Saint-Privat-d’Allier → Saugues 19km
7時51分起床。昨夜は亡くなったばかりの友人の夢を見た。目覚めは良いとは言えない。何はともあれまずは朝食だ。隣のベッドにマイケルはいなかった。
マイケルは早くから起きていたようで、僕がダイニングに降りるとドミニクと談笑しながら朝食を食べていた。僕も早速ドミニクが用意してくれた朝ごはんを頂くことにした。
とても豪華な朝ごはんだった。パンがあり、いろいろな種類のジャム、チーズがあり、果物、ヨーグルトそしてコーヒー。ドミニクが用意してくれた食事は、今日歩くための力はもちろん、朝から心に豊かさをも与えてくれた。

今日の予定に関して、マイケルから「今日はゆっくりと出発しよう。」と言われていた。今日の行程は10数キロだということだった。普段は用心深いマイケルも今日は「イージー!イージー!」と言っている。なので、彼と2人あれこれおしゃべりしながらゆっくりと朝食を味わった。
「私は出かけるから、食べ物と飲み物はこのままにしておいてね!」と言い残してドミニクは出かけて行った。彼女が帰ってくる頃には僕らは出発しているかもしれないので、そこで彼女に感謝と別れの言葉を伝えた。
マイケルのグラスが空いたので何か飲み物を注いであげようとしたら、「落ち着いて、焦らなくていい。ドイツにはこういう言葉があるよ。” I am on work , not to escape .”(仕事をしているのであって、逃げようとしているわけじゃない)」
ハッとさせられる言葉だった。僕は何かとせかせかしてしまうところがある。でもマイケルは、この哲学を体現するかのようにいつも落ち着いて堂々としながら、やることが確実で手際も良かった。
「ヒロ、僕らは別に逃げてる訳じゃない。何をそんなに急いでいるんだい?僕らの今なすべきことをじっくりやろう。」
彼は僕より10以上も年下だったが、とても成熟した人だった。落ち着きと、計画性そして実行力それらを兼ね備えていて、優しさとユーモアも忘れない。彼の存在はそれからいつも僕にとってのロールモデルとなっていった。
朝食の席では、主に彼のドイツの地元のことを聞かせてもらった。彼は彼の住む場所と伝統に大きな誇りを持っており、彼から彼の愛から語られるそれらの文化や風習はとても魅力的に聞こえた。
お腹いっぱい朝食を食べると、9時半から準備を始めて、10時に出発をすることにした。巡礼中にこんなに遅い出発はこれまであっただろうか。自分1人だったら、たとえ短い距離でも、訳もなく早く起きてせかせかと8時には出発していただろう。
「ゆっくり進む」「その日のやり方を見つける」それはなかなか勇気のいることかもしれない。

出発前、リビングに置かれていたフリーノートに僕らはそれぞれドミニクと、これからこの宿を訪れるであろう巡礼達に向けてメッセージを残した。すると、そこへ帰ってきたドミニクから、
「あなた達まだいたの?」と笑われた。冬のフランスを巡礼をしようとする「クレイジー」な僕らは、また出発の遅さでも彼女を呆れさせたのだった。僕らは僕らであり、僕らでしかないやり方とペースで生きていた。そうここはカミーノ・デ・サンティアゴ、その人がその人でいられる場所なのだ。
ドミニクと飼い猫のオペラに見送られてアルベルゲを出発。昨夜は雨が降ったらしく、路面は濡れていた。けれど今朝は日も出ているし幸先が良い。

だが、出だしこそ天気が良かった巡礼路も、15分後には僕らは濃い霧の中へと突入していた。ヒヤリとする空気、湿った土、まとわりつくような霧が僕らを包み、進む道の先を音もなく白いベールで覆い隠してしまった。静かな森の中のミステリアスな巡礼路を、言葉少なに僕とマイケルは進んだ。

マイケルと2人きりの立ちこめた森を進んでいると、まるで僕らは現代ではなく遥か昔の世界を旅しているような気がしてきた。2人で、「まるでThe Lord of the Ringsの世界だね」という話になった。
作品のファンだというマイケルは作中の中のガンダルフのセリフを引用して、
「雨は降りたいだけ降るさ。今日の天気がどうであろうと、それを受け入れて進むしかないよ。」と言った。彼の言う通りだった。カミーノは本当にフロドやビルボがしたような旅に似ている気がする。道や風景、旅のスタイル、きっと彼らもこのように旅をしたに違いない。
マイケルはさらに続けてガンダルフのセリフを持ち出した。
「家を出て旅に出る時は自分の足元に気をつけていなければならない。でないとその道が君をどこか知らないところへ連れて行ってしまうかもしれない。」
「君が家に戻れるかはわからない。しかし、君が望むのであれば、今までと違う人間になることはできる。」
どちらも心に残る言葉だったし、自分のことを言われているように感じた。それは日常生活にも言えることだ。多くの処理しきれないほどの情報と機会に絶えず晒されている現代人。見聞きする情報、飛び込んでくるニュース、それらが本当は何を言わんとしているか、裏にはどんな意図があり、誰がなぜそのタイミングで何の目的でその情報を人々に与えるのか、それに注意していなければならない。でなければ、僕らはきっとどこか知らない場所へと連れて行かれるだろう。
彼の言った後者のセリフに関して言えば、僕はすでに変わりつつあった。旅は人を変える。本人が望もうが望むまいが、「旅に出たい」という熱烈な、一種病的な感情に疲れて家を飛び出し、あらゆることを経験して潜り抜けていく中で、人は変わる。むしろ変わらざるを得ない。人を知り、国を知り、文化を知る。未知の世界、自分の不甲斐なさ、人の優しさを知る。
これまで築いてきた価値観が揺さぶられ、崩され、また一から作られる。世界は広くて、人生は美しい。本当に美しい。一瞬一瞬がかけがえなのない愛おしい時間であり、その埋もれていた事実が、輝きを取り戻す。自分がまた自分に戻る。蘇る。
僕の旅はもはやコントロール不能であり、操縦桿はちぎれてすでにどこかへ飛んでいき、それでも」なるようになると信じて今も歩いている。旅が与えてくれるものは、良くも悪くも最後には良いものだと信じている。
今回の旅ではマイケルの影響が一番大きい。彼の言葉、行動、考え方、生き方、信仰その全てが僕を変えつつある。彼の話を僕はスポンジのようになって聴いていた。
霧は進むにつれてさらに濃くなっていくようだった。次に到着した村にもやはり人の気配はない。村の中のゴツゴツした岩の丘の上には小さな塔とチャペルが、霧に浮かび上がるように建っていた。僕らはチャペルに寄って、意外にも鍵が開いていたので、中で短いお祈りの時間を持った。そしてまた白くけぶる山道に戻ると白いベールの中へと進んだ。

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