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【サンティアゴ巡礼】- ルピュイの道 – 4日目-1

サンティアゴ巡礼記

Saugues → Saint-Alban-sur-Limagnole 32km

 昨夜もぐっすりと眠れた。リビングには今朝も今朝で、オスピタレアが美味しい朝ご飯を用意してくれていた。ありがたい。

 朝食の時に、何かの話の流れからマイケルがキリストの復活祭であるイースターの日の前に40日間断食することの意味を教えてくれた。それがキリスト教全体の教えとしてあるのか、彼の属する宗派のものなのかはわからないが、彼は毎年復活祭前に断食をするらしかった。断食と言っても何も食べないのではなく、特定の飲食物を制限するらしい。

 40日間という期間の意味合いとしては、ジーザスが40日間以上砂漠を歩いたこと、ユダヤ人もモーゼに導かれて40年間荒野を歩いたこと、その昔、港に寄港する船は、町に病気を持ち込まないか確かめるために、湾に入る前に40日間隔離されたことなどを挙げて説明してくれた。神聖な日を迎えるためには、一定の期間心身を清める必要があるらしい。

 マイケルは具体的な制限対象として、お酒、タバコ、コーヒー、肉、ビデオゲームを挙げた。仏教を身近に感じて育った僕には、お酒、タバコ、肉は何となくイメージがあったが、コーヒーやビデオゲームは初めて聞いた。「ただ健康体になるためではなく、精神的な面も含めて生活全体を神に目を向け、精神的な生活に集中する必要がある。」と彼は話してくれた。

 また伝統的なクリスチャンの習慣として「金曜日は肉を食べない」「水曜日は肉じゃなくて魚を食べる」というものがあるとも教えてくれた。食べ物と信仰、肉体と精神。二つは切っても切れないものらしい。

 「そうした小さな意識が大切なんだよ。日常生活の中で信仰心を思い出すこと。例えばお腹が空いて冷蔵庫を開けた時、信仰を思い出すんだ。」

 とても実践的で、生活的な、地に足のついた行いだと思う。信仰心の実践が難しいのは、鬼気迫った時より、1日の中での「何気ない時」なのかもしれない。その積み重ねなのかもしれない。彼曰く断食はイースター前だけではなく、クリスマス前にも同様にするとのこと。年に2回の清めの時期、精神性に立ち返る時期をしっかり定めておく。僕の日本での暮らしにも必要かもしれない。

 支度を整えて外に出ると雨が降っていた。3日目はカッパを着て雨に打たれながらのスタートになった。そこまで強くないのがまだ救いだ。

 町中を通り抜ける途中、ATMで150€を降ろした。カードを使ってスムーズに降ろせた。僕は財布にお金を補充し安心感を覚えた。だが、それと同時に怖さを感じた。

「お金がないと不安になって、お金があると安心できる。」それってある種の中毒なのではないかと思ったからだ。心と感情がお金に振り回されている。人生の幸せは数字を超えた、もっと大きくて自由なものであるはず。それをお金が決めている。人の心を上げたり下げたり影響してくる。異国を旅している者にとって、資金は大事な命綱ではあるが、お金について改めて考えさせられた瞬間だった。

 歩いている途中で、「君は現金主義かい?それともカード?」というマイケルの質問から、僕らは各々のお金の使い方について議論を始めた。

 マイケルは何をするにも主にカードで支払いをするらしい。「カードで支払いをすると政府に行動を監視されると言う人もいるけど、だから何だって言うんだ。自分は買いたいものを買うし、それでいいと思う。」と言っていた。

 僕はどちらかというと、まだアナログな人間なので、現金を持ち歩いて支払っていた。海外を旅していて大事な時にカードが使えないのはとても怖い。少なからずそういうアクシデントがあったので、僕はなるべく現金、備えとしてカード、というスタンスで旅をするようになった。「海外では日本のカードが弾かれることもしばしばある。」と僕の旅の先輩もいつか教えてくれたこともある。

 マイケルはいつものように鼻歌を歌って歩いていた。僕らは歩きながら、その時々で話し込んだり、黙って静かに歩いたり、彼の鼻歌だけが聞こえる時もあった。彼の鼻歌を聴いていると心が和んだ。陽気な人のその雰囲気が隣から伝わってくると、それはとりあえず色々大丈夫だと思わせてくれる。

 何かの話の最後に「僕らが別れた後も、ワッツアップで連絡をとり続けよう。」とマイケルが言ってくれた。

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