『伝統的巡礼の儀式再び〜シンプルなこと〜』
6月19日 Muxia →Dumbria 23km
本当に不思議だ。ムシアに到着した日には”もう歩かない、歩けない、ここで終わりにしよう”そう思っていたのに、数日後には歩きたくて歩きたくて、いてもたってもいられなくなっているのだから。
起床して出発の準備を始めたが、2日歩いていなかっただけで、慣れたはずの荷造りにも手間取ってしまった。
起きたのは7時半で、巡礼生活の中では寝坊と言える時間だったが、他の巡礼達はまだ寝ているようだった。サンティアゴまでの競争の雰囲気はもうそこにはない。早朝から準備を始める巡礼達のドタバタ劇にこれまで悩まされてきた僕だったが、それがなくなってしまうとそれはそれで少し寂しい気もする。
支度を終えるとダイニングへ移動した。余ったミネラルウォーターを、昨日おすそ分けしたチェリーの横に置き、ダイニングにいた巡礼達に「ブエン・カミーノ!」と挨拶してアルベルゲを出発。オスピタレアファミリーはまだアルベルゲには出勤していなかったので、昨夜別れを告げていて本当に良かった。
美しい漁村ムシアも、最高のアルベルゲMuxia Mareも、去りがたいほどに素晴らしいところだった。だが僕にとってのムシアの意味は充分に語り尽くされたように感じた。読み終えたページはめくられなければならない。
昨夜オスピタレア(娘)が教えてくれた道に従って村を歩いていると、港のところでサンティアゴへの道を示すモホンを見つけた。昨日までは見るのさえ嫌だったのに、今日はそれを探し求めて歩いている。今目の前にある黄色い矢印は「さあ、行こう!Vamos!」と励ましてくれるようだった。あるいは何も言わず僕を待っていてくれたようにも感じた。
そして、僕はモホンを道しるべに、再びサンティアゴへと歩き始めたのだった。
とことこ歩いていくと、村の出口には小さなビーチがあり、その脇をかすめるように通っている遊歩道が巡礼路になっていた。その人気のないビーチを横目に歩いている時、僕の心の声が囁くのが聞こえた。
「まだ海で泳げてないけど、このままムシアを去っても大丈夫?」
内なる声はそう伝えてきた。
カミーノを歩き切った際には、フィステーラかムシアで、かつての巡礼達がそうしたように海で身を清めようとずっと考えていた。だが、先延ばしにし続けてきた結果、今となってはもう遅いような気がしていた。
「今回は縁がなかったのだ」そう諦めて、通り過ぎようとした時、
『今やらなきゃ、絶対やらないよ!Never!』
『Tomorrow is another day!』
かつて仲間達に言われた言葉がパッと心に浮かんだ。そして、気づけば足は巡礼路を外れて、ビーチへと向かっていた。
朝8時、雨のそぼ降るムシアのビーチ。少し波もある。この時間帯、この天候と寒さの中、ビーチには人っ子一人いなかった。昨日の路上マーケットでお金をケチって海パンを買わなかったので、止むを得ずパンツ一丁になった。
パンツ一枚になると、とにかく寒い。恐る恐る海へ足をつけると、絶叫するほどに水は冷たかった。身体は怯えた小動物のようにぶるぶると震え、心には不安と緊張が渦を巻いていた。
だが「もうここまできたらやるしかない!」と覚悟を決めて、僕はケルト海の冷たくて暗い海に不恰好な態勢で飛び込んだ(もちろん浅瀬)。それはもう単なる苦行でしかなかった。一人で「ぎゃ〜!」とか「うひゃ〜!」とか叫びながら何度も海に潜る。
想像してみてほしい。朝、人気のないビーチで、パンツ一枚だけを身にまとったアジア人の男が一人で絶叫しながら何度も何度も身体を水面に打ちつけている様子を。一人プロレスごっこのように海に飛び込んでは「ぶは〜!はぁ…はぁ…。」と無様に浮き上がり、それを何度も、真剣な表情でマゾヒスティックに繰り返しているのだ。
付け加えておくと、僕が先ほどまで歩いていた海の遊歩道は、巡礼路であると同時に村人の散歩道でもあった。誰も歩いていないタイミングを見計らって水浴びを決行したのだが、僕の気づかぬうちに誰かがその遊歩道を歩いていたとしたら、きっと恐怖したに違いない。
だが、一旦冷たい水に身体が慣れると、途中からは温かく感じてきた。それに、無事伝統的巡礼の水浴びを終えた後は、とても爽快な気分だった。何だかムシアと一つになれたような、何かが清められたような、そんな気がした。
太陽がさんさんと降り注ぐビーチで同じことをやっても、この清らかな気持ちにはなれなかった気がする。今回は苦行としての入水でなければならなかったのだ。だから結果的には良かったのかもしれない。何が良かったのかはわからないけれど。
さっぱりした後は、隠れる場所もない浜辺で、人が来る前に大急ぎで着替えた。これでもう悔いはない。海を離れて山の方へと続く巡礼路を、晴れ晴れとした気分で再び歩き出した。
山道は昨日の雨でかなりぬかるんでいた。雨が強まってきたのでポンチョを被る。その後は休憩らしい休憩もとらずに黙々と歩き続けた。今日は途中で何度も道に迷ってしまった。というのもムシアからサンティアゴへの矢印がとても見つけづらかったのだ。だが、道に迷う度に親切なスペインの人達に助けてもらった。ムシアからサンティアゴへの道では、その土地の人々こそが道しるべのようだった。
ムシアでゆっくり休養できたおかげで、疲れはすっかり癒えていた。一日中歩き通しで、食事もオレンジ1個にクッキー数枚にコーヒー一杯だけだったが、今日一日歩くのにはそれだけで充分だった。たまにサンティアゴからムシアへ向かう巡礼とすれ違う以外は、ほとんど一人で歩いていた。
ドゥンブリア手前でさらに雨が強まってきた。そのまま歩き続けようと思ったが、雨に打たれながら歩くことにさすがに疲れを感じてきたので、今夜はドゥンブリアに宿をとることにした。巡礼路の矢印を見つけるのにも苦労したが、ドゥンブリアの公営アルベルゲを見つけるのにも苦労した。アルベルゲになかなか辿り着けず、最後は道で出会った村人の女性に尋ねて教えてもらってようやく到着。
今日は本当にたくさんのスペイン人に助けられた一日だった。そもそも助けられていない日などないのだけど。スペインの皆さん本当にありがとう。
無事に公営アルベルゲに辿り着き、ベッドを確保すると、そこからはのんびりと過ごした。夕食の時間になると、キッチンでポモドールパスタを作って食べた。母と同い年ぐらいの女性巡礼が、調理するのを手伝ってくれた。最後まで何と親切な人達に恵まれた一日だったことだろう。
食べて、歩いて、人と出会い。また、歩いて、食べて、眠りにつく。何てシンプルなのだろう。何て幸せなのだろう。幸せであるために必要なものはほとんどなくて、生活がシンプルになればなるほど、幸せは始めからそこにあったのだと気づかされる。
本日のアルベルゲ
O Conco Pilgrims Hostel(Dumbria)
開業日時:年中無休 13時〜22時
・宿代 10€
・ベッド数 26
・キッチン
・駐輪場
本日の支出
項目 | € |
コーヒー | 1 |
クッキー | 1.3 |
宿代 | 6 |
合計 | 8.3 |
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