時頃には身体をベッドから起こした。あたりはまだ薄暗い、太陽はまだ山の向こうに隠れているようだ。目覚ましにシャワーを浴びてさっぱりすると支度を始めた。

ホテルへ行くが人がおらず、しばらく待つとスッタフの女性が現れた。手持ちのスイスフランが心細かったのでユーロをスイスフランに換金してもらった。スーパーの場所もついでに聞いて礼を言った後ホテルを出発。

8時過ぎ、スーパーとは昨日泊まった建物の隣にあった小さな売店だった。ガソリンスタンドが経営しているらしい。アルベルゲといい、同じ建物で相関性のある商売を兼業するのはとても賢いと思う。

売店には、チョコ、お菓子、飲み物、お土産があるだけで、スーパーというほどの広さはなかったが、それでも十分だった。店内のコーヒーマシンでコーヒーを買い、チョコと一緒に朝食にした。今日はアルプスを越えるのだ。何も食べないよりはいい。

森を抜け、道は山の谷間を縫うように進んでいた。間近に山を見ながら歩くというのはとても素晴らしいことだと知った。昨日道の途中で出会った女性ハイカーに今日も出会った。何かの動物の写真を撮っているようだった。「ボンジュール!」と声をかけたら驚いていた。ごめんなさい。何を撮っていたのかと見てみたら、大きなウサギのような動物だった。その後彼らを2回ほど見て気づいた、プレーリードッグだ!とても興奮した。生のプレーリードッグは初めてだ。

驚いたのはその後だ。昨日と同じくまた放牧場を通り抜けることになったのだが、たくさんの牛達が道を塞いでいたのだ。何だかのんびり屋のような感じでもなかったので脇をすり抜けた。親牛は警戒していたが、子牛は無垢で僕の後にトコトコついて来た。手を伸ばすとベロベロと舐めてきた。しばし彼らと戯れた後放牧場を出た。と思ったらまた入る。それを繰り返した。

その肌に雪を残した山々が次第に近づいてくる。道の途中一人の女性が腰をおろして休んでいた。「美しいところですね!」と話しかけると、「少し前まで車の音がしていたけど、ここは静かでいいわ。」と喜んでいた。一旦追い越したが、自分が休んでいると彼女が追いついてきて「どこから来たの?」お互いの自己紹介が始まった。

彼女はペルージャに住んでいるイタリア人で1週間ヴィア・フランチジェナを歩くらしい。英語ぺらぺらだった。自分の言いたいことが言えたらそれがペラペラなのかも。全部覚える必要はない。「また後で!」と言って歩いて行った。

自分も少し休んでから出発。道は登りが続き、遠くにあった山々はいよいよ近づいてきた。あの山に登るのだろうか…。山道が車道にぶつかる直前、向こうから男女の二人組がやってきて、男性が声をかけてくれた。「君は日本人か?」どうしてわかったのだろう?男性はレバノン人で女性はイングランド人だった。二人から明るいエネルギーが溢れ出ているのを感じた。彼らはイタリアから来たらしい。自分がローマに行くことを告げると、「ローマの手前に温泉がある。しかも巡礼は無料なんだ!最高だよ!」と教えてくれた。

彼らはスイスでバプテストの何かをするらしい。詳しい内容は、僕の英語とキリスト教への知識のなさによって理解できなかった。彼らと握手をして別れた。「1、2時間後には素晴らしい景色が見れるよ!」と教えてもくれた。とても晴れ晴れとした気持ちになった。

山道は一旦車道を出て、それを横断すると再び山道になる。道は山の上へと伸びていた。そこの脇を流れる川のところでまたステファーニャが休憩していた。「ここで新鮮な風を浴びているの!」ということだった。自分は休まずにそのまま歩き続けることにした。だがアルプスの雪解け水がとても冷たく気持ち良さそうに見えたので、靴とTシャツを脱ぎ川で水浴びをした。とても冷たく爽快で、水は香るように美味しかった。すぐに冷たさが痛さに変わり岸へ上がった。とても幸せな気分に包まれた。

そこへ休憩を終えたステファーニャもやって来て「私にもできるわ!」と言って靴を脱ぎ川へ入った。手と顔も洗って、やはり痛くなったのか岸へ上がった。彼女のパニーニを半分わけてもらい、しばし話した。イタリアのこと、自分達のこと、イタリア人の友達のこと。しばらく話して、自分が先に発った。目的地は同じローマだ、きっとまたすぐに会えるだろう。「また後でね!」と挨拶をして別れた。

そこから山道を登ると、道の脇には雪が現れ、ついには道まで雪で覆われていた。少しテンションが上がり、ザックザックたまにズボッとハマりながら前へ進む。「自分は山を登っているのだ」と思うと少しワクワクした。ちなみに僕は登山靴ではなくランニングシューズだった。時期を間違えば、大変なことになっていたかもしれない。

雪に覆われた道から、再び雪のない山道に戻り、それでも周りを雪山に囲まれた道を進む。すると前方に家らしき建物が見えた。ついに着いたのだ。また雪の上を歩き、雪解け水らしい川を越え、最後の10mは急な坂を登った。川を越える時に、その川の水を飲んでいたら、向こうからやって来たフランス人のおじさん二人組に「あまりそこの水を飲まない方が良い。後でお腹がグルグルになり、シーッ!だぞ!」と言われた。トイレをする姿勢で踏ん張り、「シー!」と腹を下す仕草をするおじさんが面白くて大爆笑した。おじさん達も気に入ったのか何回もシーッ!と言って爆笑していた。最後の10mを滑りながらも何とか登り終え、Col du Gd st Bernardへ到着。達成感に浸ると村の中へ進んだ。

ここは観光地でもあるようだ。僕の旅の装いとは違い、人々は綺麗な格好をしてBARで寛いでいた。僕の格好が少し場違いな感じもしないではないが、気にせずに進んだ。

ホスピスはすぐに見つかった。村に入り歩いて数mで発見。まずはベッドを確保しようと中へ入る。昨夜のホテルの人に予約をお願いしていた。優しそうなお兄さんがハーブティーでもてなしてくれた。そのハーブティーがとても美味しかった。甘くて心まで和んだ。「すぐに係りの者がきます。」と彼は言って立ち去った。

すぐに神父さんのような人が現れた。穏やかな人だった。彼が手続きをし始めようとしたところで、次々に来客があり手続きは度々中断された。僕は彼が来客に対応する間しばらく待つことになった。受付兼ダイニングには気になる絵があった。二本の鍵とホスピスの紋章である鍵とハート。キングダムハーツに出てきそうだ。

ようやく手続きに入り、ベッドと夕食、朝食込みで40CHFを払う。格安だと思う。ホスピスの隣にはミュージアムも建っており、ミュージアムの入場チケットも合わせて勧められたが見に行く気になれず」断った。「ここはとても歴史ある場所だよ」と彼は教えてくれた。やっぱり買っておけば良かったかもしれない。

僕が先ほどから気になっていた絵について尋ねてみると、鍵はローマの教会にあり、紋章はこの場所のホスピタリティをを表すものだと教えてくれた。すごく興味が湧いたが、また人がたくさんきたので話はそこで中断された。

女性スタッフが部屋に案内してくれた。無事にベッドを確保すると、荷を下ろしてシャワーを浴びた。施設はとにかく綺麗で、清潔以上の何か、美しさすら感じた。シャワーの後は洗濯しようかとも思ったが、この建物と土地のことをもっと知りたいと思い、出かけることにした。

まずは先ほどの神父さんに勧められた建物の教会横にあるギャラリーへ。キリスト教関連の何か貴重な品々が展示されていた。絵画、聖杯、本その他。何かオーラのようなものを感じないでもなかったが、背景がわからなくて理解はできなかった。他の客の邪魔になってはいけないと思い外へ出た。お腹がグルグル鳴り出した。今はとにかくお腹が空いていた。

だがもう少し辺りを散策してみることにした。すると地下へと続く階段を発見。早速降りてみることにした。途中、階段の踊り場には悪魔を懲らしめている St Bernardの像が置かれていた。右手には悪魔をつなぐ鎖、左手には錫杖のような棒を持っていて、首輪で繋がれた悪魔の腹を強く踏みつけている。St Bernardの顔が怖い。もうどちらが悪魔かわからない。

階段を下まで降りると、そこは小さな礼拝堂のような場所になっていた。誰もいない礼拝所にはどこを流れているのか、水の流れる音だけが絶え間なく響いていた。

何をするでもなく椅子に腰掛けて、ただ水の流れる音だけを聴いていた。目の前には祭壇があり、その横には巡礼の像が立っていた。その足元にはまた”鎖”。ここでは悪とは一体何なのだろう。何者かを鎖で繋いで懲らしめてやりたいという、”その人の憎しみ”は悪ではないのだろうか。

外でバイクのアクセルを吹かす「ブオオ!」という音が聞こえた。ここを出ようと思い、階段を戻り礼拝所を後にした。

建物の外へ出ると天気は快晴、だがさすがに風は冷たかった。ここは標高が2,469mあり周りは雪山に囲まれているから風も冷たいはずだ。すぐそこにスイスとイタリアの国境が見えていたので散歩がてら歩いて行ってみることにした。そばには湖もありキラキラと輝いていてとても美しい。

小腹も空いてきたので、国境近くの売店でパニーニとエスプレッソを買った。これが本場イタリアのパニーニなのか?ハムがすごく肉肉しかった。

国境付近にはまたしても聖ベルナールの像が立っていて、やはり錫杖と鎖で悪魔を懲らしめながら、スイス側を指差している。それにしても周りに聳えるアルプスの山々は壮大で美しい。アルプスの冷たい風に吹かれながら、しばし景色に魅入っていた。

少し寒くなってきたので宿へ戻ることにした。寝室に戻りセーターを着込み、ベッドで日記をつけていると、そこにフランス人旅行者ジャックが現れた。彼は今夜同じ部屋に泊まるらしい。僕らの部屋は広いドミトリールームだったが、僕が案内された時は宿泊者は僕だけだった。彼が二人目。

僕とジャックは、最近起きたノートルダム大聖堂の火事のことや、お互いについてしばし話をした。するとそこへ三人目の旅人がやってきた。彼はマティアという若いイタリア人だった。

少し話をした後は、それぞれやるべきことに取り掛かった。宿に着いた旅人にはやるべきことがいくつもある。僕は一通り終えた後だったので、夕食の時間まで日記を書いていた。

夕食は大人数で囲む賑やかなものだった。皆宿泊者なのか、それとも教会の関係者なのか、夕食のために訪れた客人達なのか定かではない。夕食にはこんなに大勢の人がいるのに、僕らの広いドミトリーには三人しか泊まらないのはなぜだろう。

夕食の席では、同部屋になったマティアと話をさせてもらった。彼はタトゥーアーティストで、日本文化に興味があり、彼自身の身体に描かれているタトゥーも日本テイストのものがいくつかあった。僕らは彼が大ファンであるという宮崎駿監督やその他、アニメ、漫画について色々と語った。とても楽しい時間だった。

彼が見せてくれた彼自身のタトゥー作品はどれも美しかった。タトゥーには少し怖いイメージを持っていたので、それを美しいと思ったのはこれが初めてかもしれない。彼自身も全身にタトゥーが彫られていたが、すごく良い人で、礼儀正しく、気遣いや思いやりのある人だった。ちなみに彼は英語がペラペラだったので、彼の語学力のおかげで僕らの会話は成り立っていた。

スープ、肉、パスタ、デザート、美味しい食事と楽しい会話で、夕食の時間は瞬く間に過ぎていった。食後は僕もマティアにバリバリ影響を受けて、何か描きたくなり、2枚スケッチを描いた。休憩所でWi-Fiを使えたのでそこでしばらくジャックやマティアとまったりして、また一緒に時間を過ごすと、日記を書いて22時には眠りについた。

その夜は、深く重くのしかかってくるような濃厚な沈黙の中で目が覚めた。周りがアルプスの山々に囲まれているからなのか何なのかは分からないが、これまで経験したことのないような高密度で高質量の沈黙と静寂があった。

身体で、肌で、物質としての静寂を感じた。押しつぶされてしまいそうなほどに重かった。あるいはこれは重力なのだろうか?同じ部屋に、すぐ隣のベッドにいるはずのジャックとマティアの気配が微塵も感じられない。

なんだかあまりに非日常的な状況に、緊張して眠れそうになかったが、やはりいつも通り、気がつけば寝ていた。

僕の単純さは割と強力な武器かもしれない。

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