12月18日 Paris → Le Puy-en-Velay
ついに17時30分頃ルピュイ到着。喜んでばかりもいられない。日は暮れつつあり、僕はこれから今夜の宿を探さねばならなかった。電車を降りると、駅のチケット売り場の女性に、目星をつけていた巡礼宿について尋ねてみた。女性はその宿について知らなかったが、ググって調べてくれて、「カテドラルの近くにあるみたいだよ!」と教えてくれた。ありがとう。

駅を出ると左に曲がり道を下るように歩き始めた。少し離れた場所にはカテドラルの尖塔らしきものと丘の上に立つ像が見える。ウキウキした気分で歩き始めた。ルピュイにいる喜びと、ひとまず宿が見つかりそうだという楽観的な見通しからだろう。その頃にはあたりはすっかり暗くなっていて、町の通りに灯る街灯が、明るいオレンジ色の光で石畳の道を照らし出していた。

そのままカテドラルを目指してしばらく町の中を歩いた。そしてカテドラルまでやってきたのだが、今度はそこにあるはずの宿がなかなか見つからなかった。しばらくの間同じ場所を行ったり来たりしながら「おかしいな~」とぼやきながらうろうろしていた。
しばらく彷徨い、ようやくカテドラルの階段を登ったところにある今夜の宿を発見。ホッと一安心したのも束の間、今度は呼び鈴を鳴らしても中から何の反応もない。まさか休業中なのだろうか…。そんなはずはない、確かネットで調べたら年中無休と書いていたはず。だが、再び呼び鈴を鳴らしても反応がない。だんだんと不安になってきた。というかもう逆に笑えてきた。自分が面白かった。なぜなら、言葉もわからない初めて訪れたフランスの町で、冬の寒さに震えながら宿もなく、夜の訪れを迎えて、周りには人気もなくなってきて、1人ポツンと佇み、空を仰ぎ、無力感を感じている旅人がここにいる。

そもそも無計画で無防備で無知でここにいる自分が頼りなくて最高だった。だがそんなことを考えていたら、三回目の呼び鈴で中から誰かが動く気配があった。「助かった…。」なんだかんだ素直にそう思った。
オスピタレアに宿の中へと招き入れてもらうと、そのまま手続きをして無事にベッドを確保することができた。宿の中はとても静かだった。他には誰もいないのだろうか、と思いきや僕の他にももう一人巡礼が宿泊しているらしい。受付の後部屋へと案内された。簡素だが、個室なのが嬉しい。
そうだ!クレデンシャルを手に入れなければ!と思い出してオスピタレアに尋ねて売ってもらった。これで一安心。僕はまた無事に巡礼に戻れたのだ。クレデンシャルをゲットすると、夕食を食べに町の中心部へと出かけることにした。今夜はあまり食欲もなかったので、パンを二個だけ買った。カテドラルの周りこそ人気がなく静かだったが、まだ19時頃とあって、町の中心部は人々の賑やかな声が響いていた。

買い物を終えると、歩き慣れない石畳の道を一歩一歩登るように歩き宿へと戻った。この石畳の道で足が痛む感じも懐かしい。ふと思ったが、懐かしいという漢字は”ふところ”という意味でも使われる。僕らはいつも誰かの懐の記憶という温かい記憶を持って生きているのかもしれない。最後には誰かの温かさを求めている。そしてその場所へといつか帰る時が来る。
宿へ戻るとシャワーを浴びた。共同になっているシャワーはお湯も出るし、水圧は強いし最高だった。部屋へ戻ると先ほど買ったパンを食べた。パン屋のお姉さんが勧めてくれたミートパイとチョコパイだ。どちらも美味しくて、食後は部屋に備えられた湯沸かしポットでお湯を沸かして、そこに置かれていたインスタントコーヒーを淹れて飲んだ。ホッと安心した気持ちになれたところで、コーヒーを啜りながら、部屋の隅に置かれていた小さな絵を眺めた。
そこに描かれていたのは、黄金色に色づいた波打つ小麦畑と整然と並んだ何百本もの葡萄の木、季節は秋なのだろうか葡萄の木は緑の葉で覆われている。小麦畑から葡萄畑にかけてなだらかな丘になっていて、二つの畑の間には細い道が通っていた。小麦畑の上には空を去来する雲の影が落ちている。そして絵の真ん中二つの畑を通る道の上には一本の木が立っていた。こんもりと繁った葉を心地良さそうに風になびかせている。

「懐かしい」僕はこの絵を見てそう感じた。それはキュッと胸を締め付けられるような懐かしさだった。誰かがそこで待ってくれているような感覚。大切な何かを思い出そうとしても思い出せないもどかしい気持ち。理屈を超えて心はその場所を知っているようだ。
その絵はカミーノに関係しているような気がした。古代ローマの剣闘士達を描いた映画「グラディエーター」、その映画のシーンの一つに主人公が小麦畑の中を実った穂をサラサラと撫でながら家路を辿る場面がある。そのシーンを見た時も何だか懐かしい気持ちになり、魂が震え、何か大切な記憶をなくしているような、その場所を知っているような気持ちになったことがある。
10代の終わりに「星の巡礼」という本でカミーノを知って、現在36歳になった僕はほぼ人生の半分をカミーノを意識し続けて生きてきたことになる。カミーノとは一体何なのだろう。いつもそこに生きていたくて、こうして今まさに人生2度目のカミーノを歩こうとしている。
今回、自分が再びカミーノを歩く意味が分からずにいたが、絶対に確かにそこには意味があるのだ。こうして導かれた意味が。

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