『空間あるいは余白〜安らげる場所、帰るべきところ〜』
5月23日 Carrion de los Condes → Ledigos 23km
昨夜は妙に寝付けなかった。狭い部屋に横並びで3人という間取りに慣れていなかったせいだと思う。
右には全身タトゥーの入ったジャスティン・ビーバー似のお兄さん、左にはショートカットの若い女性巡礼、その二人に挟まれて長い夜を過ごした。
昨夜21時頃に部屋へ戻ると、二人共もすでに寝ていた。二人は就寝も早ければ出発も早く、今朝は6時過ぎには二人共いなくなっていた。
なのでプライベートルームと化した部屋で、時間をかけて支度をすることができた。入念に荷物を整理すると、心にもバックパックにも余裕が生まれたような気がした。朝一番に余裕が生まれると、1日を通して気持ち良く過ごせると思う。
支度を終えると、朝食を食べにキッチンへ移動した。ほとんどの巡礼達はすでに出発した後らしく、キッチンはがらんとしていた。
僕は人のいない静かなキッチンでの時間が好きだ。その静けさが食事をとても味わい深くしてくれる。誰もいないキッチンには「”味わう”ことを許してくれる時間的、空間的なスペースがある」からだと思う。「目の前のものをゆっくりと味わおう」そう思えることから豊かさは始まる気がする。
忙しすぎるとその逆のことが起きる。
一人でモグモグとボガディージョを食べていると、夫婦の巡礼がキッチンへ入って来た。挨拶を交わした後、彼らと少し話をさせてもらった。二人はスペイン東部の小さな島に住んでいるらしい。僕も彼らと同じように島育ちなので、夫妻にとても親近感を覚えた。
40代ぐらいだと思われる夫妻からは心の余裕がオーラのように滲み出ていた。二人がキッチンへ入って来た時に、奥さんが笑顔で話しかけてくれた時からそれを感じていた。
夫婦は、僕の拙いスペイン語にも辛抱強く付き合ってくれる大らかな人達でもあった。夫妻が話すスペイン語はずっと聞いていたくなるほどに美しく、ゆったりとしていて”こんな素敵な大人になりたいな”と憧れすら抱いた。
と同時にスペイン人のことがもっと好きになった。ご夫妻は心にゆとりを持っていて、そのスペースは今日出会う人や出来事のために喜んで開かれているようだった。
基本的に、アルベルゲは朝8時ぐらいになると追い出される。ここMonasterio.Santa Claraも例外ではなく、オスピタレオとシスター達による包囲網がその円を徐々に狭めてきているのを、ベッドメイキングや屋内を掃除する音から感じた。なので食事を終えると慌ててバックパックを担ぎアルベルゲを出た。
アルベルゲのシスター達は、今日も歩き疲れてやってくる巡礼達のために、清潔で安らげるスペースを作ってくれている。日々の彼らの献身的な仕事には感謝しかない。
町に巡礼はほとんどいなかった。皆早々に町を出発したようだ。それもそのはず、今日は村も店も何もない道を16.8kmも歩かねばならない。少しでも涼しい時間帯に距離を稼ぐのは正しいやり方だと思う。一方の僕は、無計画も良いところで、特に急ぐこともなくのんびりと町を出発した。
町を出て車道沿いをしばらく歩いていると、一人のアジア人の女の子が僕を追い越して行った。
その子は僕を追い越して数m歩いたところでこちらを振り返り、
「日本人ですか?」
と日本語で話しかけてきた。
久しぶりに日本人に会えた!と思ったら、彼女は台湾人だった。彼女は見かけも話し方も日本人にしか思えなかった。それもそのはず流暢な日本語を話す彼女は、一年間日本へ留学したことがあるらしい。
彼女の名前はフィビさんといい、とても明るくて元気な人だった。話をしながら彼女の日本愛を感じることができて、とても嬉しい気持ちになった。そこからフィビさんとおしゃべりしながら歩いた。
カミーノを歩くことになったきっかけ、家族、友達、仕事について止めどなく話をした。彼女は歩くのがとても早く、彼女に合わせるように自分も普段より早歩きになっていたのだが、不思議と疲れは感じなかった。それほど話に夢中になっていたのだと思う。
「人と話すことは、不安、退屈、疲労をはじめあらゆるネガティブな気持ちに対する特効薬である」そうカミーノは教えてれくれた。楽しくおしゃべりができたのも、彼女の堪能な日本語と日本文化に対する敬意のおかげだ。本当に感謝したい。
だが、最後の3kmほどはさすがにきつかった。一度も休まずにずっと歩きっぱなしだったせいだと思う。しかし、
「疲れたね〜」
と二人で言い合うと、その疲れも和らぐ気がした。
「村はまだかなー。もう着くはずなんだけどなー。」
とさすがのフィビさんもこぼし始めたが、彼女の歩くペースは一向に変わらない。小柄で細身のフィビさんは、自身の身体の半分ほどの大きさのバックパックを背負っていて、1日40km歩く日もざらにあるらしい。彼女の歩く速度はとても速くて、僕らは前を歩く巡礼を次々と追い越して行った。
一体全体、彼女の華奢な身体のどこからそのエネルギーは湧いてくるのだろう。性別や身体の大きさが関係ないのだとしたら、エネルギーの源は一体どこにあるのだろう。
彼女の一番の特徴は、常に笑顔で楽しそうだということだ。彼女はあらゆることに対してとてもポジティブだ。目の前のことに対してもそうだし、人間関係や仕事、カミーノの歩き方に対してもそうだった。
「日本人ですか?」
と、見ず知らずの僕に朝一番笑顔で話しかけてくれた。その事実の中に全てがあるように思えた。
エネルギーのバルブはポジティブになると開かれて、ネガティブになると閉じられるのかもしれない。その人自身が毎瞬間それを調整しながら生きている。そしてその”水”は”使われるためだけ”に尽きることなく与えられているのだから、僕らがすべきことは蛇口をポジティブな方に捻ることだけだ。
蛇口を開けば開くほどにエネルギーは出てくる。逆にずっと閉めっぱなしのバルブは、錆びついて使えなくなるか、いつかどこかで水道管が破裂してしまうかもしれない。
きっと、僕らはいつもどこかに向かって開かれていた方が良いのだと思う。
カルザディージャ・デ・クエザの村は突如現れた。その姿が見えた途端、嬉しさと安堵がこみ上げてきた。
村の入口にあるバルでは、砂漠をさまよいようやくオアシスに辿り着いた旅人のような巡礼達が、疲れと達成感に浸りながら休んでいた。
僕らもバルで一休みすることにした。フィビさんはオレンジジュースと、大好物だというオムレツを頼み、僕はコーヒーを注文すると開放感のあるテラス席に座った。
今朝は寒かったのでダウンを着て歩いていたのだが、脱ぐと汗をビッショリかいていた。ここまでダウンを脱ぐ暇もないほど、先へ先へと休まず歩いてきた。
周りの巡礼達を眺めながらコーヒーをすすっていると、フィビさんはすでにオムレツをたいらげ、オレンジジュースを飲み干して、出発の準備をしていた。歩くのが速いフィビさんは食べるのも速かった。
その様子を見た僕は「これ以上彼女のペースに合わせるのは無理だ!」と感じたので、一緒に歩こうと言ってくれたフィビさんに
「僕はもう少し休んでから行くよ!」
と伝えて彼女を見送った。
彼女の驚異的な体力には最後まで驚かされた。だが、彼女がいなければ、ここまでの道のりはより過酷なものになっていただろう。フィビさんありがとう!
彼女を見送ると同時にバルの隣のアルベルゲからオンニ達が現れた。どうやら今からランチを食べるらしい。僕が座っている席に彼女らも腰を下ろした。
コーヒー、ソーセージ盛り合わせ、トルティーヤをテーブルの上に置くと、数本あるソーセージの内の一本に”ドン!”とフォークを突き立て、
「ん!」
と言ってそれを僕にくれた。それにトルティーヤまで分けてくれた。
彼女達はもう友達を越えて、小さい頃から知っている親戚のおばちゃんみたいだった。そんな彼女達の優しさにいつも救われた。言葉は全然通じないのに、心は確かに通じ合っていた。もしかしたら、言葉が通じないおかげで心が通じていたのかもしれない。
さらに、オンニはバッグから木製の赤い十字架を取り出すと、それを僕にくれた。突然のプレゼントにとても嬉しくなった。感謝を伝えると、そのT字型の赤い十字架を財布に大切にしまった。彼女達の優しさに対し、僕はどう報いることができるだろう。
食後、彼女達はグーグル翻訳機を使い、
「6月12日にサンティアゴで会いましょう!」
と言ってくれた。返事の代わりにパチン!とハイタッチをした。先に出発する彼女達を見送ると、笑顔でこちらに手を振ってくれた。
6月12日、サンティアゴ到着は自分のスケジュールとも重なる。「サンティアゴで会いましょう!」今日か明日また会うと思うけど!
休憩を終えて、次の村へと向け歩き出した時、自分の身体の異変に気がついた。歩く度に左足の裏に痛みを感じるのだ。慣れないペースで長い距離を歩き続けたせいだろう。少し心配だ。
そこからはゆっくり歩いたのだが、痛みは一向に治まらない。朝のペースとは打って変わって、6kmという短い距離を痛みに耐えながらノロノロと歩いた。
次の村レディゴスに着いたのは14時頃で、「もうこれ以上は歩けない」と感じた僕は、レディゴスに泊まることにした。家畜の匂いがしてニワトリの鳴き声が聞こえるレディゴスの村が、大変自分好みだったのも理由の一つだ。
その日は足を休めつつ、村の穏やかな安らげる時間の中でのんびりと過ごした。
レディゴスでゆったり過ごしながら考えたことがある。
心安らぐ場所。多くの人がそこから離れていくが、一番最後にはそこになくてはならない大事な場所。自分を無条件に受け入れてくれる場所があり、待ってくれている存在がいるということ。人はそこで本当の安らぎを得られる。
人と押し合い圧し合いしながら自分の居場所を確保し続ける必要はないし、あらゆる要求に首を絞められながら窮屈に暮らさなくてもいい。他人の認証を絶え間なく求めなくてたっていい。
何をせずとも『ただそこにいて良い』という場所に救われることがあると思う。そんな場所へ戻ると、ようやくまともに息ができた、そう感じるかもしれない。帰れる場所を持ってる人は本当に豊かなのではないだろうか。それはきっと誰かがあなたのために作ってくれた空間なのだ。そしてきっと、いつも、いつまでもあなたの帰りを待っている。
帰るべき場所を持つこと。信仰とはもしかしたそういうことだろうか?カミーノは”僕は僕でいていい”と感じさせてくれる。最近そう思えるようになった。
カミーノは日々前に進んでいるようで、実は帰り道なのかもしれない。だとすれば、僕ら巡礼は国や文化や言葉のことは忘れて、皆で一緒に家路を歩いているのかもしれない。僕らをいつも待っくれている帰るべき場所、そこで待ってくれている優しい存在の元へ。
夕食にポモドールパスタを食べた後は、この村の平和な静けさと暖かい毛布の中で、安らかに眠りについた。
本日のアルベルゲ
El Palomar (Ledigos)
Tel : (+34) 979 883 605
Email : albergueelpalomar@gmail.com
年中無休 6時〜23時
ベッドの予約 可
・大部屋 10€(僕が巡礼した2019年は7€でした)
・ダブルルーム 25€
・四人部屋 45€
・昼食、夕食 13€
・朝食 4€
・ベッド数 47
・冷蔵庫
・リビングルーム
・会議室
・シャワー室 5
・お湯
・暖房設備
・洗濯機(4€)/洗濯場/物干し綱
・Wi-Fi
・ロッカー、衣装ダンス(鍵付き)
・自販機
・コンセント
・薬箱
・公衆電話
・インターネット
・コンセント
・中庭
・駐輪場
本日の支出
項目 | € |
コーヒー | 1.3 |
食材 | 4 |
宿代 | 7 |
合計 | 12.3 |
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