今日は6時半に目が覚めた。時間があったので、少し勉強。部屋のカーテンを開けると空は白み始めていた。今日は良い天気になりそうだ。
シャワーを浴びて朝食を食べると、8時頃に家を出発。最近は満員のLUASにも慣れてきたし、朝の通学風景を楽しむぐらいの余裕も出てきた。意識を向けると、短い通学ルートの中にさえ多くの発見があり美しさがある。
教室に入ると、すでにブラジル人のタタンが席に着いていた。タタンはいつも朝が早い。彼女がとても英語が上手なのは、朝早くから自習をしているからかもしれない。リアル英会話をするチャンスだったが、きっかけが掴めずに話しかけられなかった。そこで改めて「安全地帯から出られないでいる自分」に気づく。なんだかモヤモヤした。
担任のコルムの授業は展開が早くて、ついていくので精一杯だった。一瞬も油断できないし、素早く理解して、質問には即座に答えなければならない。授業ではいつも良い意味での緊張感が求められた。
コルム曰く「基本的なルールを間違わなければ、英語は完璧に話せる」らしい。地道に基本から学ぶことが、結局王道であり、近道なのかもしれない。
僕の通う学校では、学校独自の観光ツアーを学生向けに用意してくれていた。申し込んで料金を支払えば、学生達は自由に参加できる。授業の合間の休み時間に、思い切って、あるツアーに申し込んでみた。それはキルメイナム刑務所(Kilmainham Gaol)の中を見学するというものだった。幸いにもまだ定員は埋まっておらず、今日午後からのツアーを予約した。
今朝、タタンに話しかけられなかったことでなんだかモヤモヤしていた。そんな”一歩踏み出せない自分”を変えたくてツアーに申し込んだ。半ば衝動的な決断だったので、キルメイナム刑務所自体の予備知識は皆無だ。
午後1時に授業が終わると、ファティマと近くのカフェで昼食を食べた。その後、13時45分に学校に集合し、ツアー参加者皆でキルメイナム刑務所へ向け出発した。
近くのバス停からバスに乗り、バスを降りてからは徒歩で移動。僕は現在、旅の途中でダブリンにいるわけだが、ダブリンでの生活が日常になった今、このツアーは僕に再び”旅してる感”を味わせてくれた。
面白いのは、旅先でさえ過ごしていれば日常になってしまうこと、旅先でさえ旅を求めなければ旅を感じられくなってしまうこと。そこにあるのは、その日その時間をどう見つめるかという僕らの心の状態だけなのかもしれない。それ次第では、日常もまた旅になる。
ツアーにはクラスメイトのアレッサンドロも参加していた。彼はイタリア人で、フィレンツェの近くの小さな村出身らしい。ガッチリした体格、腕にカッコいいタトゥー、授業でも積極的に発言するし、とにかく男前だった。クールで、優しく、物事に動じない彼は、中身もイケメンだ。
目的地までの移動中、普段は中々話す機会のない彼と、お互いのことについて話すことができた。彼はフリーランスのウェブデザイナーとして働いている。実際に彼が作ったウェブサイトをスマホで見せてもらったが、洗練された美しいデザインだった。
「GoogleやFacebookでは働きたくない。歯車の一つ、大多数の中の一人にはなりたくないんだ。自分が重要でなくなってしまう。薄まってしまう。そんなのは嫌だ。」
彼のその言葉が印象に残っている。群れの中の一頭の羊として、集団に付き従って何も考えずに生きることは楽だが、果たしてそれは生きていると言えるのだろうか。
自分で見て、聞いて、考える。いつも心の声に従って生きる。難しいかもしれないが、そうありたいと思う。
「船は港にいる間は安全だが、それは船が作られた目的ではない。」
僕の愛読書「星の巡礼」に出てくるその言葉を思い出した。

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