起きてみると、昨日友達とパブで飲んだギネスビールのダメージが予想以上にあった。今日は土曜日、学校は休みだったので出かける計画を立てていたのだが、二日酔いで少し億劫になっていた。
しばらく悶々とした気分でいたが、昨日の授業中に起きた出来事をふと思い出した。
先生に今週末の予定を尋ねられた僕は、「天気が良ければ出かけようと思っています。」と答えた。すると、ブラジル人のタタンから「ヒロ!天気を気にしていたら、いつまでたっても行けないよ!」と言われたのだ。その言葉にハッとさせられた。
ふと蘇ったその言葉が、ベッドでグズグズしている僕のお尻を叩いた。”よし出かけよう!”ベッドを出ると急いで支度を始めた。目的地は念願の地「タラの丘(The Hill of Tara)」だ。
7時半に家を出発。天気はとても良かった。まずはLUASに乗り、Busarasバスステーションへ向かう。バスステーションに着くとチケットを買い、乗車予定のバスを探した。ダブリンでバスを利用するのは初めてだったので不安だったが、特に問題も起こらず8時45分にはタラ行きのバスに乗っていた。
乗り場を発車したバスは、まだよく知らないアイルランドという国の、全く馴染みのない町を通り抜けて行く。それはとても爽快な気分だった。
様々な家が建っていて、それぞれに庭があり、人々の暮らしがある。そこで人々はどのような生活をしているのだろう。日本と同じ部分もあるだろうけど、違う部分もたくさんあるだろう。あれこれ想像するのは楽しくて、タラまでの1時間はあっという間に過ぎていった。

タラのバス停は丘の麓にあり、タラの丘までは緩やかな上り坂を20分ほど歩いた。途中には牧場があったり、民家があったりと、生活感がある。伝説の地にも人は住んでいるらしい。
タラの丘は、想像を越えて壮大な場所だった。丘は広く、一面緑の絨毯に覆われていて、空は突き抜けるように高く青い。
タラの丘はその昔、ケルトの王様が即位の儀式を行う大切な場所だったらしい。ケルト人達が移住して来る前から人が住んでいたらしく、古いものだと5000年前の遺跡もあるという。まさに伝説の地と言うにふさわしい場所だった。

丘の上には、リア・ファル(The Lia Fail)運命の石と呼ばれる石柱が建っていた。伝説によれば、戴冠式で正しい王が選ばれると、その石が叫ぶらしい。何をどう叫ぶのだろう。とても謎めいている。僕は恐る恐るリア・ファルに触ってみた。不思議な体験を期待していたが、特に何も起こらなかった。

しばらくタラの丘を散歩した。古代やケルト人について考えれば考えるほど、その謎は深まるばかりだ。The Moud of The Hastages と呼ばれる古墳などを眺めて歩いた後、丘の中腹にあったカフェで一休み。日差しは暖かかったが、丘の上を吹く風のせいで身体は冷え切っていた。温かいコーヒーと甘いブラウニーはそんな僕を温め元気をくれた。

すっかり満足してカフェを出ると、近くにあった古本屋に入ってみた。やや薄暗い店内にはたくさんの本が所狭しと置かれていた。そのほとんどが古く埃かぶっていて、どれも興味深かった。ざっと見たところ、アイルランドの歴史やケルト人についての本が大半のようだ。店主のおじさんはストーブの前でずっと本を読んでいた。
本を買い、店を出ようとすると、店主のおじさんから、
「英語が上手くなったら、今度私に日本語を教えてくれ!」
と言われた。アイルランド人はどこに行っても気さくでフレンドリーだ。
昼過ぎから次第に風が強まってきたので、そろそろ帰ることにした。丘を下り、来た時と同じ車道に出る。ダブリン方面行きのバス停を見つけると、時刻表を確認した。それによると、バスは20分に1本出ているらしい。じきにバスはやって来るだろう。のんびり待つことにした。

バスはすぐに来るだろうとたかを括っていた僕だったが、ところがどうだ、待てど暮らせどバスは来ない。20分が過ぎ、40分が過ぎ、1時間が過ぎようとしていた。時刻表自体が古いもので、現在バスは違うスケジュールで走っているのだろうか。僕は次第に不安になり、途方に暮れ始めていた。
そこへどこからともなく一人の若者が現れた。バックパックにキャリーケース、旅行者の出で立ちだ。そんな彼を見て、やはりバス停はここで間違いないし、バスは間もなくやって来るに違いない。彼の登場は僕を安心させた。
せっかくなので、アイルランド人だという彼と話をさせてもらった。彼はフレンドリーで爽やかで、とても気持ちの良い人間だった。彼とおしゃべりしながらだと、バスを待つこともまた楽しかった。
バスを待ち始めて1時間20分後、ついにバスがやって来た。ほっと一安心。バスに乗り込む前に、アイランド人青年と最後に堅い握手を交わした。こうして、僕の長いようで短い、タラの丘への小旅行は終わった。

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