Saugues → Saint-Alban-sur-Limagnole 32km
ある場所からパタリと雨風が止んだ。周りの景色に緑が、増してきた気がする。

巡礼路は工業地帯に突入。その辺りの景色は無機質だったが、道ゆく車のドライバー達は僕らに笑顔をくれたり、手を振ってくれたりした。なんて優しくて気さくな人達だろう。特に女性達は満面の笑みを見せてくれることも少なくなかった。長い距離を歩いていささか疲れた心に、それはとても温かい励ましとなった。
そんな嬉しいこともありながら、気づけば僕らはSaint-Alban-sur-Limagnoleに到着した。まだ日は沈んでいない。最悪の事態は免れたらしい。ホッと一安心だ。

今夜もマイケルが宿を予約してくれていたので、まずはまっすぐに宿へ向かうことにした。Saint-Alban-sur-Limagnoleはそう大きくない町みたいだ。メインの通りを歩いていると、宿はその道沿いにすぐに見つけられた。宿の主人との待ち合わせの時間はまだ少し時間があったので、僕らはスーパーへ買い物へ行くことにした。食料を補充できる場所は、こと冬のフランスを巡礼する僕らにとっては貴重な場所だったし、何よりも僕らは疲れて腹ペコだった。

マイケルがスマホでスーパーの場所を探してくれた。宿から歩いてほどない場所に我らがSPARはあった。後で調べたら、SPARは30カ国以上に展開する世界最大の食品小売チェーンらしい。スペインを巡礼していた時もよくお世話になったのを覚えている。
僕らは各々で必要なものを揃えた。主に食料だ。それに加えて、僕は大量にポケットティッシュを買い込んだ。なぜなら、冬の巡礼は寒くて鼻水が止まらず、マイケルも僕も常に鼻をかみながら歩いていた。そのせいで日本からたくさん持ってきたはずのティッシュがそこをついてしまったのだ。僕はたくさん買い込んで後でマイケルと分け合った。
「いいのかい!?」と恐縮したマイケルだが、マイケルが僕にしてくれていることに比べたらなんでもないことだ。彼は僕の分も宿を予約してくれて、行程や日程もほぼ全て彼任せだった。ただ彼が謙虚なのだ。
無事に買い物を終えた僕らはそろそろ宿へと向かうことにした。僕もマイケルも腹ペコ過ぎて、店を出るとお菓子やらパンやらを歩きながらムシャムシャと食べた。誰にどう見られようがもう構わない、僕らは長くタフな1日を歩き通して疲れてお腹が空いているんだ。ささやかな戦利品を味わっているだけのこと。
宿のすぐ向かいには町の教会が建っていた。マイケルが「寄っていくかい?」と言ったので、「そうしよう!」と応じた。僕らは教会やチャペルを見かけたら、時間が許せば中で祈ることにしていた。誰もいないヒンヤリと静かな教会へ入ると僕らは各々祈りを捧げた。すると、マイケルが聖歌を歌い始めた。

深く力強い歌声が石造りの教会に響き渡り、僕はただそれに聞き入っていた。
教会を出ると、暮れなずむ世界が明るく見えた。祈ることで清められ、マイケルの歌でもまた清められたからだろう。
今日の宿はホテルだった。クレデンシャルにスタンプを押してくれたので、巡礼宿ではあるのかもしれない。エレベーターで上の階の部屋へと上がる。部屋へ入るとマイケルは「僕はこっちがいい!」と言って入り口に近い方のベッドを選んだ。即断だった。
奥のベッドの方が窓に近く夜景は見えるし、暖房器具は近いし、テレビも目の前にあったから、そちらの方が良さそうだが、彼はどんなに疲れていて長い1日を過ごした後でも、人に良い方を譲る、ということが自然にできる人だった。男の僕にさえ先にドアを開けると、開けて待っていてくれる。それは毎回のことだった。毎日、毎回だ。彼のような紳士はこれまでに見たことがない。
ベッドを確保して荷を解くと、僕らは各々好きな時間を過ごした。僕はシャワーを浴びたりベッドでゴロゴロしていたし、マイケルはガールフレンドと電話を始めた。僕も途中で彼女に挨拶させてもらった。ちなみに言っておくと、彼らは海外のファッション雑誌に出てくるような美男美女カップルだった。
僕がゆっくりしている間にマイケルは一階へと降りていった。僕がしばしうとうとして目を覚ますと、スマホに彼からのメッセージが入っていた。開くとそこにはグラスに入った白ワインの画像と一言、
「降りてきて!」

僕が着替えて一階へ降りると、マイケルがバーで一杯やっていた。バーのカウンターで僕も彼と同じ白ワインを頼んだ。どうやらバーには彼の好きなワインを置いているらしかった。僕らは白く輝くワインの入ったグラスを掲げ、今日の勝利に乾杯した。
今日自分達に起きたことの全てが、喉を通るワインの美味しさに凝縮されていた。全ての天候と道のコンディションと時間の制約を越えて、疲れと空腹、期待と絶望と切望とその終わりを見た。次の一歩を最後は無心で踏み出し続けた。隣には友がいたから本当に辛くはなかった。
グラスに注がれたその白く透き通る冷たい液体の中には、今日の全てが溶けて味わいを出していた。1日の終わりに困難が美味に変わる瞬間が訪れた。今日という日の味がした。
僕らはソファに座り、多くを語らなかった。経験を、一生に一度あるかないかの経験を共にすると、他の多くのことは語られずとも良いのかもしれない。彼も言った。
「君と歩いていていいなって思うのは、ずっと話していなくていいから。」
僕らは半分は、冗談を言ったり、互いのことについて話したり、何かのテーマについて議論していたが、半分の時間はお互いに1人の世界に入って黙って歩いていた。別にそれが何も気にならなかった。後半になるにつれて、静かに歩く時間が増えていった。いつの間にか互いの距離が開いていても、どちらかが先で待っていた。大抵待っていてくれたのはマイケルで、僕が後から追いつくことが多かった。
彼は不意に言った。
「僕はカミーノで学んだことがある。それはThere is always a place to stay ということ。いつも誰かが親切にしてくれて、泊まれる場所を教えてくれた。There is always a solution.どんな時も、その時になればなんとかなるよ。」
「There is always a place to stay .」
「その時になれば解決策は必ずある」「どんな時でも道はある」ということ。
その言葉通り、マイケルは宿のお姉さんからクリスマス期間中に滞在場所を教えてもらうことができた。
ワイングラスを空けた僕らは2人ともハーフリッターのビールを飲んだ。ビールを飲みながら、彼はドイツのことや彼の地元のことを色々と教えてくれた。彼のアイデンティティに関する話を彼が饒舌に語る時、彼の強さはそこから来ているように思った。自分が何者かということについて明確な自信と根拠があると、その人は強くなる。彼が教えてくれたことだが、ジョッキの持ち手は友達のように持つらしい。

ホテルのバーには次から次にお客さんが入ってきた。ほとんどが仕事帰りでお互いに知り合いのようだった。店に入り皆に挨拶をすると、カウンターでさっと一杯飲んで店を出ていくか、椅子に座って話を始めたりした。
僕はこのフランスのバーの雰囲気がとても好きだ。それぞれの人にその人の居場所があって、存在は許されていて認め合っている。フランスは暮らすのに良い場所かもしれない。
僕らの夕食の時間が来た。奥のテーブルに案内されてそこでコース料理を頂いた。どれも絶品に美味しくて、僕もマイケルも全てペロリと平らげてしまった。マイケルは本当に綺麗に残さず食べる。彼は言った。

「カミーノを歩く中で、より食べ物に感謝するようになったよ!わかるだろう?いつも食べ物があるとは限らない。それは当たり前のことではないからね。」
今回の冬の巡礼路で僕はそれを思い知ることになった。
僕もマイケルも残さず夕食を食べ終えると、また就寝まで各々の時間を過ごした。彼はまたガールフレンドと話をしていたし、僕はベッドでゴロゴロしながらいつの間にか眠っていた。
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