サンティアゴ巡礼とは?

巡礼の準備

「そもそもサンティアゴ巡礼って何?」

「いつどこで始まったの?」

本記事ではサンティアゴ巡礼の起源ついて解説します。

 サンティアゴ巡礼という言葉を初めて聞いたという方、もしくはサンティアゴ巡礼の起源や歴史について改めて知りたいという方はぜひ参考にしてみてください。

【起源に迫る】そもそもサンティアゴ巡礼とは?

サンティアゴ巡礼とは、キリスト教十二使徒の一人聖ヤコブのお墓に詣でるため、北スペインのガリシア地方にあるサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指して歩くことです。

聖ヤコブの遺骸に触れると奇跡が起こる、そう信じて人々は聖地を目指し旅立ちました。

ある人は病気を癒すため、ある人は罪を贖うため、またある人は自身の魂の救済のために。

1000年以上もの間、人々は祈るようにカミーノを歩き続けてきました。

サンティアゴ巡礼路はキリスト教信仰の道として広く知れるようになり、盛衰がありつつも、現在では世界中から多くの人が訪れています。

サンティアゴ巡礼の起源

サンティアゴ巡礼の起源は、813年、星に導かれた羊飼いが野原にあった洞窟で聖ヤコブのお墓を発見したところから始まります。(諸説あり、ペラヨという修道士だったという説もあります)

なぜ野原の洞窟の中に聖ヤコブの遺骸があったのか?

遡ること紀元44年、スペインでの布教活動からエルサレムに戻ったヤコブを時の権力者であるユダヤ王ヘロデ・アグリッパ一世が迫害、斬首します。キリスト教が再びエルサレムで広がることを懸念したためだと言われています。

加えて、聖ヤコブを斬首したアグリッパはその地にヤコブを埋葬することさえ許しませんでした。キリスト同様ヤコブも死から復活するのではないかと恐れたのです。

なのでヤコブの二人の弟子は舟に師ヤコブ遺骸を乗せてその地を離れることにしました。風と神に運命を任せて岸を離れたのです。

その後ヤコブを乗せた小舟は、北スペインのガリシア地方パドロンの港に流れ着きます。弟子たちはヤコブをその地に埋葬しようと女王ルパに願い出ました。

しかし、女王はなかなか首を縦には降ってくれませんでした。二人に無理難題を突きつけてはヤコブを埋葬させまいとしたのです。

そこで不思議なことが起こりました。女王が問題を課すたびに奇跡が起きて、弟子達は問題を解決してしまったのです。

ついに根負けした女王ルパはキリスト教に改宗、ヤコブの遺骸を埋葬することを許します。

その後イベリア半島では侵略、征服、支配者の変遷があり、聖ヤコブの遺骸のことはいつしか忘れ去られてしまいました。そしてついには行方知れずとなってしまったのです。

そして話は冒頭へと戻り、813年、星に導かれた羊飼いへと続くわけです。

ヤコブの墓発見の知らせを聞いたアストゥリアス王国のアルフォンソ2世は、オビエドからサンティアゴまで巡礼しました。彼こそが最初の巡礼者になったのです。

 アルフォンソ2世はヤコブのお墓の上に教会を建て、そこからサンティアゴ巡礼は始まりました。

 

最後に

アルフォンソ2世が初めて巡礼した日から、これまでに星の数ほどの人々がサンティアゴの道を歩いてきました。

カミーノ・デ・サンティアゴ、その起源には聖ヤコブを取り巻く不思議な物語がありました。

実際に巡礼を始める前にサンティアゴ巡礼の歴史について少し調べてみると、歩くこともより楽しくなると思います。

聖ヤコブについて詳しく知りたい方はこちらの記事をご覧ください。

最後まで読んでいただきありがとうございまいた。

ブエン・カミーノ!

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