【サンティアゴ巡礼】フランス人の道 – 22日目 –

サンティアゴ巡礼記

『時だまり〜時間と豊かさ〜』5月27日 Arcahueja → Oncina 23.1km

 今朝は早めに起きて支度を済ませると、アルベルゲが用意してくれた朝食を食べ、7時前にはアルベルゲの外へ出た。というのも、昨夜アルベルゲで知り合った日本人夫妻の旦那さんから、

「明日、レオンのバルで一緒にタパスをつまみながら宴会しましょうよ!」

とのお誘いを頂き、今日はレオンまで一緒に歩きながら宴会の計画を立てることになっていたのだ。

 7時前に待ち合わせ場所へ着くと、夫妻はすでに到着していて入念なストレッチをしている最中だった。身体のケアを怠らない姿勢は見習わなければならない。夫妻がストレッチを終えると一緒にレオンを目指して歩き始めた。

 おしゃべりしながら一緒に歩いていると、日本人夫妻の旦那さんから
「昨日の宴会の話ですが、お互いそれぞれのペースがあるし、レオンに着いたら一旦別れて、また会えたら一杯やりましょう。もしレオンで会えなかったら、また会えた時にでも!」
と言われた。

 旦那さんは昨夜アルベルゲで一緒に飲んだ時とは打って変わって、なんだか控えめな様子だった。レオンでの宴会の話が持ち上がったのは奥さんが席を外していた時だったので、後で奥さんにたしなめられたのだろうか。

 だがその提案も旅人同士の細やかな心遣いに感じられ、それはそれで何だかカミーノらしいなと思ったので快諾した。

 アルカウエハからレオンまでは9kmの道のり、おそらく2時間弱で着くだろう。昨夜同じ宿に泊まった巡礼達は、今日レオンをゆっくり観光したいと考えている人達だったのかもしれない。

レオンからサンティアゴまでは残り306kmらしい。

 夫妻と楽しくおしゃべりしながら歩いていると、短い距離はさらに短く感じられた。気づけば眼下に見下ろすようにして大都会レオンが出現。正直なところ最初にレオンが見えた時は、その街の大きさに少し気圧された。

 レオンはパンプローナやブルゴスより大きいように感じる。宴会の約束もあるし、今夜はレオンに泊まらねばと考えていたのだが、同じような建物が何百と並ぶ街を目にした時、「果たしてこの建物の海の中から、無事にアルベルゲを見つけることが出来るだろうか…。」と心配になった。

 遠目から見ると、広大な建物の海の中に、ニョキッと突き出るようにしてレオンのカテドラルは建っていた。「カテドラルを目指して歩けばなんとかなるでしょう!」と楽観的な気持ちでレオンの街に足を踏み入れた僕らだったが、遠くから眺めた時には平たく見えた建物は、実際に近くまで行ってみると、どれも10階建ほどの大きな建物で、目指すカテドラルは街に入るや否や全く見えなくなってしまった。

 僕らは黄色い矢印を見落とさないように、注意しながら歩いた。都会では人や物が多すぎて矢印を見失い易くなる。雑音が多いと迷いやすいのは、人生もカミーノも同じだ。

 レオンに入る前に、カミーノで起きた盗難事件について夫妻に教えてもらっていた。(夫妻も危うく巻き込まれるところだったらしい)なので、荷物の管理にはよくよく注意するように言われた僕は、いつも以上に緊張しながらレオンの街中を歩いた。今回に限らず、カミーノで都会を歩く時はいつも緊張した。スペインののどかな田舎とは違い、そこには何か殺伐とした雰囲気を感じたからだ。

大都会レオン。どのお店もまだ開店前だった。

 矢印に従って歩いていくと、新市街が終わり旧市街に入った。ブルゴスがそうであったように、旧市街に入った途端にレオンの街の雰囲気がガラッと変わったのを感じた。新市街が激しく流れる川だとしたら、旧市街は湖のような静けさだった。喧騒は遠のき、落ち着いた雰囲気が漂っている。どの街も聖堂付近は聖域のように守られているようだ。

 旧市街に入った僕ら3人は、
「また会えたら一杯やりましょう!」
そう約束すると、カテドラルの手前で一旦別れた。

 僕はそのまま巡礼路を進み、程なくしてカテドラルに到着。外から見るレオンのカテドラルは写真で見るよりもずっと大きくて迫力があった。カテドラルの中に施されたステンドグラスが有名らしいが、外装もまた美しい。

想像を超えて大きかったカテドラル。フォルムがとても美しい。

 カテドラル見学の受付が始まるまで多少時間があったので、カテドラルのすぐそばに置かれたベンチで3日前に買ったパンとクッキーを食べた。朝のキリッと冷えた空気の中、巨大なカテドラルを横目に食べるパンは固いが美味しく感じられた。お腹が満たされると近くのバルでコーヒーを飲みながら日記を書い。

 満足いくまで日記を書くと、時刻はすでに11時になっていた。人が混む前にカテドラルを見学しようと思い、支払いを済ませてバルを出た。カテドラルに到着すると思ったより人はまばらだった。ゆっくり見学できそうだ。さっそく受付で入場料を支払いカテドラルの中へと足を踏み入れる。

カテドラル入り口。すでに荘厳さが漂っている。

 大聖堂の中は薄暗く、その薄闇の中で四方にはめ込まれたステンドグラスは複雑な模様を色鮮やかに浮かび上がらせていた。それらはクリスチャンではない僕をも、何か敬虔で神々しい気持ちにさせてくれた。

写真はカテドラルの一角にすぎない。

 それぞれデザインは違ったが、ステンドグラスはどれも美しかった。壁に飾られている宗教画も、意味するところはわからなかったが、何か胸に迫るものがある。訪れた人々はオーディオガイドを耳に近づけながら、それら美術品を神妙な表情で眺めていた。

 一通りカテドラル見学を終えると外へ出た。すると、外の世界の明るさがとても新鮮に感じられた。カテドラルのステンドグラスも綺麗だけれど、僕はやっぱり空の青のステンドグラスの方が好きだ。形を変え続ける雲も見ていて飽きない。聖歌は気を重くするが、小鳥のさえずりは気持ちを弾ませてくれる。都会の緊張感に疲れ果てた僕は、レオンを出発することにした。カテドラルで夫妻と会えるかと思ったが、結局会えずじまいだった。「またどこかで会えたら一杯やりましょう!」

 都会が苦手な僕だったが、レオンの素敵なところもたくさん見つけられた。時に笑顔を向けてくれたり、挨拶をしてくれる人もいたし、その温かさに触れるたびに元気をもらった。公園へ立ち寄ると、そこでゆったりと寛ぐ人々を眺めて癒された。良いところを探しながら歩けば、いくつも見つけることができた。

レオンは観光客も多い。

 レオンの街中を上機嫌で歩き、街の外れまでやって来た。だが、そこからはとても悲しい気持ちで歩くことになった。

 道にはゴミが散乱していて、それを足で蹴飛ばし脇に避ける警官、窓ガラスが割られた建物、車は大きな道路を猛烈なスピードで行き交っていて、あまりのスピードに恐怖を感じた。倉庫で働く人達は大声を出し、肩を怒らせてせかせかと働いていた。そこにはあまり人間味を感じられなかった。そのことが悲しかった。

 それはもちろんレオンに限った話ではない、日本だって同じだし、世界中で見られる光景だと思う。産業と人間味が相入れないのはなぜだろう。やはりお金が持つ性質がそこに影響しているのかもしれない。

大都会に疲れたら公園に癒されよう。

 ラ・ビルヘン・デル・カミーノ手前のガソリンスタンドの前を通りがかった時、うつむきながら歩いていた僕に店員のおばちゃんが
「Hola!」
と笑顔で挨拶してくれた。突然のその一言で、僕の悲しい気分は一気に吹き飛んだ。

 おばちゃんの挨拶は”コミュニケーションはエネルギーの伝達”なのだということに気づかせてくれた。僕らはお互いがコンセントであり、電源なのだと思う。人は良いコミュニケーションによって、ぱちっ!と良い電気(エネルギー)を受け取ることができる。その火花は世界を少しだけ明るくする。

 与えると同時に受け取る、受け取ると同時に与える。それは等価交換でなくて、お互いのエネルギーが相乗的に大きくなることだ。分け合うほどに増えて、通じ合うほどに強くなる。それは産業的人間ではなく、人間的に産業するガソリンスタンドのおばちゃんが教えてくれたことだった。(”一介のみすぼらしい巡礼にわざわざ忙しい仕事の手を止めてまで笑顔で挨拶しなさい!”なんて規則は店のマニュアルには載っていないはずだ)

レオンの風景。

 スタンドのおばちゃんに元気をもらいラ・ビルヘン・デル・カミーノを歩いていると、昨夜アルカウエハで夕食を共にしたイタリア人のピエールに会った。どうやら買い物を終えアルベルゲへ戻る途中らしい。

 彼はイタリア語しか話さない、僕はイタリア語はわからない、もちろん言葉は通じなかったが心は確かに通じていた。言葉でコミュニケーションを取るのではなく、コミュニケーションが言葉になっていたのかもしれない。コミュニケーションは言葉より先にあるのだと思う。

「車をよく見て歩くんだよ!」

そう言葉をかけてくれて、互いの肩を叩き合って別れた。彼は本当に気持ちの良い人だった。僕のエネルギーはさらに増した。

 今日はもう少し歩きたかったので、ラ・ビルヘン・デル・カミーノをそのまま通り抜けた。しばらく歩くと巡礼路は二つに分岐していた。車道沿いの新しいルートを直進するか、左に曲がり車道から遠ざかるように古い巡礼路を行くか。僕は迷うことなく古い巡礼路を選んだ。一刻も早く人工物から離れて自然溢れる道を歩きたかったからだ。どちらにせよ、二つの道は再びオスピタル・デ ・オルビゴで合流するらしい。

僕が歩いたのは「CAMINO ALTERNATIVO」。

 素朴な道を歩き、休憩を挟みながら小さな村バリアンテを通過。次の村であるオンシーナまでの道は、アスファルト舗装の整備された道だったが、人も車も全く通らないのどかな所だった。

道は立派だったが、車も通らなければ、巡礼も歩いていない。

 空と木々と風と自分、それ以外は何もない。そんな道をのんびり歩いていると、レオンで張り詰めていた心が次第に解きほぐされていくのを感じた。特別なことをしなくても良い、自然の中にいること自体がすでに特別なことなのかもしれない。

 程なくしてオンシーナ村に到着。村の入口に架かる橋に辿り着くと、木々はざわめき木漏れ日が一層輝いて見えた。本当に美しい場所だ。時間はここで一休みしているかのように緩慢に流れていた。

 時間は絶えず速度を変えて進むものだとカミーノは教えてくれる。それとも、時間を感じる僕らの心の方が、その時々の気持ちによって感じる速度を変えているのだろうか?

オンシーナ到着。

 橋を渡って村に入ると、道の脇にアルベルゲの看板が出ていた。その手作り感の溢れるアルベルゲの写真が載った看板を見た瞬間「ここに泊まるしかない!」とすっかり一目惚れしてしまった。

 村の中を進むと、そのアルベルゲEl Pajar de Oncinaはあった。看板の写真でピンと来ていたが、実物はそれより自分好みだった。小さな古民家のようなアルベルゲの受付にはピカソの描いた『ゲルニカ』のレプリカが掛けられていて、そこから続く静かな中庭には色々な種類の植物が鉢植えされていた。

 屋内は綺麗で清潔、内装は比較的新しかったので最近できたアルベルゲなのかもしれない。あちこちに飾られた絵や写真、テーブルに積まれた本からはボヘミアンでヒッピー風な雰囲気が漂っていて、それらがより寛げる空間を作っているようだった。(あくまで僕にとってだが)

アルベルゲの受付に飾られていたゲルニカ。宿のテイストの中に”反戦”というテーマを感じた。

 オスピタレアはおっとりした優しい女性で色々と親切にしてくれた。日中はアルベルゲの外に置かれたテーブルで日記を書いたり、ウトウトしながら過ごして、夕方になるとアルベルゲの中庭にあるガーデンキッチンでポモドールパスタを作ることにした。

アルベルゲの素敵な中庭。

 材料を持って中庭のキッチンに行くと(キッチンは屋外にあった)、そこにはオスピタレアと旦那さんのような人がいて、旦那さん(多分)が
「日本!?また遠い所から来たね!」
と言いながら、コンロに火を点けてくれたり鍋を用意してくれたりと、とても親切にしてくれた。

 夕日の陽だまりのような中庭には、スペインの陽気なラジオが心地良く流れていて、僕がパスタを作っていると、オスピタレアが瓶ビールを持って来て椅子に座り、タバコに火を点けて一服し始めた。

植物達も大切に育てられていた。

 ゆったりと寛いでいる彼女の傍らでは、アルベルゲで飼われている犬のモナと猫のチカがじゃれ合っている。僕はその情景に豊かさを感じた。スロウあるいはメロウな時間の流れというのだろうか。彼女もゆったりとして心地良さそうだったし、彼女の周りの時間もそんな彼女の横で憩っていた。

じゃれ合う犬のモナと猫のチカ。とても仲良しだ。

 夕暮れの中庭は陽だまりならぬ”時だまりの”ような場所になっていて、そこには時間がたっぷりとあった。この場所には愛情がたっぷりと注ぎ込まれているようだ。宿や庭の細部にまでこだわりを感じる。愛情がたっぷり注がれているから時間的豊かさが生まれるのかもしれない。そんな風にも感じた。

 豊かさとは感じることにある。それは間違いないと思う。ある人が豊かだと感じることが、他の人にとってもそうだとは限らない。共通することは、皆それぞれ自分の心を”満たしてくれるもの”を僕らは豊さだと呼ぶと言うことだ。満たされていないと感じれば、満たされるまで何かを追い求め続けることになる。

 このアルベルゲの中庭で見つけた豊かさは、時間の豊かさだった。食事が僕らを満たすには、それ自体の量と質に加えて、”食べる人がきちんと味わう”ことが必要だし、空気が肺を満たすためには深く自然なリズムで呼吸できていなければならない。

カミーノで面白そうだけど読めない本に出会うと、「もっと英語とスペイン語を勉強しておくんだったな」と悔やむことがある。

 それと同じように、時間に関しても自分がする一つ一つの行為から寛ぎや楽しさ、あるいは意味とかやり甲斐といったものを充分に”感じられる”時に、初めて”時間が豊かにある”と言えるのではないだろうか。

 三つ星レストランのコース料理を一品20秒以内で食べろ、と言われたら食べ終えた後に心から満足できるだろうか。毎日フルマラソン終盤のランナーのような呼吸で人生の大半を生きなければならなかったとしたら、ゴール後の僕は自分がどこを何の為に走っていたのかわからず、きっと途方にくれるだろう。全てはたどり着くまでの過程で”僕らの心が何をどう感じたか”が大事なんだと思う。

 現代社会ではいつも誰かが僕らを急かしている、僕らの時間を欲しがっている。しかし、僕らがそれに気づきさえすれば”主導権はいつもこちらにある”ということを忘れてはならない。

オスピタレアは僕にいくつかのスペイン語のセンテンスを教えてくれたが、
「フエゴ マキシモ」(火力全開)
しか覚えられなかった。

 オスピタレアが休憩を終えて受付の方へ戻って行くと、中庭に残った僕はソファに仲良く寝そべるモナとチカを眺めながら茹で上がったパスタを食べた。

 動物達はいつだって最高の寛ぎ方と居心地の良い場所を知っている。

本日のアルベルゲ

El Pajar de Oncina (Oncina de la Valdoncina)

 Tel : (+34) 987 680 409 / (+34)677 567 309
 
 私営アルベルゲ
 年中無休 11時〜22時 
 予約可

 ・宿代 
 ・二段ベッド 11€
 ・二人部屋 30€
  (二段ベッドも二人部屋も朝食込みの料金です)
 ・夕食(皆で)9€(ベジタリアンメニューになることがあります)

 ・ベッド数 10

   二段ベッド 8人
   二人部屋  2人

 ・キッチン
 ・冷蔵庫
 ・リビングルーム
 ・会議室
 ・シャワー室 3
 ・お湯
 ・タオル、シャンプー
 ・暖房設備
 ・洗濯機
(洗濯3€、乾燥4€)
 ・洗濯場/物干し綱
 ・ロッカー、衣装ダンス(鍵付きロッカー)
 ・コンセント
 ・薬箱
 ・インターネット
 ・コンセント
 ・中庭
 ・駐輪場

本日の支出

項目
コーヒー、カフェコンレチェ2.7
寄付1
カテドラル入場料6
ATM手数料5
ナポリタナ、オレンジ1.23
オレンジジュース2.75
宿代10
合計28.68
3,585円(1€=125円)

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