【サンティアゴ巡礼】フランス人の道 – 31日目 –

サンティアゴ巡礼記

『別れの時〜ダライ・ラマ14世〜』
6月5日 Pieros → Ruitelan 26km

 今朝はこれまでで一番体調が優れなかった。疲れているのか、風邪をひいているのか、そのどちらでもあるようだった。
 
 何とかベッドから身体を起こすと、のろのろと準備を始めた。8時が近づいて来ると、アルベルゲに流れていたBGMの音量が大きくなった。それによって巡礼達の出発を促すと同時に、オスピタレオ達が朝の作業のギアを一つあげたように感じた。

 支度が整うとオスピタレオ達に感謝を伝えてアルベルゲを出発。巡礼路を歩き出す前にアントアンに会うため彼の休憩所に立ち寄ることにした。

 ゴンサロは先に来ていて、休憩所の外でコーヒー片手にタバコを吸っていた。アントアンに朝の挨拶をして中へ入ると、巡礼が一人朝食を食べていた。自分も荷を下ろして席に着くと、パン、クッキー、ヨーグルトを皿に乗せ、カップに温かいコーヒーを注ぐと朝食を食べ始めた。

 僕の身体は、不調から抜け出すためのエネルギーを求めていたのか、珍しく朝食をお代わりするほど空腹を感じていた。するとアントアンが

「ヒロさん今日はお腹が空いているね!食べることは身体を温めるために大事なことだよ。今日みたいな寒い日は特にね!」

と言ってくれた。彼の優しさが何より温かかった。

 ふと、昨日彼が彫っていた木像のことが気になり、作業の進捗具合を尋ねてみると、

「まだまだだよ。完成までは当分時間がかかりそうだ。インスピレーションが湧いてきて一気に進む時もあれば、全く手につかない時もある。現にカミーノに来るまでほったらかしていたしね。」

「それに今は一本の彫刻刀だけで彫っているんだ。学校で学んでいた時は40種類の道具を使い分けていたんだけどね。一本だけで彫るというのも、これはこれで悪くないよ。ゆっくり考えながら彫れるしね。」

 そう教えてくれた。そして例の木像を取り出すと、ヒョイと僕に持たせてくれた。

 サッカーボールほどのサイズの木像は、どうやら仏像のようだった。

”胡座をかいたお坊さんが、両手で顔を覆いながら泣き崩れている”

僕にはそう見えたが、本当のところはわからない。改めて尋ねるのも野暮ったい気がした。

 その”お坊さん”が嬉しくて泣いているのか、悲しくて泣いているのかはわからないが、どちらにせよアントアンの明るく陽気な雰囲気とは対照的な、道を求める者の苦悩や悲哀や葛藤のようなものがそこにはあるように感じた。

 加えて仏像の外観もさることながら、僕はその重さに驚いた。手に持った時にずしりと重い手応えがある。

 そこには、大きな木の塊としての重さだけではなく、アントアンが仏像、あるいは自分自身と向き合い続けてきた時間の重さが蓄積されているように感じた。

 僕が両手で抱えている物は目に見えない凝縮された想いなのかもしれない。僕は芸術になど一切縁のない人間だが、その仏像には何かがあるような気がした。

アントアンの仏像は、削れば削るほどに、彫れば彫るほどに重くなるのかもしれない。

 一服から戻ってきたゴンサロも仏像に興味津々で、アントアンにアレコレ尋ね始めた。僕が席に戻り再び朝食を食べ始めると、一人のおじいさん巡礼が休憩所に入ってきた。

 そのおじいさんはとても疲れ切った様子で、表情は固く無口だった。英語は通じなかったが、彼はどうやらコーヒーを飲みたいようだったのでカップにコーヒーを注いであげた。そこで”ハッ!”と気付いた。

 今自分がしたことは昨日自分がここでしてもらったことと全く同じだ。些細なことだし、偶然かもしれないが、何だか不思議な気持ちになった。

 この場所では、親切が人から人へと伝染して、勝手に繰り返されているみたいだ。間違いなくアントアンがその発信源であり、渦の中心なのだと思う。そしてその親切と思いやりの渦に巻き込まれた人達は、自分も親切をせずにはいられなくなる。

「全てを始めからやり直すことはできないが、今いる場所とこれから先の未来は変えることができる」

 休憩所にはインドのハグする聖者アンマの歌が絶えず流れていた。彼女の神秘的な歌声もこの場所で起こる不思議なカルマ現象に一役買っているような気がした。そんな僕の考えを読み取ったかのように、アントアンが2枚のアンマの写真を持ってきて見せてくれた。

 一枚は比較的最近撮られた物らしく、彼女の優しい表情と何でも見通してしまいそうな深い色の瞳が印象的だった。

 もう一枚は、彼女が10代の頃に撮ったというモノクロの写真だった。写真の中の彼女の祈り方はとても特徴的で、両膝を地面について両手で望遠鏡の形を作り右目でそれを覗き込んでいた。アントアン曰く、
「彼女にはこの世界のマトリクスが見えるんだ。」
ということだった。

 彼女は10代の頃から只者ではなかったらしい。今は世界を飛び回り、様々な国でダルシャンを行ったり、貧しい人々を救済する活動をしているのだとアントアンが教えてくれた。ますます興味深い。

 疲れた様子だったおじいさん巡礼は、一休みして元気が出たらしく、僕らよりも先に出発して行った。そしてついに僕にもその時が来た。

 僕がアントアンに、

「とても去り難いけど、僕ももう行かないと。」

と伝えると、

「もちろん、君はそうしなければならない。」

と彼は言った。

 アントアンと握手をしてハグをすると、
「インドで会おう。アンマのアシュラムの仲間はいつも繋がっているんだ。」
と言ってくれた。

 バックパックを背負い休憩所の外へ出ると、彼も見送りに出てきてくれて再び握手とハグをした。てっきりゴンサロも一緒に出発するものだと思っていたら、
「タバコを吸ってから5分後に出発する。すぐに追い着くよ!」
と言って休憩所に残った。(結局その日彼は追い着いて来なかった)

 見送ってくれるアントアン(なぜかゴンサロも)に何度も手を振った。最後は二人で例のゴンサロのタコ踊りをして励ましてくれた。

 前を向いたら僕はもう振り返らなかった。歩いていると目から涙が溢れてきた。それは良い涙だった。かけがえのない素晴らしい出会いをしたという証だった。相変わらず体調は悪かったが、心はとても満たされていた。

友と別れ再び巡礼路を歩き始めた。

 今日の目的地はルイテランという村のR.P.Potalaというアルベルゲに決めていた。ピエロスのアルベルゲに貼ってあったR.P.Potalaのポスターの、そのエキゾティックな雰囲気にすっかり惹かれてしまったのが理由だ。今さらながら、僕が歩く距離は泊まりたいアルベルゲ次第で決まることが多い気がする。

ピエロスを出発。前へ進み続けるのが巡礼の定めなのだ。

 ビジャフランカ・デル・ビエルゾに着くと雨が降り出したので、頭からすっぽりとポンチョを被って歩いた。バックパックを背負いながらポンチョを着たり脱いだりするのが面倒だったので、そのポンチョ姿のままビジャフランカのお店で買い物をしたら、店員のお姉さんに笑われてしまった。

ビジャフランカ・デル・ビエルゾ到着。趣のある建物が出迎えてくれた。

 巡礼路はビジャフランカ・デル・ビエルゾから、山の中を通る道と車道沿いを歩く道の二手に分かれると聞いていた。当初は山の中の道を歩く予定でいたが、歩いているうちに分岐点を見落としてしまったようで、気付けば車道沿いの道を進んでいた。

ビジャフランカ・デル・ビエルゾ。静かで居心地の良い町だった。

 仕方がないのでそのまま車道沿いの巡礼路を歩き続けることにした。雨は降ったり止んだりの不安定な天気で、車道沿いの道は休もうにも腰を下ろせる場所がなかった。

休める場所もなく、ひたすら車道に沿って歩く。

 長いこと歩いてようやく小さな公園を見つけると、そこでしばらく休憩することにした。雨に打たれながら歩き続けたのでくたびれていたし、すっかりお腹も空いていた。置かれていた椅子に腰を下ろすと、昼食にボガディージョとクッキーを食べた。

巡礼達は看板に貼る用のステッカーを持ち歩いているのだろうか。どちらにせよ楽しい気分にさせてくれることはありがたい。

 昼食を食べ始めると雲の切れ間から太陽の光が差し、雨で打ちひしがれた心身を温めてくれた。陽光と食べ物が人をここまで元気にしてくれるのだと改めて知ることができた。

 一人でモグモグと食事をしていると、そこを通りがかった女性巡礼が

「ケ・アプロヴェーチェ!(食事を楽しんで!)ブエン・カミーノ!」

と笑顔で声をかけてくれた。その言葉にまた温かい気持ちになった。

 たった一言でいい、その一言で人がどれだけ嬉しい気持ちになることか。些細なことのようで、決して小さくない。これだってカミーノマジックだと思う。

通りがかった村では住人が粋なことをしてくれていた。思わずクスッと笑ってしまう。

 食事を終えて歩き出すと再び雨が降り出した。忘れた頃に現れる村々は、どれも小さくて人気がなく静かだった。廃屋が目立つそれらの村は、進むほどに濃さを増していく森や草木に飲み込まれつつあるように感じた。日本に限らずスペインでも地方の過疎化は進んでいるのかもしれない。

のどかな村の中を通過していく。

 道を歩いていると時折「カラン、コロン」と鈴の音がして、鈴の音の鳴る方に目をやると、首に大きな鈴をつけた白や茶色の牛達が草むらの中にいて、雨を気にする様子もなくのんびりと草を食んでいた。その素朴な鈴の音と牛達の悠々とした姿に癒される。目指す宿は近いはずだ。

進むほどに緑が濃くなっていく。

 ルイテランには15時前に到着。今夜宿泊予定のアルベルゲは受付が15時までと書かれていたので、かなりギリギリの到着だった。時間もなかったので急いでアルベルゲへと向かう。

 アルベルゲR.P Potalaは古くて大きい建物で、メインの通りから裏の方へ回り込んだところに入口があった。ドアを押し開けると「カランカラン」と鈴が鳴り、どこからともなくオスピタレオが現れた。彼は親切にもポンチョを脱ぐのを手伝ってくれた。

色彩が鮮やかなアルベルゲの入り口。

 受付を済ませて二階の寝室へ上がると、そこにはすでに何人かの巡礼が到着していて、皆思いおもいに休んでいた。彼らも皆雨に打たれながらここまで歩いて来たのだろう、ベッドに寝転んだ巡礼達はやや疲れた様子だった。

 荷を降ろすと、シャワー、洗濯を済ませ、雨が上がったようだったので外に洗濯物を干した。その後しばらくは、日が差し始めた中庭のテーブルで日記を書いた。

 そうしていると、昨日宿が同じだったアニーとスージーのアメリカ人女性コンビがアルベルゲに到着。彼女らに挨拶をしてその後もひたすら日記を書いていると、しばらくしてシャワーと洗濯を済また彼女達がやって来て
「ビールでも飲みに行かない?」
と誘ってくれた。せっかくなので行ってみることにした。そこに台湾人女性シンディも加わり、4人で村のバルへと向かう。

 カントリーミュージックの流れる小さなバルに腰を落ち着けると僕らはビールで乾杯した。カミーノ は僕ら巡礼を”偶然”引き合わせる。例えば今ここでテーブルを囲む僕らのように。だが、僕はそこには何らかの意思があると思っている。

 カミーノを歩いていると、”一日の終わりには、その日の朝には想像もできない状況にいる”ことが多い。カミーノではそんな毎日だ。

 グラスを片手に僕らの話題はやはりカミーノ。そしてお互いのこと。

 他の巡礼達と1ヶ月間寝食を共にして感じたことがある。それは”僕らは確かに違う言葉や価値観を持って生きているが、中身は全く同じ”だということだ。巡礼に出る前のコミュニケーションに関する不安などいつの間にか消えてなくなってしまっていた。

 彼女らと話す中で、日本に留学したことのあるアニーから、
「日本にも外国人に対しての差別がある。」
という話をされてドキッとした。

 先日のチナおじさんの件以来、自分は被害者だとばかり考えていたが、自分の国でも同じような差別が海外の人達に対して行われていた。僕がカカべロスで感じた気持ちを、日本のどこかで誰かが日々感じているのだと思うと胸が痛んだ。

 日本にも確かに差別の悲しい歴史があり、今なお完全にはなくなっていないという話を聞くこともあったが、実際に差別を受けた後ではその感じ方も違った。自分が差別を経験したことで、今後はその根深い問題に対して自分なりに考えて行動していかなければならない、そう考えさせられた。

 外を見るとまた雨が降り出していた。「あ!洗濯物!」と誰かが言って、一同「しまった!」という表情になった。(他の巡礼は室内に洗濯物を干していたが、僕らは皆外に洗濯物を干していた)

 だが一瞬で諦めてビールを飲み続けることにした。「ドライヤーで乾かせばいいんじゃない?」という結論に落ち着いたからだ。

 楽しい夕べの語らいを終えてアルベルゲへ戻ると、夕食の時間までベッドで日記を書いたり、アルベルゲに飾られた品々を眺めて過ごした。

アルベルゲに飾られた写真。巡礼達は皆このアルベルゲで素敵な時間を過ごしたのだろう。

 夕食は十数人で食卓を囲む賑やかなもので、アルベルゲの夕食は美味しい上にとにかく量が多かった。とても気前が良くホスピタリティに溢れた料理から「どんどん食べて元気をつけろ!」というメッセージが伝わってくる。

 僕がアルベルゲに到着した時に受付をしてくれたオスピタレオはキッチンで料理を作っているようで、彼とは別のオスピタレオが給仕をしてくれた。その給仕をしてくれたオスピタレオは、アルベルゲに飾られているダライ・ラマ14世の写真に顔がそっくりで、すごく陽気で温かい人だった。

ダライ・ラマの写真。このアルベルゲのホスピタリティには彼の精神が宿っている気がする。

 ダライ・ラマ似のオスピタレオは、以前から僕のことを知っているかのように親しげに話しかけてくれた。本物のダライ・ラマもこんな風に相手を包み込むような温かさを持った人に違いない。

 夕食では75歳の祖父と15歳の孫で歩いているスペイン人祖父孫コンビと仲良くなった。75歳には全然見えない祖父のハビエルは今回が9回目(9回目!)のカミーノで、長身でまだ顔に幼さの残るマリオは初めてのカミーノだということだった。

 おじいちゃんが孫とカミーノを歩くなんて素敵だと思う。いつか僕も自分の孫と歩いてみたいな。そんな風に思わされた。その後も、僕らは大いに語って大いに食べて沢山笑った。

夕食前の様子。皆ほぼ初対面みたいだったが、楽しそうに談笑していた。

 楽しい夕食の時間も終わり、各々寝室へ戻ると寝る支度を始めた。僕も支度を済ませて寝袋に潜り込んだ。

 すると階下から何だか神秘的な音楽が流れてきた。後から思えばあれはチベットの民族音楽か何かだったかもしれない。外は真っ暗で雨が降り続いていて、風も強く吹いていた。

 マンハリンの時と同じく、何だか異世界にいるような感じだった。明日は巡礼最後の難関セブレイロ峠越えが待っている。

 明日にドラゴン退治を控えた騎士はこんな気持ちだったのかもしれない。そんな不安と緊張とどこか神聖な夜だった。

本日のアルベルゲ

Pequeño Potala(Ruitelan)

 Tel : (+34) 987 561 322
 Email : pequepotala@hotmail.com
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 私営アルベルゲ
 年中無休 12時〜22時
 予約可

 ・宿代 20€(夕食、朝食込み)

 ・ベッド数 12


 ・冷蔵庫(食べ物の保管は頼めます)
 ・リビングルーム
 ・会議室
 ・シャワー室 3
 ・お湯
 ・暖房設備
 ・物干し綱
 ・洗濯機(洗濯4€、乾燥4€)
 ・コンセント
 Wi-Fi有り
 ・薬箱
 ・コンセント
 ・小さな庭有り
 ・駐輪場
 ・キャンプ場

本日の支出

項目
チーズ、クラッカー1.87
サクランボ1
ビール1.8
合計10.6
1,325円(1€=125円)

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