【サンティアゴ巡礼】フランス人の道 – 15日目 –

サンティアゴ巡礼記

『カストロへリス城で考えた〜再生と歴史〜』
5月20日 Hontanas → Castrojeris 9.1km

 昨夜のホンタナスは身体の芯から冷えるような寒さで、寝袋の中で凍えながら「今夜は果たして眠れるのだろうか」と心配したが、気づけばやはりぐーすかと寝ていた。

 7時前に起きると、身体の奥に何だか疲れが溜まっているような感覚があった。どこかで疲れを抜く日を作る必要がありそうだ。アルベルゲの朝食は予約していなかったので、準備が済むとすぐに出発した。

今日は比較的多くの巡礼に囲まれてスタートした。

 空は晴れ渡っていたが気温は低く、歩いていると手先に痛みを感じるほどに寒かった。昨日は歩きながら過去のことを振り返ったり、カミーノが終わった後のこと、それに自分の身の周りの人々のことを長い時間考えていた。

 目の前の景色を楽しむことももちろんするのだが、気がつけば思考は内へ内へと向いていた。まるで心の地下室へ降りる階段を一段一段降りていくみたいに。

 「歩くことは瞑想である」という言葉をどこかで聞いたことがあるが、僕のそれは瞑想というよりは自分との対話のようだった。何せ時間はあるし、することと言えば歩き続けることだけ。話し相手は自分以外にいない。

道で見かけた猫はどこかへ急いでいるようだった。

 今までの人生で一番長い距離を歩き、今までの人生で一番長い時間を一人で過ごすことになった僕は、ようやく”自分自身”が話したがっていることを聞く機会を得たのかもしれない。

 サン・アントンを通り抜け、カストロへリスへ到着。一歩足を踏み入れた瞬間から、僕はカストロへリスのことが好きになっていた。村に漂う時間の流れ、道ゆく村人の表情、可愛い家々、それに丘の上にそびえ建つ古い城。僕にとっては、この村の全てが何とも魅力的に見えた。

カストロへリスに一目惚れしてしまう。

 まずは休憩も兼ねて村のバルへ立ち寄ってみた。訪れたバルはアルベルゲも運営していて、バッグパック配送サービスによって送られてきた巡礼達のバックパックが、店の隅にたくさん並べられていた。

 中世の頃の巡礼達は、こんなサービスが現れることなど想像もできなかったに違いない。かく言う僕も現地に着くまでは知らなかった。

 空いているバルの店内でコーヒーを飲みながら日記を書いた。しばらくすると、昨日喜びの再会を果たしたハンガリー人ミキがバルに入ってきた。ボガディージョをテイクアウトしに来たらしい。僕の日記を覗き込み
「美しい文字だ!」
と言ってくれた。皆日本語が珍しいらしい。ボガディージョを受け取るとミキはすぐに出発して行った。

 日記を書いたり、バルの看板犬ぺぺを観察していると、いつの間にか2時間が経っていた。店を出て村の中を歩くうちに「今日はこの村に泊まりたいな」という気持ちが強くなってきた。村の広場に辿り着くと、その一角に雰囲気の良さそうなアルベルゲを発見。すぐに扉を押して中へ入った。

今夜のアルベルゲ。階段を上ったところが入口になっている。

 アルベルゲRef.munic.San Estebanは大きくもないが、小さくもない、自分にはとても心地良いサイズの宿で、オスピタレオはもの静かで優しい笑みを浮かべたおじさんだった。アルベルゲの壁にはカミーノにまつわる写真が多く飾られていて、そのどれもが心を揺さぶる瞬間を写し出していた。写真の中の巡礼達は涙し、抱き合い、大切な何かを分かち合っていた。

アルベルゲの写真はどれも印象的だった。

 雰囲気から何から、ここは自分にとっては言うところなしのアルベルゲだった。宿選びに関して、僕の直感は精度をあげてきているのかもしれない。

 さらにこのアルベルゲで韓国のオンニ達に再会することができた。歓声を上げ、手を握り、ハグをして再会の喜びを爆発させる。間違いなく、友達との再会はカミーノで一番嬉しい出来事の一つだ。

 受付を終えてベッドを確保すると、荷を解き、シャワーと洗濯を済ませた。一通り身の回りのことを終えると買い出しに出かけた。

 買物をしている時に、ふと2週間前にズビリでオンニ達が僕にヨーグルトとバナナを分けてくれたことを思い出した。今回は自分の方から彼女らと何かを分け合いたくて、多めにクッキーを買って帰った。

 アルベルゲへ戻ると、早速彼女らにクッキーを勧めてみた。箱ごとあげるつもりだったが、彼女らは一枚ずつしかもらってくれなかった。けれど、何はともあれ喜んでくれたので嬉しかった。間違いなく、友達と食べ物を分け合うことはカミーノで一番幸せな出来事の一つだ。

 オンニ達とクッキーを分け合った後は、カストロへリスの村の中を散歩することにした。ぶらぶらしながら村の噴水がある場所まで歩くと、噴水の近くに置かれていたベンチで一休みした。そこはとても眺めが良くて、昼食を食べるにはうってつけの場所だった。早速ボガディージョを作ると、先ほどオンニ達と分け合ったクッキーの残りと一緒に食べた。

アルベルゲの前に咲いていたバラ。

 僕はボガディージョに飽きるということがなかった。毎食全てがボガディージョというわけではないが、一日に一回は必ずと言っていいほど食べていた。作り方は人それぞれあると思うが、僕のはパンにチーズを挟むだけのシンプルなボガディージョ。

 ”歩く”というシンプルな行為が自分自身をシンプルにしてくれるのと同様に、シンプルな食事もまた自分をシンプルにしてくれる気がする。日本には精進料理というものがあるが、ボガディージョはスペイン版精進料理なのかもしれない。

 歩いて、食べて、寝る、そんな単純な日々を過ごす中で、余計なものが剥がれ落ちていくような感覚があった。僕らは社会で生活する中で、”こうしなければならない、こうあらねばならない”ということを絶えず強いられ、その貼り付けられたメッキによって呼吸すらできなくなっている時がある。

 常に何か”生産的な”ことをしなければならないと言われ続け、”ただそこにいる”ことは罪深いことだと脅され、どこへ向かっているのかわからないまま、鞭打たれ息を切らしながら生きている。それは、景色を眺めずに、地面だけを見てカミーノを歩くようなものだ。

 社会が大きな工場のように動き、一人一人の1日という貴重な時間が、ベルトコンベアーの上を流れる同じ形をした大量生産の部品にされるなら、AIが人間になるより人間がロボットになる方が早そうだ。

 カミーノはそんな僕らを受け入れ、こびりついた物を洗い流してくれ、本来の人間らしい生き方を取り戻させてくれる。


「ありのままで良いんだよ」
「そんなに頑張らなくたっていい」
「ただ君は君でいるだけでいい」

そうささやきかけてくれるような気がする。

 カミーノで出会う巡礼仲間の間に利害関係はない。ありのままの僕が、ありのままのその人と出会う。そして僕らはまた子供の頃のように純粋な気持ちで友達になる。

 カミーノはもう一度自分自身と出会う旅なのかもしれない。終わりかけた人生はこの道で息を吹き返す。そしてそれを”再生”と呼ぶ。

 もう少しだけボガディージョの話をさせてもらうと、毎日同じ物を食べていても、”いつ、どこで、どういう風に”食べるかで味わいは変わる。時には”気持ち”も味に大きく影響する。質素な食生活をしていると、その時その時の自分のコンディションの変化に気付きやすくなる気がする。

 僕が食事をしている時、食事の中に今の僕を見る。”今日もボガディージョが最高に美味い!”と感じる日は自分の心身が健康である証拠で、”何だか味気ないな”と感じる日は、いつも何かが間違っている。そういった意味で、食事をバロメーターとして考える時、日々の食べ物はシンプルな方が良いのではないだろうか。

今日の犬。日向ぼっこをしているようだ。

 隣のベンチに村人のおじいちゃんが二人腰を下ろした。どうやら昼下がりのおしゃべりを楽しみに来たらしい。何はともあれ、
「カストロへリスは美しい村ですね!」
と話しかけてみた。すると
「知っているとも!ここはとても美しい場所だ。」
と答えてくれた。

 その”そんなの当たり前だよ!”と言わんばかりの、誇りと自信に満ちた口調に、少し羨ましくなった。自分の村を、胸を張って「美しい」と言えることは、そこに住む人々と暮らしぶりがとても豊かな証拠だと思う。分け合い精神を実行するチャンスだと思い、二人にクッキーを勧めたが、やんわり断られた。腹ごしらえが済むと、丘の上に立つ城を散策しに行くことにした。

 城はこの辺り一帯を見下ろすことのできる小高い丘の上に、半壊の状態で立っていた。大きく重たい石で堅固に作られた要塞も、時と風雨の前にはなす術がなかったようだ。今は寡黙な歴史の語り部としてそこに佇んでいる。

城を見学に行くことにした。

 城の中を歩きながら、当時の暮らしぶりに思いを馳せるのはとても楽しかった。かつて、人と国の未来を守っていた城は、今はその過去の歴史を守っている。僕らが”どこから来て、今どこにいて、そしてこれからどこへ行くべきなのか”を教えてくれる城は、歴史の中のモホンなのかもしれない。

自分が思い描いていた城とは少し違った。防御力が高そうだ。

 ヨーロッパの国々を旅していると、歴史的な物が多く残っているのを目にする。そして、多くの人々が自分の先人達の歴史を共有していて、そういう人達はどこか自身に満ち溢れ、力強く見える。”確かな土台の上に生きている”という印象を受ける。技術がいくら進歩しようと、いつだって生きるのに必要なのは”ツール”より”ルーツ”の方なのかもしれない。

いざ城の中へ。

 歴史を守ることで、”今”そして”未来”を守っている城はまだまだ現役なのだと思う。そういう意味で、城は今も静かな戦いの中にいた。

 僕らはいつも気をつけていなければならない、自分達の先人達の歴史を歪められないように。僕らは歴史の真実を守り続けなければならない、誇り高く生きる土台としてのルーツを見失わないために。

この通路の狭さも守備力に繋がるのかもしれない。

 城でしばらく過ごした後、丘の中腹に置かれたベンチで一休みした。そこで日記を書いていると、丘の麓の方から城を見学しに行くのであろう観光客の一団が登ってきた。

 その内の一人の女性に見覚えがあると思ったら、数日前に出会った「オーストリアとオーストラリアは間違われやすい!」と言っていたあのオーストリア人女性巡礼だった。

 彼女も僕に気づくと、互いに再会を喜んだ。彼女が元気そうでとても嬉しかった。年齢はおそらく70歳前後だと推測するが、老年期を迎えた彼女が日々サンティアゴを目指し、大きなバッグパックを背負いながら暑さに負けずに歩き続けているのだと思うと、心から尊敬の念が湧き上がってきた。

 僕は彼女のような70歳になりたい、そう心から思った(実際に70歳かどうかはわからないが)。もしも自分にも老年期がやってきて、若い時ほど体力がなくなってしまった時、その時歩くために必要なのは、足腰の強さよりも信仰の強さなのかもしれない。

城の上からは辺り一帯を見下ろすことができる。

 すっかり散歩を満喫するとアルベルゲへ戻った。夕食を終えたらしいオンニ達がビールを1缶くれた。なんと親切な人達なのだ。韓国の人達には家族のような温かさがある。僕らはもう他人ではなくなっていた。

 キッチンに鍋はなかったので、今日の自炊パスタはお預け、昼の残りのボガディージョとクッキー、それにオンニ達がくれたビールを夕食にした。

 キッチン兼ダイニングでは一人の男の子が夕食を食べているところだった。彼は台湾からやってきたティンというカメラマンで、仲良くなるとハムを分けてくれた(彼は一人でワインを一本空にしようとしていた)。彼は日本を訪れたことがあり、最近納豆が好きなってきたらしい。

 ティンは台湾で信仰されている神様の話や、カミーノで人と言葉を交わさない「沈黙の行」を実践しながら歩いている巡礼がいることなども教えてくれた。


「僕はいつも、朝早く起きて歩き始めることにしている。夜明けのカミーノはとても美しいから。」
その彼の言葉が妙に気になり、明日は(できれば)早起きしてみることにした。

本日のアルベルゲ

Albergue De San Esteban (Castrojeris)

 +34 679 147 056
+34 947 377 032
 sanestebancastrojeriz@gmail.com

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 年中無休 12時〜22時30分

 ・一泊 7€
 ・朝食 寄付

 ・ベッド数 35

 ・シャワー室
 ・洗濯機/洗濯場
 ・Wi-Fi
 ・駐輪場

本日の支出(1€=125円)

・ナポリタナ、コーヒー 2.5€
・パン、チーズ、クッキー 3.25€
・ティッシュ  2€
・宿代 5€
 合計
 12.75€(1,594円)

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