【サンティアゴ巡礼】フランス人の道 – 19日目 –

サンティアゴ巡礼記

『時の糸〜再会〜』
5月24日 Ledigos → Calzada del Coto 22km

 レディゴスでの夜は静かで暖かくて快適だった。8時前にはアルベルゲを出発。今日は快晴で気温も高い。昨日痛めた左足裏も幾分ましになっていた。

今朝はとても暖かい。

 レディゴスを発ってしばらく歩くと、かつてテンプル騎士団が支配下に置いていたという村、テラディージョス・デ・ロス・テンプラリオスに到着。村を通り抜ける際、アルベルゲの壁に大きく描かれた”ジャック・ド・モレー”の肖像画を写真に収めた。彼は非業の死を遂げたテンプル騎士団最後の団長だ(1314年フランス国王フィリップ四世によって火あぶりの刑になる)。その姿は貫禄があってがあって格好良かった。

テンプル騎士団最後の団長ジャック・ド・モレー。

 テンプラリオス村を出ると続いてモラティノス村へ到着。村の中の中へと進んでいくと、こんもりと盛り上がった丘をくり抜いた”家”のようなものがあり、入口には可愛いドアがついている。なんだか見覚えがあると思ったら、
「あ、これホビットの家だ!」
と気づき思わず興奮してしまった。

 だがその家にホビットの出入りはなく、家の前には”これはホビットの家ではありません”というような内容の看板が立てられていた。テンプル騎士団の次はホビットなんて、まるでファンタジーの世界だ。

 どうやらこのホビットの家は食糧やワインを保存するために作られた貯蔵庫らしい。いくつか連なるようにして建てられた貯蔵庫は、すでに使われなくなったものと現在も使われているものがあるようだった。貯蔵庫を外から見物し、しばしファンタジーの世界に浸ると”ホビットの家風”貯蔵庫のすぐ隣にあったバルで朝食を食べることにした。

ホビットの家(食糧貯蔵庫)。

 店内は清潔で静かで居心地が良かった。厚いヤギのチーズを挟んだボリュームたっぷりのボガディージョと、温かいコーヒーを頂いた。まさに至福の時だ。ヤギのチーズは最初は独特の香りと味が気になったが、食べ慣れてくると美味しく感じた。

 朝食を食べながら日記を書いていると、巡礼達がやって来ては去って行った。巡礼も来なくなると、店内は店員さん達の話す声と、マドリッド市内のゴミ問題を議論するTV番組の音だけが響いていた。食事を終えてバルを出ると、ドアの前には一匹の猫がいて店の人にもらったらしいご飯を食べていた。

 あくまで僕の経験則だが、”動物を大切にするお店は良い仕事をする”という法則的なものがあるような気がする。例外もあるが、当てはまることの方が多いと思う。少なくともこのバルのサービスには大変満足させてもらった。

 お腹を満たし、ホビットの家(食料貯蔵庫)に別れを告げるとモラティノスを出発。歩き出してすぐに次の村サン・ニコラス・レアル・カミーノに到着。このようにレディゴスからは約3km刻みで村があった。こまめに休憩できるので痛めた足にはありがたい。今いるサン・ニコラス・レアル・カミーノからレオン州最初の町サアグーンまでは8.1kmの道のり。その距離が今日は少し長く感じたので、歩き出す前に小さな公園で荷を下ろしストレッチと深呼吸をした。

村から村へと歩き継ぐ。

 凝り固まった身体をグーっと伸ばしながら深い呼吸をすると、バックパックに締め付けられていた肩と負傷した左足の痛みがスーッと引いて、呼吸も楽になった。心なしか周りの景色もクッキリ見えるようになった気がする。普段は周りの状況に合わせて身体を動かすことが多いが、もっと身体自身の声を意識した方が良いのかもしれない。今回はそのせいで足の裏を怪我をしてしまったような気がする。

 自分の心についても同じことが言えるかもしれない。自分はいつも同じ自分のようだけど、周りに合わせてその時々の役割を演じていることが結構多い。

 そんな日々が続くと、いつの間にか心にポッカリ穴が空いていることに気づく。それは”不在”という名の穴で、僕の心の形をしている。周りの要求にばかり囚われてしまうと、自分で自分がわからなくなってしまう。難しい時もあるかもしれないが、見失わないように損なわないように身体の声にも心の声にもいつも敏感でいよう。

ハートのモホン。

「君の心はいつも君に語りかけている。その声に耳を澄ますことが大切だ。」

 そうマスターが言っていたのをを思い出した。大事なのは自分の中に調和を生むことなのかもしれない。調和のとれた状態だと物事が上手く行くことが多いと思う。そしてきっと、ずっと遠くまで楽しい気持ちで歩けるのだと思う。 

 ぼちぼち自分のペースで歩いていたらサアグーンにはすぐに着いてしまった。町の入口でブライアン、ジェロウィン夫妻と再会。大変申し訳ないのだが、最初彼らのことが思い出せなかった。シルエーニャのアルベルゲで一緒だったし、以前巡礼路上に出ていた移動販売車の前でブライアンは僕にササミを分けてくれたこともあったのに。

「元気にやってるかい?」
とブライアンに話しかけられた時にピンと来なかった僕は、シルエーニャのアルベルゲとササミのことを教えてもらい、ハッ!と思い出した。そこで改めて再会を喜び、州境の石碑の前で記念撮影をした。

州境の石碑。

 今回”名前を思い出せない”ことでとても申し訳ない気持ちになった僕は、以後一人一人の巡礼との出会いを大切に、名前を忘れないようにしなければ!と反省した。

 具体的には出会った人達の名前を記す手帳を作った。その手帳はカミーノ中もカミーノ後も大変役に立った。これからカミーノを歩く人には是非おすすめしたい。

 州境で夫妻と別れ、10分ほど歩くとサアグーンの町中へ到着。小さくもないが、決して大きくもないし騒しくもない。サアグーンはそんなとても居心地の良さそうな町だった。古い石造りの建物もちょっとした通りも、あちこち絵になる所ばかりだ。すぐに通り過ぎてしまうのは何だか勿体無い気がしてしばらく町を散策することにした。

サアグーン手前。日本にいる知り合いによく似ている。

 町の中心部は地元の人達、巡礼、観光客で賑わっていた。お腹が空いてきたので、町の広場の近くのパン屋でナポリタナを買うと、広場の隅に腰を下ろして食べた。人々は皆リラックスしながら食事や会話を楽しんでおり、眺めている僕も穏やかな気分になれた。

サアグーンの中にあった古い門。

 町をブラブラしていると、建物の壁に絵が描かれていたり、通り沿いの壁にも詩が書かれているのを見つけた。(「希望は羽根を持つもの、魂に降り立つ、そして言葉のない歌をうたう。そして歌い止めることはない、けっして」ーエミリー・ディキンソンー)

 町中に絵と詩が描かれているなんて素敵だし、住んでいる人たちの心の豊かさが現れているように思った。

絵と詩に溢れた町サアグーン。

 サアグーンは魅力的な町だったが、やはり宿を取るなら小さな村にしたいと思い、一通り町の散策を終えるとサアグーンを出発した。サアグーンからの巡礼路は車道沿いの単調な道だった。ただ矢印が見つけづらく少し不安な気持ちで歩いた。自分の前後に誰も巡礼が歩いていなかったせいもある。

 しばらく歩いていると、後ろから追いついてきた自転車巡礼が僕を追い越していく際に
「この道でいいんだよな〜⁉︎」
と尋ねてきた。
「だと思うよ〜!」
僕も半信半疑だったがそう答えた。僕だけでなく皆不安になっていると知り、何だか少し可笑しくなった。

 そこからは、退屈な車道沿いをひたすら歩き続けた。不安や退屈な時ほど、焦らず休み休み行くに限る。

サアグーンを出発。

 カルサダ・デル・コトは静かで小さな村だった。今日は距離的にはさほど歩いていないのだが、サアグーン散策に時間を割いたため、コトに到着した時にはすでに16時を回っていた。「今日はここまでにしよう」と思い、今夜はコトの公営アルベルゲ、Ref.mun.San Roqueに泊まることにした。

コトに到着。

 オスピタレオはおっとりとして優しい目をしたおじさんで、受付をする前に僕を笑顔と握手で迎えてくれた。そんなフレンドリーな待遇は今までにないことだった。歓迎されているようでとても嬉しい気持ちになった。

 寝室へ案内してもらうと、36あるベッドに対して今夜泊まるのは僕を含めて4、5人のようだった。こんな素敵なアルベルゲにゆったりと泊まれるなんて正直ラッキーだと思った。

本当に素晴らしいアルベルゲだった。

 寝室には昨夜レディゴスで宿が一緒だった香港人親子もいて、お父さんが親切にも隣のベッドを勧めてくれた。勧められるがままに、香港人お父さんの隣のベッドに荷を下ろすと、シャワー、洗濯を済ませ、散歩がてら買い出しに出かけた。

 コトは本当に小さな村で、すぐに一周できてしまった。シエスタで静まり返った村の中をぐるりと一周し終えると、小さなお店に立ち寄って食料を買い込んだ。

 アルベルゲへ戻ると、アルベルゲのすぐ目の前の原っぱに、ぽつんと据えられたテーブルで夕食を食べることにした。原っぱのテーブルで、サラサラと揺れる草や、近所でサッカーボールを蹴る少年を眺めながらボガディージョを食べていると、何とも平和な気持ちになった。ただバゲットにチーズを挟んだだけの夕食だったが、この上なく贅沢に感じた。

 豊かさとは、その内容よりも向き合い方の問題なのかもしれない。今この瞬間の僕は、心の余裕も、食事にかける時間もたっぷりと持っていた。それに自分が小さな村の一部になれたようで嬉しかった。

いつもこんな感じの食事をしている。

 夕食の後は、アルベルゲへ戻って共用スペースで日記を書いた。香港人親子は夕食に出かけて行った。父と娘の二人旅は何だか素敵だ。日記を書き続けること1時間、香港人親子が外出から帰ってきた。そこで親子のお父さんと少し話をさせてもらった。

 彼は香港で貿易関係の仕事をしており、今回は休暇を利用してカミーノを歩いているらしい。旅行好きな彼は毎年日本へも温泉旅行に訪れるとのことだった。またランナーでもある彼は福岡マラソンに参加したこともあると教えてくれた。日本を好きになってくれてありがとう!

 親子とは面識はあるものの、なかなかじっくりと話す機会がなかったので今回はいろいろな話をさせてもらい楽しい時間を過ごすことができた。ただ一つ可笑しかったのは、彼が僕と話をする際に使っていた自動翻訳機が常にヘンテコな日本語で話しかけてきたことだ。

 21時が近づき香港人親子が寝室へ戻った後も、僕はしばらく日記の続きを書いていた。今日は何だか長い一日だった気がする。出会う人や訪れる村が多いと、日記もやはり長くなる。日記は日本にいる時からつけてはいたが、日本で暮らしている時は日記が1、2行で終わってしまう日も少なくなかった。(「今日は仕事だった。疲れた…」)

 カミーノでは1日分を書こうと思ったら数ページを割かないといけないほどに情報量が多い。そしてそれは日々増えていっているように感じた。あるいは情報が増えたのではなく、物事を感じる力が戻ってきたのかもしれなかった。

 日記を書き終えると、丁度外出中だったオスピタレオが帰ってきた。彼に明日以降のルートについて聞きたいことあったので寝室へ戻る前に話をさせてもらった。

 巡礼路はコトの村の付近で、皇族が歩いた道「Real」と、ローマ人が通った道「Romana」の二手に分かれるらしいとの情報を得ていた。僕はそのことについてオスピタレオに確認しようと思っていた。(実際にはコトの手前で道は分岐していて、僕はすでにRomanaの方を歩いていた)

アルベルゲの中に貼ってあった巡礼路についての絵。

 僕のスペイン語学力不足のために、詳細までは理解できなかったが、
「今敷かれている巡礼路の下には、かつてローマ人達が造った道が今も残っている。」
というオスピタレオの話にはロマンが溢れていた。

「明日の朝は朝食を用意しているからね!」
と言ってくれた彼に、改めて感謝とカミーノの素晴らしさについて伝えると、
「自分には親友が二人いる。どちらも日本人だ。」
と話し始めた。

「今はもう眠りについてしまったが、かつてはトレドに住んでいてね。画家だったんだよ。彼らはマサオ・シモノとハルミ・ハタという名前だ。」

 オスピタレオが二人と育んだ素晴らしい友情の日々がパッと彼の心に浮かんだに違いない。天を仰ぎ一言二言呟くと、彼の目から涙がこぼれ落ちた。彼らが本当に素晴らしい時間を共に過ごしたこと、オスピタレオの心がどれだけ美しいかということを、その涙は物語っているように感じた。僕らは何も言わずにグッとハグをした。僕はそのハグからオスピタレアの善良な心を感じた。

 いくつかの大粒の涙が彼の頬を伝って流れた後、彼の目は雨上がりのように輝いていた。不思議な縁が導いてくれた感動的な瞬間だった。一度は途切れた時間が、そこで再び繋がって、その時オスピタレアの親友である二人が、僕という日本人巡礼の来訪を通じて彼に話しかけたのかもしれない。

 画家だったというお二人のことを後で調べてみようと思い、彼らの名前を日記に控えた。言葉にならない体験をした後で、僕の気持ちがどれほど伝わったかはわからないが、オスピタレオに改めて感謝を伝えると寝室へ戻った。

 時の壁は僕らが思っているよりも薄く、僕らはこの世を去った人達からのメッセージを”日常の中のふとした出来事”という形で、知らず知らずに受け取っているのかもしれない。

本日のアルベルゲ

San Roque (Calzada del Coto)

 Tel : (+34) 987 781 233
 Email : roblemirador@hotmail.com

 年中無休 〜22時 

 ・宿代(朝食付き) 寄付

 ・ベッド数 36

 ・キッチン(オスピタレオに相談必要)
 ・冷蔵庫
 ・リビングルーム
 ・多目的室
 ・シャワー室 2
 ・お湯
 ・暖房設備
 ・洗濯機/洗濯場/物干し綱
 ・Wi-Fi

 ・ロッカー、衣装ダンス(鍵付き)
 ・コンセント
 ・薬箱
 ・公衆電話
 ・インターネット(近くにフリーWi-Fiがある)
 ・コンセント
 ・中庭
 ・駐輪場(洗車場有)

本日の支出

項目
コーヒー4
ナポリタナ0.8
食材3.25
宿代5
合計13.05
1,631円(1€=125円)

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