『ULTREIA〜もっと遠くへ〜』
6月20日 Dumbria → A Pena 34.3km
6時半に目が覚めた。周りを見ると、まだ薄暗い寝室の7つのベッドのうち、4つはすでに空になっていた。
ささっと支度を済ませると、寝室をそっと出てキッチンでクッキーの朝食を食べた。朝食の席で、昨夜夕食の調理を手伝ってくれた女性と笑顔で挨拶を交わした。誰かと笑顔で交わす朝の挨拶は心の朝食だ。それだけで一日元気でいられる気がする。
クッキーを食べ終えるとアルベルゲを出発した。サンティアゴへの矢印が見つけづらいため、今朝も昨日に引き続きすぐに道に迷ってしまったが、慌てずに巡礼路を見つけ出し正しい道を歩き出した。
朝から人と笑顔で挨拶できたことが心にゆとりを生んでいるような気がした。それに早起きしたことで時間的にも余裕があった。
歩いていると、小さな村のおばあちゃんから「巡礼路はこっちだよ!」と親切に声をかけてもらった。そのおばあちゃんの優しさに元気をもらう。ゆとりはゆとりを生むのかもしれない。
今日は雨も降らなければ強い日差しもない、とても歩きやすい天気だった。なのですいすいと進んでいく。
まもなく、サンティアゴからフィステーラへの道で見つけたフィステーラとムシアの分岐点に着いた。今日はその分岐点から、フィステーラやムシアを目指すたくさんの巡礼達とすれ違うことになった。
数日前、僕がフィステーラを目指して歩いていたときにすれ違った「サンティアゴへと戻る巡礼達」は、皆清々しく晴れやかな表情をしていたのを覚えている。中には悟りを得た行者のような、至福と静けさを感じさせる人もいた。
今の僕は、これからフィステーラやムシアへと向かう巡礼達の目にどう写っているのだろうか。
サンティアゴにゴールするまでは、「お互い無事にサンティアゴに辿り着こう!」という励ます気持ちを込めて「ブエン・カミーノ!」と声をかけていた。だが今は「カミーノを、今日一日を思いっきり楽しんで!」という気持ちで挨拶していた。
レースを終えたランナーが、今まさにレースを走っているランナーを応援するのに似ている。それまで気づけなかった自分自身の気持ちの変化を知ることになった。
フィステーラへ向かう際に泊ったオルベイロア村で、嬉しいことが二つあった。一つは、ハイテンションなスロベニア人女性マリアに出会ったこと。
彼女とは初対面だったが、マリアは最初から友達同士のような気さくさで話しかけてきた。彼女はとにかくよく笑う人で、僕もつられて笑いっぱなしだった。マリアは陽気で早口で、いろいろなことをまくし立てるように話した。写真を撮ったり、撮られたりした後、握手をして別れた。最後の最後までエネルギッシュな彼女は、まるで生命を運ぶ春風のような人だった。
「あなたの手は冷たいわ!」
と彼女は別れ際にそう言った。僕の台湾の母スプリングにも同じことを言われたのを思い出す。
僕とマリアは片言のスペイン語を使って話をしたのだが、後から振り返ってみると、どういう風にやり取りしたのかさっぱり思い出せない。だが意思疎通はほぼ100%できていた。カミーノで学んだ重要なことの一つは”言葉はわからなくても、ハートとハートで話はできる”ということだ。
もう一つの嬉しかったことは、オルベイロアに泊まった際に訪れた食料品店兼バルに再び立ち寄った時のことだ。店のお兄さんが僕のことを覚えていてくれて、気さくに話しかけてきてくれた。
前回パンとチーズが欲しくて入ったお店だったが、パンもチーズも品切れで、だが手ぶらで出るのも申し訳なく、トマトソースを買っただけだった。お兄さんはそのやり取りのことを覚えてくれていたらしい。
そのちょっとした”申し訳ない”がこんな喜びに変わるとは!その店はバルも兼ねていたので、今回はナポリタナとコーヒーを注文して朝食にした。水とやはりトマトソースも買った。(僕のバックパックには、常にパスタの麺とトマトソースが詰め込まれていた)
オルベイロアを出て、ロゴの手前までくると、巡礼路の脇に何やら立て札があった。立ち止まって読んでみると、どうやら近くに見晴らしの良い場所があるらしい。そして、僕のいつもの寄り道グセが出てしまい、”ちょっと行ってみるか!”と巡礼路を外れ、立て札の示す小高い丘を登り始めた。
20分ぐらいかけて丘を登ると、丘の上には古い石造りの展望台があった。昔は見張り台の役割があったのだろうか。展望台からは辺りが一望でき、とても素晴らしい景色だった。石に腰かけると、気持ち良い風が吹いてくる。
しばらく遠くの景色を眺めていた。人は誰もおらず、またやってくる気配もない。その頃には、空を覆っていた雲はどこかへ行ってしまい、青空が見えていた。
お日様の光をただ浴びていると、幸せな気分になれた。”探すのを止めたら幸せは見つかるし、考えるのを止めたら歩き出せる”そんなことを考えた。それは、これまでたくさんの人が語ってきた言葉だったが、実際に自分で感じるまではすんなり受け入れられなかったりする。自分が頑固なだけだろうか。
すっかり寄り道を満喫すると、そろそろ歩くことに集中しようと思い、丘を駆け下りて巡礼路へ戻った。次の村ロゴにはすぐに到着。腹ごしらえをしにアルベルゲ併設のバルへ立ち寄り、コーヒーを飲みボガディージョを食べた。
そこでスペイン人ヨギ、ゴンサロからメッセージが届いた。嵐のような天気のため彼は昨日バスでフィステーラに入り、今日サンティアゴから自宅のあるブルゴスへ帰るということだった。サンティアゴで彼と再会できるかもしれないと期待していたのだが、これもカミーノ。彼に感謝を伝えて、別れの言葉を交わした。ゴンサロも去るとなると、もうカミーノで友人と再会することはないのかもしれない。
迷子になり、スペイン人の人達に助けてもらう、ということを繰り返しながら、サンティアゴへと進んだ。これまで数えきれないほどのスペイン人に親切を受けている。サンティアゴへの道では親切な人々こそが僕のモホンだった。
日が少しずつ西へ傾いてきた頃、道を歩きながらふと考えた。ゴンサロは「僕のカミーノは終わった。」と言った。最近連絡を取った台湾人のティンも「僕はもうカミーノを終え、今はもう巡礼ではない。」と言っていた。僕もムシアに到着した日に”もうカミーノはここで終わりにしよう”と思ったし、実際2日間ではあるが、歩くことを止めた。
だが、3日目になると”このままではいけない!先へ進まねば!”という気持ちになっていた。僕の心が、前に進むことを強く望んでいた。いつしか歩くこと、進み続けることは自分の一部になっていた。
思うに、巡礼とは形式的なことではなく、人としての在り方の一つの状態なのかもしれない。いつどこで何をしていようと、夢や希望を求めて前へ進み続ける限り僕らは巡礼なのだ。「星の巡礼」の言葉を借りるなら、「良き戦いを戦う」ということなのかもしれない。カミーノは続く、僕らが前に進み続ける限り。良き戦いを戦い続ける限り。
ア・ペナに着いたのは18時半で、もうくたくたに疲れていた。遅い時間の到着だったが、サンティアゴから歩いてきたときに立ち寄った、アルベルゲ兼バルにベッドを確保することができた。
荷を降ろすと、シャワー、洗濯を済ませ、アルベルゲ併設のバルのテラスでマカロニチーズを食べた。
歩けるまで遠くまで歩いた日は、本当に何を食べても美味しい。疲れはいつしか今日の成果に対する満足感へと変わり、心地良い安らぎが訪れる。
もしかしたら僕らは生まれた時から巡礼だったのかもしれない。最近そんな風に思う。
本日のアルベルゲ
Alto da Pena Hostel(A Pena
私営アルベルゲ
開業日時:年中無休 6時30分〜22時30分
予約可
・宿代
ドミトリー 17€
ダブルルーム 50€
・ベッド数 22
・夕食 12€
・シャワー室 (タオル有)
・お湯
・暖房設備
・洗濯場
・物干し綱
・洗濯機(洗濯4€、乾燥4€)
・ロッカー
・コンセント
・キャンプサイト
・駐輪場
本日の支出
項目 | € |
寄付 | 0.22 |
コーヒー、食材 | 4.2 |
コーヒー、ボガディージョ | 4.2 |
宿代 | 12 |
ケーキ | 2.5 |
夕食 | 4 |
合計 | 27.12 |
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