【サンティアゴ巡礼】フランス人の道 – 39日目 –

サンティアゴ巡礼記

『これまで』
6月13日 Santiago de Compostela → Negreira 20.9km

 目を覚ますと身体の節々が少し痛かったが、体調はだいぶ良くなってきているようだった。

 サンティアゴ・デ・コンポステーラのアルベルゲMonterreyのベッドの上で身を起こすと、慌てずのんびりと支度を開始。

 洗濯物を取り込み、荷物をバックパックに詰め込み、一通り支度を終えると一階へ降りる。出発前にオスピタレオが地図を取り出して街を抜けるためのルートを教えてくれた。今まで訪れた都市がどれもそうであったように、サンティアゴも建物が多いせいで矢印を頼りに進んでも分かりづらい場所があるらしい。

 オスピタレオは、サンティアゴから西にあるアルベルゲのリストと、おまけにお菓子もくれた。それに、
「良かったらスティックも持っていかないか⁉︎旅を終えた巡礼達が残していったスティックがたくさんあるんだよ。」
と言ってくれた。

 確かにアルベルゲの一角には使い込まれたスティックが山積みにされていて、オスピタレオもその処分に困っているようだった。どうにかしてあげたい気持ちもあったが、僕はスティックを使ったことがなかったし、使いこなせない物はかえって荷物になりそうだったので丁重に断った。

 ホスピタリティに満ちたオスピタレオに感謝をして握手をすると、アルベルゲを出発した。

 昨日は雨模様だったが、今日は昨日とは打って変わって良い天気になっていた。アルベルゲを出ると、旧市街地のさらに向こう側にある街の出口に向かって歩き始めた。

 今日も朝から大勢の巡礼達がサンティアゴ入りしていた。皆意気揚々と大聖堂の方へと歩いていく。ハビエルの話によれば、昨日一日だけで1,400人の巡礼がサンティアゴに到着したらしい。ピーク時にはもっと増えるというのだからすごい数だ。一年間に一体何人の巡礼がカミーノを歩くのだろう。(2019年は約350,000人以上が歩いたらしい)

 旧市街にあるパン屋でナポリタナとパンとチーズを買い、オブラドイロ広場で食べた。大聖堂前のオブラドイロ広場は、今日も大勢の人達で賑わっていた。とにかく巡礼が絶えるということがない。

 考えてみたら不思議なことだ。世界中から何十万人という数の人々が何十万という”きっかけ”を与えられてサンティアゴ・デ・コンポステーラへやってくる。数の増減はあれど、その流れは昔からずっと引き継がれている。そこにはどんな力が働いているのだろう。

常に多くの人で賑わうオブラドイロ広場。

 感動と喜びを爆発させる巡礼達、神妙な表情で大聖堂を眺める団体ツアー客の人々、一方で子供達は自由に遊んでいた。広場で繰り広げられる人間模様は、ずっと眺めていても飽きることがない。それに人々のポジティブなエネルギーに触れながら食べるナポリタナは、いつもより美味しく感じられた。

 ナポリタナとボガディージョの簡単な朝食を食べ終えると、大聖堂にしばしの別れを告げて街の出口の方へと歩き出した。地の果てフィステーラから帰ってきたら、大聖堂もまた違って見えるのだろうか。

大聖堂とはしばしのお別れ。

 しばらくはサンティアゴの街中を順調に進んでいたが、道が五叉路に突き当たったところで矢印を見つけられなくなった。オスピタレオからもらった地図を取り出し、地図を上下左右にクルクルと回しながらどれが巡礼路なのか見比べてると、そこを通りがかった女性が、

「何を探しているの?フィステーラへの道?教えてあげるからついてきて!」

と声をかけてくれた。朝から親切な人に出会えたことに感謝して、彼女について行くことにした。

 彼女自身も巡礼で、ポルトガルの道を歩いてきて4日前にサンティアゴに到着したらしい。彼女は明日フィステーラへ向けて出発するのだと教えてくれた。彼女に感謝を伝え握手をして別れると、弾むような気持ちで歩き出した。

 教えてもらった道を進んでいくと、小さな公園が現れ、そこでようやくモホンを見つけることができた。彼女の助けがなければ、見つけるのにかなり苦労しただろう。改めて彼女の導きに感謝した。

 公園で水筒に水を補充すると、モホンを辿りながらサンティアゴの街を出た。歩くにつれて建物はまばらになり、道は森の中へと続いていた。都会の喧騒を離れ一人静かな森の中を歩いていると、自分の気持ちが変化していることに気がついた。

大聖堂を目指して歩いてきた僕は、今度は大聖堂からが遠ざかるように歩いている。

 自分の心の中に”カミーノは終わったんだ”という、これまでには馴染みのない感覚があった。ゴール後の余韻の中にいるような感じだった。マラソンを走り終え、クールダウンのジョグをしているような気分だ。

 レースもジョグも”走る”という行為に関しては一緒だが、中身は全くの別物だ。この道の先に僕を待つ友がいるわけでもなく、今はもうゴールへと急ぐ必要もない。仲間達の多くはすでにカミーノを去ってしまっていた。

「ムシアに行き自分が歩いてきたカミーノを振り返るとき、それまで頭の中にあったものが、心にスッと降りてくる。」

「巡礼路が海にぶつかり、もうこれ以上道はないのだと知ったとき、”それ”を感じるのだ。」

 ベントサのバルで出会ったマスターはそう言っていた。僕の中で今そのプロセスが始まったのだろうか。現に、今の僕の気持ちは”どこかへ”ではなく”これまで”の方へ向いていた。”目的地へ辿り着く”というモチベーションはすでになくなっていたので、今はただ矢印の指し示す方へと無心で歩いていた。

世界中どこにいても猫は猫であって、可愛いことに変わりはない。

 途中小さな公園でボガディージョを食べたのを除いて、ひたすら歩き続けた。頭の中ではカミーノ後の身の振り方について考える時間が長くなっていた。だが考えても考えても明確な答えが出ることはなかった。

 考えるのではなく、感じなければならないのかもしれない。「きっと大丈夫、行けばなんとかなる」というスタンスは、サン・ジャン・ピエド・ポーでバスを降りた時から変わっていない。むしろ、よりその傾向が強くなってきた気がする。先に飛び込んでしまえば、人間どうにか生きていけるものなのかもしれない。

 途中ポンテ・マセイラを流れる川に足を浸けて、心身をリフレッシュさせた。そこからしばらく歩くとネグレイラに到着。時刻は15時を回っていた。今日はもうこれ以上歩く気になれず、ネグレイラで宿を探すことにした。

ネグレイラ到着。

 町の中を巡礼路に沿って歩いていると、Albergue Luaの素敵な看板を見つけた。その看板の前で立ち止まると、中からオスピタレアのおばちゃんが出てきて
「この先にある公営アルベルゲは満室だよ!」
と話しかけてきた。「それならもう今夜はここに泊まろう」と思い、すぐに受付をしてもらった。

この手の看板に僕は弱い。

 玄関から中へ入ると、すぐに広い部屋があり、その部屋は受付とキッチンとリビングを兼ねていた。そこで目を引いたのは、部屋の壁のいたるところに書き残された巡礼達のメッセージだ。

 壁には様々な言語で、色々な思いが綴られていた。中には日本語で書かれたものもある。進むこと、出会うこと、何かを探し、そして見つけること。巡礼達がカミーノを通して感じたことを知るのはとても面白かった。

 僕ら名もなき巡礼は、歩く距離が1kmだろうと800kmだろうと、歩きながら思索することで哲学者となり、スペインの美しい景色は僕らを詩人にする。アルベルゲにはカミーノを題材にした絵も飾られていて、絵に込められたメッセージに想いを巡らせるのも楽しかった。

アルベルゲの壁にはたくさんのメッセージが書かれていた。

 受付を済ませ、広い大部屋の寝室にベッドを確保すると、夕食の買い出しに出かけた。アルベルゲの近くに大きなスーパーがあり、そこで今夜の夕食のパスタの食材を買い込んだ。一昨日サンティアゴで、アルベルゲPort Realのオスピタレオがくれたエコバッグが大いに活躍した。

 アルベルゲへ戻ると、シャワーと洗濯を済ませて早速夕食の支度にとりかかった。今夜の夕食は、例によってあの赤いパスタ(トマトソースパスタ)だ。

カミーノは巡礼にインスピレーションを与えてくれる。

 夕食の席でパタゴニアのおじさんと再会した。そこで初めて彼の名前を聞いた。彼の名前はネストル、ワインを飲み上機嫌なネストルは地元産だというワインを振る舞ってくれた。

 パスタの夕食を食べていると、隣の席で夕食を食べていたグループがケーキをおすそ分けしてくれた。僕も何か分け合いたくて手持ちのヨーグルトを勧めたのだが、彼らは夕食を食べ過ぎたらしく
「ごめん!お腹が爆発しそう…。」
と遠慮された。爆発までには至らなかったが僕もとても満腹になり、食器を片付けると寝袋に入った。

 食事をしていた巡礼達にもサンティアゴ到着以前までの緊張感はない様子で、遅くまでダラダラと宴会をしていた。僕を含めて皆が”目的地を目指して歩く”という意味でのカミーノを、少し過去のことのように感じていたのかもしれない。

本日のアルベルゲ

Albergue Lua (Negreira)

 Tel : (+34) 698 128 883

 私営アルベルゲ
 開業日時:年中無休 

 ・宿代 12€

 
・ベッド数 40

 ・ダイニングルーム
 ・シャワー室 
 ・お湯
 ・Wi-Fi

本日の支出

項目
ナポリタナ、パン、チーズ3.4
宿代12
パン、チーズ、りんご他3.83
合計19.23
2,404円(1€=125円)

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