『中世の伝統的巡礼宿〜テンプル騎士団の儀式〜』
6月1日 El Ganso → Manjarin 17km
昨夜は本当に泥のように眠っていた。考えてみたら、10時間ほど寝ていたことになる。そのおかげで、体調不良はすっかり良くなっていた。
支度を済ませてキッチンへ行くと、同部屋だったブラジル人のおじさんが丁度朝食を食べ終えたところで、
「これ食べな!」
と言ってヨーグルトと缶詰を分けてくれた。なんとありがたいことだろう。
人もまばらなキッチンで、アルベルゲが用意してくれた食べ放題のクッキーと、ブラジル人のおじさんがくれたヨーグルトと缶詰を食べた。
すっかりお腹も満たされて、気力も漲ったところでアルベルゲを出発。歩き出すとさらに体調の良さを感じた。何だかここ最近、好調と不調の波を交互に繰り返している気がする。
日本で働いていた時は体調が良かろうが悪かろうが、常にやらなければならないことに追われて、周りの考えに押さえ込まれながら、とにかくがむしゃらに生きていた。それが良いことなのか悪いことなのかなんて考えたこともなかったし、考える暇もなかった。
だがカミーノでは違う生き方ができる。進みたい日はどこまでも風のように歩き、休みたい日は誰にも気兼ねせずにのんびりと休める。日々はとてもシンプルだ。朝起きて、食べて歩いて眠るだけ。
巡礼路を歩いていると、景色の中に緑が増えたことに気がついた。これまでは、どちらかと言えば、乾燥した茶色っぽい景色の中を歩いてきた。巡礼路はこれからガリシア州へと入って行くのだが、ガリシア州は雨が多く、緑が豊かだと聞く。緑が濃くなってきたのはガリシア州が近づいてきた証かもしれない。
しばらく歩いていると、後ろから追い付いてきた巡礼に話しかけられた。
「Where are you from (どこから来たの)?」
その巡礼はアジア人の男性で菅笠を被っていた。もしやと思いながら、
「Japan!」
そう答えると
「私も日本人です!」と彼も教えてくれた。
やはり日本人だった。突然の日本人との再会に驚くと同時に嬉しくなった。
Kさんはとても明るくエネルギッシュな人で、Kさんが被っておられた菅笠は数年前にお遍路を歩いた時に被っていた物らしい。菅笠はよく似合っていたし、何より目立つのでカミーノでも間違いなく注目の的になるだろう。そこから二人で一緒に歩くことになった。
Kさんは物凄い健脚の持ち主で、歩くスピードがとても速く、僕はついて行くのがやっとだった。とてもじゃないがもうじき71歳の誕生日を迎える人には見えない。それもそのはず、Kさんは若い頃から山登りが大好きで、日本百名山を全て制覇しており、お遍路に加えて熊野古道も歩いたことがあるらしい。道理で強靭な足腰を持っている訳だ。
僕の中の70歳像は良い意味で覆され「彼のような70歳になりたい!」という憧れすら抱き始めていた。
Kさんとあれこれ話しながら歩いていると、ロンバル・デル・カミーノに到着。村の食料品店で食べ物を買い、店の前のキャンプ場に置かれたテーブルで一休みすることにした。
休みながら、Kさんご自身のことについて色々と聞かせて頂いた。彼のこれまでの人生のこと、カミーノで起こった出来事など、どれも興味深い話ばかりだった。
Kさんの話に聞き入っていると、キャンプ場に張られた20張ほどのテントの一つから、一昨日夕食を共にしたスペイン人のゴンサロが出てきた。話を聞けば、僕がキャンプ場だと思っていた場所は”キャンプ場風”の宿であり、張られたテントはそれぞれ客室らしい。
「昨夜は美しい星空を見ることができたよ!」
と彼は教えてくれた。星空とテントの宿、なんて素敵なんだろう。
休憩を終えると、再びKさんと歩き出した。ロンバル・デル・カミーノを出ると急な登り坂が続き、息を切らしながら登ることになった。あまりの辛さに二人共次第に寡黙になっていった。さすがのKさんもきつそうだ。
だがKさんの”きつい”には理由があった。Kさんは、昨夜花粉症の症状が出て、くしゃみと咳が止まらず、全然眠れなかったらしいのだ。
その時同室の巡礼達が気遣ってくれて、彼が一人でゆっくり休めるように皆違う部屋に移ってくれた、という話も聞かせてもらった。その話を聞いて、巡礼同士の助け合いの精神を感じて、ほっこりと温かい気持ちになった。
「カミーノでは、日々多くの心温まるドラマが起きている」
カミーノを歩いているとき、誰からともなくよくそんな話を聞いた。
上り坂に苦戦しながらも進んで行くと、巡礼路に噴水が現れて、泉から湧き出た水は小さなプールほどのサイズの水槽に溜められていた。その水槽にイタリア人女性二人が足を浸して休んでいるのを見て、僕とKさんも真似してやってみることにした。
早速足を浸けてみると、痛みを感じるほどに水はきりっと冷たく、10秒おきに水から足を出さなければならないほどだった。だがその効果は絶大で、足の疲れはすぐに吹き飛んだ。何より爽快な気分だった。
後からやって来た巡礼達も僕らの真似をして次々に冷水浴を始めた。
「ア〜〜〜!!」
とか
「フ〜〜〜!!」
とか、予想以上の水の冷たさに皆それぞれ顔を歪めて思わず叫ぶ。水の冷たさを共感するのに言葉は要らない。話すより叫ぶことで伝わることもある。
冷水浴で足も気分もリフレッシュした僕らは再び歩き始めた。冷水浴をする前とはうって変わって、足には歩く力にみなぎっていた。この辺りは急な登り坂が多くて大変だが、草花や木々の緑がとても美しい。歩きながらとても清々しい気持ちになっていくのを感じた。山登りの経験はあまりないが、山を登る楽しさとはこういう所にあるのかもしれない。
ようやく辿り着いたフォンセバドンは、つい最近まで廃村だったとは思えないほど明るく活気に満ちていた。パウロ・コエーリョの「星の巡礼」の中ではパウロと悪魔の最後の対決の舞台となった場所だ。
作中の不穏なイメージとは違い、悪魔その他怪しげな雰囲気など、今は全然感じられない。今夜はフォンセバドンに泊まるというKさんと村の入口で別れた。
だが別れてすぐに、立ち寄ったバルで偶然にも再会して、一緒に昼食を食べることになった。Kさんは体調も良くなってきたようで、サラダを食べながらビールをグビグビと飲んでいた。
「野菜はしっかり食べなさい。」
これはKさんから頂いたアドバイスであり、僕が日々歩く中で学んだことでもある。野菜と果物中心の食事をすると翌日の回復がまるで違うのだ。71歳にして驚異的な健脚を持つ彼が言うとさらに説得力が増す。「どんどん食べて!」と言ってKさんが大盛りのサラダをご馳走してくれた。
昼食の席では、Kさんから山や自然の話、これからの日本のことについてなど様々な話を聞かせて頂いた。Kさんの強靭な足腰と優しい人となりを知るとともに、彼は僕の憧れの70歳像としてしっかりと心に刻み込まれた。
昼食を食べ終え、再びKさんに感謝を告げて別れると、フォンセバドンを後にした。
歩けば歩くほど、景色はより一層美しくなっていくように感じた。道端では色とりどりの花が咲き誇り、風は吹くたびに松の良い香りを一緒に運んでくる。
フォンセバドンから2kmほど歩くと、巡礼路にそびえ立つ大きな鉄の十字架「クルス・デ ・フェロー」に到着。何人かの巡礼達が十字架の傍で祈りを捧げていた。
十字架は小さな小石の丘の上に立っているのだが、その丘が元から丘だったのか、それとも巡礼達が祈りを込めて石を積んでいくうちに丘になったのかはわからない。
丘の上の十字架の根元には、それを置いた者にとって本当に大切だったのであろう思い出の品々が数多く置かれていた。思い出の品を持たない者達も、祈りを込めて石を積んでいく。皆何かを手放すために色々な物をここに置いていくみたいだ。
十字架の丘の下には”Love Peace Compassion”という言葉が、小さな小石を並べて書かれていた。”ここは人が人を想う気持ちで満ち溢れている”そう感じた時、何か込み上げてくるものがあった。
キリスト教徒ではない僕にとって、ここはどんな古い教会よりも、どんな立派なカテドラルよりも神聖な場所に感じられた。
それからしばらく鉄の十字架とそれを取り巻く巡礼達を眺めていた。次々にやって来ては祈り、去って行く巡礼達。行き場のない気持ちを持った人々が世界中からクルス・デ・フェローを目指してやってくる。この世界には、そんな行き場のない気持ちを受け止めて救ってくれる場所が必要なのだ。
時に、僕らには気持ちを整理するための時間が必要だ。バラバラになりそうな心を休ませてくれる場所が必要だ。誰にも言えない胸の内を告白したくて、僕らは救いを求めて旅に出る。そしてカミーノに導かれるのかもしれない。
後編へ続く
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