【サンティアゴ巡礼】フランス人の道 – 32日目 –

サンティアゴ巡礼記

『嵐の中で〜落ちるところまで落ちる〜』
6月6日 Ruitelan → Hospital da Condesa 15.4km

 目覚めると、一階から陽気な音楽が流れてきた。昨夜の夕食後にオスピタレオから
「明日は音楽が鳴るまではベッドから起きないでくれ!」
と巡礼達に通達があった。

 それがこのアルベルゲのルールらしく、毎朝のように繰り広げられる「早起きレース」を休戦するためだと思う。朝がゆっくりな僕にとっては、それはとても有難いルールだった。

 僕が起きたのは6時35分だった。アルベルゲの中には音楽がBGMとして流れていた。自分の中では早起きな方だったが、どうやらこの宿の巡礼の中では一番遅い起床のようで、他の巡礼達は一階で朝食を食べているか、すでに出発していた。

 僕が支度をしている間も音楽は流れ続け、今日のパッとしない天気の中へ歩き出す巡礼達を励ますかのように明るい曲が多かった。

 一階の食堂へ降りると、ポタラのダライ・ラマが
「ミスター・ジャパン!まだ寝てたのか!?朝飯食べるか!?」
と朝一番に陽気な言葉をかけてくれた。彼は朝からポジティブなエネルギーに満ちている。

 食堂には僕以外に誰もおらず、巡礼達が朝食を食べた跡だけが残されていた。席に着くと、アルベルゲが用意してくれた食べ物の中から、パン、クッキー、コーヒー、オレンジジュースを頂いた。

 一人で朝食を食べていると、小学生ぐらいの女の子が食堂にやってきた。彼女は席に着くとパンにマーガリンとココアパウダーをまぶして食べ始めた。”パンにココアパウダーをまぶす”という発想もさることながら(僕が知らないだけ?)、”こんな小さい子も歩いているんだ!”と驚いた。

 彼女の話を聞いてみたくて、
「今日はどこまで歩くの?」
と尋ねてみると、
「わからない!いつもママが決めるから!」
という答えが返ってきた。母娘でカミーノを歩いているらしい。

 オスピタレオが色々と世話を焼いてくれて、美味しい朝食をお腹いっぱい食べさせてもらった。ここ数日続いている体調不良を今日もひきずったままだったが、彼のポジティブなエネルギーと美味しい朝食で少し良くなったように感じた。

 ダライ・ラマ似のオスピタレオに、アルベルゲの名前になっている”ポタラ”の由来について尋ねると、
「私は少しだけブッディストなんだよ。だからさ!」
と教えてくれた。
そこにはまだまだ物語がありそうだったが、今回それ以上深くは聞けなかった。

 出発する前に二人のオスピタレオに感謝を伝えた。二人共温かくて良い人達だった。ダライ・ラマは出口まで見送ってくれて、ギューっとハグをしてくれた上に、ヒゲをスリスリーッとこ擦り付けてきて、少し痛かった。だが本当に愛情に溢れた人だと感じた。

 最後に見た彼の目はキラキラと輝いていて、彼の心の美しさを覗かせてもらった気がした。本物に会ったことはないが、心優しいルイテランのオスピタレオが尊敬するのだから、きっとダライ・ラマ14世本人も心が温かいに違いない。

 昨日インドの聖者に会ったかと思えば、今日はチベットの高僧に見送られる。カミーノは本当に謎に満ちている。

 ポタラのオスピタレオ達にもらった元気に後押しされ、霧のかかった薄暗い道を歩き始めた。霧にぼうっと浮かび上がる家々や、霧なんて全く気にする様子もなく草を食み続ける馬達を横目に先へと進む。

いよいよセブレイロ越えが始まる。

 しばらく進むと、やがて傾斜のきつい山道が現れた。いよいよセブレイロ峠越えが始まるようだ。

 久々の山道に加え、体調不良のせいもあって、一歩一歩亀のようにのろのろと登ることになった。「一度腰を下ろして休んでしまえば、再び歩くことはできないかもしれない…。」そう思ってしまうほどに、身体はすでに消耗し切っていた。

 すぐに息が上がり、次の1mを歩くこと以外考えられない状態になった。バックパックが肩に食い込み、足が鉛のように重い。重力が、僕とバックパックを地面へ倒そう倒そうと引っ張っているみたいだ。

セブレイロ越え序盤は体調が悪く本当にきつかった。今すぐにでもぶっ倒れそうだったが「後一歩だけ」と心で念じながら歩いた。

 それでも何とか峠の中腹にあるラ・ファバの村まで辿り着いた時には、クタクタになり、汗をビッショリかいていた。それについさっき朝食をたくさん食べたはずなのにとても空腹だった。すっかりくたびれた僕は、とにかくラ・ファバのバルで一休みすることにした。

ラ・ファバ到着。

 バルを探して村の中を歩いていると、ポタラで一緒だったスペイン人カップルが丁度バルから出てくるところに遭遇した。

 二人に挨拶をすると、
「コーヒーが飲みたいのかい?ここのバルは最高だよ!」
そう言って彼らは今出てきたばかりのバルを勧めてくれた。勧められるままに店内に入ってみると、彼らがこのバルを気に入った理由がすぐにわかった。

 小ぢんまりして落ち着いた雰囲気と、親切なおばちゃんの接客、そして店の中にドンッと据えられた大きく温かな薪ストーブ、寒く険しい峠越えの疲れを癒すにはまさにピッタリのバルだった。

 山道では滝のように汗をかいたが気温自体はとても低くて、何もしていないと手先がガチガチに凍るほどに寒い。そんな冷えた身体を赤々と燃える薪ストーブが温めてくれた。

バルに置かれていた大きな薪ストーブ。オレンジ色の炎が疲れ切った心身を暖めてくれた。

 ストーブの火に当たりながらコーヒーをすすり、1時間ほど日記を書いた。

 途中でコーヒーのお代わりを頼むと、店のおばちゃんがケーキを一切れサービスしてくれた。彼女の優しさもまたストーブの炎のように温かい。

 お代わりのコーヒーを飲みながら日記の続きを書いていると、一人の女性巡礼が日記を覗き込んできて、僕の文字の小ささに驚いていた。というのも、僕の日記は小さな手帳のような大きさで、大きな文字だとすぐに1ページを使い切ってしまうので、紙の節約のために極力文字を小さく書いていたのだ。

 彼女は
「私は文字を大きく書いて、日記を2冊に分けているわ!」
と教えてくれた。その方法も見やすいし、書きやすいし、良いかもしれない。というか皆他人の日記覗き過ぎじゃない?とも思うのであった。

 昨日はスペイン人祖父孫コンビの孫のマリオにも日記を覗かれて、
「字小さっ!」
と言われた。日に日に文字は小さくなり、今では一文字が米粒ほどの大きさにまで小さくなっていた。

 書きづらく読みづらくもあるが、僕の米粒日記は様々な場所で色々な人達との会話のきっかけを作ってくれた。それは予想もしていなかった嬉しい誤算だった。

 気力と体力が回復すると、ラ ・ファバを出発して峠越えを再開した。今日はまだ始まったばかりだ。

 峠道を登るにつれて、景色はだんだんと侘しくなってきた。次第に風は強まり寒さも増してきたように感じる。

 そのせいか体調も悪化してきた。石がゴロゴロ転がる道を鼻水をズルズルすすりながら一人でとぼとぼと歩いた。

この辛さよ。僕は悪魔に試されているのか?

 歩いていると何だか急に無力感を感じてきた。それはいつの間にか気付かぬうちに僕の心の中に入り込み、じわじわと心を蝕むように広がっていった。

 この世界に対して自分があまりにも無力であると感じた。これまで自分がしてしまった多くの過ちや失敗の記憶が蘇ってきて、たくさんの人達を傷つけてきたことに罪悪感を感じた。

 そしてこれからの自分の人生について考えた時、「強大な世界のシステムの前では僕はとても小さなネジの一本に過ぎず、変えられないもの、変えられそうにないもの、自分ではどうにもならないことがあまりにも多すぎる。結局は長い物には巻かれ、強い者には従うしかないのだ」そんな思いに囚われた。あるいはそれは誰かの囁きだったかもしれない。

 そんなことを考え続けているうちに、足に力が入らなくなり、呼吸は苦しくなり、身体はさらに重たく感じて、鼻水はズルズルと出るし、ついには一人涙を流しながら峠道を歩いていた。

 踏み出し続ける一歩一歩はもうどこへも向かっておらず、夢遊病者のように、彷徨うようにふらふらと歩き、峠を登っているはずなのにどこか薄暗い谷底へと降りて行っているような気分だった。

 心身ともに真っ逆さまに落ちていった。もう何も考えられなくなっていた。どれだけの時間彷徨い歩いていたかわからない、「落ちるところまで落ちた」そう感じた時、

だいぶ標高が上がってきた。

 突然何かの拍子に落下が止まった。

笑うから幸せになる

 誰かがそう囁いた。

 すると、荒れ果てた僕の心に小さな緑の芽がパッと顔を出した。僕は少しだけ微笑んでみた。

 するとたくさんの草花の芽が、硬く乾燥した生命の存在しない火星のような大地を突き破って一斉に芽を出し、それと共に幸せな気分が春風のように、全てのガラクタを吹き払うように巻き起こった。

 「全部大丈夫!自分にはまだできることがある!

 そんな風に思えるようになり、自分の中に自信が戻ってきたのを感じた。”蛇のような臣下に計られ玉座を騙し取られた王様が、正気に戻ってその座を取り戻す”。物語にしたらそんな展開だと思う。

 人を弱くする思想はいつだって僕ら一人一人の心の玉座を狙っていることを忘れてはならない。

 それは賢そうに語りかけてきて僕らに無力感を感じさせる。だが、彼ら自身に実体はなく、彼らが武器にするのは僕ら自身が作り出す無力感だ。僕らがそれを許さなければ彼らは何もすることができない。

 逆に言えば、自分に自信を持った瞬間に世界はすでに変わっているのかもしれない。全ては意識するところから始まるのだから。この世界は自分次第だと思うと何だか急にワクワクしてきた。

峠越えの途中でガリシア州ルゴ県に突入。

 そこから天気は悪くなる一方だったが、気持ちの方は晴れてきた。自分の天気は自分で決められる。生きてさえいれば、できることはたくさんある。

 再び力を取り戻した僕の両足は、峠越えに意欲を示していた。そして今までとは別人のような足取りであっという間に峠を登りきり、標高1320mにあるガリシア州最初の村オ・セブレイロに到着したのだった。

オ・セブレイロ到着。今まで訪れたどの村とも違う雰囲気だ。

 峠道での心の浮き沈みや、謎の囁きは一体何だったのだろう。疲れすぎて僕が情緒不安定だったのか、それとも悪魔に試されたのか。何はともあれ、無事に何かを通り抜けられたような気がした。

 到着した時、オ・セブレイロには強風が吹き荒れており、凍えるほどに寒かった。登ってくる時に暑くなって脱いでいたダウンを慌てて着ると村の中へと進んだ。

 村にはこれまでに見たことのない藁葺きの屋根に石造りの建物が立ち並んでいた。これは古代ケルト人達が住んでいたパジョッサと呼ばれる彼らの住居らしい。

ケルト人住居跡パジョッサ。風に強そうな造りだ。

 村に流れる陽気な民族音楽や、土産物屋に並んだケルト文化をモチーフにした品々も相まって、まるでRPGゲームの世界に入り込んだような気持ちになった。

 村には多くの巡礼達がいて、それらケルト文化の建物や民芸品を興味深そうに眺めていた。

ファンタジーのようなオ・セブレイロ村に、僕を含め巡礼達は興味津々だ。

 僕も興味がそそられないではなかったが、何よりもお腹が空いていたのでまずは村の食料品店へ立ち寄ることにした。

 しばらく村を歩き回り、ようやく食料品店を見つけたので中へ入ってみると、客は誰もおらず女性店主はなぜかムスッとして不機嫌そうに見えた。

 入った瞬間に嫌な感じがしたが、すでに入ってしまっていたので、引き返そうにも引き返せなかった。

 ボガディージョ用にパンを買いたくて、レジに立つ店主に、彼女の後ろの棚にあるパンを一つ頼むと、彼女はカウンターにドンッ!とパンを置き、
「使いたきゃ使いな。」
という感じでナイフを渡された。

 突然のことに少し恐怖を感じたが、せっかくナイフを貸して貰ったののでチーズが挟めるようにパンに切れ目を入れ始めた。

 だが僕はナイフを使うことに慣れいない。僕はナイフをうまく使えず、切れ目を入れるのにまごついてしまった。

それを見兼ねた女性店主が
「貸しな!」
と言って僕からナイフを取り上げると、ささっと手際良くパンを切ってくれた。僕は嬉しくなり
「ありがとう!」
とお礼を言った。すると僕が店を出る時に彼女も
「ありがとう!」
と言ってくれた。

ケルト紋様。これらのぐるぐる模様は一体何を意味しているのだろう。

 自分の天気は自分次第だが、自分の高気圧で相手の低気圧を押しのけることもできるのかもしれない。まず始めに自分が幸せであることで誰かを幸せにできる。

 持っていない物は分けられない。幸福な人は大抵上機嫌であり、笑顔や冗談によってポジティブなエネルギーを周りにも振りまいている。

 困っている人がいれば、親身になり手助けをする心の余裕もある。そうでなくとも誰かを傷つけようなんて思ったりはしないと思う。まずは自分の天気を晴れにすること。そうすることで、人が今日何気なくする行為が人から人へと伝わって、地球の裏側にいる誰かを笑顔にするかもしれない。

 そして、もしかしたら今日僕が人から受ける行為は地球を一周して帰ってきた自分の過去の行いかもしれない。行為は旅をする。カルマとはそういうことだろか?

 村の出口付近には辺り一帯を見渡せる丘があり、そこにはポツンとベンチが置かれていた。風はガンガン当たるが、他に昼食を食べるのに良さそうな場所がなかったので、そのベンチに座わるとボガディージョを作って食べた。

 ベンチからの眺めは壮大で、ここはまさに天空の村だった。それに絶景を眺めながら食べるボガディージョはとてつもなく美味しかった。場所と味、あるいは心と味の間にはきっと深い関わりがあると思う。

雄大な眺めの前にポツン置かれたベンチ(とバックパック)。ここで食べたボガディージョは最高に美味しかった。

 ボガディージョをしみじみ食べている僕を、通りすがりの巡礼が大きなカメラでパシャりと撮影した。その写真を何に使うのかわからないが、「ここの景色とこのボガディージョは最高だ!」という意味で僕は親指を立てグッドサインをした。

 すると彼女も「エンジョイ!」と言う感じで親指をグッと立てた。コミュニケーションは長年の英語学習ではなく、親指一本で済んでしまうものなのだと知る。

 もう少し先へ進みたかった僕は、昼食を終えると、結局オ・セブレイロを観光することなく、そのまま村を出発した。

 そこからはもう台風並みの暴風が吹き荒れる中を歩いた。しばらく歩くと道路の脇に大きな巡礼の銅像が建っていて、彼もまた強風に帽子を飛ばされないように必死に押さえながら歩いている様子だった。この辺りはしょっちゅう強風が吹き荒れる場所なのかもしれない。僕自身も風に吹き飛ばされないように歩き続けた。

サン・ロケ峠。帽子を押さえる巡礼像は、天気も相まって迫力がある。そしてとにかく風が強い。

オスピタル・ダ・コンデサが見えたところで暴風に加えて雨も降り出した。そこで「これ以上は無理!今日はもうここまでだ。」と観念して、オスピタルの村の公営アルベルゲに駆け込んだ。幸いにもベッドには空きがありホッと一安心。

 シャワーと洗濯を済ませるとキッチンでしばらく日記を買いた。窓ガラスの外には、嵐の中を歩いてこちらへやってくる巡礼達が見えた。

 夕食の時間になり、パスタを茹でるために混み始めたキッチンでコンロの順番待ちをしていると、調理中だった強面のフランス人のおじさんが、
「お前のパスタも一緒に茹でるか?」
と言って、彼らがパスタを茹でている鍋に僕のパスタを投げ込んで一緒に茹でてくれた。

 話しかけられた時は少しビクッとしたが、とても気さくで親切な人だった。夕食は彼らフランス人4人グループに混ぜてもらい、楽しい時間を過ごさせてもらった。

 夕食を食べ終えると、今はもう暴風雨をしのぐためのシェルターのようになったアルベルゲで、明日は天気が回復しますようにと願いながら眠りについた。

 疲れと不安と明日のこと。嵐の夜の巡礼宿ではきっと皆同じ気持ちでいたに違いない。

本日のアルベルゲ

Xunta de Galicia(Hospital da Condesa)

 Tel : (+34) 660 396 810 / (+34)676 939 812 / (+34)982 161 336
 
 公営アルベルゲ
 年中無休 13時〜22時

 ・宿代 8€

 ・ベッド数 18


 ・キッチン(ただし調理器具がありません)
 ・ダイニングルーム
 ・シャワー室 4
 ・お湯
 ・暖房設備
 ・洗濯場
 ・物干し綱
 ・洗濯機(洗濯3€)
 ・コンセント
 ・薬箱
 ・コンセント
 ・ポーチ有り

本日の支出

項目
宿代(Ruitelan)16
コーヒー2.6
パン、クッキー2
宿代(Hospital da Condesa)6
合計26.6
3,325円(1€=125円)

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