『聖ヤコブ様〜それは自分の中の薬箱〜』
5月26日 Calzadilla de los Hermanillos → Arcahueja 35.3km
動かなすぎる日は動き過ぎる日と同じぐらい調子が狂う。昨夜は寝付きが悪かった。1日分として与えられたエネルギーを消化し切れておらず、その使われなかったエネルギーが自分の身体の中をぐるぐると出口を探して、さまよっているかのようだった。
それに、昨日は持て余すほどの時間がありながら、日記を書き終えることができなかった。そもそも材料がないので、絞り出す文字量にも限界があったし、何だかぼんやりとして考えも上手くまとまらなかった。身体を動かさないと頭も動かないらしい。
空気であれ、食べ物であれ、エネルギーであれ、入って来たものは出ていかなければならないし、与えらた予算は使い切らなければ、次は減らされてしまう。逆にきちんと適切に消化されるなら、次回はさらに多くの予算が配分される。Use or Loose。使えば使うほど、使えるようになるのかもしれない。
ログローニョで別れて以来会っていないイタリアの友人達から、昨夜メッセージをもらった。その内容は彼らからだいぶ遅れをとっている僕を励ます温かいもので、読んでいるうちに思わず涙ぐんでしまった。読み終えた時には「また彼らに会いたいな」と心底彼らが恋しくなってしまった。離れたのは僕の方なのだけれど。
そんなこともあり、今日は朝から「歩くぞー!」という気持ちが湧いてきた。本日の行程自体も気合いを入れて歩かねばならないものだった。エルマニジョスの村を出て次の町マンシージャ・デ ・ラス・ムラスまでは20km以上村のない道を歩くことになる。
7時前にはアルベルゲを出発した。天気は今日も快晴だ。昨日ぐーたらしたおかげで、最近感じていた肩と左足の裏の痛みはなくなっていた。怠惰の思わぬ効用だ。宿を発って3時間半、18kmの道のりを休みなく歩くことができた。モチベーションが高かったおかげもあるが、腰を下ろして休める場所がなかったせいもある。
今までで一番長い距離を、休まずに歩くことができた。そのことに対してささやかながら満足感を覚えた。今日の自分が、昨日までの自分より”確かに向上している”と感じることはいつだって嬉しいし、さらに頑張ろうと思える。
カミーノには”同じ場所に連泊できない”というルールがある。「昨日と同じ場所にいてはならない、少しでも前に進み続けよ!」と言われているようだ。速くなくていい、カタツムリのペースでいい。カタツムリだって昨日と同じ場所にはいないのだから。
単調で石がゴロゴロする道をひたすら歩いていると、道の一部が何mかに渡り木の柵で囲われている場所を通りがかった。建てられた看板を読んでみると、どうやらこのこんもりと盛り上がった土の下にコトのオスピタレオが教えてくれた”ローマ人達が造った道”があるらしかった。
かつてここを通ったローマ人達は、どこから来て、そしてどこへ向かっていたのだろう。地中に眠る古代の道を想いしばし空想にふけった。
ローマ人の造った道が終わり、巡礼路が運河と交差する所に、テーブルとイスが置かれていた。今までまともに座れる所もなかったので、そこでありがたく休憩させてもらうことにした。
バックパックからボガディージョとクッキーを取り出し、物言わぬ運河を眺めながら食べた。今日ここまでで出会った巡礼はわずかで、休んでいても誰もやって来なかった。
30分ほど休むと、再び歩き出した。このまま歩けば1時間半ほどでマンシージャ・デ ・ラス・ムラスには着くはずだ。しばらくは小麦畑の広がる道をのんびりと順調に歩いた。
だが突然、お腹の雲行きが怪しくなってきた。いつもであれば、訪れた村のバルで朝食休憩を兼ねてトイレを借りるのだが、何せ今日は村どころか人も見かけない道だったので、そういうわけにはいかない。さらにそういう時に限って、モホンはどこかに消え失せていた。
不安と戸惑いと、腹痛を感じながらも、「ここまでずっと一本道だったし、この道に間違いはないはずだ」そう思い、とにかく今歩いている道を歩き続けることにした。
長く続いた砂利道は、真新しいアスファルト舗装の道へと変わり、大きな道路をまたぐようにして向こう側へと伸びていた。道下を車が猛スピードで行き交っている。
車の運転手も僕も、”目的地へ向けて移動している”ということに関しては同じだが、実際にやっていることは全然違うことのように思える。取り組み方次第では、移動は巡礼になり、巡礼は移動になるようだ。
大きな道路を渡り終えた所に、ようやくモホンを発見。ホッと胸を撫で下ろした。だがそこにあったモホンは、アスファルトの道路の道脇の草むらの中に朽ち果てた姿で立っていた。
草むらの中には道らしきものがあったので、大きな道路が作られる前はその道が巡礼路だったようだ。このトラハナの道を歩く巡礼は少ないと聞いたが、産業や商業が信仰を飲み込もうとしているように感じて、その朽ちたモホンは何百本もあるモホンの中で特に印象深いものとなった。
しかし、今は感傷に浸ってばかりもいられない。僕のお腹の中では大きな黒雲がすぐそこまで迫っていて、不吉な風が吹き始めていた。道が正しかったとすれば、時間的に考えて、もう町に辿り着いていいはずだ。希望を胸に僕は歩き続けた。
歩いていると、次第に人や建物が現れた。サッカー場でボールを蹴る少年達、スカッシュを楽しむおじさん達、爽やかな汗を流す人々の横を、僕は冷や汗をかきながら歩いた。幸いにも、しばらく歩くと町に到着。お大急ぎで最寄りのバルへ駆け込み、何とかことなきを得た。
マンシージャ・デ ・ラス・ムラスに到着し、間一髪トイレへ駆け込んだ後、そのままトイレを借りたバルでコーヒーを飲んだ。安堵の気持ちでバルを出ると、町の中を巡礼路に沿って歩いた。先ほどは、脇目も振らずにバルまっしぐらという状態で町に入ったので、雰囲気を感じる余裕はなかったが、一旦落ち着いてからマンシージャ・デ ・ラス・ムラスを歩くと、この町がとても魅力的な町であることに気づいた。
町は大きくもなければ騒がしくもないし、町中に日曜日の穏やかでのんびりとした雰囲気が漂っていて、歩きながら居心地の良さを感じた。町の人々は親切で、挨拶してくれる人もいれば、向こうの方から道を教えてくれる人もいた。
マンシージャ・デ ・ラス・ムラスの町はとても自分好みだったが、今日はまだまだ歩きたい気分だったので巡礼路に従いそのまま町を出ることにした。
時刻は14時、日差しが一番強い時間帯だ。焼け付くような日差しの下を歩いていると、頭痛がしてきた。「これはまずい」と思い、並木の木陰で座って休むことにした。熱中症だろうか、歩いている時に帽子を被っていないせいかもしれない。
幸い、しばらく休むと頭痛は治ってきた。気分もだいぶ良くなってきたので、巡礼路を再び歩き出した。すると、しばらくして道の脇に看板が立っているのを見つけた。どうやら看板の示す先に、巡礼路からは逸れるが、歴史的に重要で厳かな雰囲気の教会があるらしい。
正直あまりの暑さにムラスの町へ戻ろうかと考えていた僕だったが、その看板が示すルート上には、ゲスハウスのような宿もあるようで、距離的にもムラスに戻るより近そうだ。「今日はそこに泊まって、時間と体力が許せばその”必見”と言われる教会でも見に行ってみるかな」そう考えた僕は、看板の案内に従って巡礼路を逸れて歩き出した。
しばらく歩くとゲストハウスがあるという村に到着。シエスタの最中らしく村人は誰も外に出ていない。今日の灼熱の日差しを考えると、シエスタという習慣が始まったのも納得できる気がした。村の中に置かれたベンチは可愛らしく、そこに腰を下ろして、歩道に咲くバラを眺めていると、疲れた心身が癒されるようだった。
ゲストハウスを探すために村の中へと進み始めた時、後ろからやって来た車が僕の横で停車した。そして、サングラスをかけたイカツイ運転手のおじさんが、開いた車の窓越しに、スペイン語で何やら話しかけてきた。
突然のことにドキッとして身構える。彼の早口のスペイン語のせいで、正確な所はわからなかったが、
「おい!ここは巡礼路じゃない!巡礼路は来た道を戻って車道沿いを歩くんだ!連れてってやるから乗れ!」
と言っているようだった。
正直迷った。意図的にこの道を歩いているのだが、僕にそれを伝えるスペイン語力はない。だが、かといってこのおじさんを信用して車に乗ってもいいものかどうか。
一瞬躊躇したが「彼の善意を信じよう」そう覚悟を決めて車の助手席に乗り込んだ。車に乗り込む際、後部座席に釣り竿がポンと置かれていたのを見てなぜだか安心した。
僕が車に乗り込むと、車は走り出した。話を聞けばおじさんはこの村の人だということだった。そして数分後、僕は無事に巡礼路へと送り届けてもらっていたのだった。おじさんは見た目はイカツイが、本当に善意と好意に満ちた人だったのだ。感謝の意味を込めて、
「あなたは僕のヤコブ様です!」
と伝えたのだが、
「俺の名前は○○○だ!」(名前はちゃんと聞き取れなかった)
と返され、やはり僕のスペイン語力では全然伝わらなかったようだった。
彼に改めて感謝を伝えて別れると、今日はもうムラスの町に泊まろうと思い、巡礼路を町の方へと歩き始めた。すると、先ほどのおじさんの車が後ろからやって来て、僕を追い抜く形で巡礼路の隣の車道をムラスの方へと走っていった。かと思えばすぐにUターンしてきて、
「おい!こっちじゃない!次の村は逆方向だ!」
と車の窓を開けて叫びながら教えてくれた。なんという親切な人だろう!とても嬉しい気持ちになった僕は、走り去るおじさんの車に
「グラシアース!」
とお礼を言った。きっと本当に彼はヤコブ様だったのかもしれない。そしてヤコブ様は
「先へ進みなさい。」
と言っていた。心から感謝の気持ちが湧いてくるのと同時に、最初から最後まで食い違い続けた僕らのやりとりが急におかしく思えてきて、一人で歩きながら大笑いしてしまった。
ひとしきり笑うと、いつの間にか疲れも頭痛も吹き飛んで、身体は軽くなっていた。全ての悪いものが、僕の身体から去って行ったようだった。心から感謝すること、お腹の底から笑うこと、何より人の親切を受けることは、身体にとっても、心にとっても一番の薬らしい。不思議なことだ。外から中へ取り込むのが薬だと思っていたけど、本当の薬箱は自分の中にあるようだった。
ヤコブ様のお告げだと思い、ムラスへ戻るのを止めて、次の村へ向けて再び歩き出した。幸せな気分で歩く道は、辛くもなければ苦しくもなく、もうさほど暑くもなくなっていた。
17時にはアルカウエハに到着。11kmを歩き通しだったが、長い距離には感じなかった。辿り着いた時に何を感じるかは、”どれぐらい歩いたか”ではなく”どのように歩いたか”による。今日はもう休もうと思い、村の中のアルベルゲにベッドを確保した。
アルベルゲはバルも経営していて、バルのカウンターに立つ男の子に、即席のスペイン語のレッスンをしてもらった。覚えたセンテンスは、
「ポルファボール、ティエネス コントラーヤ デ ワイファイ?」
(Wi-Fiのパスワードを教えてもらえませんか?)
そのバルの男の子もそうだったが、カミーノで出会ったスペインの人達に
「スペイン語を教えて下さい!」
とお願いすると、皆嬉しそうに教えてくれた。
その国の人と、その国の言葉で話すことはとても大切なことだと思う。それは相手とその国に対して敬意を示すことであり、現地の人々と心を通わせる一番の近道でもある。
カミーノを歩きながら教えてもらった片言のスペイン語を使って話すと、スペインの人達は可笑しそうに笑うけど、皆がパッといい顔になる。僕はそれを見るのが好きだった。
今夜はボガディージョ以外の食べ物が食べたくなり、ベッドに加えて夕食もつけてもらった。荷を下ろし、シャワー、洗濯を済ませると、19時に夕食の席に着いた。2人のスロバキア人女性とイタリア人のおじさんと囲む夕食はとても温かくて美味しかった。久しぶりの賑やかで楽しい食事は心も解きほぐしてくれるようだった。
夕食後、偶然にも同じ宿に泊まっていた日本人夫妻とバルでビールを飲みながら色々と話をさせてもらった。英語やスペイン語を勉強するのは楽しいが、日本語で話せる環境はやはり心が一番落ち着く。夫妻とは、お互いの日本での生活のこと、カミーノでの出来事、カミーノ後の展望などについて話を聞かせてもらった。
夫妻には今後の人生の展望があるようだったが、僕にはカミーノ後のことが、まだ上手く想像できない。というか、そもそも帰ることを考えずに来ていたのかもしれない。
だが今日のところはひとまず達成感もあるし、ぐっすりと眠れそうだった。
本日のアルベルゲ
Albergue La Torre (Arcahueja)
Tel : (+34) 987 205 896 / (+34)669 660 914
Email : info@alberguetorre.es
facebook
年中無休 7時〜22時(ただし冬場は予約することをお勧めします)
予約可
・宿代
二段ベッド 10€
個室 25€
二人部屋 37€
三人部屋 50€
四人部屋 65€
五人部屋 75€
二段ベッド+夕食+朝食セット 18€
夕食 11€
朝食 3.50€〜
・ベッド数 43
二段ベッド 30
二人部屋 4
個室 2
三人部屋 1
・リビングルーム
・多目的室
・シャワー室
・タオル、シャンプー
・お湯
・暖房設備
・洗濯機(洗濯 3€、乾燥 4€)
・洗濯場/物干し綱
・Wi-Fi
・ロッカー(鍵付き)
・コンセント
・薬箱
・公衆電話
・インターネット(近くにフリーWi-Fiがある)
・コンセント
・中庭
・駐輪場(洗車場有)
本日の支出
項目 | € |
寄付 | 5.11 |
コーヒー | 1.2 |
宿代(夕、朝食込み) | 20 |
合計 | 26.31 |
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