『輪の中〜一つ屋根の下〜』
6月14日 Negreira → Olveiroa 33km
6時30分に目を覚ますと、部屋の中はまだ薄暗かった。体調は昨日よりもさらに良くなっているようだ。自然治癒力というものは本当にすごい。無理さえしなければ、身体は自分で自分を治していくのだから。
支度を終えるとダイニングルームへ移動して朝食を食べることにした。すでに巡礼達は各々朝食を食べているところで、僕も昨夜の残りのヨーグルトを食べるとアルベルゲを出発した。
ネグレイラの町を出ると、巡礼路は再び森の中へと続いていた。木々に囲まれた道を登るように歩いていくとア・ペナ村に到着。
小さく可愛らしい村の雰囲気にほっこりとする。少し疲れたので村の入口にあったアルベルゲ兼バルで一休みすることにした。
そのアルベルゲAlto da Penaは、サンティアゴで泊まったアルベルゲMonterreyのオスピタレオが勧めてくれたアルベルゲだった。昨日はもともとこのアルベルゲを目指して歩いていたのだが、自分の体調を考えたら、昨日一日で辿り着くには少し遠すぎたようだ。
かといって”今日”泊まるには早すぎる。縁があれば再びサンティアゴに戻るときに泊まることになるかもしれない。今回はコーヒーを一杯だけ飲むと村を後にした。
今日は周りに人家のない道を歩くことが多かった。車の通らない広い車道をのびのびと歩き、並木の揺れるサワサワという葉音に耳を傾け、思い出したように現れる小さな村を通り抜けて進む。
今日は考える時間より景色を感じる時間の方が長かった。余計なことは考えず、歩くに任せて歩いた。
そうやって歩いていると、とても清々しい気持ちになれることに気が付いた。”歩くことは瞑想である”と言われるが、それは確かにそうなのかもしれない。
サンティアゴから西へ向かう巡礼路では、歩いている巡礼の数はだいぶ少なくなっていた。ほとんどの巡礼がサンティアゴ・デ・コンポステーラで旅を終えているらしい。今日の道のりは全体的に起伏があり、次第に疲労を感じてきた。
途中、小高い丘を登ったところに展望台があり、そこに置かれたベンチで一休みした。そこからは辺り一帯を見渡すことができて、その景色はまさに絶景だった。
どこまでも広がる大地を眺めていると、火照った身体を冷ましてくれるような涼しい風が吹いてくる。心は果てしない大地の大きさにまで広がり、清らかな風に洗われて澄んでいくようだ。
人間の心は、見ようとする対象に合わせてその姿を変えるものなのかもしれない。だとしたら、心にはいつも”美しいもの、希望に満ちたもの”を見ていてもらおう。
休憩中に座っていた展望台のベンチにも巡礼達の想いが書き記されていた。(巡礼達はあちこちに色々と書く)
「あなたが苦しむことを厭わないものによってあなたの価値が決まる」
「与えられたものを無駄にせず、最善を尽せ」
「神とは愛そのもの。そしてあなたは愛されている。」
巡礼達は歩きながら多くのインスピレーションを受けるようだ。それらのメッセージに読みふけっていると、昨日宿が一緒だった巡礼が通りがかった。しばらく立ち話をした後、彼は
「今日はどこまで歩くか決めていないけど、もう少し歩いたらビールを飲みながら考えることにするよ。」
と言って歩き去っていった。
彼の風まかせな歩き方は、まさに自由そのものだった。
「もう少し歩いたらビールを飲みながら考えることにするよ。」
なんて軽やかなんだろう。なんて自由なんだろう。
人生たまには風に任せて生きるのも良い。人生に軽やかさを感じることが必要な時もある。
休憩を終えると、今度は丘を下るように歩き始めた。大きな牧場を抜け、のどかな田舎道を進む。まもなくすると、巡礼路は車がひっきりなしに行き交う大きな車道へとぶつかった。
その忙しない車道に沿って歩いていると、道沿いにパン屋を発見。小腹も空いていたので、店に立ち寄ることにした。
小ぢんまりとしたパン屋に入ると、優しそうなおばあちゃんが一人カウンターに立っていた。バルにしろパン屋にしろ、おばあちゃん達が店を切り盛りしているところに多く出会った。「働けるうちは働く」というのが、長寿の国スペインの長生きの秘訣なのかもしれない。訪れる側の僕もおばあちゃん達の優しさに毎回癒された。
店頭に並んだパンはどれも美味しそうに見えた。しばらく迷った末にクリームパンを購入。歩き出す前に店のトイレを借りた。トイレから出てくると、いつの間にかパタゴニアのネストルが店内の椅子に座って休んでいた。
彼の隣に座るとクリームパンを食べながら彼とおしゃべりをした。彼のタンゴパートナーは今日も彼と一緒ではなく、彼女は今この瞬間も巡礼路を小鳥のように自由に歩いているらしい。
「女性というのはいつもこうだ…。」
ネストルは愚痴をこぼし始めた。そして水筒に入れていた昨夜の飲み残しのワインを、店で買った炭酸水で割って飲み始めた。なんだか即席のスナックみたいだ。
彼の話をふむふむと聞きながら、パンをモグモグと食べた。クリームパンを食べ終えると、ワインの炭酸割りをグイグイ飲むネストルを残して一足先に店を出発した。
誰かと一緒に歩くということは、一人で気ままに歩くこととは全くの別物らしい。どうも”風に任せて”歩くことは難しそうだ。
けれど、自分にとって特別な誰かを見つけられたのなら、もうどこにも歩いていかなくていいのかもしれない。僕もいつか特別な誰かとカミーノを歩いてみたい。
巡礼路はやがて大きな車道を離れて、静かな林の中へと入っていく。しばらく林の中を歩いていると、一人の女性巡礼と出会った。
彼女はリカという名のドイツ人で、彼女のことを最近巡礼路で見かけるようになっていた。だがきちんと話をしたのは初めてだった。
何をきっかけに話し始めたのかは覚えていないが、そこから彼女と一緒に歩くことになった。カミーノで起こる巡り合わせとは、本当に不思議なものだ。何百人という巡礼達と日々すれ違う一方で、どういう采配かはわからないが、たまにこうして良き友人に巡り会わせてくれる。
彼女はこれまでにカミーノを何度も歩いているらしかった。彼女の語る言葉から、カミーノとスペインへの大きな敬意と深い愛情を感じた。彼女はスペイン語も堪能で、
「私はスペインの人達と話をするのが大好きなの!通りがかったオリーブ畑で、地元の農家さんに今年のオリーブの出来を尋ねたりするのよ。スペイン語は自分の楽しみのために勉強してるわ!」
と教えてくれた。
”自分の楽しみとしての勉強”あるいは”楽しみながら旅するように学ぶこと”それは理想的な学び方だと思う。
アスファルトの道を長いこと歩き、その間彼女とずっと話をしていた。彼女の国での暮らし、仕事のこと、カミーノを歩き始めた経緯、そしてカミーノを終えた後について。
彼女の話はどれも面白いし興味深くて、おしゃべりをしていたらあっという間にオルベイロアに到着していた。久しぶりに他人と一緒に歩いたのだが、誰かと一緒に歩くことは、距離を短く、疲れを小さく、喜びを大きくしてくれることを改めて実感した。
リカの勧めで、彼女の友人達の泊まる公営のアルベルゲに行ってみることになった。オルベイロアの村の中を進み、公営アルベルゲの入口の前まで来たところで、リカの友人であるスペイン人のフアンとペドロに会った。
彼らと挨拶を交わして少し話をすると、彼らがとても大らかで優しい人達だとすぐにわかった。もしも誰かに、「スペイン人ってどんな人達?」と聞かれたら(質問自体とても大雑把だが)
「とても大らかな人達だった!」と答えるだろう。(スペイン人にも色々な人がいると思うけど)それほどに彼らの大らかで柔和な印象が強く残っている。
三人に昼食に誘われたのだが、少し休みたかったので夕食の時に合流する約束をして、まずはベッドを確保するためアルベルゲの中に入った。ここのアルベルゲでは「ベッドを先に決めて後からオスピタレアがやってきた時に受付をすれば良いんだよ!」とフアンが教えてくれた。
リカはその堪能なスペイン語を使い、同室のスペイン人巡礼と早速仲良くなっていた。その様子を隣で見ていて、彼女の高い語学力と屈託のない人柄にすっかり感心してしまった。
ベッドに荷を解くと、シャワー、洗濯を済ませ食料を買いに出かけた。買い出しから戻ってくると、アルベルゲにオスピタレアが到着していたので受付をしてもらうことにした。
そうしていると、後からリカ達もやってきた。すると受付をしてもらっていたリカがオスピタレアと最近のカミーノ事情について話を始めた。オスピタレアいわく、
「近年のカミーノブームによって、一つの村にアルベルゲが乱立するようになり、村人同士の仲が悪くなっているところもある。」とのこと。
他にも、
「『お金を払っているのだから、アルベルゲやバルのスタッフを召使のように働かせて当然』と考える巡礼が増えてきた。」
「今時の巡礼者は、人と話すよりスマホのスクリーンばかり見つめている。」
などなど、オスピタレアの話から現在のカミーノブームの光と陰を見たような気がした。
その話を聞いて「カミーノを歩いている巡礼の一人として、今の自分はどうだろう?」と考えられさせられた。”スペインの人達に巡礼をさせてもらっている”という根本的な部分を忘れてはいなかっただろうか?
宿や食料を提供してくれて、巡礼路を整備してくれる人達あってのカミーノなのだ。今でこそ商業的な色合いが増してきているサンティアゴ巡礼だが、その始まりには、命懸けで聖地巡礼をする者と、生活の一部を捧げて彼らを庇護する者との一種の神聖な関係があったのだと思う。
幸運にも、僕はこれまでのカミーノで素晴らしいオスピタレア、オスピタレオと出会い、ビジネス以上の心からのサポートを受けてきた。彼ら彼女らなしでは、僕はどうやってサンティアゴまで辿り着けたかわかない。巡礼のガイドであり庇護者である、彼ら彼女らとの出会いも、またカミーノであるような気がする。
「巡礼者としてどうあるか?」
僕も、改めて自分自身に問いかけてみなければならない。
夜になると、リカ、フアン、ペドロ、僕、それにリカが先ほど仲良くなった同室のスペイン人巡礼ホセも加わり、5人でバルに夕食に出かけた。
夕食の席で飛び交うスペイン語にはついていけなかったが、リカが通訳してくれたおかげでなんとか内容は理解できた。スペイン語は聞いていて美しいが、会話に参加するとなると話は別だった。確かに言葉の壁は厚かったかもしれないが、心の壁は次第に取り払われていき、楽しい夕食の時間は過ぎていった。
小さな村の小さなバルには最近道でよく見かける顔なじみの巡礼達も多く集まっていて、彼らと親しく挨拶を交わした。その夜はちっとも寂しさを感じなかった。僕らは皆、一つ屋根の下で大きな家族のように夕食を食べた。
村が小さいがゆえに僕らは近づけた。店が狭いがゆえに僕らの声は相手に届いた。巡礼は全てを捨てて、あるいは全てを残して旅に出る。
多くの巡礼は異国の地に身一つの状態なので、お互い心は真っ白でしがらみがない。カミーノのシンプルな日々は、そんな無防備な僕らをよりピュアにしてくれる。もうどんな役割を演じなくてもいい。だからこそ、僕らはまた子供の頃のように純粋な心で友達になれるのだと思う。
明日は、フィステーラにあるアルベルゲ「Albergue do Sol e da Lua」に皆で泊まろうということになった。
僕は人との約束に縛られることをとても嫌う人間だ。他人に縛られるのが嫌いで、できるだけ一人でいたい。自由気ままに行動するのが大好きでグループ行動を苦手とする。だけれど、今回は仲間に身を委ねることにした。
委ねたくなったのだ。
全く僕らしくない。
夕食へ出かける前に、「今日は寒いね!」とホセに話すと、彼はわざわざオスピタレアに毛布をもらいに行ってくれた。その優しさが嬉しかった。
夕食後、今度はリカが「今夜は寒くて眠れるか心配だわ…。」と言うので、ホセがもらってきてくれた毛布をリカに譲った。今度は彼女に何かしてあげられることが嬉しかった。
カミーノでは、人から人へと親切の輪が広がっていく。その親切の輪の中にいられることが、これほどに幸せで安らげることなのだと、今まで知らずに生きてきた。
今こんな善き人達に囲まれているなんて、僕はなんて幸せなのだろう。なんて恵まれているのだろう。なんて有難いのだろう。この輪が世界中に広がればどれだけ素敵だろう。
今夜は温かい気持ちで眠れそうだ。
本日のアルベルゲ
Albergue municipal de Olveiroa(Olveiroa)
公営アルベルゲ
・宿代 6€
本日の支出
項目 | € |
コーヒー | 1.2 |
パン | 1 |
宿代 | 6 |
トマトソース | 1 |
夕食 | 10 |
合計 | 19.2 |
コメント