『旅の終わり〜秘密の小道〜』
6月16日 Fisterra → Muxia 29km
最果ての地フィステーラ到着から一夜が明けた。昨日は朝から慌ただしく、長い距離を歩くタフな一日だっただけに、身体にはずっしりと疲れが残っていた。窓から差し込んだ朝日で、アルベルゲの寝室はすでに明るくなっていた。
寝袋を出て「今日は歩こうか、休もうか、どうしようかな…」と考えながらノロノロと支度をしていると、同部屋の女性巡礼から話しかけられた。
「カミーノはどこからスタートしたの?今日はどこまで歩く予定?」
巡礼同士の定番の挨拶を交わすと、
「私はここで終わりにするわ!もう充分。」
とその女性マルガリータは言った。
続いて彼女の上のベッドで休んでいた彼女の友人もベッドから顔を出して、
「この人クレイジーなのよ!毎日30kmも歩いていたの!」
と呆れたように言った。これまで話したことこそなかったが、サンティアゴから西へ歩き出して以降、マルガリータのことを巡礼路で何度か見かけたことがあった。彼女の印象は「この女性は何かに急かされるように歩いてるな」というものだった。そして昨日事件は起こった。
昨日、フアン達と夕日を見に行く約束の時間まで昼寝していたところ、部屋の中でマルガリータが号泣する声で目が覚めた。ただごとではないと思い二段ベッドの上段から身を乗り出すと、泣いている彼女の傍らには老年のスペイン人夫妻がおり、三人で何やら話をしていた。
話を聞いていると、どうやらマルガリータが泣きながら老夫婦にお礼を言っているようだった。夫妻は「何でもないことだよ。元気出しなさい!」というようなことを言っていた。その時は詳細についてはわからなかったのだが、後からマルガリータにそのことについて話を聞くことができた。
彼女は昨日アルベルゲに到着した際、クレジットカードをどこかに落としたことに気づいたらしい。パニックになった彼女だったが、そのすぐ後でスペイン人老夫婦がカードを見つけて、届けてくれたらしいのだ。
異国の見知らぬ町に、ヘトヘトになって辿り着き、ライフラインであるカードがないことに気づく。それは誰だってパニックになるし、その時は相当参ったに違いない。そして、スペイン人老夫婦の親切が彼女の危機を救ったのだ。
「私はここで終わりにするわ!もう充分。」
そう言う彼女の表情には、何か清々しく晴れやかなものがあり、抱えていた重荷から解放されたような、憑き物が落ちたような、そんな印象を受けた。彼女のカミーノはここフィステーラで終わりを迎えたらしい。
「何もしないことも、とても大事なことよ。」
彼女は、疲れて見えたのであろう僕を気遣ってくれた。あるいは、僕も同じく何かに急かされているように見えたのかもしれない。
マルガリータは旦那さんのことについても話してくれた。彼女はこの40年間で、このような長い期間旦那さんと離れたのは初めてらしい。二人はとても仲睦まじいようだ。彼女は旅を終えて愛する人のもとへと帰るのだ。これから出かけるという彼女と握手をして別れた。その時の彼女はとてもキラキラとしていて輝いて見えた。
アルベルゲを発つ前に、朝食を食べていたフアンと話をした。ペドロは先にムシアへと旅立ったらしい。フアンのカミーノもまたここで終わりだった。二日間仲間に入れてくれたこと、楽しい時間を過ごさせてもらったことに感謝を伝えた。彼のハグにはやはり大らかさと優しさが溢れていた。そして彼もまたさっぱりとした良い表情をしていた。
清々しい表情をしたマルガリータやフアンとは対照的に、僕は朝から身体が重く、何だかどよーんとした気分だった。今日はゆっくり休みたかったが、フィステーラにもう一泊する気にはなれかったので、昨日より数キロ重くなったように感じるバックパックを背負うと、疲れた身体を引きずるようにして歩き始めた。
のろのろとしたペースに加えてムシアへの道を見つけるのに時間がかかってしまい、結局フィステーラを出たのは正午前だった。ムシア到着は遅くなりそうだったが、いたしかたない。
道中でムシアへ向かう巡礼に会うことはほとんどなくて、たまにムシアからフィステーラへと向かう巡礼達とすれ違うだけだった。ムシアは一体どんなところなのだろう。向こうからやって来る巡礼達の様子からそれを伺い知ることはできなかった。
巡礼路上に村はあまりなく、自然の中を一人で歩く時間が長かった。今日はひたすら歩き続けたい気分だった僕にとって、それはかえって好都合だった。
歩き続ける中で唯一立ち寄ったのは、小さな村にあった、寄付による巡礼のための休憩所だ。その休憩所は、マンハリンのアルベルゲを彷彿とさせるファンキーな見た目で、中はスピリチュアルな品々で埋め尽くされていた。
ファンキーな見た目とは裏腹に、管理人の女性は明るく親切で良い人だったし、休憩所のテラスは居心地が良かった。僕が到着した時には若い巡礼達のグループがいて、彼女らもとても寛いでいるようだった。
だがここの休憩所で一番寛いでいたのは、間違いなくそこで飼われていた犬達だろう。彼らは建物の周りで気持ち良さそうにベターっと寝そべっていた。ここは人も動物ものびのびできるところらしい。
優しそうな管理人の女性は、僕にミルクココアを作ってくれた。僕がそのミルクココアを飲んで寛いでいると、管理人の女性は「ブエン・カミーノ!」と言い残し、娘さんらしき女の子と一緒に、迎えにきた車に乗ってどこかへ出かけて行ってしまった。
そして僕は休憩所に一人ぼっちになってしまった。「この場所ほったらかしでいいのかな…?」と不安に思ったが、きっとそれでいいのだ、自由なのだ。もてなす側ももてなしてもらう側も、肩肘張らなくて良い空間だからこそ、この場所は居心地が良いのかもしれない。ミルクココアを飲み干すと休憩所を出発した。
天気は快晴で、歩いていると海の方から心地良い風が吹いてくる。松の良い香りに癒されながら松林の中を歩いていると、向こうから陽気な巡礼二人組がやってきた。一人の男の人は以前にも見かけたことがあったが、もう一人は初対面だった。
彼らと挨拶をして硬い握手を交わし、お互いに自己紹介を済ませると、フィステーラとムシアについての情報交換を始めた。すると突然、
「ワイン飲む?」
と勧められた。彼らは2リットルぐらいの紙パックのワインを、交互にまわし飲みしながら歩いているようだった。それで出会い頭からとても陽気だったのだろう。
お言葉に甘えて一口ワインを頂いた。そして彼らと互いの旅の無事を祈って別れた。彼らほどとはいかないが、僕もワイン一口分陽気になり再びムシアへと歩き始めた。
思い出したようにポツリポツリと村が現れて、僕はそれらの村をよく知ることのないまま通り過ぎていく。リーレスを少し過ぎた辺りで、小さな橋の架かる綺麗な川を見つけた。
橋の下には、かつて使われていたらしい飛び石が残されていた。ここは以前、川越の難所だったと本で読んだことがあった。巡礼達は身体を半分水に浸けながらこの川を渡ったらしい。先ほどの陽気な二人組が、
「この先の川で水浴びしたんだけど、最高だったよ!」
と言っていたのはこの川のことかもしれない。僕も橋のたもとから川辺へと降りてみた。
幸いさほど水かさもなかったので、飛び石に腰を下ろすと靴を脱いで川の水に足を浸けてみた。澄んだ川の水は疲れた足に冷たくて、水中でゆらゆらと足を揺らしていると気持ちが良い。静かに流れる水面をぼんやり眺めていると、心もそれに合わせて次第に速度を落としていくかのようだった。
心身共にリフレッシュすると再び歩き出した。川を過ぎてからは、人も人家も段々とまばらになっていき、一人で歩く時間がより長くなっていった。すると次第に疲れを感じ始めた。今どれほど歩いたのか、残りあとどれぐらい歩かないといけないのかわからない。そんな状況は僕をより疲れさせた。だがとにかく何も考えないようにしながら歩き続けた。
しばらく歩くと、丘の上に風車が建っているのが見えてきた。あの丘の上からきっとムシアが見えるはず!そう思うと希望が湧いてきて、足も軽くなり、ずんずん進んだ。希望を持って歩くことは、いつだって自分にできる最善のことだ。
しばらく歩くと丘の上に到着。丘の上からの眺めは叫びたくなるほどに絶景だった。だがそこにムシアはなかった。それでも気分は爽快になり、今度は駆けるように丘を下り始めた。それが勘違いであれなんであれ、希望の光は一度灯ると少々の落胆では吹き消されなくなる。丘を下り村を通り抜けて、ひたすら歩き続けた。
途中で散歩中のスペイン人親子に会った。父親は70歳、息子は50歳ぐらいに見える。年齢を重ねた親子で散歩しているスペイン人を巡礼中に度々見かけることがあったが、それは日本では(少なくとも僕の住んでいる町では)一度も見かけたことのない光景だった。
スペインでは親子はもっと近くて、難しくなくて、一緒に夕方の散歩に出かけるような仲らしい。それは羨ましいことだった。その親子のお父さんの方が、親切にも巡礼路を教えてくれた。
巡礼路は、それまでの山道から広い車道へと出た。車の通らない車道を下るように歩いていると、目の前にようやく海が現れた。果てしなく広がる海は太陽の光を弾いてキラキラと輝いていた。その時の嬉しさと言ったらない。「僕の海!会いたかったぞー!」と心の中で絶叫した。
やがて大きな車道を下りきり、平坦になった海沿いの道を歩く。天気も良くて綺麗なビーチもあったが、泳いでる人は誰もいない。時刻はもう19時になろうとしていたので、当然と言えば当然だったかもしれない。それにしても19時でまだこの明るさよ。
向かいから歩いてきた散歩中の地元のおじさんが「ムシアはもうそこだよ!」と励ましてくれた。スペイン人はなんて良い人達なのだろう。
ほどなくして、海の上、岩の間に築かれたような漁村ムシアに到着。一目見た瞬間からムシアのことが気に入ってしまった。ムシアに一目惚れしたと同時に、何だかフィステーラの時より最果ての地に来てしまったという感じがした。
ムシア到着の喜びに浸りたかったが、時刻は19時半、まずは今夜の宿を探さねばならない。時間が時間だったのでベッドが確保できるか心配だ。2軒のアルベルゲを尋ねたが、案の定どちらも満室のために断られた。
いよいよ不安になってきた僕だったが、希望を託して尋ねた3軒目のアルベルゲで、ようやくベッドを確保することができた。アルベルゲの名はMuxia Mare。そこはベッドも設備も立地も、オスピタレアファミリーのホスピタリティーも素晴らしい、最高のアルベルゲだった。
受付を終えて荷を下ろすと、とても空腹だったので近くのバルで軽食を食べた。小腹を満たしてアルベルゲへ戻ると、シャワーを浴びて夕食を作り始めた。
結局最後の最後までポモドールパスタとボガディージョを作ることにした。先にダイニングで夕食を食べていたカップルの巡礼が、
「良かったらどうぞ!」
と言ってパスタをおすそ分けしてくれた。彼らにもらったパスタを自分で作ったパスタと一緒に食べたのだが、やはりヨーロッパの人達が作るパスタはとても美味しかった。
パスタをおかずにパスタを食べていると、昨日ペドロが夕日を見に行く際に、「フィステーラの日没は22時18分だよ。」と言っていたのをふいに思い出した。時計を見ると時刻は22時を過ぎていた。「今海に行けば、夕日が沈むのを見られるかもしれない」という思いと「数日はムシアに滞在しても良いし明日でいいや」いう思いの間で一瞬揺れたが、なんだか気になり急いで夕食を食べて、片付けをすると外へ出た。
Muxia Mare のすぐ裏には海に面した小さな公園があり、夕日を見に集まった巡礼達が数人いた。僕が見ることができたのは、夕日が沈む最後の一瞬だけだったが、とても美しかった。フィステーラの時ほど人が集まっているわけでもなく、ギターで演出されてもいなかったけれど、僕はどちらかと言えばこちらの方が好きだと感じた。夕日が沈んだ後も、巡礼達は物思いにふけるように、水平線をじっと見つめていた。
無事に夕日も見れたところで、アルベルゲへ戻ると寝袋に包まった。今日は一日歩き通しだったのでとても疲れていた。
いつものように、うとうとしながら眠りに落ちて一日が終わるはずだった。だが今日はそうはいかなかった。
眠りに落ちかけた時、スマホにメッセージが入った。それは恋人からのもので、僕の実家で飼っていた犬が交通事故で死んだことを知らせるものだった。最初は信じられなかった。そんなことあるわけないと、受け入れられなかった。だが、それが紛れもない事実で、すでに起こったことであると認識し始めると、涙が溢れて止まらなくなった。
寝静まった寝室で、周りの巡礼達に気づかれないように声を押し殺して泣くのは結構大変だった。目を閉じるとそこには、愛嬌があり天真爛漫だった飼い犬の姿が思い浮かんで、苦しくて眠れなかった。帰ったらすぐに散歩に連れて行くはずだった。
自分の世界の大事な一部分が、もっとも柔らかくて壊れやすい部分が、突然乱暴に、そして永遠に奪い去られた。この出来事に一体どんな意味があるというのだろう。どう受け止めたら良いのだろう。
フィステーラの手前で、突然理由もなく泣き出してしまった理由は、おそらく愛犬の死が関係していると僕には思えた。僕らの心の中には秘密の小道があって、それは僕らがどこで何をしていようと、大事な存在と心と心で密接に繋がっている。
そして、人の心の中には時間とか距離なんてなくて、頭で考えるよりも早く、心は瞬時に感じとってしまう。あるいは、人間の心のなかには”どこでもドア”があり、そのドアの向こうにはいつも大切な人達がいる。
もうこれ以上歩き続けることは無理だと感じた。「カミーノはここで終わりにしよう」そう思った。
本日のアルベルゲ
Muxía Mare(Muxia)
私営アルベルゲ
開業日時:年中無休 12時〜22時
・宿代
ドミトリー 13〜14€
ダブルルーム 40€
・ベッド数 16
・キッチン
・ダイニングルーム
・シャワー室
・暖房設備
・タオル
・お湯
・洗濯場
・洗濯機(洗濯3€、乾燥3€)
・鍵付きロッカー
・コンセント
・Wi-Fi
・駐輪場
本日の支出
項目 | € |
パン | 2.3 |
コーヒー | 1.2 |
宿代 | 12 |
白ワイン | 1.7 |
合計 | 17.2 |
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