【サンティアゴ巡礼】- ルピュイの道 – 6日目

サンティアゴ巡礼記

Nasbinals … 3km

 マイケルはここ数日よく眠れない日が続いていたが、昨晩こそ良く眠れたらしい。

 昨晩のうちにパッキングされた彼のバッグパックは、主に食料でパンパンに膨れ上がり、重そうだった。

「まるで、家ごと運んでいるみたいだね!」

 と彼のバックパックに関して冗談めかしてそう言うと、「確かにそうだね!」と言って彼はカラカラと笑っていた。

支度を済ませると、ジットを経営しているカフェバーで朝食。

「絶対フランスに帰ってきたい」マイケルとの朝食の後、僕は静かに心の中でそう思った。

「君と別れないといけないなんて、Not good… 」とマイケルも言ってくれた。

 彼はいつの間にかカウンターへいき、主人に僕のタクシーの時間を確認してくれていた。彼はいつも人のことを考え、心配してくれているみたいだ。

 その美徳に勝るものが他にあるだろうか。僕の今回のカミーノでの彼の存在は、人の形をしたあまりある大きな祝福であり、加護であり、導きだった。

 最後の一分一秒までマイケルとカミーノを歩きたかった僕は、タクシーの時間にバーへ戻って来れる時間の範囲で、途中まで彼と歩くことにした。

 僕ら2人の間には、いつものペースと会話に加えて、避け難い別れの寂しさが会話と会話の間の空白にあった。

歩きながら、マイケルは最後の最後まで信仰について話をしてくれた。

 時期が近いこともあったからか、クリスマスに関しての話が主だった。クリスマスの意味、クリスマス前の断食、クリスマスは前日の6時半に始まる事、伝統的にはクリスマスイヴにも断食をすること。断食といっても、特定の食材を避けるということらしい。

 何故、肉食を好むヨーロッパの人達が、断食の際に肉を断つのかについて聞いてみた。彼の意見としては、

「肉はパンと違って、僕らのようにもともと命あったものだから、神聖な日には食べることを控えた方が良いのだと思う」ということらしい。

ジーザスが生まれた時、一番最初にそれを知ったのは、王や神官ではなく、農人だっこと。

 神、ジーザスはそれを持ちながらも、力ある者としてではなく、か弱い人の赤子としてこの世に生まれて世界を変えたこと。その素晴らしさについて語ってくれた。

 丁度巡礼路が分かれ道に差し掛かったところで、僕らは別れることになった。ついにタイムアップ。

 ガシッとハグをして、感謝を伝え合い。互いの旅の幸運と無事を祈った。温かくて、心から別れを惜しむ彼の気持ちがハグから伝わってきた。

 そして、彼はエスパリオンへの30数キロの道のりを、僕はNasbinalsのカフェバーへと、それぞれの道を歩き出した。すると、

 「ヒロ!」と遠くから彼の声がした。

「何!?」と応じて彼のところへ戻ってみると、彼はポケットからおもむろに豚のミニチュアフィギュアを取り出して、僕にそれをくれた。そして、「ドイツでは豚は幸運の証なんだ!」と教えてくれた。

 なんと可愛らしい愛嬌のある表情の豚だろう。確かにこの子なら幸運を運んできてくれそうだ。

 僕も彼の旅の無事を祈って、僕が旅のお守りにと身につけていたネックレスを渡そうとすると、「これは君のものだ。君の気持ちだけ受け取って置く。ありがとう。」と言って、それを一度大切そうに握ると、僕に返した。渡す前から「彼は受け取ってはくれない」そういう気がしていた。

格好良過ぎる本当のジェントルマンだ。

「Parisに着いた時、日本に戻った時、また連絡をくれ。」

そう気にかけてくれた。

2人で最後にセルフィーを撮って、今度こそ本当に別れた。

「また会おう。ブエン・カミーノ!」

そう励まし合って、今度こそ僕らは別れて歩き始めた。それからは振り返らずに。

 僕は泣きながら豚を握りしめて歩いてた。それはとても悲しいが、美しく、良いことのように思えた。人生で何度体験できるかわからない、奇跡的な瞬間だった。確かに”導かれた”ことの証だった。

 なぜ、カミーノでは、少なくとも僕のカミーノでは、こんなにも『友』の存在が大きいのだろう。

Nasbinalsに戻ってくると、まず真っ先に教会へ向かった。

 教会に着く直前、今朝洗面台の前でも感じたことだけど、海外では海外の匂いがする。それが自然が醸す匂いなのか、香水の香りなのか、人々の暮らしが作るものなのかは分からない。アイルランドでも、スペインでもイタリアでも同じ匂いがした気がする。

この匂いが好きだ。懐かしい気もする。今や自分の一部になっている。必ずまた帰ってきたい。

もしまた呼んでもらえる日がくるとしたら。

今こうして記録をつけているTGVの中でもふっと香る。

教会の中ではゴーゴーと暖房が焚かれていて、神父らしき男性が静かに祈りを捧げていた。

真ん中辺りの席に座ると、僕も祈りを捧げることにした。

 カミーノを歩けることに感謝して、マイケルの旅の安全を祈った。彼のことを考えると、自然と涙が溢れてきた。なんと素晴らしい出会いだったのだろう。

 彼との出会いこそが、今回のルピュイの道巡礼に隠された目的だった気がする。彼こそが僕のカミーノだったのだと思う。

 9時55分、タクシーがバーに迎えにきてくれた。ドライバーはとても人の良さそうなおじさんだったが、運転は荒く、めちゃくちゃ飛ばすので、何年かぶりに車酔いをした。

 そして20分後、ブラブラカーのドライバーとの待ち合わせ場所である、人気のない誰もいない小さな高速道路沿いの駐車場に降ろしてもらった。

 ドライバーの彼に60€を支払ったあと、僕は1人ポツンと(駐車場の隣の放牧地で草をハムハムしている家畜を除いては)、全く見知らぬ土地の、ぶっ飛ばして行き交う車を除いてはどこともアクセスを絶たれた、世界の死角とも言える孤島のような、小さな駐車場に取り残された。ついでにゴミも散乱している。

 その時の僕の命綱は『会ったこともなければ話したこともない、アプリ上で知り合ったブラブラカーのドライバーが、約束通り迎えに来てくれる』という不確かで、か細い希望だけだった。

 結果的に僕はここからParisへと舞い戻ることができた。この名もなき駐車場から、Parisを経て日本帰国までも、カミーノと同じぐらい刺激的で色々なことがあったが、、、今回はここまで。

ここから先は、またいつかどこで。

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