【サンティアゴ巡礼】フランス人の道 – 43日目 –

サンティアゴ巡礼記

『ムシアに沈む〜大きくて広いもの〜』
6月17日 Maxia 0km

 身体の芯からくたびれていた。そしてとても眠い。歩き疲れもそうだが、死んだ飼い犬のこと考えて眠れなかったせいだ。それに最近、恋人とも気持ちがすれ違うことが多くなっていて、昨夜は彼女とこれからについて話し合ったりもした。そんなこんなで、ムシア二日目はこれまでになく精神的にも肉体的にも疲弊して迎えた朝だった。

 ベッドから這い出てオスピタレアに延泊をお願いした。昨夜の「カミーノはここで終わりにしよう」という気持ちは変わっていなかった。あとは出国日までムシアで過ごすのも悪くない。

 昨日到着が遅れたせいでできなかった洗濯に取りかかった。洗濯が済むとムシアの村をぶらりと散歩することにした。
 
 今日は雲の垂れ込めるどんよりとした天気だった。それに心も身体もなんだかふわふわとしている。スーパーに立ち寄ってナポリタナを買うと、昨日夕日を眺めた公園で海を眺めながら食べた。

公園で海を眺めながら、一人ナポリタナを食べる。

 ナポリタナを買うときも、食べ始めてからも、犬のことを考えて涙が止まらなかった。メソメソしながらパクパク朝食を食べ終えると、「一日中泣いているわけにもいかない」と思い、村の中を散策することにした。

 村の中を抜けて灯台の方へ行くと、大きな岩がゴロゴロと転がり、ケルト海の荒々しい波が打ちつける岩場の上に、バルカ教会は建っていた。スペインでの布教に悩むヤコブ様のもとに、石の船に乗ったマリア様が現れて彼を励ました、という伝説の残る場所だ。

 荒々しい海、薄暗い天気、その中に毅然と建つ教会には静かな迫力があった。自然と教会が共存するような景観は今までになく新鮮に感じられた。

岩場に建つバルカ教会。

 バルカ教会のそばの小高い岩山に登り、その辺の岩に腰を下ろすと、岩場に建つ教会とケルト海をしばらく眺めていた。潮風が心地良く吹いてくる。カモメが鳴きながら岩場の上を飛んでいた。さすが漁村、ムシアには海とカモメがよく似合う。

 岩場でぼんやり過ごしていると、辺りを飛んでいた一羽のカモメが、僕のすぐそばの岩に泊まって動かなくなった。僕はなぜだか、そのカモメが死んだ飼い犬のメッセンジャーに思えてきて、またしても泣いてしまった。

 だがよく見ると、カモメはヨダレを垂らしていて、やがて胃の中にあったものをその場に吐き出すと、フンをした。何だか不潔な奴だった。

 せっかくなのでバルカ教会を近くで見ようと思い、岩場を降りることにした。そばに立って見る教会は、堅固で立派で、どの教会にも増して寡黙だった。中へは入らずに、外観だけ眺めると、教会の下の岩場に降りてみた。

無骨で寡黙。そんな印象のバルカ教会。

 バルカ教会のすぐそばに”ペドラ・ドス・カドリス”(腎臓の岩)と呼ばれる奇岩があり、その下をくぐるとたちまち腰痛が治る、という伝説を本で読んだことがあった。

 僕は腰痛持ちではないが、そのご利益の正体が何なのか確かめたくて、カミーノを歩く前からムシアでカドリスの岩の下をくぐることを楽しみにしていた。

 調べたところによると、腰痛改善の効果を得るためには、岩の下を9回くぐらなければならないらしい。何はともあれ、早速岩の下をくぐってみた。岩のすぐ近くに若い女の子達のグループがいて、僕が岩の下をくぐり始めると、物珍しそうに写真を撮っていた。だが、それを2回3回と繰り返すうちに「この人何やってるのかしら…?」という怪訝な表情になっていった(ように感じた)。

”ペドラ・ドス・カドリス”(腎臓の岩)。縁は丸みを帯びていて不思議な形をしている。

 しかしそんなことは気にしない。周りの目は気にせずに黙々と岩の下を何度も這い続けた。岩の下のスペースはとても狭くて、四つん這いになり、平行にロッククライミングするように進まねばならなかった。この体勢は確かに腰に効くかもしれない。

 それを連続で行った後は、少し息が上がり汗をかいていた。僕は腰痛持ちではないので、正直効果があったかはわからない。

 良い汗をかいた後は、眺めの良さそうな岩山の天辺に登り、腰を下ろして一息ついた。何も考えずに広大なケルト海を眺めていると、僕の心は海と一つに溶けて合わさっていくようだ。

ケルト海は言葉通り果てしなく広がっているようだ。

 これまでも何か上手くいかないことがあった時、海や星空を眺めると、気持ちがすーっと穏やかになることがあった。そして、心が大きくなると、大抵の問題は小さくなっていった。人間たまには、何も考えずに大きくて広いものを眺めるだけの時間が必要なのかもしれない。

 自分っていうものは、感じ方次第でこんなにも広がったり縮んだりするものなのだ。僕らは常に変化の途中にいる。結局のところ、自分に決まった形はなくて、その時の自分が思う自分がいるだけなのだと思う。日々僕らは変わっていく。自分が意識を向ける方に。

 今の自分は、いつも昨日の自分が作ったものであり、今日の自分が明日の自分を作っている。自分を大きなものに委ねてみると、自分は考えているよりも、もっと大きかったのだと知る。世界は一瞬前と違って見える。成長とは目に見える場所にはなく、心の頂への道があるだけなのだろうか。

 息苦しさとは、殻を破ろうとする時に生まれる抵抗感なのだろうか。未知の中を歩き続ける巡礼は、日々毎瞬間変化を迫られ、自分を越えた大きなものに身を委ね続けることになる。踏み出す一歩はどれも自分にとって未踏の地なのだ。僕ら巡礼はカミーノを歩いているようで、実際に巡礼しているのはそれぞれの心の中なのかもしれない。

 ひとしきり海を眺めると、岩場とムシアの村を散歩しながら、アルベルゲへと戻った。今日はあいにくの曇り空で、夕日を見ることはできなかった。

本日のアルベルゲ

Muxía Mare(Muxia)

 私営アルベルゲ
 開業日時:年中無休 12時〜22時

 ・宿代
   ドミトリー  13〜14€
   ダブルルーム 40€

 
・ベッド数 16

 ・キッチン
 ・ダイニングルーム
 ・シャワー室
 ・暖房設備
 ・タオル
 ・お湯
 ・洗濯場
 ・洗濯機(洗濯3€、乾燥3€)
 ・鍵付きロッカー
 ・コンセント
 ・Wi-Fi
 ・駐輪場

本日の支出

項目
ナポリタナ1
食材、その他6.33
ATM手数料5
宿代12
合計24.33
3,042円(1€=125円)

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