【サンティアゴ巡礼】フランス人の道 – 35日目 –

サンティアゴ巡礼記

『100kmと800km〜森のスズメと村のスズメ〜』
6月9日 Portmarin → Casanova Mato 30.2km

「ポルトマリンの先に少し変わった宿がある。そこはおすすめだよ!私達も今夜はそこに泊まる予定だ。」

 一昨日サン・マメデ・ド・カミーノのアルベルゲで、ハビエルがポルトマリンの先にあるアルベルゲを勧めてくれた。そのアルベルゲはポルトマリンから30km歩いたところにあるらしい。一風変わった宿らしく、
「行ってみればわかる。」
と言ってハビエルは詳しいことを教えてくれなかった。

 今日の目的地は、ハビエルおすすめのその風変わりな宿だ。結構距離があるので、今朝は早めに出発することにした。

 朝靄のかかるポルトマリンの町を出ると、道はすぐに森の中へと入った。今朝は暖かくて(初夏とはいえスペインの朝は日本の晩秋ぐらい寒い)体調も昨日よりはだいぶ良い。歩くコンディションとしてはまずまずだった。

 歩き始めて10kmぐらいは、バルはおろか腰を下ろして休めるところすらなかったので、ひたすら矢印に従って歩き続けた。

歩けど歩けど村がない、バルもない、朝食が食べれない。心なしか皆疲れて見える。

 ようやく現れたゴンサールの村のバルでは、朝食を待ち侘びていたであろう多くの巡礼が食事をしていた。早起きしてバックパックを背負い10kmも歩いたらお腹も空くはずだ。巡礼達は朝食を食べながら安堵の表情を浮かべているように見えた。僕はまだ歩き続けたかったので、バルへは立ち寄らずに先へと進むことにした。

 ゴンサールを過ぎると、小さな村がぽつりぽつりと現れるようになった。スペイン人達の静かな暮らしぶりを眺めながら前へ前へと進む。しばらく歩くとさすがに空腹を感じてきたので、通りがかった村のバルで朝食を食べることにした。

 バルの店内に客は僕一人で、温かいナポリタナとコーヒーの朝食を食べながら、店の中に飾られた品々を眺めた。女性店主が一人でやっているらしいバルには、写真や絵や古いコーヒー器具、さらには年代物の農具などが飾られていて、それらを眺めるのは結構楽しかった。

バルに飾られていた絵。コーヒーが飲みたくなる。

 店主の自作だと思われる、亀が描かれた石も飾られていて、
「この亀可愛いですね!」
と言うと、物静かな店主は嬉しそうに微笑んでくれた。

バルに置かれていた亀の石。何とも愛らしい。作者はきっと心の豊かな人だと思う。

 朝食でエネルギーを蓄えると再び歩き出した。村を出てすぐのところに古城跡について書かれた案内板を発見。巡礼路からは少し逸れるが、折角なので見学することにした。

途中立ち寄った古城跡。

 見晴らしの良い丘に建つ城の跡には、今はもう基礎の部分しか残されていなかった。かつてこの城が現役だった頃、人々はどのように暮らしていたのだろう。そんな想像を膨らませながら、崩れかけた城の基礎の間を散策した。

まるで迷路のようだ。

 満足するまで古城を散策し終えて、そろそろ巡礼路に戻ろうと歩き出したところで、近くを散歩していた地元のおじさんに
「君!巡礼路はこっちだよ!」
と声をかけられた。僕が巡礼路を外れて迷子になっていると勘違いしたようだ。それでもその思いやりのある一言が嬉しかった。気にかけてくれる人がいることはありがたいことだ。特に一人異国を旅する者にとっては。

気づけばサンティアゴ・デ・コンポステーラまで残すところ78.1kmになっていた。

 巡礼路に戻ってしばらく歩くと、それまでの砂利道はアスファルト舗装された車道へと変わった。その車道は全然車が通らず、巡礼達も車の往来をあまり気にせずのびのびと歩いていた。

 車道を歩いていると、オーストラリアからやってきたというおじさん二人組に話しかけられた。彼らはサリアの辺りからカミーノを歩き始めたらしく、僕がサン・ジャン・ピエド・ポーから歩いてきたことを話すと驚いていた。彼らは近くを歩いていた仲間の女性に
「彼は800kmも歩いているらしいよ!」
と僕の話題を持ちかけた。

今日は前後に多くの巡礼がいた。

 話しかけられた女性も
「すごいわね!」
と驚いていた。僕以上に歩いている人もたくさんいることを話すと、
「信じられないわ!私達は100kmで充分!」
と言って笑った。何とも爽やかな人達だった。

飼い主の言うことを聞かず逃走する羊。

 「カミーノを歩くということは、私にとって決意のようなものなの。自分で決めたことをきちんとやり遂げるということよ。
 女性としばらく話した中で印象に残った言葉だ。そこには確かな重みがあるような気がした。「自分との約束を果たすということ」それは一種の儀式のようなもので、自分が今後の人生で何を獲得できるかを左右するのかもしれない。彼女はそれを笑いながら話してくれた。

逃走しながらも葉っぱを食べる羊。

 彼らとしばらくおしゃべりをしながら歩き、その後彼らとは別れて一人で歩き始めた。すると心に何かが引っかかっているのを感じた。「なんだかモヤモヤするな…」と思いながら、改めて彼らとの会話を振り返って考えてみた。すると、あることに気がついた。

 それは、
「彼らはカミーノを本当に楽しそうに歩いていて、カミーノを歩くことの喜びが全身から溢れ出していた。それに比べて、今の僕はどうだろう?最近では、カミーノをさも当たり前の日常的なこととして、すっかり慣れてしまったように歩いている」
ということだ。

 今僕のいる場所は10年以上も前からずっと憧れ続けてきた夢の場所のはずだった。だがいつの間にか、カミーノを半分目を閉じたような意識で歩いている自分がそこにいた。心を開いて歩くなら距離は関係ない。むしろ、何となく800km歩くより、一歩一歩感動しながら100km歩く方が意味があるような気がした。

緑のトンネルをくぐり抜ける。

 心のどこかで”800km歩いている自分”を得意に思ってしまったことにも気がついて、そのことをひどく後悔した。今から道を引き返して、彼らに
「100kmも800kmも同じです。大事なことはどれぐらい歩いているかではなく、どのように歩いているかだと思います!」
と、よほど言いに行こうかと思ったが、次の村パラス・デ ・レイで会えることを期待してひとまず進み続けることにした。

 ”どれぐらい歩くかではなく、どのように歩くか”の大切さに気づいてから、僕の巡礼達に対する「ブエン・カミーノ」という挨拶にも変化が起きた。自分がそうであるように、彼らもきっとこの夢の舞台に立つまでに、いくつもの困難を乗り越え、大なり小なり犠牲を払い、迷いを断ち切ってここへやってきたはずだ。そんな彼らに敬意を抱くようになったし、心から祝福したいと思った。

 そんな想いから、一人一人の巡礼の目を見て、心を込めて「ブエン・カミーノ」と言えるようになった。そんな風に目と目を合わせて挨拶をするようになると、また新たな発見があった。

 道で出会う何人かの巡礼の瞳の中に、喜びや幸せが宝石のように輝くのを見たのだ。”目は心を映す鏡”という言葉があるが、彼ら彼女らの目の奥にある心の美しさを見た時、僕の心にも感動がこみ上げてきた。

サンティアゴが近づいて、巡礼達は何を想い歩くのだろう。

 ”カミーノは人生そのものだ”とよく言われる。だとしたら、僕ら人間は本来人生を生きることを夢見て生まれてきたのかもしれない。生きることそのものが大きな喜びのはずで、今日この日は僕らにとってまさに夢の舞台であり、この場に立っていることが奇跡であり、ただ目を開きさえすれば幸せはいつでも”すでに”与えられているのかもしれない。

パラス・デ・レイ到着。

 結局パラス・デ ・レイでオーストラリア人グループと再会することはできなかった。だが、今回の出来事から本当に大切なことを学ばせてもらった気がする。

 食料を調達するとパラス・デ ・レイを出た。草花や木々を眺めながらのんびりと歩いていると、通りがかった小さな村の中に巨大なホタテ貝のモニュメントを見つけた。側にはアルベルゲあり、まさにそこがハビエルが勧めてくれた一風変わったアルベルゲだった。

 「ふー、ようやく到着できた〜。」と安堵したのもつかの間、
「今日はもう満室だよ!」
とオスピタレアに言われてショックを受けた。アルベルゲで満室だと言われたのは、ここが初めてだった。よほど人気のアルベルゲなのかもしれない。加えて、サリアから巡礼が急増したことも影響していると思う。

 すでに到着していたらしいハビエルに連絡すると、
「ヒロ!だから予約した方が良いって言っただろう!オスピタレアに次の村のアルベルゲを予約してもらうから代わってくれ!」
と僕を叱責しつつも、彼は次の村の宿を手配してくれた。彼の親切と思いやりには本当に感謝だ。

 次の村のアルベルゲに電話してくれたオスピタレアから
「公営のアルベルゲだから予約はできないけど(公営のアルベルゲは予約できないというルールがある)、今行けばベッドに空きがあるみたいだよ!」
と教えてもらった。それを聞いてすぐに僕はアルベルゲを出発して次の村へと急いだ。

巡礼の数が増えて静かな巡礼路を歩く時間も少なくなってきた。

 次の村、カサノバ・マトに着くと、すぐに先ほど電話してもらったアルベルゲに飛び込んだ。「また満室だと言われたどうしよう…」と不安な気持ちで歩いてきたが、何とか無事にベッドを確保することができた。「ハビエル、オスピタレアありがとう!」

 30kmは数字でみたら長いが、今日はあっという間に感じた。歩けることに喜びを感じることは、歩いている時はもちろん、歩き終えた後にも気持ちの良さを残すようだ。

 シャワーと洗濯を済ませると、さほどお腹も空いていなかったが、アルベルゲの外のベンチでボガディージョを食べた。カサノバ・マトは小さな村で、静かで落ち着ける場所だった。

カサノバ・マト到着。

 「平和だな〜」と思いながらボガディージョを食べていると、僕の座るベンチの周りにスズメが数羽飛んできた。どうやら僕が落とすパン屑を食べにやってきたらしい。

 おすそ分けだと思い、パンをちぎってスズメ達の方へ投げると、スズメ達は突然奪い合いを始めた。どこからその様子を見ていたのか、他のスズメもたくさん飛んできて、争いは激しくなった。

 よく観察してみると、スズメ達の目は凶暴で、毛並みは悪く、ある者は太り、ある者は可哀想なぐらい痩せていた。体格の良い(というか太った)スズメが小さくて痩せたスズメにタックルしてパンを奪っている。”自分が食べれるかどうかより、他のスズメに食べさせないこと”に躍起になっていた。

 パンに群がるスズメ達は、森で見かける自由で美しい鳥達とは全く異なっていた。木々のこずえで美しい歌を奏でるのに使われるはずの声は、ここでは単なる威嚇の道具であり、もはや歌うことなど忘れてしまっているようだった。

 ”パンを求めて生きるのか、生きるためにパンを求めるのか”その考え方一つで、こんなにも違った生き物になってしまうのだ。パンを求めると奪い合いが始める。争うようにパンを食べるスズメ達はアルベルゲのすぐ隣に立っている木を住処にしていて、皆そこでピーチクパーチク鳴いていた。巡礼や村人からのおこぼれをいつでも食べれるように常にアルベルゲを見張っているのか、そうでない時は寝ているのかもしれない。

 森の鳥達の場合、必要な分だけ食べると、ほとんどの時間を好きな歌を歌ったり、深い森を飛び回ったり、綺麗に毛繕いをして過ごす。村のスズメと森の鳥が見せてくれた”生き様のコントラスト”に僕は考えさせられた。

「パンのために生きるか、生きるためにパンを求めるか」

本日のアルベルゲ

La Xunta de Galicia(Casanova Mato)

 Tel : (+34) 660 396 821 / (+34) 638 962 803

 公営アルベルゲ
 年中無休 10時〜22時
 予約不可

 ・宿代 8€

 ・ベッド数
 20

 ・キッチン(調理器具なし)
 ・ダイニングルーム
 ・シャワー室 5
 ・タオルのレンタルと販売をしています
 ・お湯
 ・暖房設備
 ・洗濯場
 ・物干し綱
 ・洗濯機(洗濯3€洗剤と柔軟剤付き、乾燥1.5€)
 ・ロッカー
 ・コンセント
 ・薬箱
 ・テラス
 ・駐輪場

本日の支出

項目
ナポリタナ、コーヒー2.8
パン、チーズ、チョコ3.06
宿代6
合計11.86
1,482円(1€=125円)

コメント

タイトルとURLをコピーしました