『テンプル騎士団の祝福〜護ってくれるもの〜』
6月7日 Hospital da Condesa → San Mamede do Camiño 28.5km
7時前だというのに、立ち込める厚い雲のせいで外はまだ暗かった。今朝もお日様を拝むことはできそうにない。「今日はなんだか長い距離を歩くことになるかもしれない」なぜかそんな気がした。
準備はすぐに整った。ピエロスで宿が一緒だったフィンランド人のセラビがカッパを着るのを手伝って見送った。彼女を含め、暗い悪天候の中を出発して行く巡礼達は、皆少し緊張した面持ちだった。
僕が出発する時は、曇ってこそいたが雨風は止んでいた。昨日の台風のような天気に比べたらだいぶ回復したと言っていい。ただものすごく寒かったので、着込めるだけ着込んで、さらにポンチョまですっぽりと被って歩き出した。
着込めるだけ着込んではみたものの、あまりの寒さにすぐに震えあがってしまい、急いで村のバルに避難。とにかくまずは熱いコーヒーで身体を温めることにした。
皆考えることは一緒のようで、店の中には温もりを求めてやってきた巡礼達が多くいた。皆ほっとした表情で朝食を食べたり、コーヒーを飲んでいる。
その後にも、カッパを着た寒そうな巡礼達が次から次にやってきた。朝からバルは大繁盛だ。どこにでも当たり前のようにある”バル”だが僕らには(もちろん地元の人達にはより)必要不可欠な有難い存在だと改めて思う。
カミーノでも人生でも長い旅路の途中には、必ずどこかに憩える場所がなくてはならない。そんな風に感じた。
身体が温まったところでバルを出て再び歩き出した。
今日歩き継いだ村々では、家畜小屋の間を通り抜けることが多かったのだが、小さな村に大きな牧場があるのか、大きな牧場が小さな村に見えるのかよくわからなかった。
今日はいつもと違い、1日を通して足元に注意しなければならなかった。なぜなら、昨夜降った雨と今日も時折降る雨のせいで、ただでさえぬかるんでいる道に家畜の糞が溶け出して、いよいよ大変なことになっていたのだ。
そんなグチャグチャな道を気をつけながら1時間ほど歩くと、今度は濃い霧が立ち込めてきた。道は未舗装の山道へと変わり、まとわりつくような濃霧の中、息も絶え絶え山道を登り続けた。
ようやく山道を登り終えて小さな村へ着くや否や、今度は雨に加えて雪が降り出した。今日の天気は一体どうなってるんだ。
標高が上がったせいか、風も強く吹き始め、吹雪のような状態になる。村にはバルもあったが、びしょ濡れの格好で入るのは気が引けたし、一度暖かいところへ入ってしまったら、もう歩きたくなくなりそうだったので、そのまま吹雪の中を歩き続けた。
幸いにも村を出ると雨と雪は降り止んだ。どんよりとした空の下を広い車道に沿ってしばらく歩いて行くと、先の方で道は二手に分かれていた。
車道に沿ってそのまま真っ直ぐ進むか、もう一つの矢印に従い未舗装の山道を歩くか。前を歩く巡礼が山道の方へ進むのが見えたので、僕も彼に続いて山道を歩くことにした。霧の濃い車道の道は見通しが悪く、車が怖かったということもある。
山道を歩き出すと、時折雲間から太陽が顔を出した。久しぶりの日の光の温かさに、とても幸せな気持ちになる。周りの木々も日の光を浴びてキラキラと輝いて見えた。
心身共に太陽に温められると一気に足取りが軽くなり、急いでいる訳ではないのだけれど、弾むように駆けるように進んだ。
途中雨も降ったが、とにかく止まりたくなかったので歩き続けた。
トリアカステーラの手前まで来ると、何だか急にお腹が空いてきたので、小さな村のバルで一休みすることにした。
バルに入ってポンチョを脱いでいると、丁度バルを出ようとしていた巡礼がポンチョを脱ぐのを手伝ってくれた。ちょっとした親切がとても嬉しい。こういった親切な行為もまた心を温めてくれる気がする。
店の中には昨夜一緒に夕食を食べたフランス人グループもいて、彼らもまた今朝の吹雪には驚いていた。
席に着いてボガディージョとカモミールティーでエネルギーを補給すると再び元気が漲ってきた。ボガディージョは美味し過ぎておかわりまでしてしまった。腹ごしらえも済んだところで村を出発。
しばらく歩いていると、黄色い大きなビニール袋をカッパ代わりに被ったおじさんが追いついてきた。
彼とは先ほどのバルで挨拶を交わしていた。お互いに自己紹介をして彼に話を聞いたところ、彼はこれまで23回カミーノを歩いた経験があり、今回はとある団体ツアーのガイドとして歩いているらしい。
1回歩くのでさえ大変なことなのに、23回なんて想像できない。話しながら歩く彼のペースはとても速くて、まるで競歩をしているようだった。
彼は話の最後に、
「君が一度と言わず、またカミーノを歩いてくれることを願う。」
と言って歩き去って行った。
その言葉は妙に頭に残った。
彼の姿がやがて見えなくなると、今度は雹が降ってきた。今日の天気は本当にどうなっているんだ。
地面に叩きつけるように降る雹に打たれながら、トリアカステーラに到着。トリアカステーラの町は、ガイドブックを見て想像していたより小さな町だった。
巡礼路はそのまま町のメインストリートらしく、通り沿いに立ち並ぶバルやアルベルゲや家々を眺めながら町の中へと進んだ。
しばらく町中を歩いていると、ルイテランで宿が一緒だった台湾人のシンディを発見。彼女は今夜の宿を探していて、この町のアルベルゲについてバルの店主に聞き込みをしている最中らしかった。
宿探しをしているシンディに、僕が持っていたアルベルゲのリストを見せてあげた。だがリストを眺めてもぴんと来る宿がなかったらしく、彼女は一人首を横に振っていた。そんな悩めるシンディと町をぶらぶら歩いていると、カミーノを23回歩いた彼と再び出会った。今日はこれで3度目だ。
彼に挨拶をするとなぜか記念撮影をしようということになり、彼と僕とシンディとで並んで写真を撮った。記念撮影を終えると、彼が、
「君のそのバッジはテンプル騎士団の物だね!」
と僕がバックにつけていたバッジを見てそう言った。僕はそのバッジをマンハリンで買ったこと、マンハリンで一泊したことなどを彼に説明した。
「マンハリンにはテンプル騎士団の騎士達が住んでいて、冬の間巡礼達が無事に峠を越えられるように見守っているんだ。」
と話してくれた。そこで、なぜ彼が”現在形”で話すのか不思議に思った。マンハリンは今は廃村で、トマス達しか住んでいないはずだ。それにテンプル騎士団はもう存在しないはず。彼が話しているのはトマスのことかと思ったが、しかしそうではないようだった。そこまで話すと彼はツアー客の方へと戻っていった。
ずっと宿のことで迷っているシンディと、ああでもないこうでもないと言いながら町の出口までやってきた。彼女はトリアカステーラに泊まらずに、次の村まで歩こうかどうかでまた迷いだした。そこでまた”カミーノ23回の彼”と再び会った。僕らがトリアカステーラという大きくはない町にいることを差し引いても、4度目の再会は偶然にしてはちょっと多すぎる。
彼はツアー客の1人と一緒にいて、僕らとまた立ち話になると、
「君はテンプル騎士団の祝福を受けている。彼らに護られている。僕には見えるんだ。」
と言い出した。
内心「何だかおかしなことになったぞ!」と若干警戒心を抱いたが、とりあえず彼の話の続きを聞いてみた。
「スペインの家々の入口に”盾”をモチーフにしたプレートが飾られているのに気づいたかな?あれらも同じだ。それらの盾は家を護っているんだ。」
そう話す間、彼が僕ではなく僕の後ろの何かを見つめていたのが気になった。何だかよくわからない展開に混乱した僕は、
「僕は祝福されるより祝福したいです!」
と謎の反論を試みた。彼はそれを笑って、僕らはハグをした。
彼の言動と共に違和感を感じたのは、彼とのハグだ。彼からは実体のないような、温かさのないような変な手応えを感じた。パスクワーレ、アントアン、コトのオスピタレオと交わしたような、心が通じ合うハグではなかった。
「フォンセバドン、マンハリン、あの辺一帯はテンプル騎士団に与えられた土地なんだ。農地と妻が彼らに与えられた。」
僕は彼のその言葉に疑問を抱いた。なぜなら”確か騎士達は妻帯を認められていなかったのではなかったっけ?それに清貧をモットーとする彼らに土地の所有は認められていたのだろうか?”これらの疑問は僕のテンプル騎士団に対する表面的な知識からきたもので、実際にどうだったのかはわからない。
それを聞いた僕は、
「そういえばマンハリンのアルベルゲでテンプル騎士団の儀式に参加しました。」
と何気なく彼に話してしまった。
すると、「やはりな…。」と真剣な感じで受け止められたので、慌てて
「何だかよくわかりませんでしたよ!全部スペイン語でしたしね!」
と火消しにかかったが、時すでに遅し、彼は隣にいた女性ツアー客にも
「彼はあのマンハリンに泊まり、テンプル騎士団の秘密の儀式に参加したそうだ!」
と話していた。
こんなことになろうとは思ってもみなかった。というのも、マンハリンのオスピタレオであるトマスのテンプル騎士団愛や、アルベルゲで行われる儀式については、持参したガイドブックにも書かれているほどなので、巡礼者の間では有名なのだろうと思っていた。
ましてや23回もカミーノを歩いている彼には「ああ、トマスのところでやっているアレね!」と言われるのだろうと予想していた。そしてまさかの展開に焦る僕に、ツアー客の女性が”儀式”やマンハリンについて興味津々に尋ねてきた。
どう答えて良いかわからなかった僕は、
「いや〜、なんていうか中世って感じでした!」
と、またしてもよくわからないことを口走った。
しかし彼女はとても良い人で、
「素敵な体験をシェアしてくれてありがとう!この後もたくさん素晴らしい体験ができますように。」
と言ってくれた。
彼女に
「あなたも。」
そう伝えると僕らは別れた。
僕が混乱の渦中にいる間も、カミーノ23回の彼とアメリカ人ツアー客と別れた後も、シンディは一人今夜の宿について悩み続けていた。
「次の村まで歩こうかな〜。」
と言い出したシンディと二人で町の出口まで歩いたが、
「やっぱり歩かない!」
結局彼女はそう言うと、トリアカステーラの町の方へと引き返して行った。
町の出口で巡礼路は二手に別れていた。平坦な道か、山道か。昨日下調べをした時に「カルボールという村まで歩けたらいいな」とぼんやり考えていた。その村はどうやら山道の巡礼路の途中にあるらしい。
平坦な道の方にはテンプル騎士団を連想させる赤い十字架のモニュメントが建っていて、先ほどのテンプル騎士団を巡るドタバタ劇ですっかり疲れてしまった僕は、その十字架を避けるように山道の方へ歩き出した。
再び降り出した雨に打たれながら、山間の小さな村をいくつか通り抜けた。草むらでは牛達が草を食べるのに合わせて、カランコロンと首にぶら下げた鈴の音が鳴っている。巡礼路では他の巡礼に会うことはなかった。
そんな風景に癒されながらも、頭の中では「テンプル騎士団とかマンハリンとか儀式とか、余計なこと言わなきゃ良かったな…。」と後悔していた。そしてまた彼らに出会ったら面倒だと思い、歩くペースを早めた。
途中で2度コーヒー休憩を挟み、クタクタになりながらサン・マメデ・ド・カミーニョに到着したのは18時だった。1日に28kmは僕にして長い距離だったが、今日と言う日はその数字以上に長い1日だった。天気も出会いも奇想天外なことだらけだった。
心身共にくたくたに疲れ果てて、身体の芯まで冷え切っていた僕だったが、辿り着いたサン・マメデ・ド・カミーノのアルベルゲで、ハビエルとマリオのスペイン人祖父孫コンビ、スージーとアニーのアメリカ人コンビと再会することができてとても嬉しい気持ちになった。
完全に疲れきっていた僕は、「友達との再会がこれほどに喜ばしいもので、心温まることなのか!」と身に染みて感じた。
彼ら彼女らの存在が、僕のしなびれた心に潤いを与えてくれた。「親しい人との関わりは心のエネルギー源なのだ」と感じたのは初めてかもしれない。
夕食の席では、席が隣になった優しい韓国人夫妻とたくさんおしゃべりをした。たくさんの人で囲む夕食はとても美味しくて、身体はもちろん、心にも栄養を与えてくれるようだった。
「人がくれる温かさだけが本物で、僕にとっては何より必要で、僕がもし何かに守られているのだとしたら、この良き人達の温もりにだろう」
心底そう思った。
本日のアルベルゲ
Albergue Paloma y Leña(San Mamede do Camiño)
Tel : (+34) 982 533 248 / (+34)658 906 816
Email : palomaylena@gmail.com
私営アルベルゲ
3月1日〜11月中旬 13時〜22時
(営業時間は特に定められていません)
予約可
・宿代
ドミトリー 12€
二人部屋(二段ベッド) 27€
二人部屋(トイレ付き) 42€
・ベッド数 30(ドミトリー20、二人部屋10)
・冷蔵庫
・ダイニングルーム
・シャワー室
・タオルのレンタル可能
・お湯
・暖房設備
・洗濯場
・物干し綱
・洗濯機(洗濯4€、乾燥4€)
・コンセント
・自販機
・コーヒーマシン
・Wi-Fiとパソコン有
・薬箱
・ポーチと大きな庭
・駐輪場
本日の支出
項目 | € |
コーヒー | 1.3 |
コーヒー他 | 6.2 |
クロワッサン | 1.3 |
宿代 | 22 |
合計 | 30.8 |
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