「人は何のために巡礼するのだろう」
「なぜカミーノでなくてはならないのだろう」
これはサンティアゴ巡礼をする上で大きなテーマとなります。
多くの人が目には見えない何か、心が求めてやまない何かのために巡礼の旅に出ます。
じゃあそれは一体何なのか?
僕自身と僕が出逢った巡礼たち、その他情報発信をされている巡礼者の体験を参考にしつつ、サンティアゴ巡礼の目的について書いてみたいと思います。
もしこれらの理由に心当たりがある方がいましたら、サンティアゴ巡礼を検討してみても良いかもしれません。
人はなぜサンティアゴ巡礼をするのか?【5つの目的】
そもそも巡礼とは?
巡礼とは、それぞれの宗教における聖地や聖域に参詣、巡拝すること。イスラム教であればメッカ、キリスト教であればエルサレム、サンティアゴ・デ・コンポステーラなど。
英語で巡礼は「pilgrimage(ピルグリミッジ)」と言い、ラテン語の「peregrinus(ぺレグリヌス)」=「異邦人、通過者」から来ています。
遠い場所で異邦人として、精神的な何かを経験する。
巡礼とは日常空間を離れ、遠い聖地へ旅をすることを意味します。
そして生まれ変わった自分として、日常へと戻っていく。
カミーノを巡礼する人達の主な5つの目的
僕が出会った人々は主に以下の理由からカミーノを歩いていました。
① 宗教的目的
② 魂の救済のため
③ 人生に迷って(燃え尽きて)
④ レジャー目的
⑤ 何かに挑戦したくて
① 宗教的目的
カミーノ・デ・サンティアゴはいにしえからのキリスト教巡礼の道。
目的地であるサンティアゴ・デ・コンポステーラはキリスト教三大聖地の一つになっています。
サンティアゴへの巡礼はキリスト教徒にとっては神聖な旅なのだと思います。
聖ヤコブの聖遺物に触れると様々な奇跡が起こるとされていて、その奇跡あるいは免罪を求めて人々はサンティアゴへと旅をしました。
② 魂の救済のため
僕が最初に友達になった巡礼は、家族を亡くした人たちでした。彼らにとっては「行き場のない気持ち」「癒されぬ傷」それらを癒すための旅のように思えました。
巡礼の途中、鉄の十字架「クルス・デ・フェロー」を訪れた際のことです。小高い石山の十字架の下には、誰かとの思い出の写真や様々な物が、所狭しと置かれていました。
クルス・デ・フェローを訪れた巡礼が、何かと決別、あるいは1つの区切りをつけるために置いていった品々です。
そのことから考えても、人生で起きた大きな別れや喪失感から、立ち直るきっかけを求めて歩く巡礼は多いように思います。
実際、僕の周りにも魂の救済を求めて巡礼している人は少なくありませんでした。
③ 人生に迷って(燃え尽きて)
「どう生きていいかわからなくなって」
「仕事に燃え尽きて….」
こういった理由から歩く人も国籍や年齢を問わず結構いました。
「仕事でかなりハードに働いていて、ある日バーンアウト(燃え尽きた)したよ…」
「人間関係にうんざりした」
という話はよく聞きました。
そんな人々が「人生の目的について考える時間」を必要としたとき、偶然にもカミーノと出会った。巡り合わせというのは不思議ですよね。
自分の人生を改めて見つめ直した巡礼たちは、次第に元気になっていくようでした。
ホタテ貝は復活の象徴であり、サンティアゴ巡礼をすると魂が蘇るといわれている由縁も、もしかしたらこういった所にあるのかもしれません。
④ レジャー観光目的
観光目的、あるいは週末や休暇を利用してハイキングするために来た。そういう人たちも(特にサリア以降)多かったです。
学生達がその典型だと思います。皆楽しそうに修学旅行?のようなテンションで歩いていたのを覚えています。
親子連れもサリア以降増えたので、カミーノは家族旅行としても人気なのかもしれません。
⑤ 新たな人生何かに挑戦したくて
僕がお会いした日本人の中には
「次のステージの人生を歩むに先立って”新たな挑戦”としてカミーノを歩いている」
という方もおられました。
「定年を迎えて第二の人生をどう生きようか?そう考えていたときにカミーノと出会い、意を決し歩くことにした。」
そんな感じだったと思います。
「自分を変えたくてカミーノを歩くことに決めた。」
という女性にも出会いました。
カミーノは人生を変えるきっかけや、これから生きていくための指針のようなものも与えてくれるようです。
なぜサンティアゴ巡礼なのか?
世界中から年間34万人以上(2019年)がカミーノを歩くためにスペインを訪れます。
なぜカミーノでなくてはならないのか?
世界中いろいろな場所にそれぞれの聖地があるはず。
カミーノを歩いている時によく
「カミーノ・マジック(カミーノの魔法)」
という言葉を耳にしました。
偶然の出会いであったり、心温まる親切であったり、巡礼路では日々多くの感動的なストーリーが生まれています。
僕もありがたいことにいくつか不思議な体験をさせてもらいました。
きっとカミーノ・デ・サンティアゴには人を導く何かしらの力が働いているのだと思います。
人々を惹きつけてやまない理由もそこにありそうです。
最後に
これは番外編ですが、
⑥呼ばれている気がして
直接聞いたことはありませんが、こういう理由を持っている人もいると思います。
「カミーノに引きつけられて」
「呼ばれている気がして」
「どうしても行かなきゃいけない気がする」
そんな心の声に導かれてカミーノに来た。僕はそうでした。
改めて考えてみると①〜⑤に当てはまる人も、全て何かしらのきっかけや縁があってカミーノと出会っています。
果たしてそれは偶然でしょうか?
そうではない、と僕は思います。
たとえどんな目的でカミーノを歩き始めたとしても、どの道を選んだとしても、ホタテ貝の模様のように最後は全て1つに合流して一本の道になります。
歩き進むうちに、自分でも知り得なかった本当の目的が見えてくるかもしれません。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
それでは、ブエン・カミーノ!
コメント